第1話

十二鬼月の「上弦の弐」との戦いで、私は最愛の姉を殺したあの鬼に敗れた。
憎くて仕方ないあの鬼に身体を吸収されながら、私は血は繋がっていないものの、大切な妹に全てを託した。
鬼に吸収されながら、私はそこで全てを思い出した。
この世界が「鬼滅の刃」という漫画の世界であり、私は「胡蝶しのぶ」という一人の登場人物という立場で生きていただけの、全くの別人だということに。
漸く全てを思い出した時には、私の身体はもう鬼に吸収されていて、もうどうにもならなくなっていた。そうして、私の意識は途絶えた。



*****



次に目を覚ました時、私は何故か赤ちゃんになっていた。
もう本当に混乱した。だってほんの少し前に死んだと思った。
死に際に前世を思い出してそんなのってあんまりだと世界を呪いたくなった。
そして気が付いたら赤ちゃんになってるとか……これはもう、考えなくても分かる。
だって二回目だから。きっと私はまた転生というものをしたのだろう。
もう、ふざけるなと心から叫んでしまった。泣き叫んでも、私の声は赤ちゃんの鳴き声になるだけで言葉になんてならなかったけど。
そうして、私は否応にも三度目の生を歩むことになった。


******


「しのぶ。」
「はい、何でしょうお母様?」

母に呼ばれ、私は振り返る。
この世界でも、私の名前は「胡蝶しのぶ」のままだった。
容姿もどういう訳か両親に似ておらず「胡蝶しのぶ」の容姿で生まれてきた。
だから両親のどちらにも私は似ていない。当たり前だ。だってこの顔は前世の両親から受け継がれたものなのだから。
この世界の両親にどうして似なかったのかは分からない。
私が前世の記憶を持って生まれたせいだろうか?分からない。
だけどそのせいで、母は父に浮気を疑われて離婚されてしまった。
そうして母子で生きてきた訳だけど、私は母には愛されていない。
前世の優しかった両親と比べる訳じゃないけれど、母は私を好いてないのだと言うことは、はっきりと分かった。
だって私を見つめる目が、あまりにも冷たいものだったから。
仕方がないことだと思う。自分にも夫にも似ていない子が生まれたら、不気味に思うだろう。
ましてやそんな子供のせいで不貞を疑われ、離婚なんてことになったのだから。
愛してもらえないことを、悲しいとは思わなかった。だって、私もまたこの人を母親とは思っていないから。
私の家族は飽くまでもあの世界での両親と唯一の姉。そしてあの世界に置いてきてしまった、蝶屋敷の妹たちだけなのだ。
もしもこの世界の母が私を愛してくれていたら、また違ったかもしれないが、私にとってこの人は他人と同じようなものだった。

「貴女、明日から五条家に引き取ってもらうから。」

母はとても冷えきった目で私を見下ろしながら、淡々とそう言った。
それで私は悟った。嗚呼、等々捨てられるんだなと。妙に納得してしまう自分にとことん私は可愛くないのだなと思う。だけど一つだけ疑問があった。
五条家。呪術界の御三家の一つとされる名家だ。でも何故だろう。私の今世での家は加茂家の分家の血筋ということになっている。
だから母が私を捨てるにしても、加茂家の血筋に預けられると思っていた。
私の使う術式においても、加茂家の特徴を引いているものだし。
なのに全く関係の無い五条家とはどういう事だろう。

「お母様、何故五条家なのですか?」
「五条家が、あんたを欲しいと言っているのよ。」
「私を売ったのですか?」
「うるさいわね!そうよ!あんたを差し出せば私は自由になれるの!もうそれなりのお金を頂いてるの。あんたは元々いらない子なんだからいーでしょ!」
「……そうですか。」
「何よそのすました顔!ほんっとに可愛げがないわね!」

母はヒステリックに叫びながら、何処かへと行ってしまった。
それを無表情で見つめながら、私は小さくため息をつく。
理由は分からないが、私は五条家に売られたらしい。
加茂家が私を引き取らなかったのは、恐らく私が女であるからだろう。父と母は駆け落ち同然に結婚したのだと聞いた。
加茂家の分家の血筋であった母が非術師である父と婚約するのを良しとしなかったらしいの加茂家の者たちが、母が家に戻ることを許さなかった。
これは憶測だけど、きっと分家とはいえ私は加茂家の血筋だから、五条家が養子として、或いは使用人として私を買ったのではないだろうか。
腐っても、女でも、私は御三家の血筋だから。
この呪術界というのは、本当にクソの集まりだ。
まだ五歳になったばかりの幼子を売り飛ばすなんて、きっと珍しくないのだろう。
この世界は前前世と近い時代である筈なのに、呪術界というこの世界は未だに時代錯誤もいいところである。
思わず舌打ちしたくなるのを堪えて、私はもうどうにでもなれと腹を括った。



