第56話「小羽の本音」

「――私はね、お兄ちゃん。善逸くんが好きだよ。でも、善逸くんの気持ちに応えてしまったら、きっと私は死ぬのが怖くなってしまう。
善逸くんは優しい子だから、きっと恋人になったら私を大切にしてくれると思う。きっとすごく幸せになれる。……でもね、それじゃ駄目なの。私だけが幸せになるんじゃ嫌なのよ。」

「小羽……」

「私は幸せを感じてしまったら、生にしがみついてしまう。そうなったら、もうきっと戦えない。刀を握れなくなる。死ぬことが怖くなってしまう。あの日誓った覚悟が鈍ってしまう。……私はそれが怖いの。」


正座する小羽の膝の上に押された手が、ぎゅっと拳を作り、ふるふると微かに震える。 
俯きながら話す小羽の表情はどこか憂いを帯びており、小柄な小羽の小さな体が余計に小さく見えた。
清隆も鬼殺隊をやっている立場上、小羽の気持ちは痛いほど分かった。
こんな命懸けの戦いの日々を送っているのだ。いつ命を落とすかも分からない状況で、先の未来など思い描く余裕などないのが当たり前だ。
それでも小羽は女なのだ。まだたった14歳の子供なのだ。
人並みに恋を知って、誰かと結婚し、子供を産んで家族を作る。そんな女としての当たり前の幸せを得て欲しいのが兄としての本心の願いだ。
鬼殺隊なんてやめて、小羽だけでも普通に幸せになってほしい。
そう願うのは家族なら当たり前だった。 
恋を知ったらもっと幸せを感じるものじゃないのか?
清隆の脳裏に、鬼にされた優しくも可愛らしい女の子の姿が浮かぶ。
俺は禰豆子ちゃんのことを想うと、とても幸せな気持ちになれる。
けれど小羽にとってはどうやら違うらしい。
善逸への想いは、苦痛でしかないのか?本当にそうなのか?違うだろう?
鬼なんかいなければ、鎹一族でなければ、鬼殺隊でなければ、きっともっと素直にせっかく芽生えた小さな恋を喜べた筈だ。
こんな風に、悲しそうな顔しなくて良かった筈だ。


「……小羽、善逸が好きならちゃんとその気持ちに向き合え。逃げるな。あいつならきっと、お前を大切にしてくれる。好きな男ができたなら、素直になっていいんだ。お前は普通の女の子みたいに恋をして、結婚して、子供を産んで、それで家族でも作ってめいいっぱい幸せになってくれ。」

「違う……そうじゃないの、お兄ちゃん。」

「死ぬのが怖いなら、鬼殺隊をやめたっていいんだ。なんなら鎹鴉だってやらなくていい。何も心配せずに幸せになっていいんだ。父さんと母さんへの敵討ちは、俺が取るから。」

「――っ、だから、そういう問題じゃない!!」


突然叫び出した小羽に、清隆は困惑した様子で「小羽?」と彼女の名を呼ぶ。
安心させるように言った筈の言葉なのに、何故か小羽の目は怒りに満ちていて、ひどく怒っている様子だった。
目にはうっすらと涙が浮かんでおり、怒っているのに今にも泣き出しそうな、どこか不安そうな悲しげな顔をして自分を睨みつけてくる小羽に、清隆は本当にどうしたのかと困惑していた。


「お兄ちゃんは全然分かってない!!どうして分かってくれないの!?どうしてそうなっちゃうの!?」

「こ、小羽?」

「自分だけが背負うばかりで、私には何も背負わせてくれない!!私だって同じなのに、幸せになって欲しいのは同じなのに。何で自分の幸せは考えないのに、私ばっかり幸せになれとか言うの!!?」

「いや、だってお前は女だし、まだたったの14歳なんだぞ。」

「女だから戦うなって言うなら、そんなのはただの侮辱よ!!優しさじゃない!!14歳だから何よ!!無一郎くんだって同じ歳なのに柱やってるのよ!!私だって戦えるわ!!」

「小羽?おっ、落ち着け……」

「鬼は大っ嫌いよ!!憎いし許せないわ!!だけど私が鬼殺隊になったのは鬼が憎いからなだけじゃないのに!!」

「――えっ?」

「確かに鬼は怖いし、死ぬのはとても怖い。戦うのはいつだって怖い。本当は逃げ出せるのなら逃げ出したいわ。……でも、お兄ちゃんが戦うって決めたのに、私だけ逃げるなんてできない。一人で戦わせるなんてことさせたくない。だから鬼殺隊になったのに……お兄ちゃんが命懸けで戦うために鬼殺隊に残るのに、私だけ安全な場所にいて、幸せになるなんて出来るわけないでしょ?そんなのは絶対に御免よ!!」

