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清隆視点

お館様はやっぱり凄い方だ。
鬼舞辻の尻尾を掴める可能性のある炭治郎たちを生かすためにと、柱たちを説得する話術。
そしてこれから先、大変な思いをして十二鬼月と対峙しなければならなくなった炭治郎を気遣う優しさ。
あの方が俺たちのお館様で本当に良かった。
お館様が認めろと言っているのに、何度も口答えした上に、禰豆子ちゃんが人を襲うようにわざと何度も何度も刀で無抵抗の禰豆子ちゃんをぶっ刺したあのイカれ暴走の不死川のクソ野郎も、流石にお館様に注意されて最後はしょんぼりとしていた。 ざまぁみろ。
まあ何はともあれ、禰豆子ちゃんの存在は柱公認となったし、色々と問題は山積みだが、一先ずは無事に裁判を終えることができた。
かくいう俺は今、那田蜘蛛山で負傷した身体を治療するために蝶屋敷に向かっている。
本当なら、本部で那田蜘蛛山での一件を報告しなければならないのだが、身体の怪我を心配した小羽に報告は伊之助の鴉と自分がするので、さっさと治療してもらえと追い払われてしまったのだった。


**********


――蝶屋敷――

「苦い!!やっぱり苦いよこの薬!!もう少しどうにかできないの!!ねぇ!!ねぇお願いだから!!」
「善逸!!病室だぞ静かにしろ!!」

蝶屋敷に着くと、すぐに聞き慣れた喧しい声が聞こえてきた。
善逸か……あいつ確か毒にやられて蜘蛛になりかけたんじゃないの?
一番重症なんだろ?一番元気じゃね?
炭治郎もあいつ等のお守りで大変そうだな。
本当にいい奴だよあいつは。
そんなことをしみじみと思いながら、俺はあいつ等のいる病室へと足を踏み入れた。

「よっ!蜘蛛になりかけたって聞いてた割に、元気そうだな。」
「「清隆!?」」

炭治郎と善逸の声がハモる。仲良いなお前ら。

「今日から俺もお前らと同室で治療を受けることになったから、よろしくな。」
「そうなのか。さっきは俺と禰豆子を庇ってくれてありがとうな、清隆。」
「いーていーて。それよりもお前の頭突きは気持ちよかったなぁ〜。ざまぁみやがれってんだ!」
「あと三回はやりたかったぞ俺は。」
「……何の話?てか清隆!小羽ちゃんはどうしたんだよ!一緒じゃないの!?」
「小羽?あいつは今本部に報告に行ってて……」
「何で一緒じゃないんだよ!!俺、小羽ちゃんに訊きたいこといっぱいあったのに!!」
「あっ、俺も清隆たちに訊きたかったんだが、その……」
「――俺たちが鴉に変化できるってことか?」

炭治郎が訊いていいものか躊躇って、言い出せずにいると、なんともあっさりと清隆の方から本題の話題に触れてきた。

「そうだよ!!小羽ちゃんが雀になったんだ!!チュン太郎が小羽ちゃんで!!小羽ちゃんがチュン太郎だったんだよ!!ねぇどういうこと!?ねぇどういうこと!?てか鴉ぅ!?えっ、何!?清隆も鳥に化けられんの!!?どーなってんの!?どーゆーこと!!?説明してよ!!!」
「……お前、相変わらずよく喋るな。よく舌噛まずに、且つ、一息つかずに喋れるもんだよ。別にいーけどさ。最初から説明するつもりだったし、隠すのもそろそろ限界だったしな。」
「清隆……」
「どっから説明すっかなー……」

清隆は「俺説明すんの下手なんだよなー」と後ろ頭を掻きながら話し始めた。

「俺たちの母親がな、鎹一族っつー昔から産屋敷家に鎹鴉として仕えてきた一族の出身なんだ。」
「産屋敷?鎹一族?」
「産屋敷家ってのは、俺たち鬼殺隊の頭であるお館様の家のことだ。
鎹一族は鎹鴉の一族。伝達や情報収集を役割とする鎹鴉を育てることに長けた一族で、一族の者自身も鴉に変化する能力を持っているんだ。
だからその一族の血を引く俺と小羽も鴉に変化できる。因みに鳥の言葉もわかるぞ。」
「えっ、でも……小羽ちゃんは雀だったけど?」
「……それ、本人には言うなよ?小羽の奴、一族の中で自分だけ鴉に変化できないこと気にしてるから……」
「そうなのか?」
「ああ、何でかわかんねーけど、小羽だけが鴉になれなかったんだ。小羽が何度練習しても雀になってしまって、そんなこと一族の歴史でも初めてのことだったらしいから、あいつもかなり気にしててな。一族からもよく思われてないし、触れないでやってくれ。」
「わ、わかった。」
「なぁ、鎹一族は鴉にしか変化できないのか?てか、そもそも何で変化できんの?」
「鴉にしか変化できないみたいだぞ?まあ、小羽みたいな例外が今はいるが……基本は鴉のみだ。何で変化できるかは……知らん!!」
「知らねーのかよ!!」
「一族の文献では、八咫烏っつー神様の末裔だとか書かれてるけど、そこんとこ俺もよく知らねーんだよ。色々と曖昧になってるんだよな。なんせ千年以上も昔のことだし。長なら何か知ってっかもだけど……」
「千年!?鬼ってそんな昔からいんの!?」
「――あっ、これ内緒な。鬼舞辻が鬼になったのがそれくらい昔らしい。鎹一族の存在は柱とか、一部の人間にしか知られてねーし、あまり広めないでくれ。」
「そんな重要なこと、俺たちに話してよかったのか?」
「いーんだよ。まあ本来はお前等が柱にでもなってから教えることだったんだが、炭治郎と善逸は鼻とか耳がいいだろ。だからきっと隠し続けるのは難しいだろうって、小羽と前々から話してたんだ。だから、丁度良かったよ。」
「そうなのか?だったらいいんだが……」
「ああ、だから気にしないでくれ。それよりも……
さっきからひとっことも話さずに大人しくしている伊之助が気になって仕方ねーんだけど。どうした?」
「…………」
「あっ」

炭治郎たちの話によると、伊之助は喉を盛大に痛めているらしい。
うん、まあそうだよな。
あの巨大な鬼に首をこう、ガっとやられてたし。
お前を置いていった時にめっちゃでけー声で叫んでたもんな。
でも喋らないのはそれだけが理由ではないらしい。
炭治郎たちも理由はわからないが、何故かひどく落ち込んでいるんだとか。

「……大丈夫か伊之助?怪我が痛むのか?」
「……キニシナイデ。」
「あの時、助けてやれなくてごめんな。俺がもっと強かったら、義勇兄さんが来る前に助けてやれたのに……俺までやられちまって。」
「……イイヨ。オレモヨワカッタカラ……」
「……本当に伊之助だよな?」
「……ヨワクテ、ゴメンネ……」

本当にどうした?
大人しすぎてもうお前誰だよ状態だぞ?
本当に伊之助本人だよな?
被り物の中身、本物か?
すげー落ち込んでて絡みにくいんだけど……
その後、俺は炭治郎と善逸と協力して、必死に伊之助を励ました。
けれど伊之助は落ち込んだままだった。


**********


善逸視点

小羽ちゃんが会いに来ない。
俺たちが蝶屋敷でお世話になり始めて五日が経った。
毎日毎日とんでもなく苦くて不味い薬を飲まされて、毎日毎日泣いている日々を送る中、小羽ちゃんに会いたくて会いたくてしょうがなかった。
俺は小羽ちゃんが俺に会いに来てくれるのを楽しみにずっと待っていた。……いたのだが……

「会いに来てくれないんですが……」
「善逸……」
「全然、ちっとも、これっぽっちも姿を見せてくれないんですが。ねえどういうこと!!ねえどういうこと!!もう五日も経ってるんですけど!!五日もだよ!!小羽ちゃん本部に行ったまままだ帰って来ないの!?五日も!?まだ柱合会議やってんの!?ありえないよね!!えっ、じゃあ何!?小羽ちゃんが俺に会いに来てくれないのって俺を避けてるの!?俺嫌われたの!?イヤァァァァーーー!!!俺何かした!?何かした!?
あっ、そういえば俺、小羽ちゃんがチュン太郎って知らなくて可愛くないとか言っちゃった!!そりゃ避けられもしますよ!!あっ、待って!!小羽ちゃんがチュン太郎だったってことは、俺今まであの子の前で他の女の子口説いてたってこと!?イヤァァァーーー!!なかったことにしたい!!今すぐ記憶から消したいぃーーー!!」
「落ち着け善逸!静かにするんだ!ここは病室なんだから騒ぐと迷惑になるだろ!」
「そうだよ静かにしろよ。またアオイに叱られるぞ。心配しなくても小羽は最初から善逸に期待なんてしてないし、お前のこと好きでもないから安心して嫌われろ。」
「い、イヤァァァ!!そんなのってそんなのって!!」
「コラ清隆!!嘘を言うな!!」
「嘘じゃねーよ。現に小羽は善逸を避けて会いに来ないじゃん。嫌われたんだよ。残念だったな善逸。確かに小羽は美人でその上可愛くて、気立てもよくてしっかりした俺の可愛い自慢の妹だが、善逸とは縁がなかったのさ。お前は良い奴だけど、小羽とは結ばれない運命だったんだ。まあそう落ち込むな。次はいい出会いがあるって!」

清隆が善逸を励ますように肩を叩く。
けれどその顔はこれ以上ないくらい輝いた笑顔であった。

「うわぁぁぁーーー!!おまっ!!ふざけんなよぉぉ!!いくら小羽ちゃんのお兄さんだからって言って良い事と悪い事があるぞ!!そんな、そんないい笑顔でなんてこと言うんだよォ!!マジでありえないわ!!ひどい!!俺の傷ついた心を余計に抉るなよォ!!傷口に塩を塗り込んでるんだぞ!!もう泣きたいわ!!」
「もう泣いてんじゃん。」
「だ、大丈夫だ善逸!まだ小羽が善逸を避けていると決まった訳じゃないんだ。きっと何か事情があるんだよ。」
「事情って何だよ事情って!!」
「さ、さあ?」

いつも騒がしい善逸だが、今日は特にうるさい。
小羽が絡んでいるからか、取り乱し具合が半端ないし、いつにも増して情緒不安定で気持ち悪かった。
そんな善逸にドン引きしながらも、優しい炭治郎はちゃんと話を聞いてやる。
そして清隆はここぞとばかりに善逸にわざと酷いことを言って、彼の心の傷を抉った。それはもうグリグリと容赦なく。
可愛い可愛い妹にまとわりつく悪い虫は全力で排除するのみである。

「――俺、嫌われてんのかな。やっぱり……」
「うん、嫌われてる嫌われてる。だから小羽のことはきれいさっぱり諦めろ。」
「やめろ清隆!妹に変な虫をつけたくない気持ちは分かるが、可哀想だろ!」
「…………」

善逸がハアっと盛大にため息をつく。
どんよりとした空気を全身に纏い、悲壮感漂う背中でしょんぼりと膝を抱えた。
そんな善逸を炭治郎はなんとか励まそうとする。

「大丈夫だ善逸!小羽は善逸を嫌ってない!そんな匂いしなかったし、きっと忙しいだけなんだ!」
「……そうかなぁ?」
「きっとそうだ!なんならしのぶさんに訊いてみよう!」

炭治郎が笑顔でそう提案してきたので、善逸は小さく頷いたのだった。



「――小羽ですか?ええ、来ていますよ。毎日皆さんの様子を聞きに来てますね。」

笑顔でそう口にするしのぶの言葉に、善逸は涙目を通り越して、絶望の表情を浮かべた。
白目を剥いたまま、まるで廃人にでもなったかのように力なく項垂れる善逸に、炭治郎は本気で心配そうに声をかけてきた。

「ぜ……善逸?大丈夫か?生きてるか?」
「……」
「あらあら、どうしたんですか?」
「あっ、あの、実は……」

炭治郎は、この五日間小羽が善逸や自分たちの前に姿を見せていないこと、それで善逸が落ち込んでいることなどを説明した。
話しを聞いたしのぶは、ふむふむと何度も頷いて考えるような仕草をした。

「まあ……そうだったんですね。小羽は毎日夜にこの蝶屋敷を訪れているんです。毎日訪ねて来る度に皆さんの様子を聞いてくるくらいには気にかけているようだったのですが、その割には全然皆さんのお見舞いに行こうとしなかったので、『直接会っていかないのか』と聞いてみたのですが、何故か挙動不審になって、『私にはみんなに合わせる顔がないので……』と何やら思いつめた顔で言っていましたね。」
「えっ」
「……どういうこと?」

しのぶの言葉に困惑の表情を浮かべる善逸と炭治郎。
それにしのぶは問い掛ける。

「何か心当たりはありますか?」
「……いや……全くないというか、寧ろ俺が聞きたいというか……」
「……そうですか。」
「他に何か言ってませんでしたか?」
「いいえ。特には……」
「……」

炭治郎としのぶが会話している横で、善逸は何かを考え込むように黙り込んでいた。

『小羽は毎日夜にこの蝶屋敷を訪れているんです。』

「……夜、か……」

しのぶの言葉を思い出しながら、善逸は何かを思いついた様子で、ポツリと呟いたのであった。

「しのぶさん、ちょっと協力してくれませんか?」
「……はい?」

善逸からの突然のお願いに、しのぶは不思議そうに首を傾げるのであった。



時刻は夜の十時を回ろうとしていた。
炭治郎、伊之助、善逸、清隆の四人が眠る病室にある人物が訪れていた。
極力音を立てないように細心の注意を払って戸を開けると、足音を立てないよう、気配を消してこっそりと部屋に忍び込んできたその人物は、小羽であった。
小羽の足音は一切しない。
普通なら床がギシッと軋む音がする筈なのだが、まるで忍の如く気配の消し方が上手かった。
けれどどんなに足音を殺しても、気配を消すのが上手くとも、善逸には関係のないことであった。
生き物である以上、心臓は動いている。
どんなに気配を消すのが上手くとも、耳のいい善逸には、鼓動の音で小羽がやって来たことが分かってしまうのだ。

(……来た。)

待ち望んでいた小羽の登場に、善逸の心臓の鼓動がバクバクと緊張で速くなる。
彼女に寝たふりをしていることが悟られぬよう、善逸は必死に平静を装って呼吸を整えた。
小羽は清隆や炭治郎、伊之助の眠るベッドの近くを少し彷徨いた後、真っ直ぐに善逸のいるベッドへと近付いていった。
善逸の枕元まで来ると、小羽の動きが止まる。そして感じる視線。

(み、見られてる……?)

目を閉じていても分かるくらい、強い視線を感じる。
そんな彼女の心音からは、罪悪感と、後悔と、自分を心から心配する音が聴こえた。

――何で、こんな音……

善逸は困惑していた。
どうして小羽からこんなにも自分を責めるような音がするんだろう。
数十秒ほど見つめられた後、小羽の気配が動いた。行ってしまう。

「――待って!!」
「!」

善逸は慌てて上半身を起こすと、立ち去ろうとしていた小羽の羽織を、短くなった手を必死に伸ばして掴んだ。
てっきり眠っていると思っていた善逸に突然羽織を掴まれ、小羽は驚いて振り返った。

「――ぜん……いつ、くん……っ」

小羽ちゃんが、心底驚いた様子で目を大きく見開いて俺を見る。
俺が起きていたのがそんなに予想外だったのか、掠れた声で俺の名を呼んだ。
心音もひどく動揺していて、落ち着きがない。

「……小羽ちゃん。」
「……最初から、起きてた?」

俺が小羽ちゃんの名を呼ぶと、彼女から質問された。
だから俺は答える代わりに小さく頷いた。
小羽ちゃんはそれだけで全て悟ったようだった。

「ああ……だからしのぶさんは……やられた。」

ハァと深いため息をついて、小羽ちゃんが項垂れる。
そしてゆっくりと顔を上げた小羽ちゃんが俺を見る。
ゆらゆらと不安げに揺れる瞳で、なんだかひどく緊張した音をさせて。

「……とりあえず、手を離してくれない?」
「嫌だ。」

絶対に離さない。離したら、小羽ちゃんはまた逃げるつもりでしょ?
俺は離すもんかという想いを込めて、彼女の羽織を掴む手に力を込める。
腕が縮んでしまったせいで、変に力が入らないが、それでも今だけは離したくなかった。
――五日ぶりに、小羽ちゃんの姿を見た。声を聞いた。
あの夜、あんな風に再会を果たしたせいだからか、小羽ちゃんのことが気になって気になって、この五日間ずっと彼女のことで頭がいっぱいだった。
小羽ちゃんのことばかり考えてた。
小羽ちゃんがお見舞いに来てくれるのを今か今かと毎日待っていて、けれど全然会いに来てくれなくて、俺がどんな想いでこの五日間過ごしていたか、君は知らないでしょ?
寂しかったし、悲しかった。
君に会いたくてしょうがなかった。
それがやっと会いに来てくれたのに、やっと捕まえたのに。
手を離したらまた、俺から逃げるんじゃないの?
会ってみて確信した。
小羽ちゃんはやっぱり、俺を避けてたんだってこと。
だって……今彼女からは強い拒絶の音がする。
俺から逃げたいって音がするんだ。
――何で?
何で何で?
俺何かした?
小羽ちゃんが嫌がることしちゃったの?
だったら謝るからさ。
許してくれるまで何度でも謝るから、土下座でもなんでもするから、俺を避けたりしないで。逃げないでよ。
悲しくて寂しくて、じわりと目に涙が浮かぶ。
すると、小羽ちゃんの顔が青ざめる。
だけど今の俺にはその変化に気付いてやれる余裕なんてなくて、いつもみたいにみっともなく泣き叫んで縋りつこうとした。

「こは……もがっ!!」

口を開こうとしたら、素早い動きで口を塞がれた。
もごもごと口を動かすと、小声で叱られた。

「しー!静かにして!」

俺の口を塞いだまま、慌てた様子でキョロキョロと周囲の様子を気にする小羽ちゃん。
どうやら炭治郎たちを起こしてしまわないかと気にしているようだ。
後になって俺も冷静になり、口を閉ざした。

「――ごめんね、善逸くん。」
「……へ?」

小羽ちゃんが何やら覚悟を決めたようにキリッと真剣な顔をすると、なんと俺を抱え上げたのである。
しかも横抱きで。いわゆる姫抱きと言うやつに、俺は恥ずかしさで思わず悲鳴を上げそうになって……慌てて状況を思い出して口を両手で塞いだ。
俺が静かになったことにホッと一息つくと、小羽ちゃんは俺を横抱きしたまま何処かへと歩き出した。
恥ずかしい恥ずかしい。
女の子に。よりによって好きな子に姫抱きされるなんて……
普通逆でしょ?
何で俺こんな状況になってんの?
しかも小羽ちゃんなんか軽々とやってのけたし、今も余裕そうだし。
いくら身体が縮んで多少体重が軽くなってるとはいえ、力強すぎない?男前すぎるでしょ。
あれ?俺なんかドキドキしてきた。
ヤバイ。ヤバイって。
流石にそれは男として情けなさ過ぎるから駄目だ。
俺は真っ赤な顔を隠すように両手で覆いながら、大人しく小羽ちゃんに運ばれていった。


