第282話「BLすかぁ?」

あんな騒ぎがあった直後で何事もなかったようにすぐに眠りにつくことなんてできる筈もなく、私たちは品子さんの部屋に集まって情報交換をすることになった。
家長さんと私が見たものが本当に邪魅なのか、そもそも邪魅とは何なのか。私たちは何も知らないのだ。

「そういうことなら……秀島神社にいる神主さんに聞いた方がいいと思う。この土地の歴史について詳しいから……」
「品子さん?」

品子さんに邪魅について尋ねたところ、そう返された。
自分はあまり詳しくないからと言って、それ以上何も言おうとしない品子さんに、私は小さな違和感を感じた。

(……気のせい?何だか品子さん、何かを知っているけれど言いたくなくて話を逸らしたような気がした。ただの……考えすぎかな?)

邪魅について尋ねた時に、品子さんが妙に気まずそうな表情をしていたのが気になった。
けれど本当に自分の勘違いだったかもしれないし、ただの勘違いで品子さんを疑いたくない。
詳しい話は明日、神主さんに聞けばいいのだから……
私はそう自分に言い聞かせて、変な思考を振り払うように頭を振った。
それからみんなは流石に遅いからと再び寝ることになった。
男の子たちも流石に二度も邪魅が出てくることはないだろうということで部屋に戻るようだ。
けれど部屋に戻る直前に、リクオくんに肩を叩かれた。
驚いて彼を見ると、リクオくんは人差し指を口元に持ってきて静かにするように合図する。
そして小声で内緒話をするように私の耳元で「後で外で会おう」と囁いた。
私はその一言でリクオくんは何かに気付いたのだろうと察した。
だからコクリと小さく頷いて、1度別れたのだった。



みんなにはトイレだと嘘をついてこっそりと部屋を出てきた。
品子さんの部屋を出て少し離れた縁側に、リクオくんは座っていた。
月明かりだけがリクオくんを照らし、そこだけ世界が違うように彼を浮き彫りにさせる。
一人でぼんやりと月を見上げるリクオくんは、普段の見慣れた彼とは少し雰囲気が違うように見えた。
今は昼の、人間のリクオくんであるはずなのに、どちらかというと夜のリクオくんに雰囲気が似ていると思った。
リクオくんには夜が似合う。
それは人間のリクオくんでも、妖怪のリクオくんでも同じ。
どちらも同じリクオくんなのだから当たり前と言ってしまえばそれまでだけど、昼のリクオくんはどちらかと言えば月。そして夜のリクオくんは桜が似合うと思う。
いつか昼のリクオくんも背が伸びて、夜のリクオくんと同じ背丈になるだろう。
今は違う二人。だけどいつかそれは比べる必要もないくらい、奴良組にとって頼もしい存在になるだろう。

(――その時、私はリクオくんの隣にいるのかな……)

私はまだ……リクオくん気持ちに答えを見つけられていない。
そんな私がリクオくんの隣にいる資格があるのだろうか。

「――彩乃ちゃん?」
「っ!」

リクオくんをじっと見つめたままぼんやりと立っていたせいか、リクオくんが視線に気付いたようだ。
不意に声をかけられてはっと意識が戻ってくる。
リクオくんが優しげな目でこちらを見ている。
この人は私が好きなんだなとふと考える。
それは嬉しいと思う。だけど、その気持ちが恋なのかと問われれば違うと感じる。
私はまだ……この気持ちに答えを見つけられていない。
私は小さく頭を振るうと、リクオくんに近づく。

「遅くなってごめんね。」
「ううん、そんなに待ってないよ。」

まるでデートの待ち合わせに遅刻してきた恋人同士のような会話をしていることに、2人は気付いていない。
彩乃とリクオはにっこりと笑い合うと、リクオが自分の隣をぽんぽんと叩くので、彩乃も自然にリクオの隣に座る。
そうして2人は自分たちの間に起きた出来事を情報交換とばかりに話し始めるのであった。

「――妖怪じゃない?」
「うん、僕が見たのはそうだと思う。まるで妖気を感じなかったんだ。」
「でも、確かに”何か”はいたんだよね?」
「それは間違いない。」
「……どういうことなんだろう。」

リクオくんが昨日見た怪しい影が妖怪ではないということは、別の何かだということになる。
幽霊?それとも神?それともまた別の存在だろうか?
この世には妖怪以外にも色々な異形の存在がいるらしい。
悪魔とか妖精なんてものもいるらしいけど、私は今のところ妖と神くらいしか見たことがない。
昨日私のところに現れた存在は間違いなく妖だった。
私はまだ妖気というものをはっきりと感じられないけれど、昨日の「あれ」から感じた気配はいつも妖と会うと感じる重々しい空気だった。

(――あれが妖気なんだろうか?今まで意識したことなかったから、わからないけど……)

