第28話「ひとつのことを極め抜け」

「毒だよ。咬まれたろ?蜘蛛に。お前も蜘蛛になる毒だ。くふっ、くふふふっ。四半刻後には俺の奴隷となって地を這うんだ。」


蜘蛛の姿をした鬼の言葉に、小羽の頭は真っ白になった。



************

善逸side

禰豆子を追って山の中に入った善逸だったが、山の中をひたすら走り回り、禰豆子の名を叫びながら炭治郎たちを探し続けること数時間。
一向に炭治郎たちと合流することが出来ずにいた。
山の中をただがむしゃらに歩いていたら、突然人面蜘蛛に遭遇し、それから逃げるように走り回れば、今度はその親玉らしき蜘蛛の姿をした鬼と遭遇してしまった。
そして冒頭の台詞である。
どうやらこの蜘蛛の鬼の毒は、人間を人面蜘蛛へと変えてしまう恐ろしいものらしい。
そして最悪なことに、善逸がその蜘蛛に咬まれ、その毒に今おかされそうになっていた。
鬼は楽しげに時計を見せびらかして、ゆっくりと恐怖を煽るように、毒におかされていくと起こる症状を説明していく。
当然、臆病な善逸の恐怖心は限界を迎え、真っ青な顔で悲鳴を上げた。


「ギャアアアッ!!ギャァーー!!ア"ーーーッ!!」


善逸の足元に人面蜘蛛が群がり、彼は更にパニックになった。
恐怖のあまり方向転換して走り出す。


「逃げても……「無駄ね!!ハイハイハイ!!わギャッてんだよ!!わかってんの!!」


善逸はそう泣き叫びながら、素早い動きで木に登る。
苦し紛れで意味が無いと分かっていても、逃げずにはいられない。
木にしがみついてブルブルと震える善逸を見て、蜘蛛の鬼は嘲笑う。


「ハハハハ!!何してるんだお前。怯えることはないぞォ。毒が回りきって蜘蛛になったら、知能も無くなる。」

「いや!!だからそれが嫌なんだわそれが!!何でわかんないのお前さ…!!友達・恋人いないだろ嫌われるよ!!ひぃいいい!!ひぃいい!!嫌だ!!嫌だァ!!あんなふうになりたくない!!ひぃいいい!!」

「チュンチュン!(善逸くん!)」


可哀想なくらい怯える善逸が心配で、そっと寄り添うが、善逸はポロポロと涙を流しながら必死に木にしがみついて、ただ震えるばかり。
そんな善逸の脳裏に過ぎるのは、育手であるじいちゃんとの修業の日々。
毎日毎日ボカボカ殴られて、叱られて、辛くて逃げ出したい日々だった。
どんなに努力しても全然結果が出なくて、挙句の果てに雷に打たれて髪の色が変わってしまった。
そんな俺にじいちゃんはいつだったか言った。


『しっかりしろ!!泣くな!!逃げるな!!そんな行動に意味はない!!』


じいちゃん……
俺は。俺が一番自分のこと好きじゃない。
ちゃんとやらなきゃっていつも思うのに、怯えるし、逃げるし、泣きますし。
変わりたい。
ちゃんとした人間になりたい。


「でもさァ!!俺だって精一杯がんばってるよ!!なのに最後髪ずる抜けで化け物になんの!?うそでしょ!?うそすぎない!?」


涙も鼻水も、顔から出るもの全部出して泣き喚く。
そうしている間にも人面蜘蛛が木に登ってきて、俺に更に毒を刺そうとしている。


「ヒギャ…!!登ってくんなよ!!ちょっとでいいから一人にして!!ちょっとでいいから!!」

ズル


頭を抱えて泣き叫ぶ。
すると、髪がごっそりと抜けたような嫌な感触がして、俺は恐る恐る手を見た。
手には大量に抜け落ちた俺の髪の毛がびっしりと残っていた。

――もう、この段階で抜けるの?

毛の抜け始め……あいつさっき説明しなかった!!
自分が確実に蜘蛛に近づいていると嫌でも実感して、善逸の恐怖は等々限界を超えてしまった。


「ぱうっ……」

「チュン!?(善逸くん!?)」


善逸は等々気を失ってしまい、ぐったりと身体から力が抜けた。
そのまま頭から真っ逆さまに落ちていく。
しかし、小羽はとても落ち着いていた。
それどころか、安堵すらしていた。だって善逸くんは……