*****



「飽きた。」
「もう、またですか?」

花札を放り投げて畳の上に大の字で寝転がった男の子に、私は困ったように呟く。
畳に散らばった花札を拾い上げながら、やれやれと小さくため息をついた。
私はあれから予定通り五条家に引き取られた。それも本家である。
てっきり五条家の分家にでも引き取られるのかと思ったのだが、私は五条家の後継である五条悟くんの遊び相手に選ばれたらしい。
歳も一つしか違わないし、丁度良かったのかもしれない。
呪術界では六眼を持つ彼はちょっとした有名人だ。幼いながらに既に才能に溢れ、五条家でも期待された存在だ。
だからなのかは分からないが、彼は相当な我儘というか、自分勝手な性格だった。
彼と初めて会ったのは二年前。私が五歳で、彼が六歳の頃だった。
五条家に引き取られてすぐ、彼の遊び相手として会わされた。
初対面の私にいきなり「何この女。遊び相手?いらねー!」とか不満げな顔を隠しもせずに言われたのには参った。
私が声をかけようとすると、その度に「話しかけんなブス」と一蹴にしてきた彼に、私が等々ブチ切れて、貼り付けた笑顔で長々と説教をしてしまったのは、もう懐かしい思い出だ。

「悟くんは飽きっぽいですね。」
「花札なんてつまんねーて!」
「そうですか?面白いと思いますけど。」
「しのぶって古風な遊び好きだよなー」
「それは否定しません。」

花札、鞠付き、あやとり、カルタ。どれも大正時代で姉さんや蝶屋敷の子たちと遊んでいた懐かしい遊びだ。
だから胡蝶しのぶとして生きる前の前世の記憶を思い出しても、こういった古風な遊びは今も好きだった。
携帯ゲームなんかも前前世の現代で慣れ親しんだものなので好きではあるが、私にはこちらの方が懐かしい。
だけど悟くんはお気に召さなかったらしく、つまらなさそうに寝転がってしまった。

「あー、ゲームやりてー!」
「やればいいじゃないですか。」
「新作のゲームがやりてーんだよ。」
「この前買ってもらったゲーム、もう飽きたんですか?」
「あれは三日でクリアした!」
「あらまあ。」
「てか、しのぶ!その敬語やめろって言ったよな?」
「急に話変えてきましたね。」

悟くんとは今ではこうやって毎日遊ぶくらいには仲良くなれた。
けれど悟くんは私のこの言葉遣いが気に入らないらしい。
困りましたね。この口調はもう癖みたいなものなのに。

「俺に敬語使うなっていつも言ってんじゃん!」
「そう言われましても。これは癖みたいなものなので……」
「いいからやめろって!もっと普通に話せよ!」
「そう言われましても……」
「あとその作り笑いもやめろ!いーか!次からそんな風に話したら俺答えてやらねーかんな!」
「…………」

うーん、困りました。
現代で生きていた前前世では普通に喋っていたけれど、胡蝶しのぶになってからはずっとこの口調で話していたから、今更普通の口調がどんなものなのか分からない。

――いや、違う。私は胡蝶しのぶに転生してからもこんな風に話してはいなかった筈だ。
私がこんな風に他人と話すようになったのは、そう……最愛の姉であるカナエ姉さんを失ってからだ。
姉さんの最期の言葉通りに、姉さんが好きだと言ってくれた笑顔を常に絶やさないようにしようと、精一杯表面上は笑顔を貼り付けていた。
穏やかで優しい姉さんのようになろうと、精一杯、笑顔でいようとしていた。
そうやって生きていくうちに、本来の自分が分からなくなっていった。
だから、今更普通にしろと言われても困る。
転生したからといって、簡単に生き方を変えられない。

「……悟くん。私はですね。」
「…………」
「悟くん、聞いてますか?」
「…………」

本当に困りました。彼も頑固で、一度言い出したら中々折れてくれない。
こうやって拗ねてしまうと、余計に。
そっぽを向いてこちらを見ようとしない彼に、ほとほと困り果ててしまう。
どうしよう。このままなのは困る。

「悟くん……」
「………」
「分かったから、悟くん。」
「……本当か?」
「ええ、できるだけ……普通に話せるようにします……するわ。」

結局、私が妥協して普通に話せるように努力する事しか、思いつかなかった。
私が困ったように笑うと、悟くんはやっとこちらを向いて話してくれた。

「もう、そんな風に話すなよ。」
「それは……ちょっと難しいで…かな。もう癖みたいになってるし。」
「だったら、せめて俺と二人きりの時は普通に話せよ。」
「……努力するわ。」
「約束しろよな!」

