第2話

私が五条家に買われ、その跡継ぎである五条悟の婚約者になってから、私を取り巻く環境は大きく変わった。
まず一つ、私の戸籍は未だに胡蝶のままであるが、保護者として五条家の分家の者が私の親代わりということになっている。
けれど私はその人たちの事を、よく知らない。
最初に五条家に来た日に、一度会ったきりである。
本家で悟くんの遊び相手として引き取られてからずっと、私を育ててくれたのは五条家のお手伝いさんたちだ。
教養や作法、術師としての生き方を学ばされ、最低限不自由のない生活を約束されていた。
けれど五条悟の婚約者という肩書きを与えられてからは、生活が一変した。
これまで最低限不自由なく暮らせるくらいの物を買い与えられていた私は、婚約を言い渡された翌日から、五条家の正室に相応しい振る舞いを覚えるようにと、以前にもまして、厳しい教養と訓練を与えられた。
その代わりに質の良い着物を与えられ、食事も、部屋も、与えられるもの全てが質の良いとされる物が贈られるようになった。
そして私を取り巻く人間たちの態度もまた、変化した。私を汚らわしいと罵った大人たちは、手のひらを返したように私に擦り寄ってくるようになった。
全く嬉しくない変化だ。寧ろ逆に人間の醜さを知っただけだった。
呪術師になんてなりたくないのに、呪術師の血筋に生まれ、呪術師の家系に引き取られ、呪力を持っていたせいで、私は否応なしに呪術師にならざるを得なかった。
私の意思とは関係なしに、道筋が決められていく。それは大変不愉快で、窮屈なものだった。
自分の意思と覚悟を持って鬼殺隊に入ったあの時とは違う。
他人に勝手に決められた道筋に、命などかけられない。それでも、私にはこの道しか許されなくて。
それならばせめて、呪霊に苦しめられている人達が少しでも減ればいいと、自分にできることを探そうと思った。
だから私は鬼殺隊にいた頃のように、呪霊の研究を始めた。
変化した環境の中で一つだけ良かったことがあるとしたら、その研究費用に五条家のお金を少しだけ自由に使える権利を貰えたことくらいだ。
これまではほぼ自分が呪術師として稼いだ自費によるものだったので、それだけは有難かった。
そのお陰で、少しづつだけど呪霊を殺す毒の開発に兆しが見えてきた。
けれど私は今、少しだけ後悔している。
やっと希望の見えてきた研究に気が抜けて、ずっと研究室に篭っているのも息が詰まるので、たまには買い物にでも出かけようと、街に出かけたのが間違いだった。

「ねーねー、君一人なの?良かったら俺らと遊ばない?」
「…………」

私は所謂、ナンパというものをされていた。
気分転換に街に出かけたというのに、不愉快な気持ちにテンションが下がっていく。
久しぶりに楽しもうとしていたのに、これでは台無しである。こんなのに構っている気分ではない。

(困ったものですね。)

私は小さくため息をつくと、笑顔を貼り付けてナンパしてきた暇人と思われる男三人を見つめた。
高校生くらいの年頃だろうに、染めた髪に無数のピアス。以下にもチャラそうな見た目の典型的な格好をした若者たちに、またため息が出そうになる。

「結構です。他を当たって下さい。」
「えー!いいじゃん遊んでよ!」
「君みたいな可愛い子が一人なのは勿体ないって!」
「そーそー!奢るからさ!」
「結構です。」
「君ほんと綺麗だよね。スタイルもいいし。モデルかなんかやってる?」
「……いい加減にしてくれませんか?」

断ってもしつこく声をかけてくる彼等に、段々とイライラしてくる。
笑顔を貼り付けながら、こめかみをヒクヒクとさせ、いい加減にしろと心の中で悪態をつく。
本当にしつこい。彼等は余程暇なのでしょうか?
いつの時代でも世界でも、女性に気安く声をかけてくる殿方はいるのですね。
嗚呼もう、本当に鬱陶しい。そろそろ手を出してもいいだろうか?
私は姉さんのように穏やかな性格ではない。そう見えるように振舞っているだけで、本当は気が短い。
心を乱すものは未熟者。それでも、我慢には限界がある。
そろそろ本気でキレてもいいかしら?いいですよね?
相手に見えないように、ぎゅっと拳を握り締めた。
さて、誰からやりましょうか……なんて物騒なことを考えていた。
すると不意に後ろから人の気配を感じて咄嗟に振り返る。

