第57話「すれ違って絡まり合う」

「――ふぅ、二ヶ月以上は安静に、か……」


しのぶに呼ばれて改めて診察を受けた小羽であったが、まだ安静にしなければならない状態で無茶して訓練をしたり、完治していないのに任務に出ようとしていたことがバレて、こっぴどく叱られてしまった。
そのまま説教に突入し、いかに無茶をすると身体に負担がかかるのか、治療するのが大変か、後に後遺症でも残ったらどうする気なのかなどと、長々と1時間は聞かされたのであった。
漸くしのぶのお説教から解放された小羽は、診察室から出ると、疲れたように大きなため息をついた。
最初に藤の花の家紋の家で呼んでもらった医者に診てもらった時には全治一ヶ月程度だった怪我が、無茶な訓練を繰り返したせいで悪化してしまっていたらしい。
己の行動の馬鹿さ加減に小羽も流石に何も言えなくなり、深く後悔し、反省したのであった。


(……お兄ちゃんたちにバレたらまた怒られそう……)


ただでさえ心配させてしまったのだ。怪我が悪化していたことを知られたら今度は清隆や炭治郎からも説教をされそうである。
小羽はまた長ったらしい説教を聞かされるのかと思うと、それを想像して真っ青に青ざめた顔で、ぶるりと身震いした。普段はとても優しい兄と弟弟子ではあるが、あの二人は怒るととても怖いのである。
自分を抱きしめるようにして両腕を擦りながら、背筋に感じた悪寒を振り払うように、頭を振るう。


「――小羽ちゃん。」

「!」


突然声をかけられてビクリと肩を跳ね上げる。
完全に気を抜いて油断していたから、声の主の登場に本当に驚いた。
小羽は気まずさから、恐る恐るといった様子で振り返った。


「……善逸くん……」

「しのぶさんとの話終わったの?」

「う、うん。」

「そっか、なら良かった。小羽ちゃんがお話してる間にアオイちゃんからお饅頭貰ってきたんだ。縁側で一緒に食べよ?」

「えっ、でも……」

「……ダメ?」

「……ううん。いいよ……」


気まずい小羽を気遣ってなのか、善逸はいつも通りの笑顔で小羽をお茶に誘ってきた。
善逸だって色々と聞きたいことや話したいことはあるだろう。
清隆に自分の気持ちから逃げるなと言われたが、やはり向き合えない。
だけどこのまま気まずいからと言って、逃げ続けるのだって良くない。
だから小羽もちゃんと話そうと思った。
そう心の中で決意を固めると、小羽は善逸の誘いを受けたのである。



***************



それから二人は縁側に移動して、二人仲良く隣に座ってお饅頭を食べていた。
今日は晴れていて天気も良くて、日差しが温かくどこか眠気を誘う。
しかし、小羽にとっては全くくつろげる訳もなかった。


「美味しいねぇ〜〜!」

「……そうだね。」


隣で善逸がにこにこと楽しそうに小羽に話し掛けてくれるのだが、気まずい小羽は妙に緊張してしまって、口数がとても少なかった。
それでも善逸はいつも通りにこにこと笑顔で小羽に話しかけてくる。
告白など、フラれたことなど無かったかのように……


(……善逸くん、もしかして無かったことにしようとしてくれてる?……いや、でも……)


いつもと変わらない様子の善逸に悶々としながらも、小羽が何も言えずにいると、善逸が不意に「あのさ……」と口を開いた。
それに小羽は緊張が増してしまい、ひどく動揺してしまった。
「ななな、何!?」と裏返った声で返事を返してしまった自分をぶん殴ってやりたい。
これでは動揺していることがバレバレではないか。いや、耳の良い善逸のことだから、心臓が破裂しそうなくらいバクバクと速音を奏でていることに既に気付いていそうである。


「……ごめん、小羽ちゃん。」

「――え?」

「実は……さ、聞いちゃったんだ。小羽ちゃんと清隆の会話。」

「……っ!」


その言葉を聞いて、小羽の表情が凍りつく。

えっ、ちょっと待って。
聞いていた?私とお兄ちゃんのあの会話を、善逸くんも聞いていたの?