悟くんは小指を差し出してきたので、私も困ったように苦笑を浮かべつつも、断わるのは流石に大人気ないのでそっと小指を絡めた。
子供らしい小さな小指と小指が絡み合って、約束を交わす。

「ゆーびきーりげんまん、うそついたら、はりせんぼんのーます、ゆびきった!」

可愛らしい声で悟くんがゆびきりげんまんの歌を口ずさむ。
絡み合った小指をにゆらゆらと揺らして約束を交わすのは、姉さん以外では彼が初めてだった。
妹のカナヲとでさえ、したことが無い。懐かしい気持ちになりながら、なんだか弟ができたみたいで嬉しくなった。
彼の方が一つ歳上なのに、弟みたいだなんて言ったら、悟くんは絶対に怒るから言えないけれど。

「なあしのぶ。」
「なぁに悟くん。」
「俺が大きくなったら結婚しよう!」
「……えっ。」

悟くんに声をかけられて、笑顔で返事を返したら、とんでもない事を言われた。
子供だと思っていたけど、悟くんは結構おませさんだった。
まあでも、こういうのは幼い子供がよく言ってくるお約束みたいなものだろう。
大人になったら忘れてしまう約束。本気で考える必要は無い。
私は悟くんもませてくるお年頃なんだなと少しだけ姉目線でほっこりとした気持ちになった。
だから深くは考えずに口にした。

「ええ、いいですよ。」
「あっ!また口調戻ってるぞ!」
「あら、ごめんなさい。」
「ほらまた!」
「うふふ、ごめんね。」
「約束だかんな!口調もだけど、俺が大きくなったら結婚するぞ!」
「ええ、約束ね。」

この日の出来事は子供の頃の可愛らしい記憶として、私の中でキラキラとした思い出として残っている。とても、大切な思い出として。



*****



それから更に時は流れて、私は東京都立呪術高等専門学校に入学した。
悟くんは二年生として在籍しているので、今年から彼は私の先輩になる。
同期は私を含めてたった三人だけの、少数のクラスメイトだった。

「しのぶ!遊びに来たよー!」
「あら五条先輩、こんにちは。何しに来たんですか?」
「ちょーとしのぶ!婚約者がわざわざ一年の教室にまで会いに来たのに冷たくない?」
「形だけの婚約者ですから。」
「えーひでー!俺本気なのに!」
「うふふふふ、ご冗談を。」

休み時間になると同時に一年の教室に飛び込んできた婚約者様を冷たくあしらう。
それに悟くんは不服そうに顔を歪めた。そんな彼を目を細めて呆れた眼差しで見つめながら、私はそっとため息をついた。

私と悟くんは、あれから一年後に婚約を結んだ。
まだ小学生にもなっていない年端もいかない子供同士を婚約させるとか、頭がおかしいとしか思えない。
私の身は親に捨てられ、五条家に買われた時点で五条家のものになっているのは知っていた。
だけどまさか跡継ぎである悟くんの婚約者にされるとは夢にも思わなかったのだ。
腐っても御三家である加茂の血を引いているからなのだろうか。
大人って汚い。呪術界ってクソばっかりだ。
絶対に反対すると思っていた悟くんも、何故か父親の言いつけに素直に従って受け入れてしまったせいで、私たちは現在も婚約者のままだ。

そしてこの時の私はまだ知らなかった。
あの日の約束のせいで、悟くんが本気で私をお嫁さんにしようと私との婚約の話を彼自身が父親に持ちかけていただなんて。
だからこの時点では、私は婚約者の話は五条家の人たちが勝手に決めたものだと思い込んでいた。
だから必死になってなんとか婚約を破棄できないかと努力した。
だけど肝心の悟くんは何故か非協力的で、そのせいで中々婚約が解消されずにいる。
たった一言、悟くんが私を嫌だと言ってくれさえすれば良いだけなのに。
全く協力してくれない悟くんに、私は正直少し怒っていた。
だから最近は悟くんに対する態度も冷たい。
めげてないないのか、空気を読まないだけなのか、悟くんは構わず私に会いに来るので、結局あまり効果は期待できない。

「今日さー、任務無いから久しぶりにデートしようぜ。」
「お断りします。」
「映画とかどう?」
「お断りします。」
「あっ、じゃあ銀座でランチとか?」
「お断りします。」

全てを笑顔で拒否する。流石に彼も癪に障ったのか、額に青筋が浮かぶ。
それでもお互いに水面下では笑顔を浮かべたままである。
にこにこにこにこ。腹の中では何を考えていかなんて、長年の付き合いで何となく分かるらしい。
絶対に行きたくない私と、意地でも誘おうとしている彼。
お互いに全ての感情は分からなくても、何となく折れたら負けだと思った。