***********


小羽視点

少し前の出来事を振り返ろうと思う。

善逸くんたちが蝶屋敷で療養を始めて今日で五日が経とうとしていた。
私はというと、その間毎日鍛錬を行い、みんなが寝静まる時間帯を狙って蝶屋敷を訪れるということを日課にして過ごしていた。
まあ、その、つまりは……みんなとはあれから一度も顔を合わせていないということだ。
毎日みんなの様子が気になって蝶屋敷を訪れてはいるものの、しのぶさんに容態を聞いては直接会わずに帰るということのみを繰り返している。
何でお見舞いに行かないかって?
そんなの、気まずいからに決まってる。
特に私は善逸くんを避けていた。
正直、今は会いたくない。
会えば絶対に鎹一族のことは話さないといけないし、そうなると、私が善逸くんを見殺しにしたことも話さなければならなくなる訳で……言える訳がない。
善逸くんにちゃんと話すと約束しておきながら、私は現状、それが嫌で逃げていた。
善逸くんに合わせる顔がなくて避けていたら、いつの間にか五日も経ってしまい、時間が経つにつれて気持ちが落ち着くどころか、余計に気まずくなって、会いに行けなくなるという悪循環を繰り返す。

「はぁ〜〜、どうしたらいいんだろ……」

盛大にため息をつく。
どうすればいいかなんて決まってる。善逸くんに会って、正直に話して謝る。
土下座でも何でもして赦しを請えば、優しい善逸くんはきっと笑って赦してくれるだろう。あの子はそういう子だから。
だけど、それを分かっていて善逸くんの優しさに甘えて赦されてしまうのも、なんだか良くないと思ってしまうのだ。
そして私は今日も覚悟ができずにみんなが寝静まった時間帯を狙って蝶屋敷を訪れる。


*************


「皆さん、寂しがっていましたよ。」

「――へ?」

帰り際にしのぶさんにそんなことを言われた。
何のことか分からなくて、きょとりと目を丸くして間抜けな声を出してしまった。
しのぶさんはいつもと変わらない綺麗な笑みを浮かべて言葉を続けた。

「――今日も、会っていかないんですか?」
「……会いたいんですけど、まだその覚悟ができないんです。」
「……小羽。貴女が何に悩んでいるのかは分かりませんけど、今日は様子だけでも見に行ったら?皆さんもう寝てるでしょうから……ね?」
「……そう ……ですね。」

しのぶさんの提案に少し躊躇いがあったが、ずっと会っていないみんなの様子が気になっていたので、こっそりと病室を覗くだけならいいかな?と軽い気持ちで頷いてしまった。


**************


カタリと小さな音を立てて戸を開く。
足音を殺して部屋の中に足を踏み入れると、四人がぐっすりと眠っているのが目に入った。
そのことにホッと一息つくと、足音だけでなく息をも殺して完全に気配を消した。
昔、元忍だという音柱の宇髄さんから教わったやり方をこんな形で活かすことになろうとは……
お兄ちゃん、炭治郎くん、伊之助の眠るベッドに近づくと、三人ともぐっすりと気持ちよさそうに眠っていて、元気そうな様子にホッとする。
大怪我をしていた割に、元気そうでちょっと安心した。

(――後は……)

ちらりと部屋の一番隅っこで眠る善逸くんのベッドに目を向けると、すっぽりと頭まで被った布団の間から、色鮮やかな金髪がちらりと見えた。
まっすぐに彼の眠るベッドに近付けば、スヤスヤと規則正しい呼吸が聞こえた。
蜘蛛の毒のせいで少し小さくなった彼の身体をじっと見つめる。
――善逸くんには、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
蜘蛛の毒は苦しかっただろう。痛かっただろう。
それでも彼は最後まで諦めずに戦って……生き残ってくれた。

(ありがとう。そして……ごめんなさい。)

今はやっぱり気まずくて、まだ会えそうにない。
帰ろう。そう思って、踵を返した。

「――待って!!」
「!」

踵を返して一歩足を踏み出した途端、羽織の裾を掴まれた。
誰かなんて決まってる。

「――ぜん……いつ、くん……っ」

――驚いた。本当に驚いた。
てっきり今日もいつもみたいにぐっすりと眠っていると思っていたから、完全に油断していた。
予想だにしていなかった事態に、私の心はどうしたらいいのか分からなくなって、ひどく動揺してしまう。
そんな私の心を他所に、善逸くんは真っ直ぐな瞳で私を見て名を呼んだ。

「……小羽ちゃん。」
「……最初から、起きてた?」

あまりにもタイミング良く起き上がったものだから、私の気配に気付いて起きたとは考えにくい。
きっと最初から寝たふりをしていたんだろう。

『……小羽。貴女が何に悩んでいるのかは分かりませんけど、今日は様子だけでも見に行ったら?皆さんもう寝てるでしょうから……ね?』

ふと、しのぶさんの言葉が脳裏に過ぎる。

「ああ……だからしのぶさんは……やられた……」

まんまと嵌められた。
全部しのぶさんの思惑通りだったのか。
しのぶさんが善逸くんに悪知恵を教えたのか、善逸くんが企んだのかは分からないが、どうやら前々から仕組まれていたことだったらしい。
しのぶさんが私に様子を見に行くように病室に行くことを促したのも、そしてそんな日に限って善逸くんが寝たふりをしていたのも、全部逃げる私を捕まえる為の計画だったのか。

「……ハア……」

思わず自然と深いため息が出た。
項垂れると、善逸くんが羽織を握る手に力を込めたのが見えた。

「……とりあえず、手を離してくれない?」
「嫌だ。」

手を離してくれる所か、より一層羽織を握る手に力を込められてしまった。
ぎゅうっと強く握られているせいで、着物にシワが寄った。
それを見て、スっと目を細めた。
ああ、これは……私が逃げようとしているのバレてるな。
今手を離したら、私が逃げるって警戒してる。
音でバレた?
やっぱり善逸くんの耳の良さは少し厄介だなぁ〜、こういう時、困る。
だって、何を言えばいいの?
ずっと隠していて、黙っていてごめん?
見殺しにしようとしていました?
何を言っても、善逸くんを傷つける。
まだ話せる覚悟なんて、全然できてない。怖い。
善逸くんに嫌われるのが、恨まれてしまうのが……すごく怖いの。
黙り込んだまま動けずにいると、善逸くんの瞳がうるうると潤んでいって、涙目になった。
――やばい。
サッと青ざめた。
善逸くんとずっと一緒にいたから、彼が次に何をしようとしているのか容易に予想できてしまって、私はすぐに動いていた。
泣く。絶対泣く。
今が夜中だとか、炭治郎くんたちが寝ているとか、きっと今の善逸くんは考えていない。
絶対に心のままに大声で泣き叫ぶ。
それはまずい。ひじょーーにまずい。
善逸くんが口を開こうとした瞬間に、両手で彼の口を咄嗟に塞いだ。

「こは……もがっ!!」
「しー!静かにして!」

小声でそう言いながら、キョロキョロと周囲に目を向けるが、誰も起きていないようでホッとした。
しかしこのままにもできない。
ああ、結局は向き合わなければならないのか……
私は諦めて覚悟を決めることにした。
そうなれば此処から離れなければ。
覚悟を決めてからの行動は早かった。

「――ごめんね、善逸くん。」
「……へ?」

私は善逸くんの体を軽々と抱き上げた。
いわゆる横抱き。姫抱きとも呼ばれる抱き方で。
善逸くんは何が起こったのか理解できていない様子で、目をぱちくりとさせて私にされるがままに大人しく抱っこされていた。
静かなうちにさっさと人気のないところに移動することにする。
途中、善逸くんが恥ずかしそうに耳まで真っ赤になった顔を両手で覆ってなにやら嘆いていたが、私は触れないでおこうと思う。


************


善逸を横抱きしたまま移動していた小羽は、丁度通りかかった縁側が人気が無さそうだったのもあり、そこで話しをすることにした。
そっと善逸を下ろすと、縁側に座らせた。

「――ごめんね。急に連れ出したりなんかして……此処なら多分人も来ないだろうし、話しても大丈夫だと……「ごめんよぉ〜〜!!」……へあっ!?」

小羽が善逸に声を掛けた途端、俯いていた善逸が顔を上げて突然抱きついてきた。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を小羽のお腹に擦り付けて、必死に腰にしがみつく。
突然抱きつかれて素っ頓狂な声を上げてしまった小羽は、何故善逸が泣いて自分に謝ってくるのか分からずに戸惑った。あとちょっと汚い。

「ど、どうしたの善逸くん!?」
「俺が……俺が悪かったよぉ〜〜!!ごめんねぇ〜〜!!小羽ちゃんがチュン太郎って知らなくて可愛くないとか酷いこと言ってごめん!!小羽ちゃんが好きだって言っておきながら他の女の子口説いちゃってごめん!!目の前でやられたらそりゃ不快だったよね!?いつもいつも任務に行きたくないとか駄々こねてごめん!!あと、後ね、それから……」
「えっ……ちょっ、待って!待って善逸くん!」
「はひぇ?」

何を勘違いしているのかは分からないが、小羽に縋り付きながら必死に謝ってくる善逸に、小羽はただただ困惑していた。
ズラブラと謝罪の言葉を述べてくる善逸の肩を掴んで自分から引っペがすと、彼はきょとりと目を丸くして小羽を見上げてきた。

「何で善逸くんが謝るの?だって悪いのは……」
「だって!!だってさぁ!!小羽ちゃん俺に全然会いに来てくれなかったじゃん!!俺のこと嫌いになったんでしょ!?だから避けてたんでしょ!?俺、俺、謝るから!!小羽ちゃんに嫌われた原因考えてみたけど、心当たりがありすぎてどれだかわかんなくて、もしかしたら全部が嫌になったのかもしれないけど、俺、今までのこと全部謝るから!!これからは頑張るから!!ちゃんとするから!!だから頼むよ!!俺のこと嫌いにならないでぇーー!!」
「わあーー!!嫌いになってない!!嫌いになんてなってないから!!一旦落ち着いて!!あと声大きい!!鼻水と涙を擦り付けないでぇ!!」

再びグチャグチャになった顔を小羽に押しつけながら、腰に抱きついてきた善逸に慌てた。
ごめん、ほんとごめん。涙はともかく鼻水だけは本当にやめてくれ。汚い。
小羽はポケットからハンカチーフを取り出すと、善逸の涙を拭ってやる。
そしてそのハンカチーフを善逸の鼻に押し当てた。

「はい、ちーん。」
「ん。」

ズビーと勢いよく鼻をかんだ善逸に苦笑しながらハンカチーフを丸めて片付ける。
まだズビズビ鼻をすする善逸に小羽は困ったように笑った。

「……落ち着いた?」
「……ん、ごめん。俺……」
「何か誤解してるみたいだから言うけど、今回会いに行かなかったのは、確かに善逸くんを避けてたからだけど……ああ!泣かないで!兎に角、善逸くんが嫌いになったとかじゃないから、全然!原因はその……私自身の気持ちの問題だったの。」
「……それって、罪悪感とか後悔とかの?」
「っ」

善逸の言葉に、小羽の顔が強ばった。
そんな彼女の様子に、自分が失言したと気付いた善逸は慌てて「ごめん」と謝った。

「……ううん。私……そんな音してた?」
「えっ、うん……なんか、自分を責めてるみたいな音がする。今も……」
「そっか……そっかぁ〜……はぁ〜〜、やっぱり善逸くんには誤魔化せないかぁ〜〜」

小羽は大きなため息をつくと、頭を抱えて項垂れた。
それに善逸は狼狽えるが、すぐに勢いよく顔を上げた小羽が覚悟を決めたような瞳で善逸を見つめてきた。

「……善逸くんは、鎹一族のことはもう聞いた? 」
「えっ、うん。清隆から一通りの事情は聞いたよ。でも俺は……小羽ちゃんから聞きたい。君の口から、直接。」
「……わかった。」

揺るぎない真っ直ぐな瞳で見つめられ、小羽はほんの少しだけ視線を逸らしたくなった。
けれど、今は逃げては駄目だと己を奮い立たせて、心を落ち着けるように目を閉じた。
逃げるな。ちゃんと向かい合うって決めたでしょ。
これで善逸くんに嫌われたとしても、恨まれたとしても、しょうがない。
それでも彼とちゃんと向き合いたいなら話すべきだ。
だって、これからもきっと同じことが起きる。
その度に私は同じ決断をすることになるだろう。
鎹雀としてこれからも動くのだとすれば、話しておかなければ。
これからも善逸くんと共にいたいと願うならば……
再び目を開けた時、善逸くんがとても心配そうに私を見つめていた。

「……大丈夫?すごく不安そうな、怯えた音がする。その、どうしても嫌なら無理に話さなくても……」

――ああ、この人は本当にどこまでも優しいな。
多分だけど善逸くんは、私が見殺しにしようとしたことに気付いていない。
それ所か考えてすらいないんじゃないかな。
あの時、私が戦おうと思えば一緒に戦えたことに、全然気付いてないの?
話したくない。
でも、ちゃんと話さなければ。
きっと傷つけてしまう。怒るかな。
恨まれたり……するのかな。
それとも優しい善逸くんは赦してくれるのだろうか。

「……あのね、善逸くん。」
「うん?」
「私が……善逸くんを見殺しにしようとしたって言ったら……どうする?」

音が、消えた気がした。
善逸くんがヒュッと息を呑んだ音だけがやけに響いた。



「――え?小羽ちゃんが俺を見殺しにって……どういうこと?意味がわかんないんだけど……」

善逸くんがひどく困惑した表情で私を見つめてくる。
それに私は、やっぱり気づいてなかったのかと小さくため息をついた。
本当は、このまま誤魔化してしまいたいと言う気持ちもあった。
何もなかったかのように振舞って、今までのように接してなあなあにしてしまおうかとも思っていた。
けれどそんなことはやっぱりしたくなかったし、してはいけないと思う。
何よりも、そんなのは私自身が許せなかった。
だから、ちゃんと話そう。
私は善逸くんの目を真っ直ぐに見つめながら口を開いた。

「――善逸くんは、もしも私があの蜘蛛の鬼との戦いで私も一緒に戦っていたら、そんな重症にはならなかったとか……考えなかったの?
あの時私は君の傍にいたから、一緒に戦ってあげることはできたんだよ。でも……私はそれをしなかった。」
「でもそれは、何かそうしなきゃいけない理由があったんでしょ?」
「……どうしてそう思うの?単に死ぬのが怖くて見捨てただけかもしれないよ。」

なるべく感情を悟られないように平静を装おうと、淡々とした表情と口調になるようにそう言ってみた。
けれど善逸くんは全部分かってるみたいな落ち着いた様子で私に言うんだ。

「小羽ちゃんはそんな子じゃないよ。本当に俺を見殺しにしようとしていたのなら、そんな自分を責めるみたいな音させない。」
「ただの罪悪感かもしれないでしょ?」
「確かに罪悪感を感じてる音がするけど、でも小羽ちゃんは自分の命惜しさに誰かを見捨てるような子じゃないよ。」

どこまでも自分を信じようとする善逸に、小羽は苦しいくらいに胸が締め付けられた。

「……違うよ善逸くん。私は、君の命よりも鎹鴉としての役割を優先したんだよ。私はその判断をしたことを間違ってるとは思わないし、後悔は……少ししてるけど、あの時自分のやるべき事をしたと思ってる。」
「鎹鴉の役割って?」
「伝達と情報収集。鎹鴉はね、どんなことがあっても情報を本部に持ち帰ることが第一優先なの。だから私とお兄ちゃんは鎹鴉として動く時には絶対に戦闘行為をしてはならないときつく言われてた。
例え誰かの命を見捨てることになっても、生きて情報を本部に届けることを優先するように指示されてるの。だから私はあの時、自分が毒にやられることを恐れて、善逸くんが苦戦してるのが分かってたのに、手を貸さなかった。……善逸くんを、見殺しにしようとしたの。君の命よりも、役割を優先したから。」
「…………」
「……幻滅した ?」

善逸くんの中での私がどんな風に美化されているのかは分からないけれど、私が善逸くんの命よりも役割を優先したのは事実であり、その為に必要なら見殺しにだってした。
そうはっきりと説明すると、善逸くんは黙り込んでしまった。
俯いていて表情は分からないけれど、きっと私に対しての想いは最悪なものになっただろう。
そうだよね。私はそれだけ君に対して酷いことをしたから。
善逸くんからどんな罵倒や恨みつらみの言葉を言われたとしてもしょうがない。
必要なら殴られることだって甘んじて受け入れよう。
そう思って善逸が口を開くのを静かに待つ。
少しの沈黙の後、善逸が顔を上げた。
涙や鼻水でグチャグチャになった顔じゃなくて、普段見ないような真剣な顔。
真っ直ぐに小羽の目を見つめてくる善逸に、小羽は逸らすことなくその視線を受け止めた。

「……小羽ちゃんは、やっぱり可愛いねぇ。」
「……はい?」

善逸はふにゃりと締まりのない笑顔で笑うとそう言った。
あまりにも予想外な斜め上の発言に、小羽の目が点になる。
けれど善逸はそんなこと気にしないで言葉を続けた。

「可愛いし、優しいし、天女様かな?」
「ぜっ、善逸くん?私の話聞いてる?」

何を言ってるんだ?と言いたげに戸惑う小羽。
そんな小羽に善逸はふわりと優しく微笑むのだ。

「聞いてるよ。小羽ちゃんの声はいつだってちゃんと聞いてる。聴き逃したくないしね。」
「私、善逸くんを見殺しにしようとしたんだよ。怒らないの?恨まないの?」
「何で?」
「だって……酷いことしたんだよ。それに、雀に化ける人間なんて気持ち悪いでしょ!?怖いでしょ!?」

小羽の脳裏に過ぎるのは、化け物と罵る人々の記憶。鎹一族の秘密を公にしない理由の一つは、彼等が持つその特殊な能力故に、昔から人々から迫害されてきた歴史があったからだ。
それに、小羽自身もそのことで過去になじられたことがあった。

「はぁぁっ!!?小羽ちゃんが気持ち悪いなんてあるわけないでしょ!!雀になるくらいなにさ!!可愛いじゃない雀!!小鳥みたいに可憐な小羽ちゃんらしくて!!それにこれからもずっと小羽ちゃんと任務で一緒にいられるって事でしょ!?最高じゃない!!うわーー!!幸せ!!幸せすぎて死にそう!!……それにさ、小羽ちゃんは俺を助けてくれたじゃない。毒におかされて動けなくなった俺を助けるために、しのぶさんを呼んで来てくれたし、俺の為に泣いてくれた。」
「そ……そんなの当たり前だよ!だって善逸くんに死んでほしくないもの!善逸くんが死んだらどうしようって、本当に怖くて……」
「ほら、やっぱり小羽ちゃんは優しい。」