頭が理解した瞬間、小羽の顔色が一瞬にして青ざめる。
さぁっと血の気が引いていく感覚を感じながら、小羽は善逸の方を見ることができない。
怖いのだ。善逸がどんな顔をしているのか見れない。
怒っているだろうか?身勝手な理由で彼の想いを拒絶した私を。


「……俺は、嬉しかったよ。」

「……え?」


その言葉を聞いて、小羽は思わず顔を上げて善逸の方を見た。
すると善逸もまた小羽を見ていた。
彼は申し訳なさそうに眉尻を下げた顔で「ごめんね。」と言いながらも、その表情はどこか嬉しそうに笑っていた。


「真剣に悩んでる小羽ちゃんには悪いけど、俺は小羽ちゃんが俺を好きだって分かって、すごく、すごく嬉しかったんだ。」

「……っ」


まただ。また、あの心臓に悪い目をしてる。
とろりと蜂蜜みたいに甘い、幸せそうな、愛おしい者を前にしたような、大切で愛おしくて堪らないと、全力で伝えてくるような、そんな目でまた私を見つめてくる。
私は善逸くんのそんな目が苦手だ。あの目で見つめられると、息が出来なくなる。
心臓の音がやけに大きくなって、恥ずかしいくらい速くなる。
私はその目から逃げるように、顔を俯けた。


「……そういうこと、言わないで欲しい。」


小羽はポツリと呟くような、小さな声でそう言った。
弱々しいその声に力はなく、心持たない気がした。


「……私は善逸くんが好きだけど、その気持ちに応える気は無いの。」

「……うん。それも聞いたよ。」

「……っ、だったら!」


俯きながらそう告げる小羽。
善逸に自分の気持ちを伝えると、善逸は分かっていると言いたげな声色でそう言う。
だから小羽は顔を上げて善逸の顔を見た。
はっきりと気持ちに応える気は無いと言っているのに、善逸は何故か微笑んでいた。
その笑みがあまりにも優しく、柔らかなものだったから、小羽は思わず息を飲んだ。


「――俺はね、小羽ちゃん。弱くて、泣き虫で、ものすっっごく頼りない奴だけど、小羽ちゃんと、小羽ちゃんの守りたいものは俺が守る。
だから、小羽ちゃんも清隆も……守るよ。俺が守る。守れるように、これからは強くなる。」


そう言った善逸の顔はとても真剣で、いつも泣いてばかりの彼から出た言葉とは思えないくらい、強い言葉だった。
その時の善逸の顔は確かに覚悟を決めたら者の顔であり、思わず小羽は見惚れてしまった。
だけど、私は知ってる。現実はそんな簡単なものじゃない。理想と現実は、残酷なくらいに違うのだ。


「何で……善逸くんはそんなに私のこと……その、何で私のこと、好きになってくれたの?可愛くもないし、雀になるし、人とは違う。
善逸くんは、私じゃなくて、女の子なら誰でもいいんじゃないの?」


小羽は自分が酷いことを言ってると分かっていても止められなかった。
善逸の想いを否定する言葉を吐き出しても、彼は怒ることも、顔を歪めて気分を害するでもなく、ただ、優しく笑って答えた。


「……小羽ちゃんには嘘つきたくないから、正直に言うね。
確かに、女の子なら誰でもよかった。小羽ちゃんが気になり出したのは、初めて優しくしてくれた女の子だから。きっと、優しくしてくれたら、小羽ちゃんじゃなくても好きになってた。」

「……そう……」


分かっていたことなのに、善逸の言葉にズキリと心が痛む。
胸がきゅっと切なく締め付けられた。
自分からそう口にしたくせに、悲しいと感じてしまう自分が嫌だった。
小羽のそんな音は善逸に聴こえている筈なのだが、彼は言葉を続けた。


