「ねぇ」


降り止むことの知らない無数の雨音だけだった私の世界に突如ポツリと声が降ってきた。
自分にかけられたものではないと思い俯いたままだった私の腕を誰かが掴み上げ再び、ねぇ、と今度はしっかりと私に向けて言葉を発する。

雨で張り付く髪の毛の隙間から見えたのは私の腕を掴む指の先から手首、腕にかけてタトゥーに包まれた筋肉質な男性のそれ。

ゆっくりと顔を上げればサングラスにボディピアス、覗かせた肌にはタトゥーという少し奇抜な格好の男の人が立っていた。


彼はちらりと私の制服に視線を落とすと、帰らないの、家族が心配するよ、とその姿とはまるで正反対のお巡りさんのようなことを口にした。


彼のその言葉に慣れ親しんだ我が家を思い出すと同時に、つい数時間前に起こった出来事もフラッシュバックされた。
平凡な一家を襲った突然の惨劇。
強盗目的の人間の手によって殺された両親の声を押入れの中で息を殺してただ聞いていることしか出来なかった自分。
両親によって庇われた私は無傷のまま、ひとりぼっちの世界に放り出された。


頭から血の気が引いていく感覚がするなかただひたすらに首を横に振った。



「じゃあ家に来る?」



そんな私の様子を見た男のその問いかけに、こくりと頷くと


「知らない男についていくって、意味わかってる?何されたって文句は言えないんだよ?」


と、顔を近付けられた。
間近に迫ったサングラス越しに覗いた瞳は紅くて、彼が人間ではなく喰種だと悟る。




「貴方は私を、殺してくれますか?」



彼に対して初めて口を開いた言葉に彼は一瞬考えた後表情を変えず、いいよ、と答え



「君が望むなら、残さず喰べてあげる」



いつかね、と物騒な台詞に似合わない優しい声で続けた。


「ぼくはウタ、きみは?」


今にも雨音にかき消されてしまいそうな声で名前を伝えると彼、ウタと名乗った男は取り敢えずあったかくして、何かお腹にいれなくちゃね、と私の手を引きながら歩き出だした。


繋がれた掌がウタさんの熱でじんわりと溶かされていく。
彼の手にかかればこの凍てついた心さえもじわりじわりと溶かされてしまいそうで何故だか少し怖くなった。


きっとこの人はいつか私を喰べてくれる。
だから今はただ、その時の為にこの命を精一杯繋いでいこう、そう心に決めた。






ドフトエフスキーの憂鬱

(何が正義で、何が悪か)

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クラスターは死なない