第55話「死の覚悟」

あれから小羽と清隆は小羽の部屋へとやって来た。
清隆は襖を開けて座布団を二枚引っ張り出すと、それを隣り合わせになるよう畳に置いた。
そこにどかりと胡座をかいて座れば、小羽もおずおずと静かに座る。


「――で、小羽は善逸のことどう思ってるんだ?」

「……善逸くんから聞いたの?」

「まあな。」

「そう……」


小羽は気まずそうに清隆から目を逸らすと、俯いてしまった。
そして絞り出すような小さな声で「お兄ちゃん」と呟いたのである。


「ん?どうした?」

「私……鎹雀やめちゃダメかなぁ?」

「はっ?」

「そうじゃなければ、担当を変えて欲しいの。」

「お前……本気で言ってるのか?」


一瞬妹が何を言っているのか理解できなかった。
思わず目が点になった清隆であったが、小羽の自分勝手な言葉を聞いて、その目が鋭くなったのを自分でも自覚した。
そして怒りを押し殺したような低い声で本気なのかと尋ねる。
するとビクリと小羽が怯えたように肩を震わせた。

――明らかに怒っている。

そんな感情が伝わってくるような低い声だった。
小羽は恐る恐る俯いていた顔を上げて、ちらりと上目遣いで清隆の顔を見上げれば、彼はスっと目を細めて、鋭い眼差しを小羽に向けていた。
いつも小羽に甘く、とても優しい兄の厳しい視線に、小羽はしゅんと俯いた。


「小羽、お前自分が何を言ってるのか分かってるよな?そんな無責任なこと許される訳ないだろ。いくら最初はお館様から命じられたこととは言え、最終的に鬼殺隊と鎹鴉を両立すると決めたのは小羽なんだぞ!?」

「それは……分かってるけど……」

「善逸と一緒にいるのが気まずくなったからって、自分勝手な我儘でやめるなんて俺は許さないぞ。」

「……っ」


清隆の厳しい言葉に、小羽はしょんぼりと俯く。
清隆の言葉はもっともだ。
そんなことは小羽だって分かってる。
それでも、今はどうしても善逸から逃げたかったのだ。
自分勝手なのも、ただの我儘で無責任なことを言っているのも分かってる。
それでも、優しい兄ならもしかしたらと思ってしまった。

今ならまだ、間に合う。
善逸くんから離れさえすればきっと、この胸にくすぶる想いもいつか小さくなって忘れられる。
だからバカなことだと分かっていても、どうしても離れたかった。


(――ううん、本当は違う。)


本当は分かってる。
例え善逸くんから逃げたとしても、この気持ちが無くなったりすることはないんだって。
だって、少し距離を置いたくらいで簡単に無くなっちゃうような気持ちなら、今こんなに苦しんでない。
もうとっくに、そんな領域は超えてしまってるって、本当はとっくに気付いてる。
それでもこの気持ちを認めたくなくて、悪あがきしてる。
お兄ちゃんが呆れて怒るのもしょうがない。


「……ごめん、お兄ちゃん。」


小羽がしゅんと項垂れたまま、絞り出すようなか細い声でそう口にすると、清隆はフッと肩の力を抜いて笑った。
そしてポンポンと優しい手つきで小羽の頭を軽く叩くと、とても穏やかな声で「もういいよ。」と言ってくれたのである。


「――で、小羽はやっぱり善逸のことが好きなのか?」

「……」

「うっ、そっ、そっか……」


小さくだが、確かにコクリと頷いた小羽。それに清隆は少しばかり精神的なダメージを受けて苦しげに胸を押さえた。
もしかしたらと思っていたが、やっぱりかと、清隆は深く、ふかーくため息をついた。
覚悟はしていたが、こんなにも早く妹が恋をする日が来るなんて思わなかった。
出来ることならもう少しくらい恋を知らない子供のままでいて欲しかった。
妹には幸せになって欲しいと思うが、色々と複雑なのである。
だが、それなら何故小羽は善逸の告白を断ったのだろう。
折角両想いだと言うのに……
清隆にはどうしてもそれが不思議でならなかった。