「あ……」


目に溢れんばかりの涙を溜めていた小羽の瞳から、等々ポロリと一筋の涙が頬をつたって零れ落ちた。
するとポタポタと止めどなく涙が雨のように流れ落ちてくる。
わんわんとまるで幼い子供のように、堰を切ったように泣き出してしまった小羽。
そんな妹の姿を見て、清隆はやっと小羽が鬼殺隊になったのは自分の為だったのだと気付いた。

まさか小羽が善逸の気持ちに応えなかったのは、俺のせいだったのか?それなら善逸には申し訳ないことをしたかもしれない。
……ちょっとだけいい気味だとか思ってない。断じて。決して。……多分。
……悪ぃ、善逸。

清隆はほんのちょっぴりだけ善逸に対して申し訳ない気持ちになった。
清隆はすんすんと鼻を鳴らして泣く妹の頭をよしよしと撫でてあやしながら、心の中でこっそりと善逸に謝るのであった。


「……なあ、小羽。俺のことは気にしないで、自分のことだけ考えてくれていいんだぞ?」

「それ、本気で言ってたら許さないから。逆の立場なら分かるでしょ?」

「うっ……悪い。」

「……許す。」

「俺は俺で、小羽は小羽のやりたいようにすればいいって言っても、納得してくれなさそうだな?」

「その言葉そっくり返すから。私はこれからも鬼殺隊を続けるし、善逸くんの気持ちに応える気はないから。
……善逸くんは、私なんかよりも、他の女の子と幸せになった方がいい。」

「小羽、それは違うと思うぞ?」

「話はそれだけ?」

「お、おう?」

「じゃあ、私もう行くね。しのぶさんに呼ばれてたし。」

「あ、ああ……」


清隆が締りのない返事を返している間に、小羽は言いたいことだけ言ってさっさと部屋を出ていってしまうのだった。
去っていく小羽の後ろ姿を見送ると、清隆は後ろ頭をポリポリと掻きながらどうしたもんかとため息をついた。
まさか、小羽が自分のためにそこまで覚悟して、決意を固めていたなんて知らなかった。
これは善逸に恨まれそうだなと、清隆は少しだけ苦笑した。

俺が小羽の幸せを願っていたように、小羽もまた俺の身を案じて、幸せを願ってくれていたのだ。
それは大切な家族なら当たり前のことで、俺は自分勝手にも自分の気持ちだけを小羽に押し付けていたのだ。
怒られて当然だ。可愛い妹を泣かせてしまった。
でもな、小羽。やっぱり俺はお前には幸せになって欲しいって思うよ。

そして隣の空き部屋へと視線を向けると、声を掛けたのである。


「……つー訳だったんだが……もういいぞ。」


清隆が声を掛けると、空き部屋の戸がゆっくりと開かれる。
そしてそこからどんよりと暗く重い空気を背負った善逸が、絶望に打ちひしがれたような沈んだ顔をして出てきたのである。
まるで墓の下から這い出てきたかのようなすごく暗い顔は土気色に染まり、善逸は大きな瞳からボロボロとただただ止めどなく涙を流していた。
そんな善逸の顔色に清隆はドン引きして思わず「うわっ!」と声を漏らして後ずさった。
そんな清隆に、実は隣の部屋で隠れて話を聞いていた善逸はキッと睨んで掴みかかった。


「おーーまーーえーーなーー!!俺がフラれた原因お前じゃねぇかよォォーーー!!!」

「いや、本当に悪い。まさか俺のためって思わなくてさ。」

「そんなの当たり前だろ。たった二人だけの家族なんだから。これからは小羽ちゃんの気持ちも、もう少し考えてやれよ。」

「……ああ、気を付けるよ。」


善逸には家族がいない。両親も兄弟もいない彼がどんな気持ちでその言葉を言ったのかは清隆には分からなかったが、今度は間違えたりしないようにしたいと強く思った。


「……俺、小羽ちゃんを追うわ。」

「大丈夫なのか?」

「うん、ちゃんと話してくる。伝えたいこともできたからな。」

「……そうか。小羽を頼んだぞ、善逸。」

「おう!」


善逸は何かを決意した様子だった。
清隆はそんな善逸を信じてみることにした。こいつは小羽のことが本当に好きだから、小羽の気持ちをきっと1番に考えてくれる。
だから悔しいけれど小羽の隣は譲ってやる。
ただし今回だけな。
俺が善逸に頼むと言うと、善逸は迷いのない晴れやかな笑顔で小羽を追いかけて行った。
なんだか、今度は大丈夫な気がする。そんな気がしたのだ。

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