ドガッ!
「ぐえっ!」
「誰の許可得てこいつにナンパしてんだバァーカ!」

私の後ろから長い足を伸ばして相手の一人の腹を蹴っ飛ばしたのは、悟くんだった。
ちょっと待ってください。何故貴方がここいるの?
そんな言葉をかける間もなく、悟くんが私の肩を抱いてぐっと自分に引き寄せた。
小柄な私の体は抵抗もできずに悟くんの体にぴったりと寄り添う。

「人の女に手ぇ足してんじゃねーよ。殺すぞ!」
「えっ、ひっ!」
「ごっ、ごめんなさい!」

サングラス越しに悟くんが鋭い目を彼等に向ける。
殺意の籠った六眼で睨まれたら、呪術師でなくてもビビると思う。
ナンパしてきた三人の男たちは、青ざめた顔で転がるように必死に走って逃げていった。
そんな彼等を見つめながら、悟くんが「クソが!」とか口汚い言葉を吐き捨てるのを耳元で聞きながら、私は悟くんの手を軽く払い除けて、一瞥することなく言った。

「……所で、何故貴方がここに?」
「あっ?」
「私貴方に出かけるなんて言ってませんよね?」
「あー……たまたま。」
「ついてきたんですか?」
「たまたまだって。」
「……本当に?」
「…………女中に聞いた。」
「そうですか。まあいいですよ、助かりましたし。ありがとうございます。」
「ん。」

私が素直にお礼を言うと、悟くんは照れくさそうにそっぽを向いた。
こういう所は可愛いんですけどね。
後を追って来たことは褒められたことではないけれど、助けてくれたのは普通に嬉しかったので許してあげましょう。

「悟くん。」
「……なんだよ。」
「一緒に行きますか?」
「行く。」

即答する彼がなんだか可笑しくて、私は珍しく自然に微笑んでいた。



*****



「それで、何を買いに来たんだよ?」
「日用品を少し。後は研究に使えそうなものを探そうと適当に回るつもりです。」
「ふーん」

そう言って私についてくる彼。身長の高い彼からすれば、私の歩くスピードなど遅いだろうに、ちゃんと歩数を合わせてくれている。
悟くんの性格上、人に合わせて歩くのはきっと面倒な筈だ。それでもわざわざ私に合わせて隣を歩いてくれるのはきっと、悟くんにとって私は少しは心を許せる相手と言うことなのだろう。
それはとても嬉しいと、私は思う。婚約者として彼の傍にいるつもりはないが、友人として彼を大切にしたいという気持ちは確かにあるから。
その時、不意に手を握られたのが分かった。驚いて下を見ると、私の手に悟くんの手が重ねられ、指と指が絡められた。所謂恋人繋ぎというものだ。
ぱちくりと瞬きをして悟くんを見れば、彼は何も言わずに私の手を引いてそのまま歩き出す。
驚いた。そしておやっとこの時になってやっと疑問を抱いた。
悟くんはもしかして私が好きなのでは?と。
いくら心を許してる相手とはいえ、恋人繋ぎなんて悟くんがするだろうか?
私が知っている悟くんはしない。だけどそれが好意を寄せている相手なら別だ。
こんな風に触れられたことなんて今まで無かった。だから流石にこんなことをされてはもしかしてという考えが巡ってしまう。
そうなると困る。私は悟くんをそんな風には見れない。
――いや、まだそうとは限らない。まだ告白された訳でもないのに、早とちりするのはよくない。
そう無理やり考えることに蓋をして、私は思考を放棄した。



*****



「こんなものですかね。」
「他に必要な物ねーの?」
「今は特には。帰りましょうか。」
「昼飯食ってかね?」
「いいですよ。何処にしましょうか?」

ある程度必要なものを買い終わり、特に寄りたい所もなく適当に街をぶらぶら歩きながら、お昼は何処にしようかと平和な会話をする。
いつも呪術師として忙しい日々を送っているから、たまにはこうやって穏やかに時間を過ごすのも気分転換になっていいなと思う。
東京は大正の頃から日本でも発展した街として活気づいていたけれど、この時代では驚くほど発展した。
色々な国の文化が混ざり込んで、ずっとずっと生活も豊かになった。
前前世では令和の時代を生きていたけれど、あの頃の記憶はひどく曖昧で、実はよく覚えていない。
だから私にとっての記憶は、胡蝶しのぶとして生きた大正時代の方が色濃く残っていた。
あの時代からの変化を楽しむように、街並みを見て回る。
すると、一つのアクセサリーショップのショーウィンドウに目が止まった。