私が見た存在が邪魅なのかもまだわからない。
私とリクオくんの情報でわかったことは、品子さんはどうやら妖以外の存在にも狙われているということ。
この事件、思ったよりも複雑なのかもしれない。
本当に私たちだけで解決できるのだろうか?
私はどうにも落ち着かない不安を胸に、翌日の朝まであまり眠ることができなかった。



「そう……また出たのですか……邪魅には本当に手をやかされる。」

翌日になって神社に向かった私たちは、神主さんから邪魅に関する伝承を聞かせてもらうことになった。

昔、この町が秀島藩と呼ばれていた頃。大名屋敷があったのだという。
そこには名前は定かではないが、非常に君主に忠実な若い侍がいたという。
勤勉でよく働き、何よりも君主定盛を心から尊敬していたその若い侍は、やがて定盛の目に止まり、定盛もその侍のことを信頼して大層可愛がったという。
腕もたった侍はまたたく間に出世していき、いつしか定盛の片腕とまで呼ばれるようになった。
だが……その侍をよしと思わぬ者がいた。定盛の妻である。
彼女は何をするにも一緒な二人の仲の良さが気に食わなかった。

「え……?妻が部下(男の人)に嫉妬したんですか?」
「そういうことだね。」
「「?」」

途中まで神主さんの話を聞いていた私たちだったけど、邪魅の生前と思われる侍の話に理解できない内容が出てきたことで、首を傾げてしまった。
それは私と家長さんだけではないようで、リクオくんと透ちゃん、田沼くん、清継くんも不思議そうに首を傾げていた。
何故、妻が部下に嫉妬するのだろう?
同じ主に仕える家臣同士ならわかる。きっと出世や主への信頼を独占している事への嫉妬とかだろう。
逆に女の人同士なら恋慕による嫉妬とかだろうか?後はやはり裕福な妻という立場への憧れとか……
同性同士の嫉妬やいざこざならまだ理解できるのだ。
どうして妻は侍に嫉妬したのだろう。
私が妻の立場だったら、逆に優秀で信頼のおける部下が夫の傍にいてくれたら安心するものだと思うけど……
うーんうーんと頭を捻って必死に考えているけれど、どうしても妻の気持ちがわからない。
すると巻さんが突然手を上げて口を開いた。

「BLすかぁ?」
「何それ!?」
(びーえる?何かの略称かな?)

巻さんの言葉に一部の人は納得したようで、島くんと鳥居さんはうんうんと元々話の内容がわかっていたようで、とても力強く頷いている。
田沼くんと透ちゃんと家長さんは最初はわかっていなかったようなのに、BLという単語を聞いた途端に話を理解したらしい。

(え?というかみんな知ってる単語なの?)

思わず焦ってキョロキョロと周りを見回せば、リクオくんと清継くんはまだ不思議そうな顔をしていた。その事にホッとする。

(――よかった。知らないのは私だけじゃないみたい。)

いったいBLとは何なんだ?と思っていたら、清継くんがスマホで既にググっていた。

「え〜と、BL…BL…男同士で愛し合うことだ!」
「……ああ、なるほど。」

BLとはボーイズラブの略らしい。みんなが納得した理由がちょっとわかった。
恋愛には人それぞれ色んな形があるし、定盛と侍の間にそういう関係があったのかなかったのか。
事実はどうであれ、妻が嫉妬するくらいには仲が良かったということなのだろう。
みんながやっと意味を理解したところで、神主さんがまた話の続きを語り始めた。

「当時の言葉で衆道ね。少なくとも妻にはそう見えたんだろう。」

嫉妬した妻は君主のいない時に言われのない罪をきせ、侍を屋敷の地下牢に閉じ込めてしまった。
その時だった――海沿いにあるこの町を大津波が襲ったのは……
後に「地ならし」と呼ばれた程の大量の海水。
町の者はほとんど高い丘に逃れたが、地下にあった屋敷の牢は瞬く間に海水がなだれ込み、若い命を散らしてしまった。
それ以来、この町では彷徨う侍の霊が度々目撃されるようになる。
水にまみれ、風にまぎれ、邪魅と呼ばれる妖怪が生まれたんだ……

「邪魅というのは恨みを買った人間を襲う妖と言われている。この地には……まだ恨みを買った大名家の血筋が残っている。」
「えっ!?ということは……まさか!?」

清継くんが何かに気付いた様子で品子さんの方を見る。
それに釣られるようにみんなも品子さんに視線を向ける。

「そう……つまり品子ちゃんはその大名家……秀島藩藩主。『菅沼定盛』の血筋……その直径にあたるんだよ。」
「……」

神主さんの言葉に、品子さんは嫌そうに眉をしかめて険しい表情を浮かべる。

(あっ、そうか……)

品子さんが隠したがっていたのはこの事だったんだ。
そうだよね。自分の口から、自分の血筋が恨まれているなんて言いにくいもの。
あの時の品子さんが妙に言いにそうにしていた理由がわかり、私はやっと引っかかっていたものが解けていくのを感じた。
それと同時に、複雑な気持ちになる。
確かに君主の妻が侍にしたことは非道で許せるものではない。
恨みつらみが簡単に消えるものではないのも仕方ないだろう。
だけどそれはあくまでも妻の罪であって、品子さんが何かをした訳ではない。
ただ、その一族の末裔に生まれてしまっただけで、なんの罪もない品子さんが襲われるのはどうしても理不尽に感じた。

