第52話「認めたくない想い」

善逸から逃げるように飛び去った小羽は、蝶屋敷へと一人帰って来ていた。
しのぶから仮の自室として借りている部屋の机に突っ伏して、力が抜けたようにがっくりと項垂れている。


「……死にたい。」


ぽつりと呟かれた声には覇気がなく、小羽はどんよりと重い空気を背負って落ち込んでいた。
情けない。自分があまりにも不甲斐なくて、泣きたくなってくる。


「……何で、もっと上手くやれなかったのかなぁ〜……私……」


私のことを真っ直ぐに見つめてくる善逸くんが途中から別人のように思えてしまって、怖くなってつい逃げてしまったのだ。
あんな態度を取ってしまっては、善逸くんを好きだと認めたようなものじゃないか。
絶対気付かれた。私の気持ち。
小羽は頭を抱えて項垂れる。


「ああ〜、私の馬鹿!!馬鹿馬鹿!!」


ゴンゴンと鈍い音を立てて机に何度も頭を打ち付ける。
額にぷっくりと小さなタンコブができたが、今はどうでも良かった。


「うう、花冠も置いてきちゃったし。折角、善逸くんが作ってくれたのに……」


「もう本当に泣きたい」と、普段の情けない善逸のような言葉を吐き出してしまう。
打ち付けた額はじんじんと痛むし、善逸くんは傷つけるし、逃げ出すし、情けない。
私のバカ、アホ、何やってるのよ。
突っ伏していた顔を上げると、頭からヒラリと何かが落ちてきた。


「ふえ?」


何だろうと思って机に落ちたそれを拾い上げる。
それは花びらだった。善逸くんに花冠を被せてもらった時にでも髪にくっついたのだろうか。
黄色い一枚の花びら。それは蒲公英の花だった。
その花びらをまじまじと見つめる。


「蒲公英かぁ〜〜……ふふ。」

(そういえば善逸くんって、どこか蒲公英に似てるなぁ〜〜)


黄色い蒲公英の花を思い浮かべていたはずが、いつの間にか善逸くんのことを考えていた。
髪の色とか、花びらの形が彼の髪型に似てるなとか、そんなことを無意識に考えていたら、自然と笑みがこぼれた。
そしてふと我に返る。
自分で善逸くんの気持ちを拒絶しておきながら、未練がましく彼のことばかり考えてしまう自分の身勝手さに絶望する。


(私、何やってるんだろ……自分から善逸くんを振ったくせに。本心ではこんなにも好きになってるなんて……)


本当に、どうしようもないくらいに馬鹿で、救いようがない。
何のために善逸くんを傷つけてまで彼の告白を断ったんだ。
今更私が善逸くんをどれだけ好きか自覚したところで、彼を拒絶してしまった過去は変わらない。
そして自覚したところで、私は善逸くんの気持ちに応えるつもりはないのだから。
だって、だって、受け入れてしまう訳にはいかないから。
相手が善逸くんだから拒絶した訳ではない。
今の私には、恋とか、誰かを好きになる気持ちは、正直重みでしかないからだ。

――嗚呼、これから善逸くんとどうやって顔を合わせたらいいんだろう。

非常に気まずい。きっとこれからはずっと苦しい。
そしてこの苦い苦しみは、彼の傍に居続ける限り続くだろう。
この気持ちを捨ててしまえば、きっと辛くなくなる。
そう分かっていても、この恋を簡単には捨てられないだろう。
だって、そもそもそんな簡単に捨てられるような恋なら、こんなにも悩んだり、苦しんだり、情けないくらいに迷ったりしない。
理性では捨ててしまえば、忘れてしまえば楽になれると分かっていても、本能で善逸くんを求めてしまっている。
きっと、私は善逸くんの傍にいる限りこの恋を捨てられないだろう。
彼が私と同じ気持ちを抱いてくれていると分かってしまったから、余計に。
その手を伸ばせばすぐにでもこの気持ちが通じ合えると知ってしまったから。


