第59話「名前を呼んで」

「……善逸くん起きないね。」

「放っておけばそのうち勝手に起きるだろ?」

「伊之助ってばそんな冷たい。」

「あ〜?あの程度で気絶する紋逸が情けねぇんだよ!」


清隆にぶん殴られた善逸は未だに気絶したままであった。
小羽はそんな善逸を介抱するように膝枕をしてやるが、伊之助はそんな善逸を見て情けない奴だと鼻で笑った。
そんな伊之助に困ったように苦笑しつつ、小羽は善逸の頭を優しく撫でてやる。
こうして大人しく眠っている善逸の顔をまじまじと見つめるのは二回目である。
やっぱり、善逸は黙っていれば顔は整っていて中々の美形だなと思う。黙っていればだが。
そんなことを思いながら小羽が頭を撫で続けていると、「うう…ん」と善逸が僅かに声を漏らしながら身じろいだ。
どうやら起きたようである。善逸の目がうっすらと開かれ、彼は状況が理解できないのか、ぱちくりと不思議そうに瞬きした。


「……あれぇ?小羽ちゃんの顔がこんなに近くにあるぅ。うふふふふふ、かっわいいなぁ〜〜、俺の小羽ちゃん。俺だけの小羽ちゃん。うふふふふふ。」

「きめぇ。」

「いっ、伊之助。」


あまりにもはっきりと言う伊之助に、小羽は困ったように名を呼ぶ。
だが確かに、ニヤニヤとだらしなく顔を破顔させて笑う善逸はちょっと気持ち悪かった。
小羽は顔を引きつらせながらも善逸を心配して声をかける。


「善逸くん、顔大丈夫?だいぶ強く殴られたみたいだけど……他に痛いところはない?」

「……へ?小羽ちゃん?本物?あれ?……俺、もしかして今、小羽ちゃんに膝枕されてる?」

「え?うん、そうだけど……大丈夫?お兄ちゃんに殴られて気絶してたんだよ。覚えてる?」

「へ?あー……うん、なんとなく覚えてる。んで、その清隆は?いないみたいだけど……」


善逸は音で分かるのか、頭を動かして周囲を確認せずに清隆がいないことを言い当てた。
すると炭治郎が「小羽が善逸を殴ったことに怒って清隆を追い出したんだ。」と伝えた。
すると善逸はそれで何か伝わったのか、またデレデレとだらしなく顔を崩した。


「えへへへ、小羽ちゃん。俺のために怒ってくれたの?俺、愛されてるなぁ〜〜うへへへ!」

「お兄ちゃんがごめんね。痛いでしょう?」

「うへへへ!これくらい小羽ちゃんの為なら大丈夫だよ〜〜!いひひひひひ!」

「やっぱきめぇ。」

「伊之助……」


小羽が善逸の殴られて少し腫れた頬を優しく撫でると、善逸は嬉しそうに鼻の下を伸ばしてデレデレと笑った。
それを伊之助はドン引きした様子で見つめながら本音を呟けば、炭治郎が皆まで言うなと言いたげに伊之助の肩を叩いた。
デレデレと笑う善逸はやっぱり気持ち悪かった。


「(ハッ)――ああっ!!そういえばおまっ!!伊之助てめぇぇえええ!!」

「ああっ!?んだよ紋逸 !!」


デレデレ、ニヤニヤと気持ち悪いくらいに頬を緩ませて笑っていた善逸が、突然何かを思い出したように目をカッと見開いて飛び起きた。
そして何故か伊之助に掴みかかっていった。
突然絡まれた伊之助は訳が分からずにイラッとした様子で善逸を睨みつける。


「伊之助おまっ!!お前なぁ!!ずるいぞぉ!!前々から思ってたけどなぁ!!」

「ああ!?何訳わかんねぇこと言ってやがる!!」

「ちょっとどうしたの善逸くん!伊之助困ってるじゃない!」

「それだよぉ!!」

「どれ!?」

「な・ま・え!!何で伊之助は呼び捨てなのに俺はくん付けなんだよぉ!!」


善逸は涙を流したがら「ずるいよぉ!!俺だって小羽ちゃんに善逸って呼び捨てにされたい!!寧ろ俺だけ呼んで!!」とかなんとか訳の分からないことを言って小羽に縋り付く。
小羽はなんで急にそんな名前の話になったのか理由が分からずに困惑し、困ったように善逸を見下ろすばかりであった。