シィィィ

善逸の呼吸の音が変わった。
一瞬でその身に纏う雰囲気がガラリと変わり、善逸は刀に手を添えた。


「――雷の呼吸、壱ノ型、霹靂一閃!」


善逸は刀を構えると、空中で身体を方向転換させて、木を足場に蹴って蜘蛛に向かって飛び上がった。


「斑毒痰!」


蜘蛛鬼は自分に迫ってくる善逸に、咄嗟に口から猛毒を吐いた。
すると善逸は空中で身を捻ってそれを避けた。
善逸の代わりに猛毒を浴びた木が、嫌な音を立ててドロリと溶ける。
それから善逸は再び同じ構えをとった。
人面蜘蛛に大量に襲いかかられてはそれを避け、何度も何度も蜘蛛鬼に毒を吹きかけられてもかわし続けた。
そしてその度に善逸は何度も何度も同じ型の構えをし続けた。

――だって、俺にはこれしかできないから。


『いいんだ善逸、お前はそれでいい。』


ふと、じいちゃんの声が聞こえてきた気がした。
俺が修業していた頃に言われた言葉だ。


『一つできれば万々歳だ。一つのことしかできないなら、それを極め抜け。極限の極限まで磨け。』


いや、じいちゃん。ちょい前までブチ切れだったじゃん。

雷の型、六つあるのに俺が一つしかできたことないから。


『刀の打ち方を知ってるか?』


知らんよ。ずっと叩くの?泣くよ?俺。

じいちゃんは俺の頭をごちんごちんと何度も叩いたっけ。

あれ、結構痛かったな。手加減してくれたんだろうけど。


『刀はな。叩いて叩いて叩き上げて、不純物や余分なものを飛ばし、鋼の純度を高め、強靭な刃を造るんだ。』


だからじいちゃんは俺のこと毎日ぶっ叩くのかよ。

でも俺は鋼じゃねえよな。生身だからさ。

だけどじいちゃんは毎日毎日泣いて泣いて、ついには何度も修業から逃げ出した俺に、いつだったか言ってくれた。


『善逸、極めろ。泣いてもいい。逃げてもいい。ただ諦めるな。信じるんだ。地獄のような鍛錬に耐えた日々を。お前は必ず報われる。極限まで叩き上げ、誰よりも強靭な刃になれ!!』

『一つのことを極めろ』


じいちゃんの言葉が、俺を突き動かす。

毒が回り、痛み、痺れる手足。

動きは鈍くなり、更に痛みは増し続けて、強烈な吐き気とめまいが加わる。

それでも俺は戦い続ける。

諦めたりなんかしない。

いつだったか、あいつに……兄弟子に言われた。

何で弱いのにここにいるんだと。

さっさと消えろと、何度も怒鳴られた。なじられた。

それでも俺は……


親のいない俺は、誰からも期待されない。

誰も、俺が何かを掴んだり、何かを成し遂げる未来を夢見てはくれない。

誰かの役に立ったり、一生に一人でいいから、誰かを守り抜いて幸せにする。

そんなささやかな未来ですら、誰も望んではくれない。

一度失敗して、泣いたり、逃げたりすると、あぁ、コイツはもう駄目だって離れてく。

でもじいちゃんは、何度だって根気強く俺を叱ってくれた。

何度も何度も逃げた俺を、何度も何度も引き摺り戻してくれた。

明らかにちょっとアレ殴りすぎだったけど。

絶対に俺を見限ったりしなかった。


それに、今の俺には仲間だと思える人達がいる。

炭治郎、伊之助、清隆、禰豆子ちゃん。そして……小羽ちゃん。

特に小羽ちゃんと炭治郎は、こんな俺を強いって言ってくれた。

それがお世辞の言葉だとしても、俺は嬉しかったんだ。

諦めない。こんなところで負けられない。

俺は死ねない。だって……


『……わかった。いつか話してね?』

『うん。約束する。』


小羽ちゃんは約束してくれたんだ。

次に会ったら、言いかけていたことを話してくれるって。

ここで死んだら、約束を果たせない。

小羽ちゃんは俺に嘘をついたことはない。

でも、あの子が何かを隠してるのは音でわかってた。

そして小羽ちゃんはきっと、あの日の夜、それを俺に話そうとしてくれてた。

――小羽ちゃんからは時折、苦しげな音と、迷っている音、そして激しい怒りと、聴いているこっちの胸が苦しくなるくらい、哀しい音がする。

俺はその理由が知りたい。

小羽ちゃんが何に苦しんでいるのか、ちゃんと聞きたい。

だから……こんな所で死ねないんだ!!


