第2話「伊之助親分の敗北」

あたしの横を緑色の羽織を着た奴がすごい勢いで横切った。
まるで風みたいに速くて、目で追うのがやっとだった。
止める間もなかった。それは親分も同じだったみたいで、男が親分の懐に入り込んで、親分の腹に一撃拳を叩き込むまでその存在に気付けなかったようだった。
バキリと親分の骨が鈍い音を立てて折れる音を聞いた。
そのまま親分は男にぶっ飛ばされていた。
そのあまりの強さと気迫に、あたしはただただ目をひん剥いて驚いた。


お……親分がやられたーー!!?

嘘だ……嘘だ嘘だ!親分がやられた?
あの最強無敵な山の王である親分が!?

いやいや、そんな訳ない。きっと油断してる時に横から割って入られたから当たっただけだ。そうに決まってる。


あたしは親分がやられたなんて認めたくなくて、動揺を吹き飛ばそうと頭を振った。
すると緑色の羽織の男は親分を何やら怒鳴りつけていた。相当怒っているようだ。


「お前は鬼殺隊員じゃないのか!!なぜ善逸が刀を抜かないかわからないのか?隊員同士で徒に刀を抜くのは御法度だからだ!!お前は一方的に痛めつけて楽しいのか?卑劣、極まりない!!」

「ガフッ!ゴホッ!ハハハ!グハハ!アハハハッ!!」


緑色の男が怒っているのに、何だか親分は楽しそうに笑い声を上げた。
それを聞いて、あたしはとても安心したんだ。
だって、親分喜んでる。あれは強い奴と戦えることを心から喜んでいる時の笑い声だ。


「アハハハッ!!そういうことかい。悪かったな。じゃあ素手でやり合おう!!」

「いや全く分かってない感じがする。まず……」


炭治郎が伊之助を落ち着かせようと話しかけるが、話の途中で伊之助は素早く体制を立て直し、炭治郎に向かって突進していく。
それを見て炭治郎が焦ったように言葉を続けた。


「隊員同士でやり合うのが駄目なんだ!素手だからいいとかじゃない!!」

「はっはーーっ!!」


伊之助が素早く回し蹴りを繰り出し、炭治郎がそれをスレスレでかわす。
それからは怒涛のような攻防が続いた。
攻撃の手を一切緩めない伊之助の攻撃を炭治郎はひたすら避け続け、なんとか相手をしているが、このままでは埒が明かない。
だから炭治郎は伊之助の動きをよく見て、低く低く回し蹴りを繰り出した。
しかし、伊之助の有り得ないくらい柔軟な身体はそれを易々とかわし、炭治郎に反撃のかかと落としを脳天に食らわせた。
見事なかかと落としに炭治郎は地面に倒れ込んだ。


「凄いだろう俺は!!凄いだろう俺は!!」

「こんなこともできるんだぜ!!アハハハハハハ!!」


炭治郎に一撃入れることに成功した伊之助は得意げになって笑い声を上げた。
そして肋の折れている筈の身体でぐにゃりと体を複雑に仰け反らせて、己の身体の柔らかさを主張し出したのである。
しかしそれを黙って見ていられる炭治郎ではなかった。


「やめろそういうことするの!!骨を痛めている時はやめておけ悪化するぞ!!」

「悪化上等!!今この刹那の愉悦に勝るもの無し!!」

「将来のこともちゃんと考えろ!!」

「んなこと知るかァ!!」

「ちょっと落ち着けェ!!」

ゴシャッ!!

「うわぁぁぁ!!音!!頭骨割れてない!?」


まるで話を聞かない伊之助に、炭治郎はもう我慢ならないと伊之助の額に頭突きを食らわせたのである。
ゴシャッというかなりやばい音を立てて伊之助の身体がぐらりとよろめく。
耳のいい善逸はその音が特にはっきりと聞こえてしまったようで、真っ青に青ざめた。
自分が頭突きを食らった訳ではないのに、まるで自分がそれを受けたかのように額を抑えて青ざめたのである。
脳天に強烈な頭突きをまともに食らってしまった伊之助は、ふらふらとしていて、立っているのがやっとのようだった。
するとズルリと伊之助の被っていた猪頭の被り物が地面に落ちた。
今まで隠されていた伊之助の素顔が曝け出される。
その意外すぎる顔立ちに、善逸は戸惑い、混乱した様子で声を上げた。


「女!?えっ!?顔…!!?」

「何だコラ……俺の顔に文句でもあんのか……」

「君の顔に文句はない!!こぢんまりしていて色白でいいんじゃないかと思う!!」

「殺すぞテメェ!!かかって来い!!」

「もうかかって行かない!!」

「もう一発頭突いてみろ!!」

「もうしない!!君はちょっと座れ!!大丈夫か!!」

「おいでこっぱち!!俺の名を教えてやる。嘴平伊之助だ!!覚えておけ!!」

「どういう字を書くんだ!!」

「字!?じっ……俺は読み書きができねぇんだよ!!名前はふんどしに書いてあるけど……」


その時、伊之助の動きが不意にピタリと止まった。
突然何も言わなくなった伊之助に、炭治郎と善逸たちは怪訝そうな表情を浮かべる。


「とっ……止まった?」

「……」

「親分!親分どうしたの!?」

「………」


そして伊之助の身体はぐらりと傾いて、仰向けに倒れ込んだのである。
地面に倒れ込んだ伊之助は白目を向いており、何故か泡を吹いて気絶していた。
あまりにも突然の事態に祈織は慌てて伊之助に駆け寄った。


「親分!!伊之助親分!!しっかりして!!死んじゃやだーー!!」

「嘘嘘!!?嘘でしょ!?死んだ?死んだの!?」

「いや、死んでないぞ。多分脳震盪だ。俺が力一杯頭突きしたから……」

「うわーーーん!!伊之助親分ーーー!!」

「……話聞いてないな?」


突然倒れた伊之助に動揺して慌てふためく善逸と、すっかり死んだと思い込み、伊之助の身体にしがみついて泣き喚く祈織。
炭治郎だけが冷静であり、祈織に死んでないことを説明してやるが、すっかり動揺している祈織はまるで話を聞いていなかった。


「伊之助おやぶーーーん!!」

「だから!!死んでないぞ!!」


炭治郎の話をまるで無視して泣き喚く祈織に、炭治郎は全力でツッコムのであった。

- 4 -
TOP