にっこりとなんてことのないように微笑む善逸に、小羽は思わず押し黙る。

「小羽ちゃんは俺を見捨てなかった。俺を助けるために必死になってくれた。そんな君に、感謝はしても怒ったり恨んだりなんてしないよ。」
「…っ」
「ありがとう、小羽ちゃん。」

善逸のどこまでも優しい心に、その言葉に、小羽の頬に一筋の涙がつたった。
それをきっかけに、小羽の目からポロポロと涙が零れ落ちた。
突然泣き出した小羽に、善逸はぎょっとする。

「えっ、えええええ!!こ、小羽ちゃん!?どうして泣くの!?俺何かした!?何かしちゃった!?」
「…っ、善逸くんが……」
「ああああっ!!やっぱり俺!?俺なの!?ごめん!!ごめんねぇ!!」
「ちがっ!善逸くんが……優しすぎるから……」
「え?」
「ごめん……ごめんねぇ!!」
「わあぁぁぁあっっ!!泣かないでぇぇ!!」

自分の手で何度も何度も涙を拭うが、止めどなく溢れてくる涙に小羽はぐすぐすと泣き崩れる。
善逸はオロオロしながらも自分の服の袖で何度も涙を拭ってくれた。

「小羽ちゃんはさ、自分の役割を全うしようとしただけで、俺を見殺しになんてしてないよ。だってずっと俺を心配してくれてたし、助けようと必死になってくれた。それだけで充分だから、だからもう自分を責めるのはやめてよ。」
「で、でも、お兄ちゃんは伊之助や炭治郎くんを助けるために刀を取ったよ。みんなを助けるために、戦った。それなのに私は……」
「清隆がしたことも間違ってないし、きっとこういう事に正解なんてないんだと思う。だってさ、もしも小羽ちゃんが俺と一緒に戦って、小羽ちゃんまで毒にやられてたら、助けなんて呼びに行けなかった。そしたら俺たち蜘蛛になってたよきっと。だから、小羽ちゃんはもう気にしないでよ。俺も気にしてないから……俺は、小羽ちゃんには笑ってて欲しい。だから……お願いだよ。」
「……っ、ありがとう、善逸くん。」
「うん。やっぱり小羽ちゃんは笑ってる方がいいよ。可愛い。」

そんなことを言う善逸くんの言葉に応えるように、へにゃりと笑ってみたけれど、泣き笑いみたいな情けない笑顔になってしまった。
それでも、善逸くんは穏やかに笑ってくれたんだ。



「――そっか。お偉いさんの命令で鎹鴉と鬼殺隊を同時にやることになったんだ。」
「うん、まあ……最終的には自分で納得してやってるんだけどね。」

あれから善逸には、小羽が何故鬼殺隊と鎹鴉の役割を二重に行うことになったのかなどの経緯を話した。

「前に……私が鬼殺隊になったのは家族を鬼に殺されたからって話したの覚える?」
「うん、勿論。」
「私の家族を殺したのは、十二鬼月だったんだ。」
「えっ。 」
「十二鬼月と言っても、下弦の弐だったんだけど……あっ、その鬼は義勇兄さん……今の柱の一人で私の兄弟子にあたる人が倒してくれたよ。
だから多分、今は別の鬼が新たな下弦の弐に在籍してると思う。
私のお父さんは元水柱でね、お母さんはお父さんの鎹鴉だったの。だけどお父さんは過去に上限の鬼との戦いで両足に右手を失ってて、とても戦える状態じゃなかった。
だからあの日、私たちはろくな対抗もできずに鬼に襲われた。」
「小羽ちゃん……」

小羽ちゃんの音が、さざ波を立てるように少しずつ荒ぶっていく。
表情は落ち着いているし、口調も淡々としているけれど、音はすごく痛々しくて、苦しそうでとても悲しい音だった。
心の中で小羽ちゃんが泣いているようで、俺はもう聞いていられなかった。

「……小羽ちゃん、もういいよ。辛いなら無理に話さなくても……」
「ううん、大丈夫。善逸くんにはちゃんと話しておきたいんだ。」
「……でも、すごく悲しい音がしてる。」
「……うん。思い出すと、すごく心が痛いし、苦しいよ。」
「だったら……」
「でも、最後まで話させて。」

小羽ちゃんはまっすぐに俺を見てそう言った。
だから、俺は黙って小羽ちゃんの言葉に耳を傾けた。

「私たちを守ろうとしたお父さんが殺されて、お母さんが殺されて、私を庇ったお兄ちゃんが鬼の爪に引き裂かれるのを、私はただ見ていることしかできなかった。私自身も鬼に背中をざっくりと爪で引き裂かれてね、意識が朦朧としてた。」
「だけど、時間が経つにつれて温かったお父さんとお母さんの体が段々冷たくなっていくのを、私は今もしっかりと覚えてるの。あの時、必死に手を伸ばしてお母さんとお父さんの手を握ってたから……」
「お母さんはね、あの時身篭ってたんだ。私とお兄ちゃんには、弟か妹がいたんだよ。
鬼さえ来なければ、もうすぐ産まれてくる筈だった。」
「そう……鬼がいなければ、私たちの家族はきっと今も……」
「……小羽ちゃん、もう……」

小羽ちゃんの音が、悲しみからドス黒い憎しみに包まれた音に変わった。
俺がそう言うと、小羽ちゃんは俺を見ずに話しを続けた。

「善逸くん、私は鬼が嫌いだよ。大っ嫌いだ。禰豆子ちゃんみたいな人を襲わない特殊な鬼は初めてだから、正直に言えばとても複雑な気持ちだけど、でも禰豆子ちゃんは信じてる。今はそう思う。でも……他の鬼は駄目。どうしても許せないの。」
「どうしても、自分の手で殺したかった。だから、鬼殺隊になったの。
勿論、鬼に苦しむ人たちを少しでも助けたいって気持ちはあるけれど、私の理由はただの復讐だよ。」
「家族を殺されてから、お兄ちゃんの元でずっと鎹雀をしていた頃からずっとずっと、鬼が憎くてしょうがなかった。だけどいくら鬼を斬っても、全然気持ちが安らぐことはないの。喉がカラカラに渇いたみたいにずっとずっと苦しいの。ちっとも、憎しみが消えてくれない。」
「小羽……ちゃん……」

小羽ちゃんの音が、初めて聞くような複雑な音を奏でる。
不協和音みたいな、色んな雑音が混じったような音がしてる。
俺はそんな音聴いていたくなくて、どうしても止めたくて、小羽ちゃんの名を呼んだ。

「でもね。」

やっと俺の目を見た小羽ちゃんは、とても穏やかに笑っていた。
音が、少し変化した。

「炭治郎くんと禰豆子ちゃんに会って、少しだけ考え方が変わってきたの。鬼だからって理由だけで憎んではいけない気がした。私と同じように鬼に家族を殺されたのに、鬼に情をかける炭治郎くん。鬼になったのに人を襲わない禰豆子ちゃん。あの二人を見ていると、そんな気がするの。」
「鬼は相変わらず大っ嫌いだけど、禰豆子ちゃんは私……好きだよ。」

小羽ちゃんはそう言って笑った。
「それにお兄ちゃんの好きな人だしね。」と苦笑しながら、穏やかに微笑んでいた。
小羽ちゃんの音は、いつの間にか柔らかな朝の日差しのように優しい音になっていた。
ああ、良かった。
いつもの小羽ちゃんの音だ。
俺の大好きな小羽ちゃんの音……
なんだか妙に安心してしまって、身体から力が抜ける。

(――あれ?)

突然くらりと目眩がした。
そのまま俺の身体はゆっくりと前に倒れていった。
意識を失う途中で、小羽ちゃんが必死に俺の名を呼んだ気がしたけれど、ぼうっとした意識のせいで答えることができない。
俺はそのまま眠るようにゆっくりと瞼を閉じていった。


**********


「……どうですか?しのぶさん。」

善逸が突然倒れたことで、小羽は慌ててしのぶを呼んで善逸を診てもらった。
急いで病室に善逸を運ぶと、炭治郎たちも心配そうに善逸の様子を見守っていた。
しのぶが診察を終えると、彼女は善逸に注射器で何かの薬を打ち込んだ。

「……解熱剤を打ちました。どうやら毒による副作用で高熱が出てしまったようですね。」
「どうして、今更になって副作用なんて……」

注射器を片づけながらしのぶがそう説明する。
しかし小羽はその言葉に一つの疑問が浮かぶ。
善逸がこの蝶屋敷で治療を始めてもう五日になる。
今日まで一度も副作用なんで出なかったのに、それが何故五日も経った今になってから出たのか……
普通、副作用が出るならもっと早い段階ではないのか?
小羽の疑問に答えるように、しのぶが口を開く。

「今までも副作用は少しずつ出ていたと思います。ですが、ここ数日の彼は緊張状態にあったと言いいますか、その緊張状態から急に解放されて、このように高熱が出てしまったようですね。」
「それって……私のせいじゃ……」
「小羽、自分を責めては駄目ですよ。これは貴女のせいではないのですから。」
「……はい。」

しのぶさんにそう言われても、私は自分を責める気持ちを止められそうになかった。
善逸くんが熱を出したのは、私のせいじゃないの?
私が善逸くんを避けてたから、彼を追い詰めてしまったんじゃないの?
そう思って後悔しても、もう遅い。
せめて、せめて今私に出来る精一杯のことをやろう。善逸くんのために。

「……今晩は、私が善逸くんの看病をします。」
「だったら俺も手伝うぞ小羽。」
「ありがとう炭治郎くん。でも大丈夫。炭治郎くんだって大怪我してるんだもの、休んで。」
「だけど……」
「私がやりたいの。お願い。」

小羽を気にかけて渋る炭治郎だったが、小羽が真っ直ぐに炭治郎の目を見つめてお願いすると、彼は困ったように眉尻を下げて目を閉じた。
そして諦めたように小さくと息を吐くと、とても穏やかに微笑んだ。

「……わかった。でも無理はするなよ?困ったことがあったらちゃんと俺たちを頼ってくれ。」
「ええ、ありがとう。」

炭治郎の気遣いに感謝しつつ、小羽は一人で一晩寝ずに善逸の看病をすることに決めたのであった。


*************


善逸視点

「う……っ!」
「……善逸くん……」

高熱によって苦しむ善逸が少しでも楽になるように、小羽は一時間おきに手ぬぐいを水で濡らしては額に当ててやり、更に汗だくになった善逸の体を時々拭いてやったりした。
それでも善逸の熱は中々下がらずに、苦しそうに呼吸する善逸を見る度に、小羽は胸が締めつけられそうになった。

「……っ」

善逸が苦しげに息を吐き出す。
――苦しい。
――熱い。
ぼんやりとする意識の中で、善逸は昔もこんな風に熱に浮かされて苦しい思いをしたなと、なんとなくその時のことを思い出していた。
産まれてすぐに親に捨てられたらしい俺は、何処かの家の玄関に置き去りにされていたらしい。
その家の人たちは俺を哀れに思って、俺を拾って育ててくれた。
優しい人たちなんだと思う。何処の馬の骨とも知れない人間の俺をここまで育ててくれたから。
人より耳の良すぎる俺は、人の音を聞いて、何を考えているのかなんとなく分かってしまう。
心を当てると、みんな俺を気味悪がった。
俺が寝ている時、こっそり家の人たちが話しているのを聞いた。

『あんな子、いつまで家で面倒見る気なの?』
『何を考えているのか見透かさられているようで気味が悪い』
『あんな子、拾うんじゃなかった』

そんな感じのことを話していて、俺はすぐに、「ああ、ここに居ちゃ駄目なんだ。だったら出ていかなきゃ。」って、無意識にそう思った。
俺が出て行こうとしたら、家の人に止められた。
だから「どうして?」って訊いた。
俺が寝ている時に話してた内容を聞いていたと知って、あの人たちはますます俺を気味悪いものでも見るみたいな目で見てきた。
あの人たちの目を見なくても、はっきりと心の音であの人たちは言っていた。
「化け物」「気持ち悪い」
俺に対して、そんな気持ちを向けていた。
俺だって、聴きたくて聞いている訳じゃない。
だって、聴こえてしまうんだ。
人の心音は心地のいいものばかりじゃない。
「嫌悪」「憎悪」「嫉妬」「嘘」感情の名の数だけ沢山の音がある。
聴きたくなくても、聞こえてしまう。
どんなに俺が耳を塞いでも、嫌でも耳が音を拾ってしまうんだ。
ただでさえ泣き虫で根性無しで、情けなくて、誰にも期待されない俺なのに、この無駄に良い耳のせいで余計に気味悪がられたり、人から煙たがられたりした。
――息が苦しい。体が焼けるように熱い。
昔……似たようなことがあった。
風邪をひいて高熱を出して、寝込んでしまったことがある。
だけど誰も俺の心配なんてしてくれなかった。
それどころか、風邪がうつるからと部屋に軟禁されて、そのまま自力で治るまで放置されたっけ。
熱で苦しくて、でも誰も助けてくれなくて。
弱っていると、とても心細くなる。寂しくなる。
でも、俺の手を握ってくれる人なんて、誰もいなかった。
誰も……俺を心配なんてしてくれなかった。
鬱陶しいと思われるだけで、誰も……
ずっと……ずっと独りだった。
孤独だったから、誰かに愛されたかった。
愛されてみたくて、一生懸命媚びを売った。
自分が耳が良いと理解してからは、人の心を兎に角聴くようにした。
そして、その人の機嫌を取るようにした。
少しでも好きになってもらえるように。
でも……駄目だった。心に耳を澄ませれば澄ませる程に、みんな俺を気味悪がった。
ああ、やっぱり「他人」なんて受け入れてくれないのか。
だったら、「家族」なら愛してもらえるのだろうか?
自分と血の繋がった家族なら……
だから俺は、家族が欲しかった。
一刻も早く誰かと結婚して、家族になりたかった。
子供でも生まれて、血の繋がった家族ができれば、もう独りじゃないと思ったから。
だから、誰もいいから結婚したかった。
元々女の子は好きだった。優しいし、男の俺と違って柔らかくて、いい匂いがして、綺麗で可愛い。
だけど現実は全然上手くいかなかった。
俺は、俺の信じたいものを信じてきた。
俺の無駄に良い耳は騙されていると、相手が嘘をついていると訴えていても、俺はその子を信じた。
結果、毎度毎度好きになった女の子には騙された。
どんなに尽くしても、借金をしてまで貢いでも、いつも最後には裏切られた。
それでも……家族が欲しいという望みを諦めることは出来なかった。
――ああ、やっぱり俺ってダメな奴なんだな。
折角じいちゃんに拾ってもらえたのに、全然期待に応えられなかったし、兄貴にも嫌われたままだ。
鬼殺隊に入ってから何度も手紙を出しているのに、一度も返事なんて貰えたことない。
それどころかちゃんと読んですらいないんだろうな。
だって、いつも兄貴に手紙を届けに行かせると、決まってチュン太郎……ううん。小羽ちゃんが申し訳なさそうな音をさせて、帰って来てたから。
あの人たちと……「家族」になりたいと思った。
じいちゃんと兄貴と過ごした日々はたった一年と短いし、修業の日々もとても辛いものだったけど、でも……初めて「居場所」だって思えた場所だったから
――ああ、寂しいな。
とても寂しい。体が弱っているせいで、余計に寂しくなる。
だけど、どんなに心細くても……俺の手を握ってくれる人なんて……

「……?」

不意に手に温もりを感じで、俺はぼんやりとした意識の中で目を開けた。
誰かが、手を握ってくれている。
傍に誰か居てくれている。
この、とても澄んだ音は……まるで小鳥が囀るみたいに心地よい音を、俺はよく知っている。

「……小羽、ちゃん?」
「善逸くん。」

熱のせいか、視界がぼやけて顔がよく見えない。
でも、小羽ちゃんからはすごく俺を心配する音がするんだ。
それがとても嬉しかった。
心細いせいか、じわりと涙が浮かんだ。
小羽ちゃんが、ぎゅっと握る手の力を強くする。

「……まだ、寝てた方がいいよ。」
「小羽ちゃん、俺……」
「大丈夫だよ。ちゃんと傍にいるから。」
「俺……昔の夢を見たんだ。ずっと……ずっと独りぼっちだった頃の……」

俺はぼんやりとした意識の中で、夢に見た記憶の話を小羽ちゃんに話した。
ただ、聞いてほしかった。
普段意識がはっきりしてたら、絶対に小羽ちゃんには恥ずかしくて話せなかったことまで話した。
みっともなく足掻いてたこと。女の子に騙されて裏切られた話。
修業の日々、逃げ出したこと。じいちゃんに怒られた日のこと。
どれもあまりにも情けない話だ。呆れられてしまう。
けれど、小羽ちゃんは黙って俺の話が終わるまで聞いていてくれた。

「俺ね、家族が欲しかったの。誰かに一度でもいいから愛されてみたくて、だから……一生懸命がんばった。でも、いっつも空回りして、全然ダメで。」
「うん。」
「俺……夢があるんだ。誰よりも強くなって、それこそ柱になれるくらい強くなって、じいちゃんの期待に応えて、沢山の弱い人や困っている人を助けるんだ。それで……一生に一人でいいから、誰かを好きになって、守り抜いて……幸せにする。」
「……素敵な夢だね。」
「でもさ、俺……全然弱いから、情けない奴だから。誰にも期待なんてしてもらえない。」
「そんなことないよ。」
「でも……」

ふわりと、俺の頭に小羽ちゃんの手が置かれた。
そのまま優しい。とても優しい手つきで頭を撫でられる。
びっくりして小羽ちゃんを見れば、穏やかに、とても優しい眼差しを俺に向けて、柔らかく微笑んでくれていた。

「善逸くんは頑張ってるよ。すごく頑張ってる。逃げ出したって、最後までやり遂げたでしょ。投げ出さなかったでしょ。ちゃんと、頑張ってるよ。」
「……本当に?」
「うん。偉い偉い。」
「……っ!」

