そこで私はひとりだけ


何度、この満天の星空に手が届けばいいと思っただろうか。散りばめられたそれは、まるで砂糖菓子のようで。私の気持ちを外に向けさせるには十分な、甘い誘惑だった。


「――今日も遠いや」










「あら嫌ね。こっちも汚いじゃない。ちゃんと磨きなさいよ」

「申し訳ありません。直ちに」


これはクラリネスの王都から少し離れている町の屋敷でのこと。物心つく前に両親を亡くした私は、ここら一帯の土地の領主であり、かつ伯爵であるお祖父様、もといエドワードにライナー家の養子として引き取られて育った。

お祖父様はとても優しく、愛情を注いでくれて当時の生活は心豊かなものだった。けれど、それも長くは続かないもので。目の前にいる義両親や義兄は突然やってきた私を目の敵にしていた。誰とも血の繋がりを持たないこの家で、ただ一人、私を本物の家族の一員のように接してくれたお祖父様が亡くなった途端に、今のように使用人の如く扱われ嫌がらせを受ける生活は始まったのだ。


「…まったくお義父様はどうしてこんな奴を拾ったのかしら」

「本当だよお母様。お祖父様はこいつのことばっかり持て囃して、優秀な僕のことはそっちのけだったよ」

「仕方あるまい。いくら下賤な者の娘なのだと言っても父上が連れてきたのだから。ここでまた捨てたら我々が周りに何と言われるか」

「そうなのよねぇ。ただの使用人ならまだしも…だから余計に厄介なのよ。こいつは」


唇をぐっと噛む。煌びやかに輝く宝石類やドレスをうっとりと眺める義母リリーと、ティーカップを優雅に口に運ぶ義兄エリックと義父マイク。何も知らない人から見れば、悪態を吐くのには似つかわしくない様子に思える。

その一方で、私はそんな彼らを尻目にボロボロの布の切れ端で床を擦る手を止めることなく、只管に動かし続けていた。余計なことを言えば更に嫌がらせを受けるのを身を持って知っているからだ。


「本当、こうなると上手いことこいつを活用しないと損ですよね。…もう少し美人だったら、僕の遊び相手にしてやってもよかったのだけど」

「お義兄様、お戯れを」


しまった、と気付いた時には既に遅かった。つい口を挟んでしまった。カチャ、と金属がぶつかる音がする。床を擦り続ける私の視界に足先が入り込んだ。何かと顔を上げようとした途端、ふいに顎を掴まれ義兄の顔が目に入る。


「お前ごときが偉そうにするな。別にね、僕の相手でなくてもいいんだよ?」

「それは、どういう……」

「年頃の女なんて売ろうと思えばいくらでも売れるんだよ」


ねっとりとした笑みを浮かべる義兄に悪寒が走る。その顔にはかすかに本気さが伺えた。彼らを本気で怒らせてしまったら、本当にどこかの商船に乗せられてしまうかもしれない。これまで何度もそう思ってきた。それに近いことを躊躇いもなくする彼らを幾度となく目にしてきたからだ。


「馬鹿を言うな。もしそんなことをして明るみにでもなってみろ。ライナー家はどうなることか」

「分かっていますよ。お父様」

「(…主犯のくせに)」


知らぬ存ぜぬといった義父の反応に反吐がでる。以前、今のこの生活に嫌気がさしここから逃げようとしたことがあった。呆気なく捕まってしまったのだけど。その時、手引きしてくれた老年の使用人は、お祖父様と懇意にしていたにも関わらず彼らによってどこかへ飛ばされてしまった。当時の私に何の利用価値を見出したのかはわからなかったけれど、私は一人ライナー家に連れ戻されたのだ。


「とは言ってもお父様!いずれ時期が来たらこいつを僕の好きにしても良いですか?」

「好きにしろ」


品定めするような視線とその言葉が何を意味しているのか分からないほど鈍感ではなかった。こんなことなら私は最初から使用人として引き取られればよかったのだとすら思う。逃げてしまえば、また誰かが傷つく。そうなると私には素直に彼らの手駒として生活していくことしか残らなかった。


「あらやだ。落としてしまったわ」


大きく布の擦れ合う音がすると共に、暗転した。顔を出してみれば、私を一瞬で覆ったのは少し古びているけれど繊細な造りのドレスで、ついさっき磨いた床にはコロコロと宝石類が散らばっていた。


「何しているんですか、お母様」

「つい手が滑ってしまったのよ。…メイ、全部拾って綺麗にしておいて頂戴。その代わり、その中から今夜身につけるもの選んでいいわよ」

「あ、りがとうございます……」


皮肉な笑みを浮かべた義母の言葉が胸へと刺さる。思ってもいない感謝の言葉が喉に引っかかった。爪が食い込むほど強く閉じた掌を解き、四方に転がる宝石をひとつ手に取る。選ばれた宝石のステージとなったそこには三日月型の跡が横一列に並んでいた。また、今宵も始まるのだ。最高にくだらない彼らの宴が。

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