第62話「手紙」

小羽の肩の怪我が治りかけた頃、炭治郎は全集中“常中”の呼吸をほぼ一日中維持できるようになり、残すところと一番大きな瓢箪を割るだけとなった。
遅れて訓練に参加した善逸と伊之助も、最初こそサボっていたが、最近は炭治郎に感化されて真面目に訓練に顔を出すようになった。
先に怪我を完治させた清隆は何やら任務なのだろうか、ここ最近は忙しそうに出掛けることが多くなった。
それでも禰豆子と夜のデェトを初めてした日以降、頻繁に夜に二人っきりで出掛けることを周囲の人間たちは微笑ましく見守っている。
ただ一人、炭治郎だけは複雑そうな顔をしていたが……
そんな穏やかな日々を過ごしていたある日、小羽は善逸と縁側で話をしていた。


「もうすっかり元に戻ったね。」


小羽は善逸の手を握りながらそう呟く。
するとふにゃりと締りのない笑顔を浮かべて善逸は言った。


「ほんとにねぇ!!一時は本当にちゃんと戻れるのか不安で不安でしょうがなかったけど、ちゃんと戻れて良かったぁ!!がんばって苦い薬を飲み続けた甲斐があったよぉ!!」

「もう、善逸くんはアオイを困らせてばかりだったでしょ?」

「だってぇ〜〜〜!!あの薬、ほんっっとに不味いんだよォ!!」


涙を浮かべながら小羽に訴える善逸。
余程治療の日々が辛かったらしい。
えぐえぐと泣きながら、あの薬がどれだけ苦くて不味かったかを語る善逸に、小羽は呆れてため息をつく。
那田蜘蛛山での戦いから数ヶ月が経ち、鬼の毒によって半蜘蛛化していた善逸の体も、今ではすっかり元に戻った。
残すところは彼等の全集中“常中”の訓練のみである。


「もう善逸ってば……そろそろ訓練に戻った方がいいんじゃない?」

「えーーーー!!何で!?俺はまだまだ小羽と一緒に居たいよ!!小羽は俺とこうして話すの嫌?」

「そ、そんなことはないけど……」


「小羽」と、中々慣れない呼び捨てに、恥ずかしそうに頬を赤らめる。
そんな彼女の様子に、善逸はデレ〜っと鼻の下を伸ばしてそれはそれは嬉しそうに破顔させた。
小羽と付き合いだしてから数日、善逸はずっとこんな感じで締りのない顔をよくするようになった。
それが嬉しいやら、恥ずかしいやら、呆れるやらで、小羽は少し複雑である。


「うひひひひひ、小羽照れてるの?可愛い〜〜!!もう本当に可愛い!!俺の彼女!!」

「も、もう!!そういうこと言うのやめて!!恥ずかしいよ!!」


善逸は本当に、心底嬉しいそうに、とても幸せそうに笑う。
彼にそんなに顔をさせているのが自分なのだと思うと、嬉しくて、恥ずかしくて、そして堪らなく心が幸せで満たされていく。
けれどその気持ちを認めてしまうには、まだ小羽は子供すぎて、幼すぎて、恥ずかしい気持ちの方が勝ってしまう。
照れているのを諭されたのが恥ずかしくて、誤魔化すようにポカポカと善逸の胸を叩く。
傍から見たらただイチャついているだけである。
その時、あまりにも小羽が動いたからなのか、元々解けかけていたのか、小羽の頭のリボンがスルリと解けた。


「あっ!リボンが……」

「あらら、解けちゃったね……これ、よく見たら結構くたびれてるね。」


善逸が落ちたリボンを拾う。
女の子らしい赤いリボンは大変可愛らしいのだが、随分と使われたのか、それは随分とくたびれており、ヨレヨレにシワがよっている上に、所々すり減っていた。
ボロボロだが、薄汚れていないリボンは、長い間随分と大切にされてきたのだろう。
思えば、小羽がこのリボン以外をつけているところを善逸も見たことがなかった。


(そういえば、ずっと付けてるから不思議に思わなかったけど、小羽はリボンなんて高価な物、どうして持ってるんだろ。かなりくたびれてるみたいだけど……)