じわりと目尻に涙が浮かぶ。
誰かに認めてもらいたかった。いつも逃げ出して、諦めて、見放されてしまうけれど、その努力を少しでもいいから、よくやったって、頑張ったなって、褒めてもらいたかった。認められなかった。
じいちゃん以外で、初めて人に認められた気がした。
泣き出した俺を、小羽ちゃんはずっと撫でてくれた。
呆れるでもなく、ため息をつくでもなく。
ただ優しく、包み込んでくれるような優しさだけを向けてくれてた。
小羽ちゃんは、俺が今まで会ってきたどの女の子とも違ってた。
初対面の頃からここまで優しくしてくれた女の子は、小羽ちゃんだけだったから。
情けない姿ばかり見せてきた俺に呆れたり、困ったりする音はしても、俺を見限ったりしなかった。
そんな人はじいちゃん以外で初めてだったし、炭治郎も変だけど、小羽ちゃんも変わっている。
最初は優しくしてくれたから気になった。
見た目も小柄で可愛らしい子だったし、すごく好みだったから……所謂一目惚れ。
次に藤の花の家紋の家で会った時は、思わぬ再会に胸が踊った。
まさか彼女の正体がチュン太郎だったって知った時には、本当に驚いたけど……
蜘蛛鬼の毒にやられた俺を心から心配してくれて、必死に助けようとしてくれた。
俺のために、涙まで流してくれた。
すごく優しい子。責任感の強い子。
小羽ちゃんのことを知れば知るほど、気になっていった。
本気で……好きになっていった。
今までの女の子たちはフラれてもどこかで、ああ、やっぱり駄目だった。また駄目だったって悲しかったけれど心のどこかで分かってて、諦められた。
すぐに次の恋を見つけられた。
それは多分、本気で好きじゃなかったからだ。
最低だけど、女の子なら誰でも良かった。
でも、小羽ちゃんは……違う。
小羽ちゃんの手は、離したくないと思ってしまうんだ。
この子には情けない姿は見せたくないって思うし、優しくされると、すごく嬉しくなって、頑張らなきゃって思う。
ここまで好きになった子は初めてで、正直今までの女の子たちとの気持ちの差に戸惑うばかりだ。
だけど……こうしてどんなに情けない姿を曝してしまっても、優しく受け入れてくれたこの子の手だけは、離したくないと強く思う。
俺は……小羽ちゃんが一番好きだ。
誰よりも、何よりも大切にしてあげたい女の子。
あの夜、家族を殺されたことを淡々と語りながらも、心の奥底で泣き叫んぶように悲鳴を上げていた小羽ちゃんの哀しさや、苦しさ。
そして抱えている葛藤を、俺が少しでも支えてあげたいって思ったんだ。
初めて心から守ってあげたいって思った女の子なんだ。
ぼんやりとした意識の中で、それだけははっきりと思った。
やがて俺は泣き疲れて眠気を感じ始めた。
小羽ちゃんの優しい音を子守唄に聴きながら、俺は瞼をゆっくりと閉じていく。

「……おやすみ善逸くん。」

そんな優しい声を聞きながら、俺は深い眠りに落ちていった。


**********


小羽視点

「……ん。」

チラチラとカーテンの隙間から朝日が差し込み、小羽の顔を照らした。
眩しさに瞼を震わせると、ゆっくりと目が覚めていく。

「私、いつの間に寝ちゃって……あっ!」

寝不足で重たい目を擦りながら小さくあくびをすると、すぐに善逸の容態を思い出して慌てて彼に視線を戻した。
徹夜で看病すると自分で決めたのに寝てしまった。
視線の先では善逸がまだ苦しそうに呼吸しているのが見えた。
慌てて起き上がって額に手を乗せて熱を測る。
まだほんのりと熱さの残る額に、小羽は不安げに瞳を揺らした。
善逸の鮮やかな金色の髪が、きらきらと朝日に反射して美しく見えた。
思わずさらりと前髪を撫でると、「んっ」と善逸の瞼がピクリと動いた。
慌てて手を引くが、既に遅く、善逸の瞼がゆっくりと開かれた。

「……あれ……俺、どうしたんだっけ?」
「善逸くん、大丈夫?」
「……小羽ちゃん?」

ぼんやりと天井を見つめていた善逸に声をかけると、善逸がゆっくりとこちらに首を向けた。
まだ目覚めたばかりだから、それとも熱のせいなのか、虚ろな目でぼんやりと小羽を見つめる。

「善逸くん、熱で倒れたんだよ。気分はどう?」
「う、ん……なんか、すごく頭がぼんやりする……」
「まだ熱が下がってないからだね。待ってて、今しのぶさんを連れてくるから。」
「あっ……待って。」
「……ん?」

しのぶを呼ぶために病室を出て行こうとした小羽の手首を、善逸が掴んで止める。
弱々しい力で掴む手をそっと取って握り返すと、小羽はにっこりと柔らかく微笑む。

「俺……」
「大丈夫。もう何処にも行かないから。しのぶさんを呼んだらすぐに戻ってくる。」
「……本当に?」
「うん。」

しっかりと善逸の手を両手で包み込んで握り締めながら、彼の目をまっすぐに見つめてそう答えると、善逸が安堵したように微笑んだ。

「……良かった。」
「うん。」

小羽は善逸を安心させるように一度手を強く握りしめると、善逸も弱々しい力で握り返してくれた。
そして名残惜しげに手を離すと、小羽はしのぶを呼びに病室を後にしたのであった。


************


小羽視点

それは少し前に遡る。
私が一人で善逸くんの看病をしていた時であった。

「う……っ!」
「……善逸くん……」
(すごく……苦しそうだ。)

高熱によって苦しむ善逸くんが少しでも楽になるように、私は一時間おきに手ぬぐいを水で濡らしては額に当ててやり、更に汗だくになった善逸くんの体を時々拭いてやったりした。
それでも善逸くんの熱は中々下がらずに、苦しそうに呼吸する彼を見る度に、胸が締めつけられそうになった。
一晩介抱すると決めたものの、一向に熱の下がる気配のない善逸くんに私は焦っていた。

「……っ」

善逸くんが苦しげに息を吐き出す。
顔を苦しそうに歪める善逸くんの目にうっすらと涙が浮かんだ。
熱に浮かされて苦しいのだろうか。
私がまたしのぶさんを呼んできた方がいいのだろうかと思い始めた時、善逸くんが震える唇で何かを呟いた。

「……っ……ぃ」
「……え?」

それはあまりにも小さな声で、善逸くんのように耳が良い訳では無い私には聞き取ることができなかった。
また善逸くんの唇が震える。
今度こそちゃんと聞き取ろうと、耳を傾ける。
聞き逃すことのないように善逸くんの顔に耳を近づけた。

「……さみ…しい……ひとり、は……嫌、だ……」
「……っ」

それはなんと切実な願いだろうか。
まるで苦痛に耐えるような、呻き声のように絞り出すような声で発せられた言葉。
けれど、思わず顔を歪めたくなるくらい哀しくて、泣きたくなるような震える声でもあった。
普段の喧しいくらいに賑やかな善逸くんからは想像も出来ないくらい、哀しい声。
聞いているこっちまで悲しくなるようなその声に、私はすっと目を細める。

「……っ、善逸くん……」
「……ぅあっ!」

悪夢でも見ているのか、善逸くんがまるで助けを求めるように手を伸ばす。
見ていられなくて、私は咄嗟にその手を取った。
ぎゅっと包み込むように両手で握り締める。
すると、善逸くんの瞼がふるふると震えた。
ゆっくりとその瞳が開かれる。

「……っ」

ゴクリと息を飲んだのは私だった。
暗闇の中でうっすらと淡く光るランプの光だけが病室を照らす。
そんな薄暗い夜の空間に現れた美しい月に、私は吸い寄せられるように釘付けになった。
善逸くんの瞳は髪の金色とはまた違う美しさがあった。
琥珀に近い金色の瞳が夜空に浮かぶ月のように優しくて、惹きつける。
無意識にずっと見ていたいと思った。

「……小羽、ちゃん?」
「善逸くん。」

目を覚ました善逸くんに名を呼ばれて、はっと我に返る。
善逸くんは私を見ていた。
まだ意識はぼんやりとしているのか、どこかその瞳は虚ろげで、涙に濡れて潤んでいた。
思わずぎゅっと手を握る手に力を込めた。

「……まだ、寝てた方がいいよ。」
「小羽ちゃん、俺……」
「大丈夫だよ。ちゃんと傍にいるから。」
「俺……昔の夢を見たんだ。ずっと……ずっと独りぼっちだった頃の……」

善逸くんはまるで昔話を聞かせるように、私に自分のことを話してくれた。
自分が産まれてすぐに親に捨てられたこと。置き去りにされた家の人に育ててもらったけれど、家の人とは上手くいかなかったこと。
ずっと寂しかったと。
誰彼構わずに女の子に優しくされればすぐに求婚した理由。
どうしても家族が欲しかったと、悲しげに語る善逸くんの横顔に、私は彼に対して盛大に誤解をしていたと感じた。
善逸くんが女の子を見境なく口説くのは、単純に女好きなのだと勝手に思い違いをしていた。
すごく申し訳なくなる。

「俺ね、家族が欲しかったの。誰かに一度でもいいから愛されてみたくて、だから……一生懸命がんばった。でも、いっつも空回りして、全然ダメで。」
「うん。」
「俺……夢があるんだ。誰よりも強くなって、それこそ柱になれるくらい強くなって、じいちゃんの期待に応えて、沢山の弱い人や困っている人を助けるんだ。それで……一生に一人でいいから、誰かを好きになって、守り抜いて……幸せにする。」
「……素敵な夢だね。」
「でもさ、俺……全然弱いから、情けない奴だから。誰にも期待なんてしてもらえない。」
「そんなことないよ。」
「でも……」

自分をどこまでも卑下する善逸くんに、無意識に手を伸ばす。
そのまま気持ちのままに彼の頭を撫でた。
突然頭を撫でたからか、善逸くんが驚いたように目を大きく見開いてこちらを見る。
それでも私は撫でる手を止めなかった。
善逸くんは、自分で思っているように駄目なんかじゃない。
確かに怖がりだし、泣き虫だし、よく逃げ出そうとするし、情けない所もあるけれど、本当はすごく優しい人だ。
誰かが傷つくくらいなら、平気で自分を傷つけようとするし、誰かを守る為ならば自分の命なんて顧みずに盾になろうする。
本当は臆病なのに、誰よりも無茶をする。
こっちが心配になるくらいに優しすぎる人なんだ。
善逸くんは、全然ダメな奴なんかじゃない。
それが分かってほしくて、私は言葉を紡ぐ。

「善逸くんは頑張ってるよ。すごく頑張ってる。逃げ出したって、最後までやり遂げたでしょ。投げ出さなかったでしょ。ちゃんと、頑張ってるよ。」
「……本当に?」
「うん。偉い偉い。」
「……っ!」

まるで小さな子供をあやす様にそう言うと、善逸くんの目から涙が溢れた。
ポロポロとお月様のような綺麗な金色の瞳から、透明な雫が零れ落ちる。
それを綺麗だなと思いながら、私は善逸くんの頭を撫で続けた。
善逸くんとはずっと一緒にいたのに、私は善逸くんの心の底にあった孤独に気付いてあげられなかった。
善逸くんはずっと寂しいと訴えていたのに。
ごめんね善逸くん。
善逸くんは私の心を救ってくれたのに、私は善逸くんの力になれてなかったね。
だから、これからはもっと優しくあろうと思う。
この人の寂しさを、ほんの少しでもいいから紛らわせてあげたかった。
撫で続けていると、善逸くんの目がとろんと眠たげになってきた。
疲れているのだろう。眠気に誘われるように目を閉じた善逸くんを穏やかな気持ちで見つめていた。

「……おやすみ善逸くん。」

そう言うと、善逸くんが微かに微笑んだ気がした。


***************


「……だいぶ良くなりましたね。」
「……良かった。」

朝になってからまたしのぶさんに善逸くんの容態を診てもらうと、しのぶさんは笑顔でそう答えた。
良くなっている。その言葉に私はほっと胸を撫で下ろした。

「まだ微熱ですから、今日は兎に角安静に。」
「……分かりました。」
「善逸、大丈夫か?何かして欲しいことあったら遠慮なく言うんだぞ?」
「俺も……ヤクタダズダケド……」
「ぅぅ、ありがとうぉ〜〜!!炭治郎ぉ!!伊之助ぇ!!」
「早く元気になれよ。善逸!」
「うぅ、清隆〜〜!!」

次々とみんなから労る声を掛けられて、とても嬉しそうに涙を流す善逸くんの様子を私は微笑ましげに眺めていた。
すると、不意に善逸くんと目が合う。

「……っ」

――なんで。
思わずそう呟きそうになって、ぐっと言葉を飲み込んだ。
私と目が合った瞬間、彼の目がとても優しいものに変わった。
何で……そんな目をするの。
何でそんな……まるで愛おしいものを見るような笑顔を私に向けるの。
蕩けるような目でこちらを見ている善逸くんの視線に気づいてしまった。
その視線が何を意味するかなんて、勘が良くなくたって分かる。
頭と心がかち合うように理解した瞬間、カッと顔が熱くなった。
思わずその視線から逃げるように目を逸らしてしまう。
ドクリドクリと鼓動が速くなる。
訳も分からずに気恥ずかしくなってしまい、私はただ、この心臓の音が善逸くんに聴こえないように必死に冷静になろうとしていたのだった。


**********


「善逸くん、口開けて。あーん!」
「あーん!」

小羽がお粥の乗ったレンゲを善逸に突きつけると、善逸はデレ〜と真っ赤な顔を破顔させて、大きく口を開けてパクリとレンゲを口に入れた。

「美味しい?熱くない?」
「全然熱くないよぉ〜〜!小羽ちゃんが食べさせてくれるから、すっごく美味しいよぉ〜〜!」
「そう。良かった……」
「うへへへへ、小羽ちゃんが俺のためにお粥作ってくれて、食べさせてくれるなんて幸せ〜〜!幸せすぎて俺もう死んじゃうかも〜〜!」
「こんな事で喜んでくれるならいくらでもやってあげるから、死ぬなんて簡単に口にしないでね。善逸くん。」
「はーい!うへへへへ!」

デレデレ顔の善逸に困ったように笑うと、小羽はまたお粥を掬ってふーふーと息を吹きかけた。
ある程度お粥を冷ますと、またレンゲを善逸の口元に突きつけて食べさせてやる。
蜘蛛化する毒のせいで手足が短くなってしまった善逸はご飯を食べるのも一苦労なため、先程からこんな感じであーんを繰り返して小羽が食べさせてやっていた。
しかもこのお粥、小羽が自ら調理した卵粥である。
気になる女の子に料理を作ってもらって、その上食べさせてもらえるなんて生まれて初めてな善逸は、今人生において訪れた贅沢な幸福を全力で噛み締めていた。

「小羽ちゃんが俺のために作ってくれて、俺のためにふーふーしてくれたお粥を小羽ちゃんの手で食べさせてもらえる……ああ、俺今すっっっごい幸せ!!うへへへへ!!えへへへへ!!」
「そ、そう?」

飽きれるくらいデレデレ顔の善逸に、小羽はほんのりと頬を赤く染めて、照れたように俯いて目を逸らした。

「……ぶん殴りてぇ……」

そんな物騒な言葉を吐きながら、恨めしげに善逸を睨みつけるのは清隆である。
今なら人一人殺せそうな殺気立った鋭い眼光で善逸を睨みつけている彼は、ギリっと奥歯を噛み締めて悔しそうに唸る。
そんな清隆を同情的な目で見つめながら、炭治郎は言う。

「気持ちは分かるが殴ったら駄目だ。せめて頭突きにするんだ。」
「俺は炭治郎みてぇに石頭じゃねえから頭突きしても善逸(あいつ)殺せねぇ。」
「俺の頭突きは鈍器じゃないぞ!?」
「……くそ、病人じゃなければ今すぐに殴るのに……でも今そんなことしたら小羽に嫌われる。くそっ!しかもなんか仲良さげだし……小羽……兄ちゃん寂しいぞ。」
「清隆……」
「……その顔やめろ。」

シスコンを微塵も隠すことなく曝け出す清隆に、炭治郎はまるで自分を見ているような気分になり、なんとも言えない微妙な顔をした。

「ご飯食べたら薬飲もうね。」
「えー!!あの薬すっごく不味いんだよ!!嫌だよ!!飲みたくないよ!!」
「でも飲まないと手足元に戻らないよ。がんばって飲もう?」
「うう〜、だったら小羽ちゃん飲ませてよォ!」
「飲ませてって言われてもなぁ〜、湯のみ持てばいいの?」
「そこはやっぱり口う……「口移しとか言ったら殺す!!」……やっぱり何でもない。」
「……善逸くん……お兄ちゃんも……」

善逸が調子に乗ってセクハラ発言をしようとすると、清隆からの殺気がぶわりと膨れ上がり、肌を刺すような痛い視線を感じた。
それに冷や汗をかきながら、善逸は慌てて口を噤む。
いっそ清々しい程に欲望に忠実な善逸に呆れ、殺気を隠すどころか敢えて分かりやすくひしひしと伝えてくる過保護な兄に、小羽は深くため息をついた。

「……がんばって飲んだら、善逸くんがして欲しいことしてあげるから。」
「えっ!?」
「小羽!?」
「あっ、勿論私が許せる範囲でだよ。それなら……「じゃ、じゃあ!膝枕して!あっ!できれば耳かき付きで!!それから、一緒に出かけたりしたい!!」……まあ、それくらいなら……「約束だよ!!」……うっ、うん。」

ここぞとばかりにぐいぐいくる善逸に呆気に取られる小羽。
ちょっと押され気味に約束すれば、善逸はとても嬉しそうに、本当に嬉しそうに喜んでいた。
破顔したデレデレ顔で見るに堪えないが、小羽との逢い引きを心から楽しみにしているらしい彼に、小羽は困ったように笑う。
そして残念なことに、それを嫌だと感じない自分にも驚いた。
寧ろ少しだけ楽しみだと感じているこの気持ちにも……
――どうにも、あの夜から少しおかしいのだ。
善逸くんに心にずっと抱えていた葛藤や苦しさを吐き出して、それでも受け入れてくれた彼の優しさに触れて涙した。
善逸くんを見ると、鼓動が速くなる。
……まさか、私って善逸くんのことを……?
いやいや、それは……

「……うーん……」
「小羽ちゃん?なんか難しい顔してるけど大丈夫?」
「うーん??」
「……っっ!!!」
ガタンっ!!
「ダメだ清隆!!抑えろ!!」

何かを察したらしい清隆が、もう我慢の限界とばかりに拳を作りあげて立ち上がれば、炭治郎が必死になってそれを止めようとする。
お互いに大怪我をしているのにも関わらず、炭治郎は清隆を羽交い締めにして、善逸を殴ろうと暴れる彼を必死に止めていた。

「はなせ炭治郎!!あいつやっぱ殴る!!いいや殺す!!」
「駄目だ!!」
「ひぃぃぃ!!なんなのぉぉ!!?」

小羽が一人自分の心の変化に悶々としている間、暴れまくる清隆を炭治郎が必死に押さえつけ、善逸は殺気立った清隆にただただビビりまくっていた。


**********


善逸が倒れてから数日が経った。
毒の副作用で熱が中々下がらなかった善逸も、今ではすっかり元気になり、毎日騒いでいる。
そんなある日、村田さんが炭治郎たちのお見舞いにやって来た。

「よっ!元気そうだな!」
「村田さん!来てくれたんですね!」

那田蜘蛛山で炭治郎と伊之助と共に戦った村田の元気そうな姿に、炭治郎は嬉しそうに顔を綻ばせた。
サラサラなストレートヘアーを靡かせて、村田は笑顔で持って来ていたお土産の饅頭を差し出してきた。