「あっ」
「んっ?どうした?」

私が思わずそれに釘付けになって足を止めると、私の視線に気づいた悟くんもそれに視線を向けた。
視線の先には、沢山の美しいアクセサリーが並べられている。その中の一つ、蝶の形をしたバレッタに私の目は釘付けになった。
似ている。カナエ姉さんの髪飾りに。
赤い蝶のバレッタの横には、対のように紫の蝶が並べられていた。
まるで姉妹のように並ぶ二つの蝶。それを見て、心の底に蓋をしていた気持ちが一気に込み上げてきた。
姉さん。姉さん。カナエ姉さん。
鼻の奥がツンっと痛み、目じりにじわりと涙が浮かんだ。

「それ、欲しいの?」
「――え?」

不意にかけられた声に、ハッと我に返る。
気が付くと悟くんが私の顔を覗き込んでいた。慌てて誤魔化すように目元を拭う。

「いいえ。」
「お前って昔から蝶とか金魚とか好きだよな。」
「そう……ですね。」

蝶や金魚は好きだ。昔を思い出させてくれるから。
だけど、それは本当に良い事なんだろうか?

「気に入ったのなら買ってやろうか?」
「大丈夫です。自分の物は自分で買えますし。それに……私にはもう必要のないものです。」

そう言ってまた視線をバレッタに向ける。この世界はあの世界じゃない。
この世界に姉さんやカナヲたちはいない。だったら、未練がましく過去に縋ってはいけない。
過去を思い出させるような物を持っていては、きっといつまでも忘れられない。
そう思って、後ろ髪を引かれる想いで首を横に振った。
本当はすごく欲しい。手元に置いて、大切にしたい。
だけどそれはただ、もういない家族に縋るだけの行為だ。ならば、断ち切らなくては。

「……行きましょう悟くん。」
「ちょっと待ってろ。」
「えっ、あの……」

悟くんの手を引いてこの場を離れようとすると、悟くんは何を思ったのか店の中に入っていってしまった。
私はそれに慌ててついて行く。彼が何をしようか分かってしまったからだ。

「悟くん、いいんです。本当にいりませんから!」
「うっせ。あんな目で見てた癖にどうでもいい訳ないだろ。」
「そんな、こと……」

そんなに物欲しそうな目で見ていたのだろうか。思わず口を噤んでしまう。
その間に悟くんはさっさと店員さんに声をかけて会計まで済ませていた。
早い。やることがスマートだ。
そうこう言いながら悟くんが戻ってくる。

「やる」
「……ありがとう、ございます。」

買ってしまった手前、断ることもできずに差し出されたバレッタを思わず受け取ってしまった。
私があまり嬉しそうにしないからか、悟くんの表情が険しくなる。

「んだよ。嬉しくねえの?」
「……分かりません。とても複雑な気持ちです。」
「なんだそれ。」

姉さんの髪飾りに似たバレッタはとても嬉しいけれど、過去を引きずられていないかと気になってしまう。
素直に喜べない私に、悟くんは小さく舌打ちしたのか聞こえた。
嗚呼、折角の彼の優しさを、無駄にしてしまった。不愉快にさせてしまった事に申し訳なくなる。

「ちょっと貸せ!」
「あっ!」

悟くんが乱暴にバレッタを私の手から奪い取る。
小さく声を漏らした私に一瞥すると、彼は私の背後に回った。
そのまま髪を結っていたリボンを解かれる。

「ちょっ、何もここでつけなくても……」
「じっとしてろ。」
「…………」

はあっと小さくため息をつく。悟くんは一度言い出したら聞かない。
店員の女性が私たちを微笑ましそうに見ている。お客の中には悟くんの顔に頬を染めている女性や、嫉妬の目を私に向けている者もいた。
抵抗すると余計に面倒臭いことになるのは、長い付き合いで分かっている。
だから私は彼のしたいように、じっと髪が弄られるのを耐えていた。
悟くんは手先が器用で、テキパキと私の髪を結っていく。
後ろの方でパチンとあのバレッタがつけられたであろう留め具の音を聞いて、私はもういいかと身じろいた。
しかし、それは悟くんに阻止されてしまう。