「――鎹雀、やめちゃおうかなぁ……」


そう呟いて、すぐにハッと我に返る。


(今、私は何を……)


思わず口から出た言葉に自分で驚いた。
何を言ってるんだ、私は……
そんな自分勝手な理由でやめるなんて有り得ない。許されない。
頭ではそう分かっているのに、心が善逸くんから逃げたがっているのに気付いて、私はショックで暫く茫然としていた。

――嗚呼、もう駄目なのかもしれない。



****************



「……はあ、頭冷やそう。」


泣いたり落ち込んだりして、なんだか色々と疲れてしまった。
とりあえず顔でも洗って頭を冷やそうと、井戸を目指して通路を歩く。
すると、近くで誰かの話し声が聞こえてきた。
その聞き覚えのある声に、ピタリと足が止まる。


「禰豆子ちゃ〜ん!禰豆子ちゃんにもお花のお裾分けだよぉ!」

「うー」

(……善逸くん)


声のした部屋をこっそりと覗いてみると、そこに居たのは善逸くんと禰豆子ちゃんだった。
それで思い出した。この部屋はしのぶさんが禰豆子ちゃんのために用意した空き部屋であることを。
そこを通ったのは本当にたまたまであったのだが、こんな所で見かけてしまうなんて……しかもよりによって、善逸くんが私以外の女の子と楽しげに話している場面に遭遇してしまうとは。
相手が禰豆子ちゃんだとしても、ちょっとだけ面白くない気持ちになってしまう。
悪いと思いつつも、二人の様子が気になってしまって、気が付いたら気配を消して、こっそりと二人の様子を覗いていた。
善逸くんは手に持っていた小さな花を禰豆子ちゃんに手渡していた。
にこにこと嬉しそうな笑顔を浮かべて、顔なんて真っ赤にして、デレデレとみっともないくらいに頬を緩めて。
禰豆子ちゃんが嬉しそうに花を受け取れば、これまた嬉しそうにデレ〜と鼻の下を伸ばして笑った。
それが気に食わなくて、妙にイライラしてしまう。
ムッと眉を寄せて顔をしかめる。無意識に鋭い目つきで善逸くんを睨みつけていた。


(何よ善逸くんってば、デレデレと……)


明らかな嫉妬に、私は気付かずにその様子を見続ける。


「昼間に行った花畑に咲いてたんだ。綺麗だから禰豆子ちゃんにもあげるね。」

「うー!うー!」

「そっか!喜んでくれて俺も嬉しいよぉ〜〜!」

(……髄分と楽しそうですね。善逸くんよ。)


無意識に目つきがスっと鋭くなり、手に力が篭って拳を作る。

何が小羽ちゃん一筋よ!結局女の子なら誰でもいいのか!私のこと好きって言ったくせに!言ったくせに!
そりゃあ禰豆子ちゃんは可愛いよ。お兄ちゃんも惚れるくらいだしね!
でも残念でした。禰豆子ちゃんはお兄ちゃんの未来のお嫁さんなんですぅ!善逸くんの女の子じゃありません!
君のつけ入る隙はないんですぅ!

ギスギスとした気持ちでそんな悪態を心の中で全力で叫ぶ。
あまりにもムカムカするので、もうこの場から離れようと思った。
すると、不意に善逸くんが何かに気付いたように後ろを振り返った。


(……あっ!)


そしてばっちりと絡み合う視線。思いっきり目が合ってしまった。
その瞬間、私は素早く踵を返して逃げ出そうとした。
もはや本能的に逃げ出したようなものである。
だけどそれは叶わなかった。駆け出そうとした瞬間に誰かに手首を掴まれたからである。
誰かなんて考えるまでもない。私が恐る恐る首だけをそちらに向ければ、そこにはやっぱり善逸くんがいて、どこか焦ったような、少しだけ困惑したような、そんな複雑そうな顔をしていた。