「これ、饅頭なんだけどみんなで食べてくれ!」
「ありがとうございます!」
「……炭治郎。この人誰?」
「あっ!そうか、善逸と小羽と清隆は初対面だったな!那田蜘蛛山で一緒に戦った村田さんだ!村田さん、こっちは俺の同期の善逸と小羽。その兄の清隆です。」
「おお!村田だ。よろしくな!」
「「ど、どうも……」」

笑顔でこちらに手を振るう村田に、小羽たち三人は軽く会釈して応えた。
話によると、村田は那田蜘蛛山での仔細報告のために柱合会議に召喚されたらしい。
どんよりと暗い影を背負って疲れたように語る村田の様子に、彼が如何に恐ろしい目にあったのかが窺えた。

「地獄だった……怖すぎだよ。柱……」
「そ、そんなにですか?」
「なんか最近の隊士はめちゃくちゃ質が落ちてるってピリピリしてて、みんな。那田蜘蛛山行った時も命令に従わない奴とかいたからさ……その"育手"が誰かって言及されててさ……」
「は、はあ……」
「俺のせいじゃないのに……ブツブツ」

途中から愚痴ばっかりになった村田の話しに、炭治郎も小羽たちも困り顔であった。
そんな彼の背後に音も立てずに現れたのはしのぶであった。

「こんにちは。」
「あっ!胡蝶様!!?どっ、どうもさようなら!!」
「あらあら。」

柱であるしのぶが現れると、村田は青ざめた顔でそそくさと帰って行った。
それを変わらぬ笑顔で見送るしのぶがちょっぴり怖かった。

「どうですか?体の方は。」
「かなり良くなってきてます。ありがとうございます。」
「ではそろそろ、機能回復訓練に入りましょうか!」
「……へ?」
「……機能回復訓練?」

しのぶの言葉に炭治郎は不思議そうに首を傾げ、善逸は嫌な予感を感じ取ったのか冷や汗をかく。
清隆は知っているのか「そろそろやらないと体が鈍るもんな」と納得したように頷いていた。


**********


機能回復訓練が始まった。
長い療養生活によって鈍った体や落ちた体力を元に戻すための訓練。
まだ毒のせいで体が本調子ではない善逸以外の、炭治郎、伊之助、清隆がその訓練を行うことになった。
その訓練も今では一週間ほど経ち、善逸も明日から訓練に参加することになった。

「――いよいよ明日から善逸くんも機能回復訓練に参加できるね。」
「いや、全然嬉しくないよ。」
「またそんなこと言って……でも善逸くんが元気になってくれて本当に良かった。」
「えへへ!!小羽ちゃんが一生懸命看病してくれたお陰だよぉ〜〜!!」
「相変わらず口が上手いなぁ〜。それだけ元気なら明日からの訓練も大丈夫そうね。」
「ひえっ!!そんなことないよぉ!!だって見たでしょ!?炭治郎たちが……!」
ガラッ

そんなやり取りをしていると、戸を開けて炭治郎と伊之助が入ってきた。
どうやら二人共、訓練を終えて戻ってきたようだ。
しかし、二人の様子がおかしい。
二人共げっそりとやつれていて、ひどく疲れきっていた。
そんな様子のおかしい二人に善逸は盛大に顔を引き攣らせた。

「おかえり。今日も随分と疲れてるみたいだね。」
「おかえり。炭治郎、伊之助。今日はどんな感じだった?」
「「………」」

炭治郎と伊之助は善逸の質問には答えずに、まっすぐベッドに向かっていく。
そして無言で布団を頭まですっぽり被ると、ポツリと一言だけ。

「…………ごめん。」
「何があったの?どうしたの?ねぇ!!」
「……………キニシナイデ。」
「教えてくれよーー!!明日から俺も少々遅れて訓練に参加するんだからさァ!!」

酷く疲れきった声と、落ち込んだような声で二人はそれだけ答えるとすぐに寝てしまった。
いつもと様子の違う二人に、善逸は訓練の内容が恐ろしい意味で気になってしまって泣き喚く。
そんな炭治郎と伊之助の様子に、小羽は苦笑する。

「あはは、これはまたこっ酷くやられたかな?」
「何!?小羽ちゃん何が知ってるの!?教えてよ!!」
「えっと……「小羽に近づくなって言ってるだろ善逸!!」……あっ、お兄ちゃん。」

元気な怒鳴り声と共にやって来たのは清隆であった。
炭治郎や伊之助と違って、清隆は元気そうであった。

「小羽も!善逸を甘やかすな!」
「いや、だって……お兄ちゃんは元気そうだね。」
「おう!俺は今日で訓練終わった!結構鈍っちまってた体も戻ってきたし、カナヲにもやっと勝てた!俺は一足先に訓練終了だ!」
「そっか!良かったね!」
「ははっ!ありがとうな小羽!」

小羽も清隆も、実は既に全集中“常中”は会得しており、そのお陰か清隆はすぐに鈍った体の感覚を取り戻してみせた。
ニカッと笑顔でそう報告する清隆に、小羽は嬉しそうに笑った。
しかし善逸はそれを聞いて絶望の表情を浮かべていた。

「嘘だろ!!清隆訓練終わっちゃったの!?一人だけ抜け出すなんてズリーよ!!ひどいよ!!」
「はあ?何言ってんだ?俺はお前等よりも先輩なんだぞ。鍛え方が違うっての。」
「ねぇ!!せめて訓練の内容だけでも教えてよぉーー!!炭治郎も伊之助も聞いても教えてくれないんだよぉ!!」
「ふーん。」

善逸が訓練に怯えて泣き叫ぶと、清隆は意地悪げな笑みを浮かべた。
それに小羽はやれやれと呆れた眼差しを向ける。

「……内緒だ。」
「ハァァァァァーーーー!!?」
「……お兄ちゃん……」

善逸が怯える様が見ていて面白いのか、清隆はとても楽しげな笑顔を浮かべると、サラリとそう言った。
それに我が兄ながら意地悪だなと呆れつつ、善逸は絶叫を上げ、騒ぎを聞きつけて駆けつけたアオイに説教されて更に泣かされることになったのは言うまでもない。


***********


――次の日――訓練場

「善逸さんは今日から訓練参加ですので、ご説明させていただきますね。」

善逸のみがビクビクと怯えながらも迎えた訓練の日。
今日から初参加となる善逸の為に、アオイが改めて機能回復訓練の内容を説明してくれた。
まずはきよ、なほ、すみの三人の見習い看護師である少女たちが、寝たきりで硬くなった体をほぐし、それからアオイかカナヲを相手にお互いに薬湯をかけ合うという反射訓練。
そして最後に鬼ごっこに例えた全身訓練という、三つの訓練方法だった。
その説明を聞き終えた善逸が、何故かとても険しい表情を浮かべていた。

「すみません、ちょっといいですか?」
「?、何かわからないことでも?」
「いや、ちょっと……来い二人共。」
「?」
「行かねーヨ。」
「いいから来いって言ってんだろうがァァァ!!」
「「!?」」

善逸が不意に立ち上がり、炭治郎と伊之助の二人を連れて何処かに行こうとしていた。
それに炭治郎はきょとりと不思議そうに首を傾げ、伊之助はどかりと座り込んだまま動こうとしない。
そんな二人に善逸が突然キレた。
血管が浮き出るほどブチ切れている善逸に、流石に小羽がギョッと驚いた。

「えっ、ちょっ!?どうしたの善逸くん?」
「あっ、小羽ちゃんは来なくて大丈夫だよぉ〜〜!俺はこのバカ二人にちょぉっと用があるだけだからぁ!」
「でも……」
「行くぞオイ!!来いコラァ!!クソ共が!!ゴミ共が!!」

善逸を心配して小羽が声を掛ければ、善逸は先程までの怒りに満ちた表情をコロッと笑顔に変えて、小羽に笑いかけた。
それでも尚小羽は食い下がるが、善逸はすぐに炭治郎と伊之助を無理やり引き摺るようにして外へと連れ出してしまったのであった。

「なんなんだろう……どうしちゃったのかな。善逸くん。」
「さあ?早く訓練を始めたかったのですが、何かあったんでしょうか?」
「う〜ん?」

そんな会話を残された小羽とアオイがしていた。



一方、場所は変わって訓練場の外では、炭治郎が何故か正座させられていた。
伊之助は頑なに正座を拒否し、善逸がキレた。

「正座しろ!!正座ァ!!この馬鹿野郎共!!」
「なんダトテメェ……」
ボカン!!

その時、突然善逸が伊之助を殴った。
しかも呼吸を使っての全力パンチなので、それはもう勢いよく伊之助は吹っ飛ばされたのである。

「伊之助ぇーー!!?」
「ぐぅ……」
「なんてことするんだ善逸!!伊之助に謝れ!!」
「ギィイイイイ!!」

あまりにも理不尽な善逸の行動に、炭治郎は怒り、殴られた伊之助もまたキレてジタバタと暴れまくっていた。
普段の善逸であれば絶対にこのような理不尽で意味不明な行動はしないだろう。
だが、今の善逸はおかしくなっていた。

「お前が謝れ!!お前等が詫びれ!!!天国にいたのに地獄にいたような顔してんじゃねぇぇぇぇぇ!!女の子と毎日キャッキャッキャッキャッしてただけのくせに、何やつれた顔してみせたんだよ!!土下座して謝れよ!!切腹しろ!!」

血走った目でそんなことを大声で叫ぶ善逸。
その会話はもちろん訓練場にいる小羽たちにもばっちり聞こえていた。
彼の声がそれだけ大きすぎて筒抜けなのである。

「……最低ですね。」
「……善逸くん。」

アオイの目が冷ややかなものに変わり、小羽はそっと片手を額に当てて天を仰いだ。

「……小羽、今からでも遅くないぞ。担当変えてもらおう。」
「お兄ちゃんまで……あの、でもね。善逸くんにだって良いところはいっぱいあるんだよ?」

小羽の両肩を掴み、真剣な表情でそう言ってくる清隆に、小羽は苦笑しながらもなんとかフォローしようと口を開いた。

「なんてこと言うんだ!!」
「黙れこの堅物デコ真面目が!!黙って聞け!!いいか!?」

キレて暴走した善逸は、炭治郎でも止めることが出来ないようで、完全に目が血走って眼孔をかっぴらいている彼はとても恐ろしかった。
物凄い勢いで炭治郎に詰め寄り、善逸は炭治郎の髪を一房掴むと、毟り取るんじゃないかという勢いでグイグイと引っ張りながら説教を始めた。
鼻息も荒く、声もただでさえ大きいのに更に大声で叫びまくり、血走って充血した目はギョロリとしていて、いつもの数倍気持ち悪い善逸になっていた。

「女の子に触れるんだぞ!!体揉んでもらえて!!湯飲みで遊んでる時は手を!!鬼ごっこの時は体触れるんだろうがァァァ!!」
「女の子一人につきおっぱい二つ!!お尻二つ!!太もも二つついてんだよ!!すれ違えばいい匂いするし、見てるだけでも楽しいじゃろがい!!」

そして善逸は炭治郎の掴んでいた髪をついに勢いよく毟り取ると、凄まじい身体能力で高々とジャンプして見せた。
それには炭治郎も伊之助も驚きながらもドン引きした。

「幸せ!!うわあああ幸せ!!」

――嗚呼、これはもうダメだ。
流石にこの発言は宜しくない。善逸くんを庇いきれない。
小羽は等々、両手で頭を抱えて俯いた。
アオイやきよちゃんたちの目が物凄い軽蔑の眼差しに変わるのを見てしまった。
清隆は同じ男としても理解できないのか、信じられないと言いたげな目をして絶句していた。

「……あいつ、何言ってるんだ?頭大丈夫か?」
「お兄ちゃん……」
「小羽。悪いことは言わないから、善逸とは縁を切った方がいいぞ。あんな年中発情期の獣みたいな男の傍にいたら、兄ちゃん心配でしょうがない。」
「えっ。」
「同感ですね。恋人である小羽さんには申し訳ありませんけど、あんなケダモノとお付き合いを続けるのはやめた方がいいと思います。身の危険を感じます。」
「えっ!?ちょっ、待って私は……「断じて小羽は善逸の恋人じゃないぞ!!」

アオイの「恋人」という言葉を小羽が否定するよりも早く、清隆が彼女の言葉を否定した。
相変わらず妹の事になると行動が早い男である。
否定する割にはほんのりと頬を赤らめて慌てていた小羽の態度が引っかかる。
清隆の言葉にアオイは怪訝そうな顔をして小羽を見る。
そんな小羽も同意するように首を縦に頷いた。

「……本当に、恋人ではないんですか?随分と献身的に善逸さんの看病をされていたので、私はてっきり……」
「違う違う!私と善逸くんはそんな関係じゃない!」
「そうだぞアオイ!!小羽があんなケダモノを好きになったりしたら俺が死ぬ!!」
「えっ!?」
「……清隆さんは相変わらずですね。」

シスコンを隠すことなく堂々と曝け出す兄に、小羽は恥ずかしそうに縮こまり、アオイは呆れたように目を細めた。
そして、訓練場でそんな会話がされているとは知らない炭治郎たちはというと……

「わけわかんねぇコト言ってんじゃネーヨ!!自分より体小さい奴に負けると心折れるんダヨ!!」
「やだ可哀想!!伊之助女の子と仲良くしたことないんだろ!!山育ちだもんね!!遅れてる筈だわ!!あー可哀想!!」
カッチーン!!
「はああーーーん!?俺は子供の雌踏んだことあるもんね!!」
「最低だよそれは!!」

こうして、いいのか悪いのか、善逸の参加により士気が上がった。
非常に気合が入ったのである。
一人だけ置いてきぼりにされた炭治郎を除いて。



「ウフフフフフ」

訓練場に善逸の気持ち悪い笑い声が響き渡る。
善逸はきよたちに体を揉みほぐされる中、どんなに激痛が走っても笑い続けていた。
普段の善逸であればちょっと足の小指をぶつけただけでもすぐに泣き叫びそうなのに、この時の彼は違った。

「あいつ……やる奴だぜ。俺でも涙が出るくらい痛いってのに、笑ってやがる。」
「……いや、単にあいつが馬鹿で女好きなだけだろ?」

珍しく伊之助が善逸を認めたのに対して、清隆は冷ややかな眼差しを善逸に向けてそう言った。
それに炭治郎と小羽はなんとも言えない微妙な表情を浮かべるしかなかった。
善逸の暴走はまだ続く。
その後の薬湯ぶっかけ反射訓練ではアオイに見事勝ち。

「俺は女の子にお茶をぶっかけたりしないぜ。」

キリリとした顔でそう言って、カッコつけて見せた。
しかし、裏で話していたことは声が大きすぎて筒抜けだったのもあり、アオイたち女性陣の目は厳しかった。
更に、全身訓練の鬼ごっこでも善逸は勝ち星を上げた。
元々ずば抜けて瞬発力のある彼は、容易くアオイを捕まえることができた。
けれどあのセクハラ発言のせいもあり、アオイの体に抱きついた善逸が、アオイにタコ殴りにされたのは致し方ないことだろう。
そうして負けず嫌いの伊之助もまた、善逸に続くようにして反射訓練、全身訓練でアオイに勝った。
炭治郎だけがアオイに勝つことができずにいたのである。
しかし、善逸と伊之助が順調だったのはここまでであった。
栗花落カナヲ。蟲柱、胡蝶しのぶの継子である。
彼女には誰も勝てない。
誰も彼女の湯呑みを押さえることができないし、捕まえることができない。
炭治郎たちと同期でありながら、彼女と炭治郎たちには明らかに実力差があったのである。

「紋逸が来ても、結局俺たちはずぶ濡れで一日を終えたな。」
「改名しようかな。もう紋逸にさ……」

今日の分の訓練を終えた炭治郎たちは、カナヲに薬湯をかけられたせいでずぶ濡れになりながら廊下を歩いていた。
自分と同じ同期であり、小柄な女の子のカナヲに圧倒的実力差で完敗したのもあって、三人共しょんぼりと肩を落として落ち込んでいた。

「同じ時に隊員になった筈なのに、この差はどういうことなんだろう。」
「俺に聞いて何か答えが出ると思ってるなら、お前は愚かだぜ。」
「……」

真顔でそんな情けないことを言う善逸に、炭治郎は無言になる。

「そりゃあそうだろう。」
「カナヲは炭治郎くんたちよりもずっと前から修業してるからね。」
「二人はあの子のことを知ってるのか?」

清隆と小羽の言葉から、随分と少女と親しいことが伺えた。
炭治郎は素直に疑問に思ったことを口にする。

「ああ、俺たちって鎹一族だろ、母さんの代から柱の鎹鴉を育てる機会が多くてさ、現水柱である義勇兄さんの鴉は母さんが育てたし、しのぶさんや霞柱の鴉も俺と小羽が育てたんだ。勿論カナヲの鴉もな!そんな訳で柱とは俺等が小さいガキの頃からの知り合いでさ、昔からしのぶさんとも仲良くさせてもらってるんだわ。」
「カナヲはね、三、四年くらい前だったかな?正確な年は忘れちゃったけど、しのぶさんとカナエさんが連れて来た子なんだ。それくらい前からずっと修業してるから、炭治郎くんたちよりも実力差があるのはしょうがないよ。」
「そうだったのか……そういえばカナエさんて誰だ?」
「カナエさんは……しのぶさんのお姉さん。元花柱で、もう亡くなってる。」
「えっ」

小羽の言葉に炭治郎が息を呑む。
おそらくは何か察したのだろう。顔が強ばっていた。

「それは……もしかして鬼との?」
「ああ、十二鬼月との戦闘でな。」

小羽の代わりに清隆が答えると、炭治郎は少ししょんぼりと顔を俯けて、「そうか」とだけ呟いた。

「……まっ、三人共そう落ち込まないで。何度も挑めば何か感覚を掴めるだろうし、努力あるのみだよ!」

小羽がしんみりしてしまった空気を変えるように敢えて明るくそう言えば、炭治郎はすぐに気を持ち直して、「ああ、がんばるさ!努力することは得意なんだ。なんてったって長男だからな!」と気合十分に答えた。
拳を握りしめてやる気十分な炭治郎とは対照的に、善逸と伊之助はなんだかげっそりとしていて、しょんぼりと落ち込んだままであった。

――それから五日間、三人はカナヲに挑んでは負け続ける日々が続いた。
三人の中で一番遅れていた炭治郎は何とかアオイには勝てるようになったものの、やはりカナヲには全く歯が立たず、アオイには余裕で勝てた善逸は勿論、伊之助もカナヲの髪の毛一本すら触れられなかったのである。
負け慣れていない伊之助は不貞腐れてへそを曲げた。
努力することが嫌いな善逸もまた、早々と諦める態勢に入る。
彼曰く、「俺にしてはよくやった」だそうで、諦めた彼は訓練そっちのけで遊びに出かけて行った。
そして翌日から二人は訓練場に来なくなったのである。