「まだ動くな。」
「どうしてですか?終わったのでしょう?」
「まだだよ。」
「?」

訳が分からずに首を傾げそうになる。すると首元に悟くんの指先が触れ、ぴくりと体が跳ねた。
「ちょっ!」思わず声を出しそうになった私の首元に冷たい感触が伝わる。
チャリっと鎖の揺れる音がした後で、小さくパチリと何かがハマった音がした。
首元に手を当てると、冷たい金属の感触がある。
ネックレスだろうか?
戸惑っている私に悟くんは店員さんが持ってきてくれた鏡を受け取り、私の前に突き出して見せてきた。
髪にはあの赤い蝶のバレッタが、そして首元には紫の蝶があしらわれたネックレスが身につけられていた。

「……悟くん、これは……」
「しのぶはどっちかと言うと紫が好きだろ。それでもその赤いバレッタが気に入ったみたいだから、やる。」
「でも、このネックレスは……」
「紫のバレッタの代わりだよ。同じ形の髪飾り持ってても一緒に使えないだろ。だから代わりに似たデザインのネックレスがあったからそっちにした。」
「いえ、あの……」
「気に入らなかったか?」

悟くんの不安そうな声が耳をかすめて、思わず彼を見上げた。
てっきり喜ばない私に不機嫌そうに怒っているのだと思った。けれど彼は普段見ることのないような不安げな表情を浮かべていた。
空のような美しい水色の六眼を細めて、私をじっと見下ろす彼の目はとても寂しそうで、切なげで、どうしてそんなに不安そうなのかと私は何も言えなくなった。
彼を安心させたい。そんな想いが心の中を満たす。
だからいつものように笑顔を浮かべて、言った。

「いえ、とても気に入りましたよ。」
「本当か?」
「……正直、少し戸惑っています。」

私が取り繕うのをやめて素直な言葉を口にすると、彼は私の肩に顔を埋めてきた。
やっぱりどこか元気のない悟くんに、戸惑ってしまう。

「だってしのぶ……俺に隠し事してんじゃん。」

その一言に息を飲んだ。
嗚呼、気付かれていたんですね。

「何抱えてんのか知らねーけどさ、たまにすっげー寂しそうな顔すんの。俺知ってる。」

ごめんなさい。心配させる気はなかったんです。

「敬語で話すなって言ってるのに、いつまでも普通に話してくれねーし。」

ごめんなさい。癖だと言い訳にして、貴方との距離に一線を引いていた。

「俺、不安なんだ。お前がいつかいなくなりそうで。だから、なんでもいいから繋ぎ止める理由が欲しい。」
「悟くん……」

私は何も言えずに、悟くんの頭を撫でてやる。
悟くんが背中越しに私を抱き締めてきた。顔を肩に埋めたまま、甘えるように。

「大袈裟ですよ、悟くん。」
「…………」
「悟くん、本当はこのバレッタ、すごく欲しかったんです。だから……大事にします。ありがとう。」
「んっ」

私がそう口にすると、悟くんは小さく頷いた。
まだ不安そうに揺れる六眼の瞳を鏡越しに見つめながら、私は悟くんに穏やかに微笑んだ。
耳元で囁くように、「何処にも行くな」と悟くんに言われた。
私はその言葉に、答えられなかった。代わりに、「ずっと大事にします」と聞こえないふりをしてもう一度そう呟いた。

ごめんなさい悟くん。私はきっと……



*****



七海視点

キンキンと金属同士がぶつかり合う音が響き合う。
私が振り下ろす刀を、胡蝶は全て横に流すようにいなしていった。
速い。どの攻撃も全て受け流される。
私が彼女の間合いになんとか入ろうと、刀を横に振る。
その攻撃の際にできた僅かな隙を胡蝶は見逃すことなく、素早く懐に入り込み、刀を私の喉元に突きつけて寸止めした。

「勝負ありましたね。」
「……参りました。」

にっこりと彼女が余裕たっぷりに笑うと、私は死んだ目をして降参の意を口にしたのである。
その日、私たち一年組はグラウンドで体術と武器を使っての戦闘訓練を行っていた。
胡蝶が刀を鞘に仕舞う様子を横目で見ながら、私はふうっと少し疲れたように息を吐き出した。
その二人の剣戟を見ていた灰原は、キラキラとまるで子供のように目を輝かせて、胡蝶に声をかけた。

