第3話

高専には天元様という存在がいる。
不死の術式を持った呪術師で、高専の結界を担っているお方らしい。
人間が不死を得るなんて、この世界は本当に、常識では考えられないようなことが多い。
その天元様は500年に一度、星漿体と呼ばれる天元様と適合する人間と同化する必要がある。
悟くんと夏油先輩がその星漿体の少女の護衛をすることになって、私たち一年組もまたそのサポートとして沖縄に来ることになった。
何故沖縄に来ることになったのか。それは星漿体の少女の世話役をしていた女性が交渉の人質として反勢力の一つに攫われてしまったからだ。
引渡しの場所として指定されたのが沖縄で、私たち一年生は彼等が移動手段を奪うために沖縄の空港を占拠する可能性を考え、それを阻止するためにやって来たという訳である。

「どう考えても、一年に務まる任務じゃない。」
「僕は燃えてるよ!夏油さんにいいとこ見せたいからね!」
「あらあら、灰原くんは本当に夏油先輩が好きなんですね。」

沖縄、那覇空港にて、私たちは空港に怪しい動きをする呪詛師がいないかを見張っていた。
沖縄は東京と違って呪詛師の数が圧倒的に少ないので、現れればすぐに分かるだろう。
それでも一年の任務にしては苦が重すぎると七海くんは不服そうな顔で呟いた。
そんな彼を励ますように灰原くんが声をかける。彼は夏油先輩に憧れを抱いているらしく、目を輝かせて語り出した。

「勿論だよ!夏油さんは本当にすごくって!僕の憧れなんだ!それにいたいけな少女のために先輩たちが身を粉にして頑張ってるんだ!僕たちが頑張らない訳にはいかないよ!」
「台風が来て空港が閉鎖されたら頑張り損でしょう。」
「まあまあ、用心に超したことはないのですから。」

私が七海くんを宥めるようにそう言えば、灰原くんがこちらを見て話しかけてきた。

「そう言えばさ、胡蝶って最近ずっとその蝶の髪飾りしてるよね。五条さんに貰ったの大切にしてるんだな!」
「ちょっ…と待ってください。何故これが五条先輩から貰ったものだと知っているんですか?私話してませんよね?」
「うん?」
「前に五条さんが自慢げに私たちに話してきたんですよ。」

七海くんの一言に、私の顔は盛大に引きつった。
ちょっと悟くん。何勝手に話を広めてるんですか?
灰原くんや七海くんに話しているということは、当然夏油先輩や家入先輩にも話してますよね。
ここ最近の私を見るお二人の目がどこか生暖かいものだったのは、気の所為ではなく貴方のせいですか。
どうしてくれるんですか。そんなこと知らなかったから、ずっとこの髪飾り使ってたんですよ。
その度に悟くんはニヤニヤ笑ってましたよね。貴方のことは別に気にしてませんでしたけど、先輩方や同級生にまで髪飾りを喜んでつけていたのかと思われていたなんて、そんなの恥ずかしすぎる。
なんてことだろう。今更外してもそれは逆に意識しているようで余計に恥ずかしいことになりそうだ。これでは外すに外せない。
本当になんてことをしてくれたんだあの馬鹿は!
私はこの場にいない婚約者に向けて、殺意にも似た感情を飛ばしていた。
私が怒りでプルプルと震えていると、それを七海くんは何か言いたそうに見ていた。

「大変ですね胡蝶も。」
「……ええ、本当に。」
「五条さんは胡蝶のことがそれだけ好きだってことなんだよ!」
「どうでしょうね。私たちは飽くまでも形だけの婚約者なので。」
「それって、胡蝶は五条さんのこと好きじゃないってこと?」
「友人としては好きですよ。私たちの婚約は五条家が勝手に決めたことなので、私たちに異性としての感情はないんですよ。」
「うーん、そうかなぁ?五条さんは胡蝶のこと、本気で好きだと思うけど……」
「そんなことはないですよ。」

確かに小さい頃は結婚しようなどと言われて約束したことがあったが、あれは飽くまでも子供の頃の約束だ。
仮にあの時悟くんが私を好きになっていたとしても、きっと今は違う。
私は五条家に留まるつもりはないのだ。悟くんとの婚約をさっさと破棄して、自由の身になりたい。
呪術師として生きていくことは仕方ないとしても、自分の生きる道筋くらいは自分で決めたいのだ。
それに悟くんにはちゃんと自分で好きになった人と幸せになって欲しい。
親が勝手に決めた許嫁などではなく、ちゃんと想い合った人と。
――その時、制服のポケットに入れていた携帯がブルブルと震えた。
誰からの電話だろうかと、不思議に思って携帯を手に取ると、ディスプレイには「五条悟」の名前が表示されていた。