**********


誰も居ないはずの部屋の中で、とある一つの影がモゾモゾと動いていた。
カタリと小さな音を立てて茶箪笥の扉が開かれると、中にあった目的の物を見つけ、影はニヤリと口角を釣り上げて笑った。

「むふふふ〜〜、み〜〜つけたぁ〜〜。前にここにアオイちゃんが仕舞ってたの見てたんだよなぁ〜〜」

そう言って茶箪笥に置いてあった饅頭の箱を勝手に取り出して食べ始めてしまう。
その正体はもうお分かりであろう。そう、善逸である。
善逸と伊之助が訓練に来なくなってから、もうかれこれ一週間が経とうとしていた。
自分よりもずっと華奢な女の子であるカナヲに圧倒的な実力差で負けた二人は、炭治郎のみが必死に訓練に参加する中で、サボりまくっていた。
伊之助は裏山に篭って野生動物たちと楽しく野山を駆け回り、善逸は気配を消して、こうやって誰も居ない時を狙っては、部屋に忍び込んで食べ物を摘み食いしていた。
今もこうしてこっそりと部屋に忍び込んでは、仕舞っておいたお饅頭を物色して、摘み食いしている真っ最中であった。

「(もぐもぐ)……うーん、この前食べた団子の方が美味しかったかなぁ〜〜」

勝手に摘み食いをしておいて、偉そうに文句を言う善逸。
その時、彼の耳に誰かの足音が聞こえてきた。
その足音は段々とこちらに近づいて来ているようだった。

(ヤバイ!誰か来る!……あれ?でも、この音って……)

まずいと思ったのはほんの一瞬で、その足音の主が善逸にとって、とても安心できる存在であると分かり、善逸は逃げ出すのをやめた。

ガラッ
「――あっ、ここに居たんだね。」
「小羽ちゃん。」

足音の主は小羽であった。
彼女は善逸がここに居るのを知っていたのか、迷いのない様子でこの部屋で足を止めると、そっと襖を開けて顔を覗かせた。

「小羽ちゃん、帰って来てたんだね。おかえり。」
「うん、ただいま。」

善逸たちが訓練をサボっていたこの一週間の間、小羽は善逸が動けないのもあって、一人で任務に出ていたのだ。
そしてつい先程帰還したという訳である。
小羽はアオイから善逸と伊之助が訓練をサボっていること、炭治郎のみが訓練をがんばっており、最近はカナヲに勝つために、全集中“常中”の訓練を始めたと聞かされていた。
だからこうして、善逸が居そうな場所を勘を頼りに探していたのである。

「アオイから聞いたよ。訓練、参加しなくていいの?」
「……小羽ちゃんも、俺に訓練に参加しろって言いに来たんでしょ?でも俺、もうやりたくない。」
「そっか……分かったよ。」
「えっ」

善逸はどこか罰が悪そうに小羽から目を逸らしてそう言う。
しかし意外にも小羽は「分かった」と、それだけ言って部屋を出て行こうとした。
真面目な小羽のことだから、てっきり訓練に参加しろと説教をしてくるのではと思っていた善逸は、あっさりと身を引いて去ろうとする小羽に呆れられたのではと思って青ざめた。
確かに自分は訓練をサボってはいるが、好きな子に嫌われることだけは嫌だった。
善逸は部屋を出て行こうとする小羽の腕を咄嗟に掴んで引き止めた。

「――待って!」
「……どうしたの?」

突然引き止められた小羽は不思議そうに振り返る。
小羽からは善逸に対しての呆れや怒りの感情の音はしなかった。
だから善逸は困惑した。
てっきり訓練をサボっている自分に呆れ返っているのではと思ったのに、小羽の心はとても凪いでいた。
彼女が何を考えているのか分からない。
だから善逸は心に思ったことを素直に聞いてみた。

「小羽ちゃんは……俺に訓練に参加しろって言いに来たんじゃないの?」

善逸の言葉に小羽は少しだけ困ったように眉尻を下げた。

「うーん、最初はそのつもりだったけど、でも善逸くんは訓練やりたくないんだよね?」
「……うん。」

善逸が重々しく頷くと、小羽は「うん、だから善逸くんがやりたくないなら、無理にやろうなんて言わないよ。」そう言って微笑んだ。
その言葉に善逸は戸惑い、困惑した表情を浮かべて小羽を見た。

「えっ……いいの?俺が言うのもなんだけどさ、こういうのって、やらなきゃダメなんじゃ?」
「そんなことないんじゃない?こういうのって、無理にやらせても意味ないと思うもの。本人にやる気がないのなら、厳しい訓練なんてついて来れないよ。特に全集中“常中”は、柱や継子くらいの隊士が死に物狂いで会得するものだし。だから善逸くんがやりたくないのなら、私は無理にやれなんて言わないよ。」
「小羽ちゃん……」

それは遠回しに自分を見限っていると、そう言われたようで、善逸は悲しくなった。
けれど、「でも……」と続いた言葉に、俯きかけていた顔を上げた。

「もしも善逸くんがまた訓練をしてもいいって気持ちになれたらさ、その時は私も一緒に手伝うよ。」
「……本当に?」
「うん。私も一緒に訓練に付き合うし、きっと炭治郎くんだって、お兄ちゃんだって、今はサボってるけれど、伊之助も。みんな一緒にがんばってくれるよ。きっと!」
「……でも俺、全然カナヲちゃんに勝てないんだ。それに努力するのって苦手だし……俺は炭治郎みたいにがんばれないよ。」

しゅんと落ち込む善逸に、小羽はにっこりと笑顔を浮かべる。
そして善逸を励ますように彼の手を自分の両手で包み込むと、ぎゅっと強く握り締めた。

「――大丈夫だよ。そりゃ、誰だって楽に強くなれるならその方がいいって思うよ。でも残念ながらそんな近道はないの。あまりにも辛くて、訓練を途中で逃げ出したくなっても仕方ない。……でもね、善逸くんは。善逸くんなら絶対に最後までやり遂げられるって思うの。だから善逸くん。もしも……もしもね、また訓練を頑張ろうって思えたら、その時はもう一度だけがんばってみない?」
「……小羽ちゃん……」
「今はそんなに気になれないのは分かってる。だから今は私も善逸くんに無理強いはしない。最終的に決めるのは善逸くんだしね。」
「……分かったよ。俺……もう少しだけがんばってみる。」
「……ありがとう。善逸くん。」

善逸が少しだけ前向きな考えになってくれたようで、小羽は嬉しそうに微笑んだ。
それに善逸は気まずそうにしつつも、照れくさそうに笑い返してくれたのだった。

「……あっ、あのさ……小羽ちゃん。」
「ん?」

やや躊躇いがちに善逸が口を開く。
それに小羽は不思議そうに首を傾げると、善逸はほんのりと頬を赤く染めながらこう言ったのである。

「小羽ちゃんに、見せたい場所があるんだ。」


**********


「小羽ちゃん、もうすぐ着くからね。」
「……あのね、善逸くん。」
「うん?」
「私はいつまでこのままなのかな?」

そう言った小羽の言葉に善逸は「もちろん目的地に着くまでだよ」と当たり前のように答える。
その声はとても楽しそうに弾んでおり、本当に嬉しそうに言うものだから、小羽は諦めたように小さくため息をつくしかなかった。
今小羽は、善逸に抱っこされていた。
「小羽ちゃんに見せたい場所があるんだ。」そう言って彼は小羽を何処かに連れて行きたがった。
小羽が二つ返事で頷くと、善逸は何故か小羽に目隠しをするようにお願いしてきたのである。
これには流石に小羽もドン引きした。
お前は何をする気なのかと。
大好きな小羽に引かれて、善逸は慌てて「目的地に着くまでは内緒にしておきたい」「びっくりさせたいだけだから、何もしないから」と必死にお願いしてくるものだから、小羽も渋々了承した。
そして今、彼女は目隠しをされて、善逸にどこかへと運ばれている。
いつかの夜に小羽が善逸にしたような姫抱きをされて……
目が見えないと危ないからと、恥ずかしがって何とか自力で歩こうとする小羽を半場無理やり説得して、善逸は彼女を横抱きして運ぶと言って頑なに譲らず、仕方なく小羽が折れてこうして恥ずかしい思いをしながら大人しく運ばれているという訳である。

「……はあ」
「小羽ちゃん疲れた?本当にもうすぐ着くからね!」

小羽が小さくため息をつけば、すぐに善逸が気付いて声を掛けてくれる。

気遣ってくれるのは素直に嬉しい。有難いと思う。
けれど善逸くんよ。
この格好は正直ものすごく恥ずかしいのだ。
幸いにも善逸は、流石に人目を避けているのか、さっきから人とすれ違った様子はない。
まあ、誰かに見られたら確実に誘拐か何かと勘違いされるだろう。
そして何も見えないし、足元がずっと地面から浮いているせいで、浮遊感がすごく怖い。
鳥の姿で空を飛んでいる時とはまったく違う浮遊感。
足場のないふわふわとした不安定な感覚に早く地面に降りたいと心の中で願う。
それは数十分くらいだっただろう。
けれど小羽には何時間もの間のことのように思えた。

「――着いたよ。」

やがて善逸が足を止めると、そう囁いた。
ゆっくりと地面に降ろされる。
漸く不安定な浮遊感から解放されて、地面に足をつけることができた。
ほっと一息つくと、善逸はそっと目隠しを外してくれた。
途端に視界が白くなって、眩しさに顔をしかめる。
少しして細めていた目が明るさに慣れてくると、視界いっぱいに映った光景に思わず息を呑んだ。

「――きれい。」

思わずそんな言葉と共にほうっと息を吐いた。
目の前には野原一面を覆うような美しい花畑が広がっていた。
白詰草に蒲公英、たくさんの春の花々たちがそこには美しく凛と咲き誇っていた。

「すごい……裏山にこんな所があったんだ。」
「すごいでしょ?訓練をサボっている時に偶然見つけたんだ。ここを見つけた時、絶対に小羽ちゃんを連れてきたいって思ったんだ。」

息を飲んで目の前の美しい光景に目を奪われている小羽に、善逸は嬉しそうににこにこと笑いながらそう説明した。

「そう、なんだ……ん?サボってって……まあいいけど……」

訓練をサボっていたのは正直褒められたことではないが、こんな素敵な場所に自分を連れて来てくれたのは素直にとても嬉しかった。
だから小羽は、精一杯の感謝の気持ちを込めて満面の笑みでお礼を言ったのである。

「ありがとう、善逸くん。」
「あっ……えっと……えへへ。」

小羽が笑顔を向けてお礼を言うと、善逸は何故かピンっと背筋を伸ばして固まり、照れくさそうにはにかんだ。
後ろ頭を掻きながら耳まで真っ赤にして照れている、善逸が小羽はとても可愛く思えた。
つい口元に手を当ててクスクスと笑ってしまうと、善逸はますます顔を赤らめて慌てた様子で、というよりも少しテンパった感じで口を開いた。

「あっ、あのさ!白詰草で花の輪っか作ってあげるよ!俺、本当にうまいの作れるんだ!」
「花の……輪っか?」

こてんっと、首を傾げて不思議そうな顔をする小羽。

「花で輪っかなんて作れるの?どうやって?」
「あっ、えっと……ちょっと待ってて!」

不思議そうに首を傾げたまま問いかける小羽。
それに善逸は慌ててしゃがみ込むと、いそいそと花を摘み始めた。
その様子を横からひょっこりと顔を覗かせて見ていると、善逸は摘んだシロツメ草を器用に編んでいく。
花の茎と茎を丁寧に編み込んで、徐々に出来上がっていく輪っか。
善逸の手先の器用さに感心したように、小羽はほうっと息を吐く。

「こうやって花を編んでいって、輪っかにするんだ。」
「へぇ〜すごい。善逸くんって手先が器用なんだね。」
「いやぁ〜、まあね!俺、弱いし泣き虫だし、何もいいとこないけど、これだけは昔から得意なんだ。」
「善逸くん。自分をそんな風に卑下しないで?私は善逸くんの良いところ、いっぱい知ってるよ。」
「えっ。」
「それで、その輪っかはどうするの?」

小羽の言葉に一瞬手を止めて顔を上げた善逸であったが、彼女の問いかけに思考を戻して、慌てて説明する。

「えっと……小羽ちゃんはこういう遊びしたことないの?」
「うん。というか、同年代の子と遊んだこと自体ないかな。子供の頃から鎹一族としての修業ばかりしてて、遊ぶ暇なんてなかったし、両親が亡くなってからは鬼殺隊になる為の修業に明け暮れて、その後はずっとお兄ちゃんの鎹雀として働いてたし……だから遊びってよく知らないかな。花札とかおはじき?は知ってるけどやったことはないし。」
「えっ……そ、そうなんだ?」

小羽の言葉にどう返したらいいのか分からずに、善逸は言葉を詰まらせる。
だけど何か言わなくてはと、まごまごと手を動かして花輪作りを再開しながら口を開く。

「俺も……さ、ずっと友達なんていなかったから、遊んだことあんまりないんだ。この花輪作りだって、女の子達がやってたのを見て一人で覚えたし。」
「そうなの?」
「うん。花輪ってさ、色々あるんだ。冠だったり、首輪だったり、指輪だったりね。はいこれ。」

そう言って善逸は小羽の頭にできあがった花の冠を乗せてやった。

「――えっ。」
「うん。やっぱりすごく似合う。……綺麗だなぁ」
「……っ」

蕩けるように甘く、熱を帯びた視線を小羽に向けて、うっとりと、恍惚とした表情でそう呟く。
いつかの時のような、蜂蜜のような甘い瞳で見つめられ、ドクリと心臓が大きく跳ねる。
――ああ、まただ。
この瞳に見つめられると、目が逸らせなくなる。
冷静でいられなくなる。心がざわつく。心臓の音がうるさい。
この音が善逸くんに聴かれているのかと思うと、酷く居た堪れなくなる。
落ち着け。落ち着け私。
このままだと私の気持ち、善逸くんにバレる。

小羽は何とか誤魔化すように慌てて口を開く。

「あっ、えっと……これ、貰っていいの?」
「勿論だよ!だって小羽ちゃんのために作ったんだから!」

にっこりと可愛らしい笑顔でそう言われ、小羽は嬉しそうにはにかむ。

「私の……ため?」
「うん!小羽ちゃんのことを想って編んだんだ!」
「そっ、そっか……ありがとう。」

頭に被せられた花の冠に愛おしげに触れる。
善逸くんが私を想って、私のために作ってくれたもの。
初めて彼から貰った物が、そんな風に想われながら作られたと思うと、人から見ればただの植物の冠でも、私にとっては何よりも大切な、愛おしいものに思えてくる。

(……後でこれ、栞にしよう。大切にする。)

植物だから、どうしてもいずれ枯れてしまう。
それはとても残念だけど、何か形にして残しておきたいなと小羽は思った。
――私、やっぱり善逸くんのこと……
ふと、そんな考えが頭の中を過ぎった。
一瞬よぎった想いを断ち切るように頭を振る。

「――小羽ちゃん。」
「えっ、何? 」

不意に名を呼ばれ、小羽は善逸の方を見る。
すると彼と目が合った。
ドクンッと、また心臓が跳ねる。
善逸はとても優しい目で小羽を見ていた。
愛おしげに。何よりも小羽が大切だと、愛していると、その熱を帯びた眼差しが全てを語っていた。

「――俺ね。すっげぇ弱いの。雷の呼吸だって壱の型しか使えないし、すぐ泣くし、情けないし。でもさ……」

善逸がそう言って小羽の手をそっと取る。
刀だこまみれでがさついていて、少し細くて、でもちゃんと男の子の手で、誰かを守るための優しい手。
その手で小羽の手をぎゅっと包み込みながら、小羽の目をじっと覗き込む。

「俺……小羽ちゃんを守るよ。誰よりも大切で、大好きな君のことを、俺が守りたい。
小羽ちゃんが好きです。大好きです。俺に……小羽ちゃんの傍にいる権利をください。」

耳まで真っ赤にして、真剣な目で私をまっすぐ見つめてくる。
私の手を強く握る善逸くんの手は、緊張からなのか震えていた。
本気なんだ。本気で……私をちゃんと想ってくれてる。
ドクンドクンと、自分の心臓の音がうるさいくらいに鼓動を奏でる。
嬉しかった。すごくすごく、嬉しかった。
――私は、善逸くんが好きなんだと思う。
いや、好きなんだ。
でもね、その気持ちを素直に認めることができない。
受け入れるのが怖いの。
だって……認めてしまったら、私が善逸くんの気持ちを受け入れてしまったら、私はきっと、もう……
少しだけ、考えてみたんだ。
私と善逸くんがお互いに想い合って、恋仲になって、二人で手を繋いだりして、微笑んでいる未来を……
とても、幸せだった。同時に湧き上がってきたゾワリとする寒気。
これは恐怖だ。
――ああ、やっぱり駄目。

「……ごめん……なさい。」
「――えっ。」

気付けばそう、口にしていた。
瞬間、善逸くんの表情が絶望に凍りつく。
私は激しい罪悪感に包まれながら、もう一度その言葉を口にする。

「ごめんなさい。私は……善逸くんの気持ちに応えることはできない」

今度ははっきりと、自分の言葉で彼の想いを拒絶したのだった。


**********


善逸視点

目隠しをした状態の小羽ちゃんを姫抱きしたまま、蝶屋敷の近くの裏山にある、とある場所を目指して歩いて行く。

「小羽ちゃん、もうすぐ着くからね。」
「……あのね、善逸くん。」
「うん?」
「私はいつまでこのままなのかな?」

どこか疲れた様にそう言った小羽ちゃんの言葉に、俺は「もちろん目的地に着くまでだよ」と当たり前のように答える。
早く小羽ちゃんにあの花畑を見せてあげたいな。
小羽ちゃんはどんな表情をするだろう。びっくりするかな。喜んでくれるかな。
笑顔を浮かべて喜んでくれる小羽ちゃんを想像して、気持ちがウキウキしてくる。
自然と目的地を目指す足取りも軽やかになっていく。
小羽ちゃんは最後まで目隠しをすることを渋っていたし、目隠しをした後も自力で歩いて行こうとしていた。
彼女からは恥ずかしがっている感情の音がずっとしていた。
だけど俺もそこは頑なに譲れなかったので、最後まで俺が抱っこして運ぶと言って我儘を通した。
歩いている途中で、小羽ちゃんが諦めたように小さくため息をついていたけれど、浮かれていた俺はあまり気にしなかった。

「……はあ」

また小羽ちゃんがため息をつく。

「小羽ちゃん疲れた?本当にもうすぐ着くからね!」

俺がそう言って声をかけると、小羽ちゃんが小さく頷く。
小羽ちゃんからは少し疲れたような音と恥ずかしそうな音。そして微かに怖がっている音がした。
恥ずかしがっているのはなんとなくこの状況が原因だろうなと分かっている。
俺も流石に目隠しした女の子を連れて歩くのを他の人に見られるのは嫌だったし、だから人の気配を避けて歩いてきた。
だけど何故小羽ちゃんから恐怖の音がするのかは分からない。
何処に連れて行こうとしているのか分からなくて怖いのだろうか?
俺は不安そうにしている小羽ちゃんを心配しつつ、先を急ごうと心に決めた。