「落ち着け善逸!小羽が困ってるだろう!」

「ぐえっ!!」


そんな彼女を見兼ねた我らが長男炭治郎は、善逸を小羽から引っペがし、その場で正座させると説明させた。
善逸はしくしくと泣きながら話し出すと、理由はこうである。
善逸はどうやら、寝ている間も人の話し声が聞こえるようで、ずっと小羽たちの話を聞いていたそう。
そしてふと気付いてしまったのだとか。小羽は基本的に善逸や炭治郎を君付けで呼ぶ。
呼び捨てにしているのは初対面の時に呼び捨てにしろと言った伊之助だけだ。
善逸は今更それに気付いて羨ましくなったのだとか。
自分だって大好きな小羽に呼び捨てにされたい。寧ろ俺だけでいい。だって俺たち恋仲だし。相思相愛なんだから。それが善逸の主張であった。
それを聞いた小羽と炭治郎は、呆れるあまり頭を抱えたのは言うまでもない。


「……えーと、つまりは善逸は小羽に呼び捨てにされたいんだな?」

「そんなことかよ、くっだらねぇ!」

「くだらなくないわボケェ!!お前はいいよなぁ!!小羽ちゃんに呼び捨てにされてるもんなぁ!!だがなぁ!!小羽ちゃんは俺の!!俺のなの!!」

「あーもー!!善逸くんうるさい!!そんなことで一々騒がないで!!」

「小羽ちゃんまでぇ!!?ひどい!!あんまりだよぉ!!うう、うええーーーん!!」


ついには号泣しだした善逸に、炭治郎はやれやれと首を横に振ると、困ったように小羽を見つめた。


「……小羽。善逸がうるさいから呼んでやってくれないか?」

「あー、まあ、いいけど……今更呼び方変えるのはちょっと恥ずかしいんだよね。」

「そう言わないでくれ、頼む。」

「炭治郎くんの頼みならなぁ〜〜……じゃあ……善逸。」

「そんな渋々呼ばれても嬉しくなぁいい!!いや!!小羽ちゃんに名前で呼んでもらえるのはすごく嬉しいよ!!嬉しいけど複雑ぅぅ!!」

「……どうしろと?」

「めんどくせえなコイツ。」


炭治郎に頼まれて呼び捨てにしてやれば、今度は渋々呼んだことが気に入らなかったらしい。
なんか文句を言われた。伊之助は完全に呆れて面倒くさそうに……というか、もう口に出している。


「……はあ、善逸。」

「……へ?」


小羽は一度深いため息をつくと、善逸の頬を両手で包み込んで正面を向かせると、ぐっと顔を近づけて善逸の瞳を覗き込むようにまっすぐに見つめた。
思わぬ小羽の行動に、間抜けな声を出す善逸。


「これからは何度でも呼んであげるから、機嫌直して?」

「小羽ちゃん……」

「小羽。」

「へ?」

「私も呼んだんだから、善逸も呼び捨てにして。一度呼んでくれたでしょ?」

「で、でも……」

「………」

「……こ、こ、小羽。」

「えへへ。」


善逸が真っ赤な顔で、照れくさそうに目を逸らしながら小羽の名を口にする。
ちゃんと呼び捨てにしてくれたことで、小羽は嬉しそうにはにかんだ。
ほんのりと頬を赤く染めてはにかむ小羽は大変可愛らしく、善逸はぶわっと顔を一気に耳まで赤くして、興奮したように叫ぶ。


「〜〜っっ!!小羽!!小羽可愛い!!俺の小羽は可愛いよぉ〜〜!!」

「うるさいぞ善逸!!」

「うっさいよ!!今の俺は忙しいの!!俺の!!小羽の可愛さに悶えてて苦しいの!!お前らに今の俺のこの喜びと幸せ分けてやりたいわ!!」

「いらねーよ!!」

「そうだよ善逸。伊之助と炭治郎に迷惑だからやめて。」

「……へ?」 


小羽のその一言に、善逸はピタリと動きを止めた。
そしてまるで機械のようにギギギと首をぎこちなく小羽に向けると、真っ青な顔で小羽に言った。


「……え?ちょっと待って?今小羽、炭治郎を呼び捨てにしなかった?」

「俺もそう聞こえたぞ?」

「うん、したよ。だって、善逸も伊之助も呼び捨てになるのに、炭治郎だけ君付けなんて仲間外れにするみたいで嫌なんだもん。だからこれからは3人共呼び捨てにする。……あっ!だったら禰豆子ちゃんも呼び捨てにしていいかな?仲間だもんね!」

「えっ、えっ?ちょっと待って??」 

「ああいいぞ!禰豆子もきっと喜ぶ!」

「ほんと!なら今度禰豆子って呼んでみよう!」


真っ青な顔で一人ワナワナと震える善逸を放って、小羽と炭治郎は仲良さげにほのぼのと会話を始めていた。
そんな小羽を善逸は涙目で見つめながら思った。


(俺だけじゃ……ないの??)


善逸の願いは届かなかった。

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