「しのぶさー、いい加減にしような?」
「貴方こそいい加減にしてくれませんか?」
「何処ならいいんだよ!」
「何処にも行きません。」
「「…………」」

しばし睨み合う。そんな私たちの様子を、同期の七海さんと灰原さんは困ったように見つめ、そして悟くんについて来たらしい彼の同期の夏油さんと家入さんが面白そうにニヤニヤと笑みを浮かべて見ているのを横目で確認した。
夏油さんたちには後で説教をしよう。そう心に誓って、今は目の前にいるこの男をどうしようかと思った。

「学校での過度な接触はやめてください。」
「何でだよ!婚約者なんだからいいだろ!?」
「良くありません。節度を守ってください。」
「意味わかんねー」
「もう、貴方は本当にいつまで経っても子供みたいですね。」
「うっせーわ。ガキ扱いすんな!あと口調!」
「それは二人きりの時の約束では?」
「あーはいはい。夫婦漫才は後にしな!」
「ふっ!?夫婦ではありません!」

家入先輩がもういい加減にしろと言いたげに話に入ってくる。
それに私は我に返った。思わず大人気ない態度を取ってしまったことが恥ずかしくなり、カッと顔が赤くなる。
それに悟くんは何故か目を大きく見開いて驚いていた。

「えっ……何その反応。夫婦って言葉に照れたの?」
「違います!」
「へー、そっかぁー」
「だから違います!」
「いいっていいって!(あーくそ、かわいいな!)」
「ちょっ、やめてください。髪が乱れる!」

何がどうしたのか、急に機嫌が良くなったらしい悟くんに頭を乱暴に撫でくり回されて、折角整えた髪が乱れた。
もう、なんなんですか!
ニヤニヤと嬉しそうに口元に笑みを浮かべて、彼は満足そうだ。
こっちは全然楽しくないんですが。いい加減に婚約破棄したいんですよ。
そんな言葉を吐き出そうとするも、いつの間にか私は彼の肩に担がれていた。
「えっ?」と口にする間もなく、悟くんは私を担いだまま何処かへと歩き出す。

「ちょっと!いきなりなんなんですか!」
「何ってこれからデート。」
「私行くなんて言ってません!」

悟くんはそんな私の言葉なんて聞かずに、歩みを全く緩めずに突き進む。
私はこの人とは、きっと一生気が合わないだろう。
もう本当にいい加減にして欲しい。
そんな怒りを私が腹に抱えているのに、彼は私を離そうとはしない。
この関係、いつまで続くのだろう。私は諦めたように小さくため息ついた。



******



胡蝶しのぶ(15)
前前世では普通の女子大生だったが、何らかの理由で死亡し、鬼滅の世界で胡蝶しのぶとして転生した。
童磨との戦いで破れ、死の直前に前世の記憶を取り戻した。
その後すぐに転生。胡蝶しのぶの心が強く残っているが、少しずつ現代に打ち解けようとしていく。
胡蝶は父親の性であり、しのぶの母は加茂家の分家の血筋である。
五条悟は現段階では手のかかる弟のようなもの。
彼も嫌な筈だと思っている婚約を破棄してくれなくて困惑している。

今回のお話では使うことはなかったが、加茂家の血筋にあたる家の出だからなのか、それとも前世が影響しているのかは定かではないが、しのぶの血は呪霊にとって猛毒である。
なので呪具などに利用されそうになったが、悟によって守られている。(本人はそれを知らない)
加茂家の「赤血操術」のようなことはできないが、自分の血を蝶の形にして相手に飛ばすことができる。反転術式も得意のため、前世の医術の知識もあって家入のように、サポート役になっている。

この世界でのしのぶの呼吸について
しのぶさんの蟲の呼吸は毒を仕込んだ刀を鬼に刺すというものなので、あの独特の刀を特別に作ってもらうことでしのぶも戦闘に参加可能。
この世界でのしのぶの血は呪霊に効果があるので。但し真人たちレベルの特級呪霊になると効果は薄い。後々の彼女の研究で何かしら変化があるやも?

五条悟(16)
胡蝶しのぶの婚約者。
実は顔は好みなので初対面の時からちょっと気に入ったが、家への反発もあって遠ざけようとしていた。
見た目の可憐さに見合わず怒ると怖いと知ってから、あまり怒らせないようにしようと誓う。
でもあの性格のせいでよく怒らせてしまう。
自分を周りの大人たちのように特別視せずに普通に接してくれたのが嬉しくて、本気で気に入った。
幼い頃に結婚の約束をしてからは父親にお願いして婚約者にしてもらった。
高専に入ってから態度が冷たくなったしのぶにイライラしている。
幼い頃の約束を一途に信じているピュアなところがある。初恋をかなり拗ねらせた。

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