「――なあ、何で小羽は善逸の告白を断ったんだ?」

「それは……」

「何か理由があるんだろ?俺には話してくれないか?」

「……」


清隆は兄として本当に心から小羽を心配していた。
それは小羽にも伝わっていた。だけどこんなことを話してもいいのだろうかという思いが小羽の中で話すことを躊躇わせた。
それでも、真剣な眼差しで自分が話すのを待ってくれている清隆の姿に、小羽は諦めたようにぽつりぽつりと話し始めたのである。


「……あの……ね。……怖かったの。」

「怖い?」

「死ねなくなるのが怖い。」

「なっ!」


静かにそう呟く小羽。その言葉に清隆は、何を言い出すのかと顔色を変えた。
しかし小羽の表情は落ち着いていて、淡々としているのに、ゆらゆらと不安定に揺れるその瞳の奥には、何かに怯えるように確かな恐怖の色が宿っていた。


「鬼殺隊を続ける以上、私はいつ死んでもおかしくない。それは全ての鬼殺隊員に言えることだけど、私とお兄ちゃんは『鎹』だから、他の隊員たちよりもその危険はより大きい。だから鬼殺隊に入隊すると決めた時に、私はいつ死んでもいいように覚悟だけはしておこうって決めてた。」


静かに淡々と話す小羽の言葉に、俺はそっと耳を傾ける。
日輪刀で頸を刎ねるか、陽の光を浴びない限り死ぬ事の無い不死身の鬼と戦う鬼殺隊。
圧倒的な力を持った相手に戦う俺たちは、常に死と隣り合わせの日々を送っている。
任務に出る度に、死の恐怖と戦い、時には身内や友、仲間の死を覚悟しなければならない。
だから隊員は入隊したその日に、遺書を書く。
大切な者、愛する者たちに向けて。
もちろん俺も小羽も書いている。
鬼殺隊なんてやっていれば、いつ死んでもおかしくない。
それは全ての隊員に言えること。けれど「鎹一族」である俺と小羽は少しばかり事情が違っていた。
鎹一族はその昔、神である八咫烏の男が人間の娘に恋をし、子を成してできた一族らしい。
神の末裔である鎹一族は鬼になることは無い。
内に流れる神の血が鬼の血を拒絶するので、鎹一族は鬼になることができないのである。
別に鬼になんてなりたくないので、それは別にいいのだが、問題は拒絶反応の方だ。
鎹一族の者は鬼の血を取り込むと、鬼になることなく確実に死に至る。
一族の中には少数だが鴉に変化できない者もいる。そういった者は神の血が薄いので、少量であれば鬼の血を取り込んでしまっても問題はないのだが、俺や小羽のように変化できる者にとっては例え少量の血でも猛毒になるのである。
うっかり返り血を浴びて、それが傷口に入ろうものなら、それだけで危険なのだ。
だから鎹一族の者は鬼殺隊にならない。
なりたくとも戦うことに向かないのだ。
だから俺も小羽も、鬼殺隊になりたいと言った日には一族から猛反対された。
それでも、どうしても両親を殺した鬼に復讐したかったのだ。
そんな俺たち兄妹の気持ちを汲んで、鬼殺隊になる機会をくださったお館様にはとても感謝している。
まともな神経を持っている奴ならきっと、大人しく情報集めの伝達役をやるか、戦場から離れて鎹鴉を育てることを選ぶだろう。
それでも俺も小羽も、命を落とすことは覚悟の上で鬼と戦うと決めてここにいる。
死ぬ事が怖くない訳じゃない。だから、決して死にたい訳じゃない。
それは小羽も同じだろう。だから「死ねなくなるのが怖い」と言った小羽の言葉の意味が、俺には分からなかった。

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