第274話「それぞれ動き出す」

「――彩乃が猿面の連中に攫われた!?」
「はい、鮎が取れたので、夏目の姐さんに自慢しようと学校とやらへ行きましたら……」

森の中で、ヒノエ、三篠、川河童が何やら話をしていた。
話によると、どうやら川河童は学校で猿面の妖たちに追い掛けられている彩乃を見掛けて、慌ててヒノエたちに助けを求めに来たようだ。
川河童から彩乃が猿面の妖たちに攫われたと聞いたヒノエは、顔面蒼白になって震えていた。

「東方の猿面の一団といえば……確か六花という名のある妖が率いる森守りの衆だったはず。それが人の子を攫うなんて、何をとち狂ったんだ!しかもよりによって私の彩乃に手を出すなんて!!」
「……夏目の姐さんはヒノエさんのじゃないっスよ。」
「――あの辺りにある祓い屋の別邸がまた機能し始めたようだ。対抗するための力が……友人帳が欲しいのだろう。夏目殿も本当に面倒なお立場よ。さっさと友人帳など手放せば良いものを。ヒノエ。お前だって本当に夏目殿を想うなら、さっさと友人帳など取り上げて、そんな物は忘れさせて、人の世だけに生きられるようにしてやれば良いものを。」
「……彩乃はそんなことは望まない。」

三篠の言葉に、ヒノエは淡々とした声色で答える。

「――そうだろうか。……人の心はわからんなぁ」

三篠は本当に不思議そうに呟いたのであった。

******

その頃ニャンコ先生は、彩乃を助ける為に学校へとやって来ていた。
学校には幸いにも、リクオがまだ残っていた。
いつものように雑用をこなしていたリクオに、ニャンコ先生は手短に事情を話した。(氷麗は夕飯の準備の為に先に帰っている)

「――なんだって!?彩乃ちゃんが!?」
「ああ、あの的場に捕らえられた。」
「大変だ!すぐに助けに行かないと!案内して斑!」
「分かっている。」
どろん! 

ニャンコ先生はリクオの言葉に頷くと、本来の姿である斑の姿に戻った。

「――乗れ。」
「うん!」

リクオが斑の背に乗ると、斑は空高く飛び上がった。
急上昇したことで呼吸が苦しくなるが、リクオも斑も構わず猛スピードで空を駆け抜けた。

「――っ。」
(待ってて、彩乃ちゃん……!)

*******

「……」
「――まあ、お茶でもどうぞ。」

一方の彩乃は、座敷牢から出してもらえたのはいいが、何故か的場とテーブル越しに向かい合い、お茶を共にしていた。
彩乃は差し出されたお茶には一切手をつけず、とても不満げな仏頂面で的場をじっと睨み付ける。
そんな彩乃などまったく気にしていないかのように、にこにこと微笑む的場が実に腹立たしかった。

「大丈夫ですよ。毒なんか入っていません。」
(うそくさ!!)

的場の言葉に彩乃は心の中で全力でツッコんでいた。

「…………(先生は無事かな……)」

彩乃は手に持っている猿面の妖が封印された黒い壺をそっと握り直すと、小さくため息をついた。

「……随分と苦労したようですね。夏目彩乃さん。」
「――っ」

ハッと息を呑んだ。
彩乃は一瞬何を言われたのか理解できずに、ただ茫然と目を大きく見開いて的場を見つめていた。

「……何で……私の、名前……」

すると的場はニヤリと口角を釣り上げて怪しく微笑むと、話し出した。

「七瀬から聞きました。少し調べればすぐ解る事ですし。」

的場はお茶を一口啜ると、コトリと湯飲みを置いた。

「――お祖母様は貴女と同じで妖を視る人だったのですね。ご両親が亡くなってから、親戚筋を転々とさせられたそうですね。その親戚の中には、貴女に手をあげる者もいたとか……施設に保護されたこともあるけれど、君の言動で怖がった子供たちが転んで何人か怪我をしたとか。
――いや。ご立派なご親戚だ。人様の子に怪我をさせるくらいならと、身内の中で災厄の種を抱えることにしたのだから……」
「……っ」

彩乃はぎゅっと膝の上に置かれた拳を握り締める。
的場が自分の過去を一つ一つ語る度に、彩乃の顔色が青ざめていく。
そんな彩乃の様子に、的場はとてもとても優しげに微笑むと、囁くように言うのだ。

「――無理解な人間と共に生活するのはさぞきついことでしょう。その点、私は幸いでした。祓い屋の家に生まれたのですから……夏目さん。今預かってくれている藤原夫妻は、君を理解してくれていますか?」
「――っ!」
バンっ!

ギリッと歯を噛み締めると、彩乃は両手をテーブルの上に叩きつけて立ち上がった。

「――あなたには関係のないことです!……帰ります。」

彩乃は踵を返すと、その場を去ろうとした。すると……

ぱしっ! 
「待ちなさい。」
「……離してください。」

的場に腕を掴まれてしまった。彩乃はなるべく怒りや動揺を悟られまいと、冷静を装う静かな声で手を振り払おうとする。

「まだ話は終わっていませんよ。」
「私は話すことなんてないです。」

彩乃は的場の腕を無理やりにでも振り払おうと、腕を捻る。しかし……

ぐいっ!
だんっ!
「――いっ!」

的場に腕を掴まれたかと思えば、一瞬にして視界がひっくり返った。
背中を床に叩きつけるようにして押し倒され、彩乃は打ち付けた背中の痛みに顔を歪めた。
持っていた壺もコロコロと転がってしまう。

「やれやれ、手荒なことはしたくなかったんですが……」
「どの口が言うんですか!」

的場は彩乃の体に乗り掛かると、逃げられないように両腕を床に縫い付けるように押さえつけてしまう。
彩乃はせめてもの抵抗に、自由になっている足をバタつかせるが、全くの無駄に終わった。

「どいてください!」
「それはできません。」
「……っ!」

にこやかに微笑む的場に負けないように、必死に強気な態度で睨み付ける彩乃。

「――夏目さん。的場一門に入りなさい。」
「……え。」

的場の口から出たまさかの言葉に、彩乃は抵抗するのも忘れて、的場の目を見つめてしまったのであった。

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