「……だけどさ、小羽ちゃんは……小羽ちゃんが最初に優しくしてくれたんだ。最終選別の時に俺を助けてくれた。俺のこと心配して、ずっと一緒に行動してくれた。那田蜘蛛山で俺が蜘蛛にされかけた時も、小羽ちゃんはずっと俺を心配してくれてた。俺のために泣いてくれた。俺の看病までしてくれて、嬉しかった。確かに小羽ちゃんを最初に気になったのは、たまたま一番最初に優しくしてくれたからだった。でもさ、今まで俺にこんなにも優しくしてくれた女の子は小羽ちゃんだけなんだ。
今まで関わった女の子は最初は優しくしてくれたけど、俺がこんな情けない奴だから、すぐに呆れて離れていったり、騙されたりしてた。
初めて会った時から気になってた女の子が、雀の姿でずっと傍にいてくれたって知った時は、すごく驚いたし、でもそれ以上にすごくすごく嬉しかったんだ。何で気付かなかったのかなってすごく落ち込んだ。
俺が高熱で倒れた時、看病してくれて嬉しかった。大好きな小羽ちゃんに甘えられて、今までにないくらい幸せだった。
小羽ちゃんが禰豆子ちゃんに嫉妬してくれた時は、初めて嫉妬してくれたことか嬉しかった。
俺と同じ恋の音をさせてくれてた小羽ちゃんの音を聴いているのが堪らなく好きで、俺に笑いかけてくれる笑顔が大好きで、小羽ちゃんといると、泣きたいくらい幸せになれるんだ。
今まで感じたことがないくらい、満たされた気持ちになれる。
小羽ちゃんだけなんだ。小羽ちゃんを想う時だけ、こんな気持ちになれる。
俺は小羽ちゃんが好きだよ。大好きだ。優しいところ、すごくしっかりしてるところ、家族思いなところ、清隆が大好きなところ、一生懸命なところ、仕事熱心なところ、雀の姿はすっごく可愛いなって思う。
鎹雀と鬼殺隊の仕事を両立してるのもすごいって思うし。
しっかりしてるけど、本当はちょっと泣き虫な小羽ちゃんは可愛い。
責任感がすごく強くて、鬼殺隊と鎹雀のことで苦しんでるのも、すごくがんばってるのも知ってる。
那田蜘蛛山での件で俺に罪悪感を感じて、それでも向き合って、小羽ちゃんの本音を話してくれたのは嬉しかった。
小羽ちゃんの過去を話してくれたのが、俺を信頼してくれてるみたいで嬉しかった。
俺を一晩中看病してくれて、たまらなく好きだなって思った。
俺は小羽ちゃんの笑顔が好き。小鳥が囀るみたいな可愛い声が好き。包み込んでくれるみたいな優しい音が好き。俺は、小羽ちゃんが今はこんなにも大好きなんだ。
だからこれからも一緒にいたいし、小羽ちゃんと幸せになりたいし、幸せにしたい。
普段は情けないくらい死ぬ死ぬ言ってる俺だけどさ、好きな女の子と大切な人たちを守りたいって思うよ。俺だって。
だから、俺もこれからは強くなる。だから小羽ちゃん。俺が小羽ちゃんを不安にさせないくらい強くなれたら、また告白してもいいかな?」

「あ……っ」


ストンと、心に落ちてきた。
善逸の言葉には何一つなく偽りはなく、本当に小羽が好きなのだと、全力で想いを伝えてきた。
彼の言葉は、小羽の心にとてもあっさりと入ってきた。


「俺はもう、小羽ちゃんが好きだし、小羽ちゃんだけが好きなんだ。だから、まだ小羽ちゃんのこと好きでいさせて欲しい。
小羽ちゃんにとっては、俺の気持ちは迷惑なだけかもしれないけど……」

「……迷惑じゃない。迷惑、なんかじゃないよ。」

「……小羽ちゃん?」


ポタポタと、目から次々に涙が溢れてくる。
鼻がツンとして、鈍い痛みを感じる。
これ、絶対に目が腫れる。そう感じるんじゃないかってくらい、涙が零れて止まらないのだ。
善逸くんが心配そうにこちらを見ている。大丈夫だよ。悲しいわけじゃないの。ただただ、嬉しいだけ。
善逸くんの言葉が嬉しくて、胸が切ない。心が満たされて、温かい。なのに、涙が出るの。
なんだろこれ。これは、なんて感情なんだろう。
私は羽織の袖で乱暴に目を拭うと、善逸くんを真っ直ぐに見た。


「迷惑じゃない。……私だって、善逸くんが好きだよ。泣き虫で、いっつも泣き言ばかり言ってて、煩いし、あげく女の子には見境なく口説くし、甘いし、全然好みじゃないけど。」

「……あれ?俺、小羽ちゃんに嫌われてるのかな?言われてること酷いことばっかなんだけど?」


ショックで涙目になる善逸くんにクスリと笑いかける。


「でもね、善逸くんはすごく優しいの。那田蜘蛛山で善逸くんを見捨てようとした私を、責めたりもしないで、笑って許しちゃうお人好しで、泣き虫で怖がりなのに、誰かを守るためなら、自分のことなんて簡単に犠牲にして助けようとしちゃうところは危なっかしくて放っておけなくて。
訓練はよくサボるし、逃げ出すけど、最後はちゃんと頑張れる人。
覚悟を決めたら、絶対に逃げ出さない強い人だって知ってる。
誰よりも優しい人だから、そんな善逸くんだから、私は好きになった。」


ポロリと、今度は善逸くんの目から涙が一筋流れた。
一筋流れると、後から後から止めどなく涙が溢れてくる。
普段の騒がしいくらい喚きながら泣きじゃくるのではなく、善逸くんはただ静かに泣いていた。
それを拭うこともせず、ただ、私をじっと見つめて。