「知らなかった!だから襲われてたんだ!」
「この神社はその霊魂を鎮めるためにできたんだ。」
「なるほど……だから表に”邪魅落とし”の看板が出てたんですね。」
「そうそう、よく見てるね。」

清継くんが興奮気味に神主さんと話している。
その時、品子さんが突然テーブルを強く叩いて立ち上がった。
突然大きな音を立てて立ち上がったことで、みんなの視線が品子さんに集まる。

「そんなこと言って!まったく効かないくせに!」
「品子ちゃん……」
「もうたくさんよ!鎮めるって……一向にいなくならないじゃない!」

その悲痛な叫びは、どれだけ品子さんが追い詰められているかを訴えているかのようだった。

「力が及ばないことは返す言葉もないが、邪魅の恨みが強すぎる場合は落とせない場合もあるんだ。憑き物落としができなかった家はみんなこの町を去った。さもなくば”最悪”のことになるかもしれないのだから……」

それは最悪、邪魅に呪い殺されるということだろうか?
最初は枕元に立ったりするだけだった邪魅が突然品子さんを襲うようになった理由。
もしかしたら邪魅以外の存在にも狙われている可能性。
なんだろう。なんだか引っかかる……

神主さんから話を聞いた後、私たちは神社を後にした。
みんな無言のままで、私たちの間には気まずい空気が流れていた。
町を歩いている途中、近所の人たちと思われる人たちが品子さんを遠巻きに見て、ひそひそと噂話をしているのを聞いた。
邪魅に関する噂はこの町ではやはり有名らしい。
まるで厄介者のように品子さんのことを恐れ、遠巻きに噂する彼女たちにとっても悲しい気持ちになった。
そんな暗い空気を振り払うように、突然清継くんが「よし!」と大きな声を上げて手を叩いた。

「海に行こう!」
「……へ?」
「気分を晴らすには海が1番!」
「どーした清継くん!?」
「作戦を練るにも気分が落ちてちゃー出るもんも出ないよ!この際パーっと行こうじゃないか!?」
「いい!ナイスアイデア清継くん!」
「やっと海ーー!」

流石に清継くんも重い空気を良くないと思ったのか、いつもは妖怪調査を優先しそうな清継くんの口から、珍しく海で遊ぼうと提案され、海を楽しみにしていた巻さんと鳥居さんはとても嬉しそうに盛り上がる。
良かった。これでみんなの気分も少しは明るくなるといいな。
そう思ったのは私だけではないようで、隣にいるリクオくんを見ればにっこりと笑っていた。

「そうと決まればさっそく水着に着替えて行こう!」
「やっと泳げるー!」
「……え?ここ漁船があるだけで泳げないわよ?」
「「……はい?」」

品子さんがそう言うと、盛り上がっていた巻さんと鳥居さんがぴたりと動きを止める。
そうしてもう一度確認するように品子さんを見ると、品子さんは困ったように海を見る。

「この町はカニの産地で有名だけど、残念ながら遊泳はできないの。」
「しまった!本当だ!」

清継くんは慌ててスマホで情報を検索したのか、画面を見ながら青ざめている。
それにブチギレたのは誰よりも海を楽しみにしていた巻さんたちで、二人は清継くんの胸ぐらを掴むと女の子の力とは思えない勢いで清継くんの体をガクガクと揺さぶりだす。
清継くんの絶叫が周囲に木霊し、私たちはそれを呆れた気持ちで見つめていた。

「……ふふ。」

清継くんが血祭りに上げられそうになっているのをそろそろ助けた方がいいだろうかとオロオロとしていると、クスリと品子さんが静かに口角を釣り上げて笑ったのに気付いた。

「ありがとう。元気……出たよ。」
「え?どして?私たち特に何もしてないよ?」

巻さんが困惑した様子でそう言うと、品子さんは小さく首を横に振った。

「ううん、みんなが来てくれただけで……心強いの。」

そう言って品子さんの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
きっと長いこと不安で笑うこともできなかったのだろう。

「邪魅の出る家は……町の人からもあまりよく思われないから……清十字団(みんな)みたいな仲間がいるってことが本当に私は……嬉しいの!だから、ありがとう。本当に来くれて……ありがとう。」

そう言って丁寧に頭を下げる品子さんの背中が妙に小さく見えて、私は少しだけ胸が締め付けられた。
きっと、今日まで本当に辛かったのだろう。苦しかったのだろう。怖かったのだろう。
誰も頼れなくて、何もできなくて。訳の分からない恐怖にずっと怯えていたんだろう。
なんとかしなくちゃ。私にできることを……

「邪魅を……探そう。」

私は、私にできることをしようと思う。

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