「……五条先輩からですね。」
「何かあったのかな?」
「少し失礼しますね。」

何かあったのだろうか?七海くんたちも少し緊張した面持ちで私が電話に出るのを促す。
二人に断ってから通話ボタンを押すと、悟くんの少し焦ったような声が聞こえてきた。

「もしもし、五条先輩?」
「しのぶ!すぐに来てくれ!」
「どうしたんですか?何かありましたか?」
「いいから、何も聞かず指定した場所に来てくれ!しのぶだけな!」
「分かりました。すぐに向かいます。」
「急いで来いよ。場所は……」

指定の場所を告げると、悟くんは念入りに「急げよ」と言って性急に電話を切ってしまった。
何も説明されないまま電話を切られてしまったが、あの悟くんのどこか切羽詰まったような声の様子から、急いで向かった方が良さそうだ。

「どうした胡蝶 ?五条さんなんだって?」
「よく分かりませんが、私だけ先輩方の所へ向かうようにとの事でした。もしかしたら治療が必要な事態になっているのかもしれません。」
「兎に角指示通りに胡蝶は向かってください。ここは我々だけで何とかします。」
「お願いしますね。」

空港の警備を二人に任せ、私はタクシーを途中で拾って急いで指定された場所に向かったのだった。



*****



「めんそーれー!!」
「……これは、一体どういうことでしょうか?」

大急ぎで指定された場所に向かえば、そこは海だった。
関東ではもう海のシーズンは終わってしまったが、暖かい沖縄ではまだまだ泳げる気候である。
だからという訳ではないのだが、何故か水着姿で私を出迎えた悟くんたちに、何となく状況を察して私はこめかみを押えながらそれでも念の為にと尋ねた。

「何って見てわかんね?海水浴だよ!しのぶも遊ぼーぜ!」
「……はい?あなた方はこの状況で何をやってるんですか?」

悪びれる様子もなく、楽しげにそう言ってきた悟くんに、私はイライラしながらも笑顔を貼り付けてそう言った。
こっちが真面目に任務を行っている時に、この人達は何を遊んでいるのか。
星漿体の少女に何かあったらどうするんだ。真面目にやれ。
そんな気持ちが笑顔の裏で盛れ出していたのか、夏油先輩が苦笑しながら私に声をかけてきた。

「すまない胡蝶。悟がどうしても海水浴すると聞かなくてな……」
「おいおい傑。お前だって天内が楽しめるようにって同意しただろ!人のせいにすんじゃねーよ!」
「だからって任務中の胡蝶を呼び出すことないだろ?」
「はあ!?しのぶも沖縄来てんだから呼ぶのは当たり前だろうが!この面子だけで遊ぶよりも、しのぶがいた方が何倍も楽しーての!」
「彼女を困らせるなと言ってるんだ!いくら婚約者だからと言っても、任務に私情を挟むな!」
「ああっ!?俺がどうしようが勝手だろ!しのぶの水着姿見てーんだよ!」
「任務中は真面目にやれと言ってるんだ!」
「……あの〜、もう良いですか?」

私を置いて勝手に喧嘩を始めた二人に、いい加減にしろと言いたげに笑顔に圧力を込めて遮れば、二人は真っ青な顔をして黙り込んだ。

「要するに、悟くんは任務中に遊び始めたと。そして私が同じ沖縄に居ることをいい事に、私情で呼び出したと言うことでいいですか?」
「あっ、ハイ。」
「夏油先輩もそれに乗ったという事ですね?」
「あっ、いや。胡蝶、私は……」
「何かいい訳でも?」
「……いや、なんでもない。」
「お二人共、後でお説教しますね。」

悟くんと夏油先輩をにっこりと威圧的な笑みを浮かべて見上げれば、二人はますます青ざめた顔で「……はい。」と小さな声で頷いた。
まったく、悟くんにも困ったものです。きっと星漿体のお嬢さんに気を使ってあげたのでしょうけど、私まで巻き込むのは褒められたことでありません。
灰原くんや七海くんに後できちんと謝らせましょう。問題は……
私はちらりと悟くんの隣にいる女の子へと目を向ける。恐らく彼女が星漿体なのでしょう。
その彼女の隣にいる女性が人質にされた世話役の方ですね。ここに居るということは、無事に救出できたということ。
それは良かったのですが、なんとも緊張感のない。
まあ、悟くんと夏油先輩は性格は最低ですが、優しい所もある人達です。
きっと、明日には天元様と同化することになるこのお嬢さんに、最後に自由を与えたかったのでしょうね。
でもそれは、ある意味では残酷なのではないだろうか。
明日には自我も消えて、全くの別人になる運命の少女に僅かな自由を与えるのは、優しさのようでただのエゴのように思う。
二人もそれは分かっているだろうに……何か考えがあるのだろうか。
私がじっと星漿体の少女、天内さんを見ていると、彼女もまたこちらを見ていたようで、目が合った。
思わず反射的ににっこりと笑顔を浮かべると、彼女はポーと惚けたように私を見た後で、すごい勢いで悟くんに詰め寄った。