「……いいのかな?俺、すごく泣き虫だよ?情けない奴だよ。」

「私はそんなところも好きだよ。泣き顔、可愛いなって思う。」

「でも、煩いし……」

「善逸くんの明るさには、いつも救われてる。」

「情けないし……」

「そんなことない。善逸くんはいつも私を助けてくれてる。」

「女の子によく騙されるし……」

「それは、騙してるって気付いてても、相手を信じたからでしょ?信じてくれたからでしょ?善逸くんが優しいってことだよ。」


生まれてすぐに両親に捨てられて、親の愛情も知らずに育ったからなのか、善逸くんはいつも自分に自信が無い。
異常な程に女の子や結婚に執着するのは、ただ、家族が欲しいから。誰かとの確かな繋がりが欲しいから。
でも私は知ってるよ。善逸くんがどれだけ優しいのか。どれだけ心が強いのか。
どれだけ、私を大切に想ってくれてるのか……ちゃんと伝わったから。
私がはらはらと涙で濡れる善逸くんの頬をそっと両手で包み込むように触れると、善逸くんはきょとりと不思議そうに目をまん丸にした。
そんな彼がなんだか可愛くて、無性に愛おしくて、クスリと口角を釣り上げて笑った。
そしてお月様みたいに綺麗な琥珀色の瞳を覗き込むように見つめる。


「善逸くんが嫌いなところは、これから良いところに変えていけばいいよ。善逸くんが自分を嫌いでも、そんな善逸くんを好きだって言ってくれる人は沢山いる。そんな善逸くんだから私は好きになった。
私はね、本当は、鬼殺隊を続けたいのか分からない。命懸けの戦いはやっぱり怖いし、どれだけ辛い思いをして、必死に戦っても、人から感謝されたり、認められたりする訳じゃない。
寧ろ、何でもっと早く助けに来てくれなかったのかって、やるせない怒りをぶつけられることなんてよくある。
でも、私が戦うことで少しでも救われる人がいるなら、守れる命があるなら、それが戦う理由になる。
だから私は、鬼殺隊になったことを誇りに思う。
でも、もうそれを理由に逃げるのはやめることにするよ。
鬼殺隊を続けるためとか、お兄ちゃんのためとか、何かのせいにしたりするのはやめる。
善逸くんの気持ちから逃げていい理由にはならないから。
私がただ、臆病だっただけなんだ。
本当は善逸くんが好きなのに。想いが通じあえて嬉しかったのに。初めての気持ちにどうしたらいいのか分からなくて、逃げてしまった。色んなことを、言い訳にしてしまった。
でももう大丈夫。もう、幸せなっても、私は多分、迷いながらも私のやりたいようにできると思う。
もう、お兄ちゃんを言い訳にしない。
ごめんね善逸くん。私のせいで、きっと傷つけた。いっぱい悩ませた。
それでも、もしもまだやり直しが許されるなら、今度はちゃんと、私から善逸くんに好きだって伝える。」


私はそう言って微笑むと、今度は善逸くんの両手を取って、まっすぐに彼の目を見つめた。
あの時、善逸くんが私に告白してくれた時のように。


「……善逸くん。善逸くんが私を好きだって言ってくれたこと、すごく嬉しかった。
だから改めて、私も善逸くんが好きです。結婚を前提に、私とお付き合いしてくれますか?」

「……っ!」


私がそう言って微笑むと、善逸くんの目からどばっと大量の涙が溢れてきた。
それにぎょっとする私を他所に、善逸くんはえぐえぐと涙も鼻水も大量に出して、瞳をうるうると潤ませる。
「ううヴぅぅうぇぇぇぇえ!!!」と呻き声なのかよく分からない声を発しながら、自分の羽織の袖で涙を拭うが、あまりにも泣くために袖は既にぐっしょりと濡れて重くなっていた。


「もちろんだよぉぉおぉぉおおおぉぉ!!!!」

「わっ!!」


善逸は感動のあまり大洪水と呼べるほど泣きじゃくると、歓喜あまって小羽に抱きついた。
善逸の腕の中にすっぽりと小羽の小柄な体が収まり、善逸は小羽をぎゅうぎゅうと強く、けれど決して乱暴にはせず、労わるように優しく抱きしめていた。
善逸の胸に顔を埋めるような格好になった小羽は、未だにえぐえぐと涙も鼻水も豪快に出して泣きじゃくる善逸に苦笑すると、優しくその背中に手を回してそっと撫でてあげた。
善逸が落ち着くまでの間、小羽はただじっと善逸の腕の中で大人しくその体温を感じていた。
愛おしい人の、優しさを噛み締めながら。

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