第64話「贈り物」

ザアザアと土砂降りの雨が降りしきる。
最初こそしとしとと優しく降り続いていた雨も、まるで機嫌を損ねて泣きじゃくる子供のように、すごい勢いで大粒の雨を降らせていた。
そんな勢いで降り続く雨の中、外を歩こうとする者は中々いない。
だから慈悟郎は自分の家の戸を叩く微かな音を聞いた時、最初は気のせいだと思った。
しかし、何度かコンコンと遠慮がちに叩かれる音に、人が訪ねて来たのだと理解した慈悟郎は素直に驚いたのだった。

「こんな雨の中一体誰が来たんだ?」

慈悟郎は心底怪訝に思いながらも、重い腰を上げて立ち上がる。
そして少しだけ立て付けの悪い引き戸を力いっぱいに引くと、そこにはずぶ濡れの一人の少女が立っていた。
その少女を見た慈悟郎は驚き、目を大きく見開いた。そして少女の名を呼ぶ。

「小羽ちゃんじゃないか!どうしたんだ?ずぶ濡れじゃないか!」

「桑島さん……」

ザアザアと勢いよく降り続く雨の中、傘もささずにやって来たのか、小羽の体は全身ずぶ濡れになり、所々泥がついて汚れていた。
そんな彼女の姿に、慈悟郎は慌てて中に入るように促すが、小羽は何故か動こうとはしなかったのである。
強い雨に打たれながら佇む小羽の目はどこか虚ろげで、明らかにいつもと様子が違うと分かる。

「……何か……あったのか?」

「……っ」

慈悟郎が心配そうに問いかけると、何かを思い出したのか、小羽の顔が泣きそうにくしゃりと歪む。
それだけでもう、何かあったのだと確信を持てた。
兎に角このままでは風邪を引いてしまうと、雨の中未だに外で立ち続ける小羽に、慈悟郎は優しく「中に入りなさい」と声をかけた。
それでも中々家に入ろうとしない小羽の手に触れると、長い時間外に居たのか、その手はあまりにも冷たかった。
あまりの冷たさに慈悟郎は目を見開く。
一体どれだけの時間を雨に打たれてきたのか……この娘に何があったのだろう。
善逸を通して知り合ってからまだ半年も経っていない関係だが、もはや慈悟郎にとって小羽はもう一人の孫のようなものだ。
可愛い孫娘同然に思っている小羽のこんな姿を見て、心配しない訳がない。
慈悟郎は小羽の腕を掴んだまま引っ張ると、彼女は抵抗することなく素直に中に足を踏み入れた。
後ろ手で戸を閉めると、雨の音が少しだけ静かになった気がした。
小羽の羽織はすっかり水を吸って重くなっており、裾からポタポタと止めどなく水滴が床に落ちていく。

「今風呂を沸かしてやるから、すぐに着替えなさい。……と言っても、男物の着物しかないが……善逸のでいいか?」

「……桑島さん。」

「ん?」

慈悟郎が濡れてすっかり体が冷えきってしまった小羽を何とかしてやろうと慌ただしく動く中、小羽は静かに彼の名を呼んだ。
慈悟郎が振り返ると、小羽は隊服の懐に忍ばせておいた文を取り出して、慈悟郎に差し出した。
その文に書かれた文字を見て、相手が善逸だとすぐに理解した慈悟郎は、何故小羽の様子がおかしいのか何となく察したのであった。

「善逸からの手紙か……」

「はい、預かってきました。」

「……獪岳のもか?」

「っ!?」

慈悟郎から獪岳の名が出た瞬間、ピクリと小羽の肩が小さく跳ねた。
明らかに動揺を見せた小羽に、慈悟郎はやはりかと妙に納得してしまい、小さくため息をついた。

「そうか……あいつがすまんかったな。」

「どうして、分かったんですか?」

小羽は不思議そうに尋ねる。
善逸が獪岳に手紙を出していることを、慈悟郎は知らない筈だ。
善逸本人がそう話していたし、小羽も慈悟郎には言わないでくれと口止めされていた。
恐らくは照れくさいが為の口止めであろうが、それ故に小羽は慈悟郎にはこの事は伝えていない。
だから彼が手紙のことを知っている筈がないのだ。

(それなのに、どうして慈悟郎さんは私が獪岳さんのことで落ち込んでるって分かったんだろう?それに手紙のことも……)

思わずじっと慈悟郎の顔を見つめてしまうと、彼は小羽の視線に気付いて、困ったように眉尻を下げて苦笑した。

「善逸のことだ、兄弟子にも手紙を出しているだろう事は予想できる。あいつ等は仲が本当に悪いが、善逸は嫌いながらもそれでも獪岳を尊敬しているからな。」

「……」

「そして獪岳は絶対に善逸の手紙を受け取ろうとはせんだろう。あれは本当に気難しい奴で、善逸のことが気に食わんらしい。そうなると小羽ちゃんが届けた手紙は破り捨てられていると想像がつく。優しいお前さんのことだ、それで気落ちしてるんじゃないか?」