「――着いたよ。」

ようやく目的地に着いたので、小羽ちゃんにそう声を掛けて彼女をそっと地面に降ろしてあげた。
すると途端に彼女から聴こえていた微かな恐怖の音は消え去り、安堵の音が聞こえてきた。
その事に俺はほっと安心したように息を吐くと、目隠しも外した。
すると急に視界が明るくなったからか、小羽ちゃんが眩しそうに目を細めた。
小羽ちゃんの視界が光に慣れた頃、彼女は目の前に広がる花畑を前に、息を飲んだのが分かった。
目を大きく見開いまま、目の前の美しい花畑をじっと見つめて固まる小羽ちゃん。

「――きれい。」

やがてそう、うっとりとした表情で呟いた。
目の前の花畑を前に、瞳をキラキラと輝かせる小羽ちゃんを見て、やっぱり連れて来て良かったと思った。
小羽ちゃんの鼓動もいつもより嬉しそうに弾んでいる。
小羽ちゃんが嬉しそうだと、俺も嬉しくなる。
小羽ちゃんが幸せだと、俺も幸せな気持ちになれる。
俺は小羽ちゃんの音が好きだ。人とも鬼とも少し違う独特の音。それは清隆も同じで、でも小羽ちゃんだけが発する小鳥が囀るみたいな可愛らしい声も、鈴を転がしたようか澄んだ音も、陽だまりのような包み込んでくれる優しい音が俺は何よりも大好きだ。
花畑をじっと見つめるキラキラと輝く薄紫色の瞳も綺麗だし、藍色の混じった艶やかな黒髪も好き。
一度好きだと、特別だと自覚したら、小羽ちゃんの全部が大好きになった。
俺が花畑に見とれている小羽ちゃんに見惚れていると、彼女が笑顔でこちらを見た。

「すごい……裏山にこんな所があったんだ。」
「すごいでしょ?訓練をサボっている時に偶然見つけたんだ。ここを見つけた時、絶対に小羽ちゃんを連れて来たいって思ったんだ。」

少し興奮した様子で話す小羽ちゃんが可愛らしくて、喜んでくれたのが嬉しくて、俺はにこにこと上機嫌に笑顔を浮かべて正直に話した。
後になって余計なことをまで喋ったと後悔したけど、小羽ちゃんに訓練をサボっていたことはもうバレてしまっているので隠しても無駄だった。

「そう、なんだ……ん?サボってって……まあいいけど……」

案の定微妙な表情を浮かべた小羽ちゃん。
でも結構あっさりと流してくれたので、ほっとした。
それから少しの間花畑を見ていた小羽ちゃんが突然俺を振り返った。

「ありがとう、善逸くん。」
「あっ……えっと……えへへ。」

満面の、それはそれは可愛らしい笑顔を浮かべて俺にお礼を言ってくれた。
そのあまりの笑顔の可愛さに緊張して、体がピンと強ばった。
背筋を伸ばして固まる俺の顔が熱くなるのが分かった。
きっと赤くなっているであろう顔をにへらと情けなく破顔させて、俺は照れくさい気持ちを誤魔化すように笑った。
俺の笑顔が可笑しかったのか、小羽ちゃんはクスクスと口元に手を当てて笑い出す。
女の子らしく可愛らしい仕草と、やっぱりすごくすごく可愛い笑顔に、俺はますます体が熱くなっていく。
なんだかものすごく気恥しくなって、俺は慌てて口を開いた。

「あっ、あのさ!白詰草で花の輪っか作ってあげるよ!俺、本当にうまいの作れるんだ!」
「花の……輪っか?」

こてんっと、首を傾げて不思議そうな顔をする小羽ちゃん。
くっそう。そういう仕草も可愛いなぁ!

「花で輪っかなんて作れるの?どうやって?」
「あっ、えっと……ちょっと待ってて!」

不思議そうに首を傾げたまま問いかける小羽ちゃんに、説明するよりも実際に見せた方が早いだろうと思い立って、花の輪っかを作るためにしゃがみ込む。
待たせたらいけないと、いそいそと花を摘み始めた。
その様子を横からひょっこりと顔を覗かせて見てくる小羽ちゃん。
小羽ちゃんは気にしてないみたいだけど、その距離の近さに俺はめちゃくちゃドキドキしてます。
小羽ちゃんの息遣いが耳によく聴こえるから、妙に意識してしまって、変に緊張してしまう。
いつもよりもだいぶモタモタと手こずりながら摘んだ白詰草を編んでいく。
花の茎と茎を丁寧に編み込んで、徐々に出来上がっていく輪っか。
すると隣にいる小羽ちゃんが感心したように、ほうっと息を吐いた。

「こうやって花を編んでいって、輪っかにするんだ。」
「へぇ〜すごい。善逸くんって手先が器用なんだね。」
「いやぁ〜、まあね!俺、弱いし泣き虫だし、何もいいとこないけど、これだけは昔から得意なんだ。」
「善逸くん。自分をそんな風に卑下しないで?私は善逸くんの良いところ、いっぱい知ってるよ。」
「えっ。」

ちょお!待って!今なんて言った?
小羽ちゃん今なんて言った!?

「それで、その輪っかはどうするの?」

小羽ちゃんの衝撃的な言葉に一瞬手を止めて顔を上げた俺であったが、小羽ちゃんはさして深い意味はなかったのか、すぐに話題を花の輪っかに戻してきた。
ちょお!待って小羽ちゃん!その話もっと詳しく!ぜひ詳しく聞かせて欲しい!!
なんて、俺の心は小羽ちゃんに先程の発言について問いただしたくて仕方なかったが、彼女の問いかけに思考を戻して、慌てて説明する。

「えっと……小羽ちゃんはこういう遊びしたことないの?」
「うん。というか、同年代の子と遊んだこと自体ないかな。子供の頃から鎹一族としての修業ばかりしてて、遊ぶ暇なんてなかったし、両親が亡くなってからは鬼殺隊になる為の修業に明け暮れて、その後はずっとお兄ちゃんの鎹雀として働いてたし……だから遊びってよく知らないかな。花札とかおはじき?は知ってるけどやったことはないし。」
「えっ……そ、そうなんだ?」

小羽ちゃんの言葉にどう返したらいいのか分からずに、俺は言葉を詰まらせる。
そっか、小羽ちゃんも友達いなかったのかな。
……俺にもいなかったな。
俺みたいな捨て子を相手にしてくれる大人なんていなかったし、大人に見捨てられるような子供と遊んでくれる子供もいない。
虐めてくる糞ガキ共ならいたけどな。
だからこの歳になるまで、炭治郎たちと出会うまで、誰かと遊んだことなんてなかった。
俺は何か言わなくてはと、まごまごと手を動かして花輪作りを再開しながら口を開く。

「俺も……さ、ずっと友達なんていなかったから、遊んだことあんまりないんだ。この花輪作りだって、女の子達がやってたのを見て一人で覚えたし。」
「そうなの?」
「うん。花輪ってさ、色々あるんだ。冠だったり、首輪だったり、指輪だったりね。はいこれ。」

そう言って俺は小羽ちゃんの頭にさっそくできあがった花の冠を乗せてあげた。
俺の行動に小羽ちゃんが驚いたように見開く。

「――えっ。」
「うん。やっぱりすごく似合う。……綺麗だなぁ」
「……っ」

ほうっと息を吐き出すように言葉が出た。
見惚れるあまり、うっとりとした目で小羽ちゃんを見ていたと思う。
太陽の光の下で笑う小羽ちゃんは本当に綺麗で、俺があげた花冠がすごく似合ってた。
ああ、本当に小羽ちゃんは可愛いな。
可愛い上に綺麗ってずるくない?
天から舞い降りてきた天女かな?
俺、小羽ちゃんを好きになってからもうずっとドキドキしっぱなしで、好きすぎて死んじゃいそうだよ。
そんな気持ちで小羽ちゃんをじっと見ていたら、小羽ちゃんと目が合った。
ドクンッと小羽ちゃんの心臓が跳ねた音がした。
お互いになんとなく目が逸らせないまま、じっと見つめ合う。
小羽ちゃんの顔は耳まで真っ赤になっていて、それが俺はとても嬉しかった。
小羽ちゃんの心臓の鼓動がどんどん速くなっていく。
俺の鼓動ももう尋常じゃないくらい速音を奏でていて、どっちの心臓の音が分からないくらいだった。

(――ねぇ、小羽ちゃん。そんな音させてたら俺……勘違いしそうになるよ。)

じっと見つめ合ったままでいると、小羽ちゃんがなんだか誤魔化すように慌てて口を開く。

「あっ、えっと……これ、貰っていいの?」
「勿論だよ!だって小羽ちゃんのために作ったんだから!」

にっこりと少しわざとらしく微笑んでみる。
けれど小羽ちゃんはそれには気付かずに嬉しそうにはにかんだ。
小羽ちゃんを想って、小羽ちゃんの為だけに編んだ花冠。それは本当だけどさ、そんな嬉しそうな顔しないでよ。
本当に勘違いしちゃうよ?本当に、俺、小羽ちゃんのこと好きだから。

「私の……ため?」
「うん!小羽ちゃんのことを想って編んだんだ!」
「そっ、そっか……ありがとう。」

頭に被せられた花の冠に小羽ちゃんが愛おしげに触れる。
ドクンドクンと、嬉しげな音をさせて。
その音の中に、幸せそうな音と、そして……好意を持った音が混じっていたのを、俺は聞き逃さなかった。
頬を赤く染めて、嬉しそうに微笑む小羽ちゃんから、恋の音がする。
その音を向ける相手は誰?もしかして、俺だったりするの?
だったらとても嬉しい。俺、女の子が大好きだから、ずっと一方的に気持ちをぶつけるばかりで、誰からも愛されたことなんてなかったから。
俺に恋の音を向けてくれる女の子は今まで一人もいなかった。
もし、もしも………大好きな小羽ちゃんが、俺のことを想ってくれてたら?
幸せすぎて本当に死んでしまうかもしれない。
小羽ちゃんの本音を確かめるのがとても怖い。
でも、ずっと聴こえるこの愛おしく心地の良い恋の音が誰に向けられているのかも知りたい。
小羽ちゃんが、俺を好きになってくれたらいいのに……

「――小羽ちゃん。」
「えっ、何? 」

名前を呼んだら、小羽ちゃんが俯いていた顔を上げて俺の方を見た。
すると小羽ちゃんとまた目が合った。
ドクンッと、また小羽ちゃんの心臓が大きく跳ねる。
――ああ、この音好きだなぁ。
聞こえ続ける恋の音に、うっとりと耳を傾ける。
目を細めて小羽ちゃんに微笑めば、小羽ちゃんの顔は耳まで真っ赤に染った。
その表情を見て、俺は決意を固めた。
男になれ、我妻善逸。告白するなら今しかない。
ゴクリと喉を鳴らして唾を飲み込む。緊張で喉はカラカラだったけど、今はそんなこと気にしてられなかった。

「――俺ね。すっげぇ弱いの。雷の呼吸だって壱の型しか使えないし、すぐ泣くし、情けないし。でもさ……」

そう言って小羽ちゃんの手をそっと取る。
小羽ちゃんの手は、毎日刀を握っているからか、刀だこまみれでがさついていて、硬く、荒れていた。
街の女の子みたいに手荒れひとつなくて、柔らかい手なんかじゃ決してない。
だけど細くて、小さくて、ちゃんと女の子の手だ。
こんな小さな手で、いつも誰かを守るために刀を振るってる。
小羽ちゃんは本当にすごい女の子だ。
俺なんて鬼が怖くて、任務の度に毎回泣いてばかりで、本当に情けない。
そう思いながら、小羽ちゃんの手をぎゅっと包み込みながら、小羽ちゃんの目をじっと覗き込む。

「俺……小羽ちゃんを守るよ。誰よりも大切で、大好きな君のことを、俺が守りたい。小羽ちゃんが好きです。大好きです。俺に……小羽ちゃんの傍にいる権利をください。」

――言った!ついに言ったぞ!
多分俺の顔は今、尋常じゃないくらい耳まで真っ赤になっていて、情けない顔をしているだろう。
最後の最後まで、肝心な時までダメダメで泣きそうになるけど、今は泣かない。
小羽ちゃんに、ちゃんと自分の気持ちが伝わるまでは。
ちらりと顔を上げて小羽ちゃんの顔を見ると、俺に負けないくらい真っ赤な顔をしていた。
ドクンドクンと、俺の心臓の音に負けないくらいの速音の音が小羽ちゃんの心臓からする。
――嗚呼、良かった。喜んでくれてる。
小羽ちゃんからは嫌悪感や不快感の音は一切しなかった。
寧ろ好意的な音がしていたし、喜んですらいるようだった。
まずは嫌がられたりしなかったことにひどく安堵した。
それは即ち自分は小羽ちゃんにとって嫌われてはいないという事だから。
ほっと安堵の息を吐いたのとほぼ同時だった。

(――あれ?)

小羽ちゃんから聴こえる音が変化したことに気付いた。
小羽ちゃんから、ひどく怯えた、恐怖にも近い感情の音がする。

(えっ?えっ?何で??)

突然の変化に戸惑う。
俺、何かしちゃったの?
さっきまでは確かに幸せそうな音がしていた。小羽ちゃんは喜んでくれていた。
なのに、何で……
戸惑う俺を他所に、小羽ちゃんが口を開く。

「……ごめん……なさい。」
「――えっ。」

小羽ちゃんがそう口にした瞬間、俺の心は絶望に突き落とされた。
顔が引きつって、強ばる。余程酷い顔をしているのか、小羽ちゃんが悲痛そうに顔を歪ませた。

「ごめんなさい。私は……善逸くんの気持ちに応えることはできない」

もう一度、小羽ちゃんがそう言った。
今度は迷いのない、はっきりと分かる拒絶の言葉で。
小羽ちゃんの音にはもう迷いはなかった。彼女は俺の想いを拒絶したのだ。
俺は暫く小羽ちゃんの言葉の意味が理解できなくて、茫然としていた。
やがて頭と心がゆっくりと現実を受け入れてくると、じわりと情けなく涙が目に溜まった。
思わずいつものように泣きそうな顔をした俺を見て、小羽ちゃんも泣きそうに顔を歪めた。
――何で?何で小羽ちゃんがそんな顔をするの?
泣きたいのは俺の方だよ。
なのに、何で小羽ちゃんからひどく罪悪感に包まれた音がするんだろう。
――嗚呼、そっか。優しい小羽ちゃんは、俺を振るのに心を痛めてくれてるんだな。
俺なんかのために申し訳ない。ごめんね。
小羽ちゃんから恋の音を聴いて、てっきり両想いなんじゃないかって、浮かれてしまった。
先走って告白なんてするんじゃなかった。
こんな、こんな苦しい気持ちになるくらいなら……
ツンっと鼻が痛みを感じ取って、等々俺は目からボロボロと涙を流してしまった。
――嗚呼、情けない。情けなくて死にたくなる。
グズグズと泣き出した俺を、小羽ちゃんは心配そうに見つめていた。
いつもなら俺が泣いたらすぐに手を差し伸べてくれて、涙を拭ってくれるのに、その様子はない。
それが余計に悲しくて、涙の量が増した。
小羽ちゃんからは俺を心配する音がする。そして罪悪感でいっぱいな音の中に、やっぱり恋の音がする。
そしてそんな複雑な音の中に、ある感情の音があるのに気付いた俺は、はたと泣くのをやめた。
顔を上げて思わずじっと小羽ちゃんを見つめた。

「……善逸くん?」

小羽ちゃんが心配そうに、そして不思議そうに俺を見る。

「……本当に?」
「え?」
「それは、本当に小羽ちゃんの本音?」
「っ!」

俺がそう言うと、小羽ちゃんがヒュッと息を飲んだ。
明らかに小羽ちゃんの顔が強ばったのを、俺は見逃さなかった。

「……そうだよ。」
「それは嘘だよね?」

目を逸らしつつそう言った小羽ちゃん。
図星なんだ。炭治郎ほどじゃないけれど分かりやすい。
俺が冷静に嘘だと指摘すると、小羽ちゃんが焦った様子で口を開く。

「なっ!嘘なんかじゃ…!」
「……小羽ちゃん。」

いつもより低い、感情を抑えた声で小羽ちゃんの名を呼んだら、小羽ちゃんの顔が強ばったのが分かった。
あっ、まずい。俺今、怖い顔してるかも。
けれど俺は言葉を止められなかった。少しだけ怒っていたから。

「……小羽ちゃんから、嘘をついてる時の音がする。」

そう俺が口にすると、小羽ちゃんは息を飲んだ。

「う、嘘なんてついてない!」
「はい、それも嘘。ねぇ何で?なんで俺に嘘つくの?嘘ついてまで俺を拒絶するの?」
「違っ!善逸くんを拒絶した訳じゃ……!」
「じゃあなんなんだよ!!」
「っ!」

思わず声を荒らげてしまう。
普段の俺が出さないような荒々しい声と、明らかに怒っているという態度に小羽ちゃんがビクリと肩を跳ね上げた。
――ああまずい。小羽ちゃんを怯えさせてしまう。
だけど、自分の感情を抑えられない。

「ねぇ、本当のことを言ってよ。小羽ちゃん!」
「……私は……恋愛なんてしないの!」
「はあ?」

小羽ちゃんは半場逆ギレなのか、じわりと涙目でそう叫び返すと、突然雀の姿になった。

「――あっ!待って!!」

小羽ちゃんはそのまま踵を返すと、何処かへと羽ばたいていってしまった。
俺は慌てて手を伸ばして小羽ちゃんを呼び止めようとするが、彼女は全速力でその場から逃げるように飛び去ってしまったのだった。
伸ばした手が虚しく空を切る。
目の前には、小羽ちゃんのために編んだ白詰草と蒲公英の花の冠が、虚しく置き去りにされていた。
それはまるで、置き去りにされた俺の心の様だなと、ちょっぴり思ってまた泣きたくなった。


***********


第52話「認めたくない想い」

善逸から逃げるように飛び去った小羽は、蝶屋敷へと一人帰って来ていた。
しのぶから仮の自室として借りている部屋の机に突っ伏して、力が抜けたようにがっくりと項垂れている。

「……死にたい。」

ぽつりと呟かれた声には覇気がなく、小羽はどんよりと重い空気を背負って落ち込んでいた。
情けない。自分があまりにも不甲斐なくて、泣きたくなってくる。

「……何で、もっと上手くやれなかったのかなぁ〜……私……」

私のことを真っ直ぐに見つめてくる善逸くんが途中から別人のように思えてしまって、怖くなってつい逃げてしまったのだ。
あんな態度を取ってしまっては、善逸くんを好きだと認めたようなものじゃないか。
絶対気付かれた。私の気持ち。
小羽は頭を抱えて項垂れる。