「――雷の呼吸、壱ノ型、 霹靂一閃・六連!」


身体が木々を足場に、空高く駆け上がる。
まるで雷鳴が迸るかのような音と共に、目にも追えない速さで一気に鬼に接近する。
そして、蜘蛛鬼が逃げ込んだ小屋を突き破って、俺は一気に刀を抜いて鬼の頸を刎ねた。

確かに鬼を斬った手応えを感じて、俺は一気に体から力が抜けた。
そのまま落下していく。
近くでボトボトと何かが地面に落ちた音が聞こえた。
きっと、鬼の体が地面に落ちたのだろう。

俺の身体は運良く下にあった小屋の上に落ちて、地面に叩きつけられることだけは避けられた。
でも、もう……指一本すら動かせそうにない。
眠っていた意識が浮上して、ゆっくりと目を開ける。


「……げほっ!」


血を吐き出す。
思ったよりも毒が身体に巡るのが早い。
また眠っている間に何かをあったのだろうか。
浅い呼吸を繰り返しながら、俺は夢を見る。


――そう。夢を見るんだ。

幸せな夢なんだ。

俺は強くて……誰よりも強くて。

弱い人や困っている人を、助けてあげられる。いつでも。

じいちゃんが教えてくれたこと、俺にかけてくれた時間は無駄じゃないんだ。

じいちゃんのお陰で強くなった俺が、たくさん……人の役に立つ……夢。

でも……もう……駄目だ……

もう……手も、足も……感覚が……

嗚呼、最後に一目でいいから、小羽ちゃんに会いたかったな。

看取られるなら、小羽ちゃんがいい。

最期の瞬間が独りぼっちだなんて、寂しすぎる。


「チュン!」

「……チュン……太郎……」


耳元で、雀の鳴き声がした。
首を動かすこともできなくて、俺は目だけを動かして視線をそちらに向けた。
そこにはチュン太郎がいて、とても心配げに俺を見ていた。
何を言っているのか言葉はわからなくても、俺を心配してくれているのだとなんとなくわかった。


――ああ、チュン太郎は無事だった。良かった。

でももう、俺は助かりそうにない。

蜘蛛になる前に、死んでしまいそうだ。

ごめんな。駄目な主人で。

ごめんな。最後まで情けない奴で。


「……ごめん……な……」

「っ!」


弱々しい声でチュン太郎に謝ると、ポロリとチュン太郎の大きな瞳から涙が一筋零れた。


「――善逸くん!!」


俺は等々……幻覚まで見えるようになったのだろうか。
目の前で信じられないことが起きたんだ。

だって……俺の目の前に、小羽ちゃんがいる。

大好きな女の子。最後に一目だけでいいから会いたいと願ってた女の子がいるんだ。

チュン太郎の身体がめきめきと大きく膨らんでいったかと思えば、そこに現れたのは小羽ちゃんだった。
チュン太郎が小羽ちゃんになったんだ。
俺は目の前で起こったことが信じられなくて、とても混乱した。
毒で意識もぼんやりとしてきてたのに、一気に目が覚めた。

えっ、何!?どうなってるの!?

何でチュン太郎が小羽ちゃんに!!?

俺が小羽ちゃんを好きすぎるあまり、等々幻覚まで見えるようになったの!?

何それ怖すぎ!!鬼の毒こわっ!!こわーーーっっ!!

身体が自由に動けたら、それはもう全身で驚きを表現して、騒々しく騒ぎまくっただろう。
でも、生憎今はまったく動けそうにない。
それでもまだ意識ははっきりとしていたので、俺の頭の中は大混乱していた。


「小羽……ちゃん?」

「っ、善逸くん!」


目の前にいるのが本物の小羽ちゃんか確かめたくて、弱々しく名を呼ぶ。
するとすかさず小羽ちゃんは俺の手を握ってくれた。

女の子だけど刀を握っているからか、豆だらけで、少しゴツゴツした手。でも女の子らしく柔らかな手。

温かい。じんわりと手から伝わるぬくもりに、彼女から聴こえてくる優しくて、澄んでいて、俺を心から心配するその音に、ああ、本物の小羽ちゃんだと安堵する。


「ごめんね善逸くん。ごめん。私が……戦っていたらこんな……」


俺の手をぎゅっと握り締めながら、小羽ちゃんはボロボロと目から止めどなく涙を流していた。
罪悪感と、後悔と、ひたすら自分を責める痛々しい音がする。

――嗚呼、そんな顔しないで。泣かないで。

事情はさっぱり分からないけれど、俺は小羽ちゃんに泣いてほしくないんだ。

涙を拭ってあげたいのに、指一本も動かせない。

もどかしい。とてももどかしいよ。


「なか……ないで……小羽……ちゃん……」


大好きな女の子の涙一つ拭ってやれなくて、それでも俺は小羽ちゃんに笑っていてほしくて。

だから、せめて君のせいじゃないとわかってほしくて、俺は弱々しく笑顔を浮かべて、そう言ってやることしかできなかった。

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