「……当たってます。」

あまりにも鋭い慈悟郎の推察に、小羽は降参だとばかりに肩を落として認めた。
しょんぼりと俯く小羽に、慈悟郎はそっと優しく肩に手を置く。

「小羽ちゃんがあいつ等のことでそんなに心を砕くことはないんじゃ。あの二人はあの二人なりに勝手にやっていくさ。」

「でも、私……善逸の力になりたいんです。」

「ありがとう。善逸の為に一生懸命になってくれて……じゃがな、それでお前さんが怪我をしたり、悲しい思いをしてしまっていては、善逸が悲しむ。」

「……はい。」

「ワシも心配で寿命が縮んでしまう。だからのぅ、あまり、無理はせんでくれ。」

「……はい。ありがとう、桑島さん。」

「なあに、ただの老いぼれのうるさい小言じゃよ。」

そう言って、慈悟郎は小羽の手に握られている自分宛の文を受け取ると、ニカッと笑ってみせた。

「これはちゃんと受け取っておく。小羽ちゃんはさっさと風呂に入っておいで。風邪を引いてしまうわい。」

「あっ……はい!」

慈悟郎の優しい言葉に、小羽の心がほんわかと温かくなる。
まるで雨に濡れて消えてしまった蝋燭に再び火が灯るように、心の中にぽっと優しく温かな光が生まれる。
小羽は慈悟郎のお陰で少しだけ取り戻した元気を返すように、パッと明るい笑顔を浮かべてはにかんだ。


***************


それから小羽は慈悟郎に勧められるままに入浴を済ませ、用意されただいぶ大きめの男物の着物に袖を通した。
慈悟郎曰く、善逸の着物らしく、その体格差からやはり善逸も男の子なのだなと改めて自覚して、ほんの少しだけ気恥ずかしくなった。
何はともあれ、小羽の隊服と羽織が乾くまで、このままお借りしておこう。

(善逸の着物かぁ〜〜)

思わず着物の裾に顔を埋めて、くんくんと匂いを嗅いでしまう。
もう何ヶ月も袖を通されることなく箪笥に仕舞われていたからか、着物からは人の匂いというよりも、ほんのりと木の香りがした。
善逸の匂いがしないのはほんの少しだけ残念だったが、小羽は幸せそうに笑みを浮かべるのであった。

「――お風呂お借りしました。」

「おお、早かったな。」

小羽が戻ってくると、慈悟郎が火を焚いていた。恐らくは小羽の為だろう。

「お腹空いとらんか?握り飯と昨日の残りの味噌汁があるから食べなさい。」

「そんな、ご飯まで……ありがとうございます。」

「今日はもう遅い。泊まっていきなさい。」

「……迷惑ではありませんか?」

「そんな訳あるか。いいから、じじいの頼みを聞いてくれんか?」

「……はい。あの、ありがとうございます。」

何から何までお世話になることになってしまい、小羽は申し訳なく思った。
それでも、今は彼の優しさがとても嬉しかったのである。


*************


「――ふう、ご馳走様でした。後片付けは私にやらせてください。」

「そうか?だったらお願いしよう。そういえば小羽ちゃん、ずっと気になっていたんだがのぅ。」

「はい?」

「いつもつけとる髪紐、随分とボロボロになっていたな。」

「――あっ。……そうですね。もう古い物ですから。」

そう言って小羽は吊るしてあるリボンを見る。
元々古くて少し擦り切れていたリボンではあったが、それでも状態は良かった。
獪岳に乱暴された際に、どうやら少し擦れてしまったようで、いつ切れてもおかしくないくらいにボロボロになってしまった。

(雀に擬態していたせいで、油断してた。身につけている物にも影響が出るんだってこと……)

小羽たち鎹一族の者たちは、鳥に変化する際に、身につけている服も擬態させている。
ある程度身につけられる大きさの物ならば、自分の身体と一緒に擬態させて持ち運びもできるのである。
実に便利な力であるが、どういう原理なのかは全く分かっていない。
一見、鳥の姿が裸同然のような姿のせいで分かりずらいが、鎹一族は服を身につけた状態で擬態している。
だから鳥の状態で怪我などをした場合、身体には当然傷ができるし、身につけている物にもその影響が出ることがあるのである。
今回がまさにそれであった。獪岳に乱暴に扱われた際にリボンが少し切れてしまったようなのだ。

(縫い付ければ直せないこともないけれど、もう寿命かもしれないなぁ〜……)

小羽はもう使えないかもと少し寂しくなった。
母との思い出の品であり、形見でもある大切な物だったから……
名残惜しそうにじっとリボンを見つめる小羽に、慈悟郎は何を思ったのか、すっと目を細めると不意に立ち上がった。

「……少し待ってなさい。」

「桑島さん?」

慈悟郎は箪笥(たんす)を開けてガサゴソと何かを探し始めた。
これでもない、あれでもないとぶつぶつと呟きながら、箪笥の中を探している。
少しすると、何かを見つけたのか、「おお、あったあった。」と嬉しそうな声を上げた。
そして箪笥から何かを取り出してこちらに戻ってくる。
その顔がとても嬉しそうで、小羽はますます不思議に思って首を傾げた。
慈悟郎が持ってきたのは縦長の小さな木箱だった。

「小羽ちゃんは裁縫はできるかね?」

「――え?まあ、少しは……」

「だったら良かった。これをあげよう。」

「??」

何故裁縫のことを聞いてきたのだろうか?
慈悟郎は訳が分からずにきょとんとほうけた顔をしている小羽に、例の木箱を差し出してきた。
小羽は怪訝に思いながらも、差し出されるままに木箱を受け取った。
「これは?」と尋ねる小羽に、慈悟郎はにこにこと笑顔を浮かべるだけで答えない。
仕方なく木箱を開けてみることにした。
すると中には、布の切れ端が入っていた。

「――これ!」

「あげよう。それで新しい髪紐を作るといい。」

「あっ……ありがとうございます!嬉しいです!」

その布切れがなんなのか分かると、小羽は大切そうにそれを木箱ごと抱き締めた。
慈悟郎からの思わぬ贈り物に、小羽はそれはそれは嬉しそうに微笑んだのであった。

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