第61話「鴉の願い」

ホウホウと夜を知らせる梟の鳴き声だけが、静かに皆が寝静まった蝶屋敷に響き渡る。
時刻は夜の11時。屋敷にいる殆どの者たちが寝静まった頃を見計らって、清隆は禰豆子のいる病室を訪れた。
禰豆子のことを知らない他の治療中の隊士たちに見つからないように、足音も気配も殺してここまでやって来たから、きっと誰にも見られていない筈だ。
清隆は念の為に周囲を警戒しながら、近くに誰の気配もないことを確認して中に足を踏み入れた。
個室になっているその病室の奥に、ちょこんと禰豆子の箱が置かれている。
清隆はその箱を見て、ホッと緊張で強ばっていた肩の力を抜いた。
ゆっくりとその箱に近づくと、清隆は箱に目線を合わせるようにして膝を折り、コンコンと扉をノックするように軽く数回叩いた。
するとキィっと鈍い音を立てて、箱の蓋が開かれた。
そこからひょっこりと顔を出してきた禰豆子を見て、清隆は柔らかく微笑んだ。


「お待たせ禰豆子ちゃん。昼間約束した場所に行こうか。」

「うー!」


清隆の言葉に、禰豆子は嬉しそうに頷く。
それを了承と受け取って、清隆は再び禰豆子に箱に入ってもらうと、その箱を背負って歩き出した。
炭治郎に頭を下げて、やっとの思いでこぎつけたこのデェト。
絶対に成功させたい。
禰豆子ちゃんに少しでも楽しんでもらえるように、今日まで色々と準備していたのだから。
清隆は、今日の日のために事前に人の少ない時間帯を何度も調べ、そして何処に行けば人と遭遇する確率が少なく、且つ、女の子の禰豆子が喜んでくれそうな場所を必死に考え、あらゆるデェトに関する情報を集めまくったのである。
その努力が報われるかは、今晩のデェトで全て決まるのである。
清隆は改めて気合を入れた。
禰豆子の箱を背負って、ズンズンと裏山を登っていく。
視界の悪い暗い夜道でも、鬼殺隊の活動する時間は常に夜である。
加えて清隆たち鎹一族は、半分が鳥の遺伝子を持っているせいか、夜でも割とはっきりと視界を見ることができた。
だから清隆はまるで昼間と変わらない軽い足取りで山を進んで行った。
山道を登り、草を掻き分けながら進んで行くと、善逸に教えてもらった花畑が見えてきた。
少し開けた場所に出ると、清隆はそっと背負っていた箱を下ろした。
箱の扉を開いて、禰豆子がひょっこりと顔を出す。
箱から完全に体を出すと、禰豆子は小さく縮こませていた体を本来の大きさへと戻していった。
禰豆子の体の変化が完全に落ち着いたのを見計らうと、清隆はそっと禰豆子に手を差し出してきた。


「行こうか禰豆子ちゃん。暗いし、足元も危ないから、手を繋いで歩こう。」

「むん!」


清隆が穏やかに微笑みながらそう声をかけると、禰豆子はにっこりと目元を嬉しそうに細めて、清隆の手を取ってくれた。
女の子らしく細い指先に、桜貝のようにほんのりと薄く桜色に色づいた爪。
けれどその爪は、まるで獣のように鋭く伸びていて、彼女はやはり鬼なのだということを意識させられた。
けれど清隆は知っている。
禰豆子がとても心優しい娘だということを。
禰豆子は人を決して襲わない。だから絶対に人を喰ったりなんてしない。
この一年以上、禰豆子を。竈門兄妹を見守り続けてきた清隆は強く確信していた。
ある日突然理不尽に家族を奪われ、当たり前の日常を壊され、挙句、望まぬ形で鬼にされた。
それでも人の心を失わず、心優しく人を守ろうとする禰豆子の心強さに、その美しさに清隆は強く惹かれていた。
最初は見た目がとても美しく、好みの娘だったから気になった。
鬼である彼女を好きになることに、不安がなかった訳じゃない。
けれど禰豆子と過ごしてきた今、彼女を知った今なら、自信を持って言える。
俺は禰豆子ちゃんが好きだ。大好きだ。
この恋はもう、諦められないくらいに大きくなっている。