善逸がそう不思議に思いながら、拾ったリボンを小羽に手渡す。
それを「ありがとう」と言って受け取りながら、小羽はまじまじとリボンを見つめた。


「うーん、私が六歳の時から使ってるからなぁ〜。そろそろ限界なのかも……」


もうすっかりヨレヨレになってしまったリボンを寂しそうに見つめる彼女に、善逸はそのリボンが小羽にとってきっと大切な物なのだろうと察した。


「随分大切にしてるんだね。」

「あっ、うん。これね、お母さんから貰ったものなの。」


そう言って小羽は少しだけ昔話をしてくれた。
小羽のリボンは、小羽が六歳の頃に、母親が作ってくれた物らしい。
この時代、リボンは貴族でなければ買えないような高価な物だった。
ある時街に出かけた小羽が、とある洋品店に展示されていたそのリボンに一目惚れしたところ、高価すぎて勿論本物は買えなかったのだが、母親が赤い布切れを買ってきてくれて、リボンにしてくれたのだった。
それが嬉しくて、小羽はずっとそれを大切に使っていた。
両親を失った今では、小羽にとってリボンは母親の形見でもあったのだ。


「……そっか、そのリボンは本当に小羽にとって宝物なんだね。今も大切にしてもらえて、きっと小羽のお母さんも喜んでるよ。」

「そうかな?……そうだと……いいな。」


少しだけ寂しそうな顔でリボンを見つめる小羽に、善逸は何も言えなかった。
親の顔を知らない、母親の愛情を知らない自分では、何を言ってあげたらいいのか分からなかったからだ。
言葉の代わりに、善逸はそっと手を伸ばした。


「俺が結ってあげようか?」

「いいの?」


唐突にそんなことを言い出した善逸に、小羽はきょとんと目を丸くした。
善逸は笑顔で頷くと、リボンを渡してくれとばかりに手を突き出した。


「うん!俺、手先は器用なんだ!」

「ふふ、じゃあお願いしようかな。」

「うひひ、任せてよ!」


リボンを受け取ると、善逸は嬉しそうにはにかんだ。
小羽の背に周り、丁寧に髪を触る。
軽く手ぐしをする為に髪に指を通すと、引っかかることなくスルリと指をすり抜ける。
くせっ毛なのだろうか、少し波のある髪だが、綺麗な髪だなぁと思いながら髪を一つに纏めてリボンで結っていく。


「――ねぇ小羽。良かったら俺が新しいリボン贈っても……「ダメだよ。」えーー!!まだ最後まで言ってないのにぃ!!」

「善逸ってば目を離すとすぐに無駄遣いするんだもん!この前だって、綺麗な着物や簪とか貰ったばかりなんだよ!?もうそういう風に貢ぐのダメって言ったでしょ!?」

「無駄じゃない!!可愛い女の子に……いや!!小羽に貢ぐのはぜんっっぜん無駄なんかじゃないよ!!」

「ダメなものはダメなの!!」

「そんなぁ!!!」


善逸と恋人になってからすぐに、彼は小羽に貢ぎ出した。
最初はそこら辺に生えていた花を摘んできてくれて、それだけで嬉しかった。
だけど一週間もすれば、街に出掛けては着物やら簪やら買ってくるようになった。
それもどれも高価そうな物ばかり。
最初は初めての恋人からの贈り物に、小羽も素直に嬉しかったが、次第に呆れるようになった。
小羽と付き合う前から善逸は女性に貢ぐ癖があったり、甘いところがあったが、これはまずいと小羽は早々に危機感を覚えて、自分に貢ぐことを禁じたのであった。



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「――そう言えばさ、小羽にお願いがあったんだ。」

「何?」

「これ……なんだけど……さ。」


ふと思い出したように呟く善逸。
なんだろうと思って善逸の方を見れば、彼はどこか気まずそうに目を逸らす。
そしておずおずと懐から二通の手紙を取り出して、小羽に差し出す。
それを見て、小羽は善逸が何を言おうとしているのか察した。


「分かった、任せて。」

「ごめんね。まだ肩の怪我も完治してないのに……」

「いいよ。でも、獪岳さんは今回も受け取ってくれるかは……」


小羽は少し言いづらそうに口ごもる。
実は善逸は鬼殺隊になってから、何度も育手である桑島や、兄弟子である獪岳によく手紙を出していた。
そしてそれを届けていたのは勿論小羽であり、桑島は必ず受け取ってくれるが、獪岳だけは一度も善逸の手紙を受け取ってくれたことはないのである。
何故か兄弟子の獪岳は善逸を目の敵にしており、手紙を届けても毎回読まずに破り捨ててしまうのである。
小羽はそれが善逸に申し訳なくて仕方なかった。
けれど善逸はそんなことは分かりきっているので、気にしていないと言いたげに苦笑した。


「分かってる。獪岳は一度も俺の手紙なんて受け取ってくれたことない。どうせ今回も読まずに破られて終わると思う。それでも……」

「うん、ちゃんと届けるよ。」

「ありがとう、小羽。」


小羽が必ず届けると力強く言うと、善逸は嬉しそうに笑ってくれた。
今度こそ、受け取ってもらいたい。
小羽は、密かにそう強く思っていた。

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