「すごいすごい!これで胡蝶が2勝だな!」
「体術に続いて武器による戦闘訓練でも負けるなんて……しかも息ひとつ乱してないですし。胡蝶は見た目の華奢さに反して強いですよね。」
「うふふ、ありがとうございます。でも、純粋な力比べになると流石に私でも勝つのは難しいんですよ。」

体術訓練、刀を使った戦闘訓練、その全てにおいて胡蝶が私と灰原を打ち負かした。
ろくに休まず立て続けに行った訓練に、私と灰原の顔には疲労が見えている。
それに比べて胡蝶はまだまだ体力に余裕があるのか、笑顔を浮かべており、先程まで戦っていたとは思えない程、息ひとつ乱れてはいなかった。
あんな小柄で華奢な体のどこにそんな力があるのかと疑問に思う程、胡蝶しのぶという人間は謎が多かった。
彼女の術式は自身の血を毒に変質させ、蝶の形にして飛ばすというものだ。
彼女の操る毒は呪霊にのみに効く。だから呪詛師との戦闘には不向きな能力であるが、彼女の戦闘方法は他にもある。
その素早い身のこなしにと彼女だけが使う特殊な仕込み刀によって、対呪詛師相手にも胡蝶は引けを取らなかった。
彼女は小柄故に純粋な力では劣るものの、その身のこなしと異常なまでの身体能力、そしてまるで戦闘慣れしているかのような冷静さと判断力。
正直言って、呪力量が決して多いとは言えない彼女が準一級術師へ上り詰めることが出来たのは、それ等によるものが大きいのかもしれない。
御三家の加茂家の血筋でありながら五条家に身を置き、そしてあの五条悟の婚約者。
彼女も色々と苦労しているのだろう。それに関してはひどく同情した。

「あっ、いたいた。しのぶー!」

私たちの訓練が一段落したのもあり、三人で休憩していると、誰かに声をかけられた。
誰かなんて振り返らなくても分かる。胡蝶の名前を大声で叫びながら近付いてくるのは、自称最強であり、事実最強の五条悟。彼一人以外にいなかった。
声のした方を見れば、二年生の三人が揃ってこちらに歩いていて来ている。
笑顔で大きく手を振りながら、190cmの高身長の男が一人の女性に駆け寄ってくるのは、なんだか見ていて愉快だった。
胡蝶はというと、いつもの穏やかな笑顔を浮かべたまま「あらあら」と彼を自然に受け入れていた。
美男美女。二人とも容姿端麗なだけに中々にお似合いだと思う。
だが、細身だが高身長、ガラの悪そうな男と、片や小柄で儚げな美少女。こうして並んでいる二人を改めて見ると、なんだか美女と野獣という言葉が浮かんでしまうのは何故だろう。
胡蝶、将来こんな人と結婚したら苦労しそうだな。
私は未来で起こるであろう彼女の苦労を想像して、また同情した。せめて私と灰原は彼女に優しくしよう。

「それで、先輩方は何しに来たんですか?」
「俺等これから歌姫たち助けに行くんだけど、しのぶも行こうぜ!」
「……はい?」
「庵先輩たち、まだ任務から戻ってないんですか?もう二日も経ってますよね?」
「ああ、だから私たちに任務が引き継がれることになったんだ。」
「そゆこと!だから行こっかしのぶ!」
「何がどうして私が同行することになるんですか?」
「そんなの俺がしのぶといたいからに決まってんじゃん☆」

五条先輩がウインクをしながら胡蝶に笑いかける。
カッコよく決めているつもりらしいが、胡蝶の額に青筋が浮かんだのを、私は見た。

「……思ったよりもくだらない理由でした。さっさと行ってください。」
「しのぶもな!」
「結構です。」
「強制参加に決まってんだろ!」
「ちょっと!」

五条先輩は胡蝶を横抱きすると、抵抗する胡蝶を無視してそのまま歩き出す。
夏油先輩は「じゃあ彼女借りていくね」と勝手に胡蝶を連れて行こうとする五条先輩を止めようとはせず、唯一まともそうな家入先輩は完全に無干渉を決め込んでいるようで何も言わない。
嗚呼、これは助けられないな。胡蝶、諦めてくれ。
笑顔で「行ってらっしゃい」と手を振る灰原の隣で、私は無言で彼女に謝った。
胡蝶は最後まで目の笑っていない笑顔で五条先輩に文句を言い続けていた。