「……善逸くん。」

「何でまた逃げようとするの?」

「……」


沈黙が重く感じる。
一瞬、ほんの一瞬だけ、手を振り解いて逃げようと思った。
だけどそんなことをしてはいけないと、ちゃんと善逸くんと向き合わなければという僅かな気持ちが残って、その場に留まることにした。
私が逃げる気が無くなったのが伝わったのか、善逸くんは手を握る力を少しだけ緩めてくれたけれど、決して手を離そうとはしない。


「ねぇ、小羽ちゃん。何か言って。」

「……随分と、楽しそうだったね。」

「え?」


善逸くんが、きょとりと目を丸くして私を見る。
予想外な言葉だったのか、驚いたように目を見開いて。
私の心はドス黒い感情に包まれたみたいに、醜い嫉妬でいっぱいだった。


「禰豆子ちゃんにも花送ってたし、結局善逸くんは、女の子なら誰でもいいんじゃないの?」

「……小羽ちゃん?」

(違う、こんなこと言いたい訳じゃないのに……)


こんな話をしたかった訳じゃないのに。そう思っても、嫉妬に狂った私の口が勝手に酷い言葉を吐き出す。


「デレデレしちゃって、私のことを好きだとか言ってたのに!」

「……小羽ちゃん、嫉妬してくれたの?」

「っ!」


善逸くんに図星を突かれて、かあっと顔に熱が集まる。
それを見た善逸くんが、何故かふわりと嬉しそうに微笑んだ。
そんな笑顔を向けられて、不覚にもきゅんと胸が甘く高鳴る自分の心が恨めしい。
もうやだ。
何で……私は善逸くんの気持ちを忘れたいのに。
何でこんなに掻き乱されないといけないんだろう。
何でこんなに苦しいんだろう。
ポタリと、目から一筋の涙が零れ落ちた。


「……えっ。」


善逸くんが戸惑ったように声を漏らしたのが耳に響いた。
急に泣き出した私に驚いたのか、手首を掴んでいた腕の力がかなり緩んだ。
私はその隙を見逃さずに、善逸くんを全力で突き飛ばした。
「うわっ!」と善逸くんが驚いたように声を上げながらよろめいた隙に逃げ出す。


「小羽ちゃん!……っ、小羽!」

「っ!?」


今、今呼び捨てで呼んだ!?
突然の不意打ちの呼び捨てにびっくりして、一瞬だけ足を止めてしまったが、そんな驚きよりも逃げたい気持ちの方が勝って、私はまたすぐに駆け出す。


「――小羽?」

「――あっ!」


曲がり角に差し掛かった所で誰かとぶつかった。
顔を上げると、そこに居たのはお兄ちゃんだった。
目からポロポロと涙を流している私を見て、驚いていた顔から心配そうな顔になる。


「……泣いているのか?」

「っ、これは……」

「清隆!!そのまま小羽ちゃんのこと捕まえて!!」

「!!」

「はっ?善逸??」


後ろから善逸くんが追いかけて来るのが分かった。
このままでは追いつかれる。そう思ったら、私は卑怯だと思いつつ、再び雀の姿になって逃げ出していた。
状況の分からないお兄ちゃんは突然の私の行動に驚いて反応出来ずにいた。
そして逃げ出す瞬間にちらりと見えた善逸くんの表情は、とても悲しそうで、チクリと胸が痛んだ。
そしてまた、私は情けなくも逃げ出してしまったのである。



****************



それから私は善逸くんから逃げるように任務に没頭した。
蝶屋敷に帰ることができないため、任務の間は藤の花の家紋の家を宿として利用していた。
任務が終わればまた新しい任務を。そうやって蝶屋敷に帰る暇もないくらいに私は任務をこなしまくった。
幸い大きな怪我をすることもなく、蝶屋敷に行く必要がなかったお陰で仕事に没頭し続けることができた。
それが起きたのは、私が善逸くんから逃げ出して二週間後のことであった。