「この人が五条の許嫁か!お前みたいなクズには勿体ないくらいの美人じゃな!」
「おい一言余計だ!」
「貴女が天内理子さんですか?」
「そうじゃ!妾が天元様となる者じゃ!」
「そうですか。ではこちらの方は?」
「あっ、私は理子様の世話役の黒井と申します。」
「私は胡蝶しのぶと申します。」
「……すげえ、天内の口調に一切ツッコまねぇ。」
「流石だね。笑顔をまったく崩さない。」

そこのお二人はちょっと黙っててもらえませんか?
そんなことを言いかけて口を噤む。ここで二人に説教を始めては私まで同類になってしまう。
それにしてもこの天内というお嬢さんはかなり独特の話し方をするようですね。
所謂厨二病というものでしょうか?可愛らしいですね。
ニコニコと笑顔を張りつけながら私は二人と話をする。

「のう、お主は五条が好きなのだろう?どうしてこんなクズみたいな奴を選んだんじゃ?」
「悟くんから何を聞いたのか知りませんが、私たちは一族が勝手に婚約の話を決めただけであって、そこにお互いの気持ちはありませんよ。」
「はっ!?」
「なんだ、そうなのか?つまらんのぅ。」

悟くんから私のことは聞いていたらしく、天内という子は仕切りに私と悟くんの関係を尋ねてきた。
まだ中学生だし、恋とか気になる年頃なのだろうか?それとも悟くんに気が?それはやめておいた方がいい。こんないたいけなお嬢さんが悟くんのようなクズの毒牙にかかるのは可哀想である。
私が天内さんに忠告しようと口を開こうとした矢先、悟くんに突然手を掴まれた。
驚いて彼を見上げると、彼は何故か焦ったような顔をしていた。

「どうしたんですか?」
「一族が勝手に決めたってなんだよ?」
「……はい?何とは?」
「俺との婚約だよ!」
「だって、婚約の件は貴方のお父様が勝手にお決めになったことですよね?」
「はあ!?ちげーわ!お前との婚約は俺が親父に頼んでそうしてもらったんだよ!」
「えっ!ちょっと待ってください。そんなの知りませんよ!?」

今聞き捨てならないことを言われた気がする。
私との婚約は悟くんが頼んだと?そんなの知りませんよ!
私が焦ったように言えば、悟くんは怒ったように口調を荒らげる。

「はあ!?俺とお前でガキの頃約束しただろうが!」
「まっ……さか、あんな子供の頃の約束を本気で?」
「……っ、本気にして悪いかよ!」

悟くんが真っ赤な顔でそう叫ぶ。でもその表情は少しだけ傷ついようにも見えて、私はなんだか彼に悪いことをしてしまったなと思った。
あの時、彼はきっと本気で私と結婚すると言ってくれたのだろう。
私はそれを子供のうちだけの口約束だと軽く見て、簡単に頷いてしまった。
だけど彼の気持ちは今もきっと変わらなくて、だから私が婚約破棄をお願いしても断り続けたのだろうか。
それならば、悟くんは今も私が好きということなる。
嗚呼、私はそんな彼の気持ちを理解しようともしなかった。
いや違う、本当はとっくに気付いていたような気がする。でも、私はそれを認めるのが怖くて、気付かないふりをしていたんだ。
そして私は、出来ることならずっと知りたくなかったと思ってしまった。
知らなければ、ずっと適当な理由をつけて知らないふりを続けられたのに。
妙な罪悪感が心を支配する。けれど気まずくもなりたくなくて、私は必死に笑顔を貼り付けた。

「そうだったんですね。全然気が付きませんでした。」
「お前が鈍すぎるんだよ!俺が納得しない親父たちを説得するのにどれだけ苦労したと……1年も掛かったたんだぞ!」
「そんなこと言われましても……」
「それなのにお前は婚約破棄だのなんだのと!」
「なんじゃなんじゃ!やはり二人は想い合ってるのか?」
「それは秘密ですね。」
「はあ!?それどういう意味だしのぶ!」
「詳しく話すのじゃ!」
「嫌です。」

それからどんなに聞かれても、私は絶対に答えなかった。
それから特に用もないのなら空港に帰ると言う私に、悟くんは先輩命令だとか訳の分からないことを言って何かの袋を押し付けてきた。

「……なんですかこれ?」
「水着。」
「……私まで遊ぶ必要あるんですか?」
「ここまで来たんだから付き合えよ。先輩命令!」

こんな時ばかり先輩の立場を利用してくる悟くんにため息が出る。
私が諦めたようにもう一度ため息をつくと、渋々水着の入った袋を受け取った。

「……変なの選んでませんよね?」
「すっげー際どいビキニの……「帰ります」嘘だって!ちゃんとまともなやつ選んだよ!」
「……」
「私も一緒に選んだから大丈夫だよ。」
「……夏油先輩の言葉を信じます。」
「なんでだよ!!」

悟くんの不満そうな叫び声を無視して、私は水着に着替えるべく更衣室に向かったのだった。
かなり不安であったが、ごく普通のデザインの水着であったことに、心底ほっとした。
ただ一つ、何故かサイズがピッタリだったことに関しては後で問い詰めようと思う。

- 4 -
TOP