*****



静岡県浜松市。ここの洋館に呪霊が住み着き、二日前に四年生の庵歌姫と冥冥が任務に当たったが、担当した補助監督から二人と連絡が取れなくなったと報告があり、急遽二年生である五条悟、夏油傑、家入硝子が引き継ぎと救出を行うことになった。
そしてそこに何故か全く関係の無い筈のしのぶまで、五条に拉致される形で無理やり連れて来られたのであった。

「しのぶー、怒ってる?」
「逆に聞きますが、怒らないとでも思ってますか?」
「ヤダこわーい!」

本気でキレてもいいだろうか?そんな気持ちがひょっこりと顔を出す。
そんなイラついているしのぶを無視して、五条は「さて、ちゃっちゃと歌姫助けますか!」と術を発動する構えを取った。
それに慌てたのはしのぶだけで、夏油と家入は落ち着いている。
ちょっと待って、まだ帳降ろしてない。
そう口に出す前に、五条は術式を発動させてしまった。
瞬く間に崩壊する洋館。木っ端微塵に跡形もなく吹き飛んだ瓦礫の山を見て、しのぶは青ざめた。
顔には健気に笑顔を貼り付けているが、内心では先輩たち死んだのでは!?と肝を冷やしていた。

「助けに来たよ〜歌姫!」

瓦礫の山を掻き分けて出てきたのは、歌姫であり、冥冥はちゃっかり瓦礫を避けて五条たちの横に立っていた。この人、身体能力は化け物である。

「泣いてる?」
「泣いてねぇよ!」

クレーターになった上から穴に落ちた歌姫をニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべて見下ろす五条に、お前は小学生かと心の中で突っ込む。

「泣いたら慰めてくれるかな?是非お願いしたいね。」
「冥さんは泣かないでしょ。強いもん。」
「フフフ……そう?」

上から見下ろされ、歌姫はギリギリと悔しげに歯を噛み締める。
歌姫は歳上としてのプライドもあって、人差し指を突き立てながら叫んだ。

「五条!!私はね、助けなんて……」

その瞬間、歌姫の背後に巨大な呪霊が現れた。更に次の瞬間にはより大きな呪霊が現れて歌姫を襲おうとした呪霊を口に閉じ込めた。

「飲み込むなよ。後で取り込む。」
「悟、弱い者いじめはよくないよ。」

前者は自身の操る呪霊に、そして後者の言葉は五条に向けて告げる。
歌姫を庇おうとして口にしたのであろうが、明らかに夏油の言葉は煽っているようにしか聞こえず、歌姫に対して失礼すぎる。
案の定五条と冥冥に指摘され、歌姫に物凄い形相で睨まれていた。
無自覚に毒を吐き出すだけあって、五条よりも実は夏油の方が腹黒いのではないかと思う。

「歌姫せんぱ〜い、無事ですか〜?」
「あらあら、庵先輩怪我してますね。さっきの瓦礫に巻き込まれたんでしょうか?手当しますからこっちに来れますか?」
「硝子!しのぶ!」

家入としのぶがそれぞれ気遣う言葉をかけると、歌姫は感激した様子で家入に抱きついきた。

「心配したんですよ。二日も連絡なかったから。」
「硝子!しのぶ!あんたたちはあの二人みたいになっちゃ駄目よ!特にしのぶ!」
「あはは、なりませんよ。あんなグズ共。」
「うふふ、ご心配なく。」

普段から歌姫は五条と夏油(特に五条)の言動に酷い目に合っているだけに、心からの彼女の言葉に家入もしのぶも流石にあんなグズにはならねーわと笑って言った。
五条と夏油は人としてなってはいけない良い反面教師である。

「……二日?」

そこではたと気付いたように怪訝そうな顔をする歌姫。
どうやら歌姫と冥は二日近く時間が経過していることに気付いていなかったらしい。

「あー、やっぱ呪霊の結界で時間ズレてた系?冥さんがいるのにおかしいと思ったんだ。」
「珍しいケースですけどたまにありますね。」
「そのようだね。それはそうと君たち……帳は?」
「「「あっ!」」」
「…………」

そこで漸く二年生の三人は自分たちがミスを犯したことに気付いたらしい。
最初から分かっていたしのぶはそっと目を逸らす。
この後きっと、夜蛾先生にこっ酷く怒られることになるのだろうなと、明日学校に帰るのが嫌になったしのぶであった。

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