「くそがぁーー!!」

「っ!!」


大柄の鬼が私の上にのしかかってくる。鋭い爪で私を引き裂こうと腕を振り下ろそうとするが、必死に刀でそれを防いでいた。
だけどこの鬼、力がとても強い。


「ははは!!どうだ!!俺の血鬼術はぁ!!脱皮すればするほど体は大きくなり、力は増す!!」

「うぐっ!!」


鬼の馬鹿力に押し負けそうになる、刀が折られないように必死だった。
押し倒された体勢では反撃もできない。ただ押され気味になるだけである。
私はどうにか体勢を立て直そうと鬼の隙を探すが、中々そんな隙を見せようとしない。
私が苦しげに顔を歪めると、鬼は楽しそうに笑い声を上げた。


「ほらほらさっきまでの威勢はどうしたぁ!!このまま喰われちまうぞぉ?」

「…ぐぅ!!」

「あ〜〜、やっぱり女はいい匂いがするなぁ。まだ餓鬼なのが難点だが、この際選り好みはしねぇ。女の肉は柔らかくて美味いんだよなぁ!なあ、泣き叫んでみろよ。生かしたままむしゃぼりついて、泣き叫ぶ女の声が聞きてえなぁ!」

「さいっってい!!あんた絶対に女の子に好かれたことないでしょ!!」

「うるせえよ!!強がってんじゃねぇ!!」


鬼が私の言葉にブチ切れたように肩に勢いよくかぶりついた。
ぶちりと肉に鬼の鋭い歯がくい込んで、激しい激痛が走る。
肩を食いちぎらんと言わんばかりの痛みに、たまらずに叫び声を上げた。


「いァっ!!ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!! 」

「いいねぇ!!それだよそれ!やっぱり女の泣き叫ぶ声は最高だなぁ!!」


――嗚呼、どうしよう。これ本気でやばいかも。

肩を噛みちぎられたら、刀を持てない。
片腕でどこまでやれるか……

死んじゃう。死んでしまう。

こんなあっさりと。死んでしまうのか。

折角、覚悟を決めたのに。こんなところで死ねないのに。

こんな、十二鬼月でもない鬼にやられてる場合じゃない。

こんな何も成し遂げられずに死ぬために、私は善逸くんを傷つけてまで鬼殺隊であり続けることを選んだんじゃないのに。

ギリッと歯を食いしばる。
鬼は私の血肉を食らうのに夢中で、隙だらけになっていた。
幸いにも噛み付かれたのは利き手じゃない方の肩だ。
ぐっと刀を握る右手に力を込める。


「――星の呼吸、弐ノ型、天狼!」

ザシュッ!!

「あがっ!!」


呼吸を整えて右腕に力を集中させる。美味しそうにむしゃぼりついている鬼の頸目掛けて刀を振り上げた。
鬼が私の動きに気づくよりも素早く頸を刎ねた。
ごとりと鈍い音を立てて鬼の首が地面に落ちる。
血飛沫が吹き出して、私は咄嗟に目と口を閉じ、息を止めた。
斬られた鬼の身体から、プシャーと血飛沫が上がる。
身体中に鬼の返り血を浴びてしまった。気持ち悪い。
不快感と嫌悪感で眉をひそめつつ、鬼の身体が完全に消滅したのを確認して、私はふっと全身から力が抜けたように倒れ込んだ。
噛まれた肩からは傷が深いのか、未だに血がどくどくと流れ落ちていく。
早く止血しなければ。このままでは隠が到着する前に出血死してしまう。
のろりと起き上がりながら、持っていた手ぬぐいを肩にきつく巻いて止血を誇ろみる。
すぐに手ぬぐいは真っ赤に染った。


「………痛い。」


ぽつりと一人呟いた。
死ぬのだと思った瞬間、脳裏に黄色いあの子の姿が浮かんでしまった。
もう手遅れだ。もう、こんなにも心に深く彼が入り込んでいた。
死ぬんだと感じた瞬間、湧き上がった気持ちが本心だった。


「……だから……嫌だったのに……」


たった一人森の中で、私の言葉を誰も聞いていなかったことが、救いだった

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