――俺は……禰豆子ちゃんを心から愛してる。

鬼だからなんだ。
そんなのは些細な問題だ。
だって、いつか必ず俺たちが彼女を人間に戻す。
その為に炭治郎だってあんなに頑張ってるんだ。
だから、この気持ちはいつか、彼女が人間に戻った時に伝える。
それまでは……彼女を守るんだ。

禰豆子ちゃんの手をゆっくりと引きながら、俺は彼女を花畑へと連れて行く。
暗くて色までは認識できないが、そこには蒲公英や白詰草、春に咲く花々がたくさん咲き誇っていた。
禰豆子ちゃんにもそれは見えているのだろう。
彼女は目の前に広がる美しい花畑に目を輝かせながら、食い入るように見入っていた。
今日は都合のいいことに満月で、まん丸の美しい満月の光に照らされて、きらきらと輝く禰豆子ちゃんの瞳がまるで夜空のように綺麗に見えた。


(……綺麗だなぁ〜〜……)


思わず禰豆子ちゃんに見惚れてしまう。
俺が禰豆子ちゃんに見蕩れてぼんやりとしていると、禰豆子ちゃんがクイクイと俺の羽織の裾を引っ張った。


「ん?どうしたの禰豆子ちゃん?」

「むー!」


どうやら俺がぼんやりしていたのが気に入らなかったのか、彼女は眉尻を吊り上げて少し不満そうな顔で声を上げた。


「ごめんごめん、ぼうっとしてた。お詫びって訳じゃないけど、禰豆子ちゃんにあげたいものがあるんだ。」

「むう?」


俺がそう言うと、禰豆子ちゃんは「なあに?」と言いたげに不思議そうに首を傾げた。
俺はそんな彼女ににっこりと笑いかけると、懐に忍ばせておいた物をさっと取り出した。


「……懐に入れておいたから、少し潰れちゃったし、お世辞にも綺麗にできたとは言えないんだけどね。良かったら貰ってほしいな。」


少し不安げな声でそう言いながら、俺が懐から取り出したのは、例の昼間に作った花冠だった。
何度も何度も失敗して、何度も何度も善逸に叱られて、やっとまともに作れたのはこれ一つだけだった。
花は所々よれていて、形も崩れかけていて、歪。
善逸の作った見事な花冠と比べたら、とても綺麗とは言えない。
それでも、一生懸命作ったものを彼女に……禰豆子ちゃんに贈りたかったんだ。
禰豆子ちゃんは少しの間、しげしげと花冠を眺めていた。
けれど嫌がる素振りも、呆れたような顔をすることもなく、そっと自ら頭を差し出してきてくれたのだった。
俺がそんな彼女の優しさにジンと目尻が熱くなって、感動していると、禰豆子ちゃんは早く花冠を乗せろと言いたげに不満そうな声を上げた。


「むう!」

「――あっ!ごめん。すぐに乗せるね。」


俺は慌てて花冠を持ち直すと、それをそっと彼女の頭の上に被せた。
すると顔を上げた禰豆子ちゃんが、とても嬉しそうに「むう〜〜」と可愛らしく上機嫌な声を上げて笑ってくれたのだ。
どうやら気に入ってくれたようで、にこにこと嬉しそうに目を細めて笑顔を浮かべている。

――本当に優しくて、可愛らしい子だ。

禰豆子ちゃんが堪らなく愛おしくなる。
彼女はどこまでも優しい"人"だ。そう……禰豆子ちゃんは人だ。

例えその身が鬼にされようとも、彼女の優しい心はずっと人なのだ。
いつか……本当に彼女が心から笑える日が来ることを切に願う。
いつか人に戻って、また日の下を歩けるようになったら、彼女とたくさん話をしよう。
彼女は、どんな声なのだろう。
どんな風に話すのだろう。

彼女は、絶対に幸せになるべき人だ。
だから、きっといつか……心から彼女が幸せに笑えますように。

俺は心からそう願った。

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