「ああ〜、私の馬鹿!!馬鹿馬鹿!!」

ゴンゴンと鈍い音を立てて机に何度も頭を打ち付ける。
額にぷっくりと小さなタンコブができたが、今はどうでも良かった。

「うう、花冠も置いてきちゃったし。折角、善逸くんが作ってくれたのに……」

「もう本当に泣きたい」と、普段の情けない善逸のような言葉を吐き出してしまう。
打ち付けた額はじんじんと痛むし、善逸くんは傷つけるし、逃げ出すし、情けない。
私のバカ、アホ、何やってるのよ。
突っ伏していた顔を上げると、頭からヒラリと何かが落ちてきた。

「ふえ?」

何だろうと思って机に落ちたそれを拾い上げる。
それは花びらだった。善逸くんに花冠を被せてもらった時にでも髪にくっついたのだろうか。
黄色い一枚の花びら。それは蒲公英の花だった。
その花びらをまじまじと見つめる。

「蒲公英かぁ〜〜……ふふ。」
(そういえば善逸くんって、どこか蒲公英に似てるなぁ〜〜)

黄色い蒲公英の花を思い浮かべていたはずが、いつの間にか善逸くんのことを考えていた。
髪の色とか、花びらの形が彼の髪型に似てるなとか、そんなことを無意識に考えていたら、自然と笑みがこぼれた。
そしてふと我に返る。
自分で善逸くんの気持ちを拒絶しておきながら、未練がましく彼のことばかり考えてしまう自分の身勝手さに絶望する。

(私、何やってるんだろ……自分から善逸くんを振ったくせに。本心ではこんなにも好きになってるなんて……)

本当に、どうしようもないくらいに馬鹿で、救いようがない。
何のために善逸くんを傷つけてまで彼の告白を断ったんだ。
今更私が善逸くんをどれだけ好きか自覚したところで、彼を拒絶してしまった過去は変わらない。
そして自覚したところで、私は善逸くんの気持ちに応えるつもりはないのだから。
だって、だって、受け入れてしまう訳にはいかないから。
相手が善逸くんだから拒絶した訳ではない。
今の私には、恋とか、誰かを好きになる気持ちは、正直重みでしかないからだ。
――嗚呼、これから善逸くんとどうやって顔を合わせたらいいんだろう。
非常に気まずい。きっとこれからはずっと苦しい。
そしてこの苦い苦しみは、彼の傍に居続ける限り続くだろう。
この気持ちを捨ててしまえば、きっと辛くなくなる。
そう分かっていても、この恋を簡単には捨てられないだろう。
だって、そもそもそんな簡単に捨てられるような恋なら、こんなにも悩んだり、苦しんだり、情けないくらいに迷ったりしない。
理性では捨ててしまえば、忘れてしまえば楽になれると分かっていても、本能で善逸くんを求めてしまっている。
きっと、私は善逸くんの傍にいる限りこの恋を捨てられないだろう。
彼が私と同じ気持ちを抱いてくれていると分かってしまったから、余計に。
その手を伸ばせばすぐにでもこの気持ちが通じ合えると知ってしまったから。

「――鎹雀、やめちゃおうかなぁ……」

そう呟いて、すぐにハッと我に返る。

(今、私は何を……)

思わず口から出た言葉に自分で驚いた。
何を言ってるんだ、私は……
そんな自分勝手な理由でやめるなんて有り得ない。許されない。
頭ではそう分かっているのに、心が善逸くんから逃げたがっているのに気付いて、私はショックで暫く茫然としていた。
――嗚呼、もう駄目なのかもしれない。


************


「……はあ、頭冷やそう。」

泣いたり落ち込んだりして、なんだか色々と疲れてしまった。
とりあえず顔でも洗って頭を冷やそうと、井戸を目指して通路を歩く。
すると、近くで誰かの話し声が聞こえてきた。
その聞き覚えのある声に、ピタリと足が止まる。

「禰豆子ちゃ〜ん!禰豆子ちゃんにもお花のお裾分けだよぉ!」
「うー」
(……善逸くん)

声のした部屋をこっそりと覗いてみると、そこに居たのは善逸くんと禰豆子ちゃんだった。
それで思い出した。この部屋はしのぶさんが禰豆子ちゃんのために用意した空き部屋であることを。
そこを通ったのは本当にたまたまであったのだが、こんな所で見かけてしまうなんて……しかもよりによって、善逸くんが私以外の女の子と楽しげに話している場面に遭遇してしまうとは。
相手が禰豆子ちゃんだとしても、ちょっとだけ面白くない気持ちになってしまう。
悪いと思いつつも、二人の様子が気になってしまって、気が付いたら気配を消して、こっそりと二人の様子を覗いていた。
善逸くんは手に持っていた小さな花を禰豆子ちゃんに手渡していた。
にこにこと嬉しそうな笑顔を浮かべて、顔なんて真っ赤にして、デレデレとみっともないくらいに頬を緩めて。
禰豆子ちゃんが嬉しそうに花を受け取れば、これまた嬉しそうにデレ〜と鼻の下を伸ばして笑った。
それが気に食わなくて、妙にイライラしてしまう。
ムッと眉を寄せて顔をしかめる。無意識に鋭い目つきで善逸くんを睨みつけていた。

(何よ善逸くんってば、デレデレと……)

明らかな嫉妬に、私は気付かずにその様子を見続ける。

「昼間に行った花畑に咲いてたんだ。綺麗だから禰豆子ちゃんにもあげるね。」
「うー!うー!」
「そっか!喜んでくれて俺も嬉しいよぉ〜〜!」
(……髄分と楽しそうですね。善逸くんよ。)

無意識に目つきがスっと鋭くなり、手に力が篭って拳を作る。
何が小羽ちゃん一筋よ!結局女の子なら誰でもいいのか!私のこと好きって言ったくせに!言ったくせに!
そりゃあ禰豆子ちゃんは可愛いよ。お兄ちゃんも惚れるくらいだしね!
でも残念でした。禰豆子ちゃんはお兄ちゃんの未来のお嫁さんなんですぅ!善逸くんの女の子じゃありません!
君のつけ入る隙はないんですぅ!
ギスギスとした気持ちでそんな悪態を心の中で全力で叫ぶ。
あまりにもムカムカするので、もうこの場から離れようと思った。
すると、不意に善逸くんが何かに気付いたように後ろを振り返った。

(……あっ!)

そしてばっちりと絡み合う視線。思いっきり目が合ってしまった。
その瞬間、私は素早く踵を返して逃げ出そうとした。
もはや本能的に逃げ出したようなものである。
だけどそれは叶わなかった。駆け出そうとした瞬間に誰かに手首を掴まれたからである。
誰かなんて考えるまでもない。私が恐る恐る首だけをそちらに向ければ、そこにはやっぱり善逸くんがいて、どこか焦ったような、少しだけ困惑したような、そんな複雑そうな顔をしていた。

「……善逸くん。」
「何でまた逃げようとするの?」
「……」

沈黙が重く感じる。
一瞬、ほんの一瞬だけ、手を振り解いて逃げようと思った。
だけどそんなことをしてはいけないと、ちゃんと善逸くんと向き合わなければという僅かな気持ちが残って、その場に留まることにした。
私が逃げる気が無くなったのが伝わったのか、善逸くんは手を握る力を少しだけ緩めてくれたけれど、決して手を離そうとはしない。

「ねぇ、小羽ちゃん。何か言って。」
「……随分と、楽しそうだったね。」
「え?」

善逸くんが、きょとりと目を丸くして私を見る。
予想外な言葉だったのか、驚いたように目を見開いて。
私の心はドス黒い感情に包まれたみたいに、醜い嫉妬でいっぱいだった。

「禰豆子ちゃんにも花送ってたし、結局善逸くんは、女の子なら誰でもいいんじゃないの?」
「……小羽ちゃん?」
(違う、こんなこと言いたい訳じゃないのに……)

こんな話をしたかった訳じゃないのに。そう思っても、嫉妬に狂った私の口が勝手に酷い言葉を吐き出す。

「デレデレしちゃって、私のことを好きだとか言ってたのに!」
「……小羽ちゃん、嫉妬してくれたの?」
「っ!」

善逸くんに図星を突かれて、かあっと顔に熱が集まる。
それを見た善逸くんが、何故かふわりと嬉しそうに微笑んだ。
そんな笑顔を向けられて、不覚にもきゅんと胸が甘く高鳴る自分の心が恨めしい。
もうやだ。
何で……私は善逸くんの気持ちを忘れたいのに。
何でこんなに掻き乱されないといけないんだろう。
何でこんなに苦しいんだろう。
ポタリと、目から一筋の涙が零れ落ちた。

「……えっ。」

善逸くんが戸惑ったように声を漏らしたのが耳に響いた。
急に泣き出した私に驚いたのか、手首を掴んでいた腕の力がかなり緩んだ。
私はその隙を見逃さずに、善逸くんを全力で突き飛ばした。
「うわっ!」と善逸くんが驚いたように声を上げながらよろめいた隙に逃げ出す。

「小羽ちゃん!……っ、小羽!」
「っ!?」

今、今呼び捨てで呼んだ!?
突然の不意打ちの呼び捨てにびっくりして、一瞬だけ足を止めてしまったが、そんな驚きよりも逃げたい気持ちの方が勝って、私はまたすぐに駆け出す。

「――小羽?」
「――あっ!」

曲がり角に差し掛かった所で誰かとぶつかった。
顔を上げると、そこに居たのはお兄ちゃんだった。
目からポロポロと涙を流している私を見て、驚いていた顔から心配そうな顔になる。

「……泣いているのか?」
「っ、これは……」
「清隆!!そのまま小羽ちゃんのこと捕まえて!!」
「!!」
「はっ?善逸??」

後ろから善逸くんが追いかけて来るのが分かった。
このままでは追いつかれる。そう思ったら、私は卑怯だと思いつつ、再び雀の姿になって逃げ出していた。
状況の分からないお兄ちゃんは突然の私の行動に驚いて反応出来ずにいた。
そして逃げ出す瞬間にちらりと見えた善逸くんの表情は、とても悲しそうで、チクリと胸が痛んだ。
そしてまた、私は情けなくも逃げ出してしまったのである。


**********


それから私は善逸くんから逃げるように任務に没頭した。
蝶屋敷に帰ることができないため、任務の間は藤の花の家紋の家を宿として利用していた。
任務が終わればまた新しい任務を。そうやって蝶屋敷に帰る暇もないくらいに私は任務をこなしまくった。
幸い大きな怪我をすることもなく、蝶屋敷に行く必要がなかったお陰で仕事に没頭し続けることができた。
それが起きたのは、私が善逸くんから逃げ出して二週間後のことであった。

「くそがぁーー!!」
「っ!!」

大柄の鬼が私の上にのしかかってくる。鋭い爪で私を引き裂こうと腕を振り下ろそうとするが、必死に刀でそれを防いでいた。
だけどこの鬼、力がとても強い。

「ははは!!どうだ!!俺の血鬼術はぁ!!脱皮すればするほど体は大きくなり、力は増す!!」
「うぐっ!!」

鬼の馬鹿力に押し負けそうになる、刀が折られないように必死だった。
押し倒された体勢では反撃もできない。ただ押され気味になるだけである。
私はどうにか体勢を立て直そうと鬼の隙を探すが、中々そんな隙を見せようとしない。
私が苦しげに顔を歪めると、鬼は楽しそうに笑い声を上げた。

「ほらほらさっきまでの威勢はどうしたぁ!!このまま喰われちまうぞぉ?」
「…ぐぅ!!」
「あ〜〜、やっぱり女はいい匂いがするなぁ。まだ餓鬼なのが難点だが、この際選り好みはしねぇ。女の肉は柔らかくて美味いんだよなぁ!なあ、泣き叫んでみろよ。生かしたままむしゃぼりついて、泣き叫ぶ女の声が聞きてえなぁ!」
「さいっってい!!あんた絶対に女の子に好かれたことないでしょ!!」
「うるせえよ!!強がってんじゃねぇ!!」

鬼が私の言葉にブチ切れたように肩に勢いよくかぶりついた。
ぶちりと肉に鬼の鋭い歯がくい込んで、激しい激痛が走る。
肩を食いちぎらんと言わんばかりの痛みに、たまらずに叫び声を上げた。

「いァっ!!ぁぁぁぁあぁ!! 」
「いいねぇ!!それだよそれ!やっぱり女の泣き叫ぶ声は最高だなぁ!!」

――嗚呼、どうしよう。これ本気でやばいかも。
肩を噛みちぎられたら、刀を持てない。
片腕でどこまでやれるか……
死んじゃう。死んでしまう。
こんなあっさりと。死んでしまうのか。
折角、覚悟を決めたのに。こんなところで死ねないのに。
こんな、十二鬼月でもない鬼にやられてる場合じゃない。
こんな何も成し遂げられずに死ぬために、私は善逸くんを傷つけてまで鬼殺隊であり続けることを選んだんじゃないのに。
ギリッと歯を食いしばる。
鬼は私の血肉を食らうのに夢中で、隙だらけになっていた。
幸いにも噛み付かれたのは利き手じゃない方の肩だ。
ぐっと刀を握る右手に力を込める。

「――星の呼吸、弐ノ型、天狼!」
ザシュッ!!
「あがっ!!」

呼吸を整えて右腕に力を集中させる。美味しそうにむしゃぼりついている鬼の頸目掛けて刀を振り上げた。
鬼が私の動きに気づくよりも素早く頸を刎ねた。
ごとりと鈍い音を立てて鬼の首が地面に落ちる。
血飛沫が吹き出して、私は咄嗟に目と口を閉じ、息を止めた。
斬られた鬼の身体から、プシャーと血飛沫が上がる。
身体中に鬼の返り血を浴びてしまった。気持ち悪い。
不快感と嫌悪感で眉をひそめつつ、鬼の身体が完全に消滅したのを確認して、私はふっと全身から力が抜けたように倒れ込んだ。
噛まれた肩からは傷が深いのか、未だに血がどくどくと流れ落ちていく。
早く止血しなければ。このままでは隠が到着する前に出血死してしまう。
のろりと起き上がりながら、持っていた手ぬぐいを肩にきつく巻いて止血を誇ろみる。
すぐに手ぬぐいは真っ赤に染った。

「………痛い。」

ぽつりと一人呟いた。
死ぬのだと思った瞬間、脳裏に黄色いあの子の姿が浮かんでしまった。
もう手遅れだ。もう、こんなにも心に深く彼が入り込んでいた。
死ぬんだと感じた瞬間、湧き上がった気持ちが本心だった。

「……だから……嫌だったのに……」

たった一人森の中で、私の言葉を誰も聞いていなかったことが、救いだった。


**********


善逸視点

小羽に一生に一度の決意でがんばって告白をした善逸であったが、彼女にフラれた上に全力で逃げられた。
そんな善逸は一人でトボトボと蝶屋敷に帰って来ると、膝を抱えて泣き崩れるのであった。

「うう、なんでだよォ〜〜小羽ちゃぁん!!」

涙も鼻水も顔から出るもの全部出し切る勢いでおいおいと泣き続ける善逸。
小羽の為に想いを込めて作った花冠をぎゅっと握り締めながら、善逸は悲しみに暮れていた。
せっかく小羽の為に作った花冠は置き去りにされ、けれどそのままにも何となくできなくて持ち帰ってきてしまった。
花冠をじっと見つめながら、善逸はまたポタポタと目から涙を流していた。
寂しい。心がとても苦しい。何でなんだよぉ小羽ちゃん。

「両想いだって思ってたのは、俺の勝手な勘違いだったのかなぁ〜〜……」

はあっと大きなため息をついて項垂れる。
その時、善逸のいる部屋に足音が近づいてきた。その足音は止まることなく真っ直ぐにこちらにやって来る。
一瞬小羽かと思い、顔を上げた善逸であったが、それは違うとすぐに気付いてがっくりと肩を落とした。
そして障子をガラッと開けて人が入ってきた。

「――あれ?善逸こんな所で何やってんだ?」
「……清隆……」
「えっ!お前泣いてんのか!?……ああ、また訓練でカナヲにボロ負けしたのか。」
「……俺ってお前の中でそんな印象しかないの!?」

部屋に入って来たのは小羽の兄である清隆であった。
清隆は部屋の隅で壁に寄りかかり、膝を抱えて泣いている善逸を見て、ぎょっと目を見開いた。
しかしどうせいつもの事だとすぐに落ち着いて、冷たく見放したのである。
あまりにも酷い印象に、善逸は清隆に噛み付いた。
そんな善逸を適当にあしらおうとしていた清隆であったが、善逸が手に持っている花冠を見て固まった。

「……善逸、それどうしたんだ?」
「は?……ああ、これ?裏山に花畑があってさ、そこで小羽ちゃんに作ったんだよ。」
「善逸が作ったのか!?」
「……そうだけど?」 
「お前って手先器用だったんだなぁ〜〜!」

何で清隆が花冠なんて気にするのか分からずに、怪訝な表情をする善逸。
そんな彼を無視して、清隆は花冠をマジマジと見つめる。
その瞳は何故かキラキラと輝いていて、興味津々と言った様子だった。

「なあ善逸。その花冠の作り方俺にも教えてくれないか?」
「えっ?何で?」
「決まってんだろ?禰豆子ちゃんに作ってやりたいんだよ!」
「ああ。……まあ、いいけど……」
「ほんとか!?じゃあさっそく行こう!!」
「はっ!?いや……悪いけど今は……」
「どうした?」
「いや……そんな気分になれないというか……悪いけど、今は一人にしてくんない?」
「……善逸?」

いつもは煩いくらい騒ぐ善逸がなんだか大人しい。
そこで漸く清隆は善逸の様子がおかしいことに気付いた。

「どうした?元気ないな?何かあったのか?」
「……別に。」
「……小羽と何かあったのか?」
「っ!?何で……」
「いや、何となく?善逸は小羽のこと好きだろ?だから小羽のことでよく一喜一憂してるし、だからそんなに落ち込んでるのは小羽が関係してるのかなって思ってさ。」
「…………」

図星だった。善逸は清隆の言葉に思わず黙り込むと、「あのさ……」とぽつりぽつりと話し始めた。
小羽に思い切って告白したこと。小羽からは確かに喜びの音がしたのに、何故か急に怯えた音になったこと。そして小羽を泣かせてしまい、喧嘩別れのようになってしまったこと。
花畑で起きたことを善逸は兄である清隆に事細かに話していた。
そんな善逸の話を、清隆は黙って静かに聞いていた。
そして善逸が話し終わると、深いため息をついて困ったように後ろ頭を掻いたのである。

「ん〜〜、小羽がねぇ〜〜」
「俺……嫌われた。もう駄目だ。」
「らしくねぇこと言うなよ善逸。毎日うざいくらい小羽にしつこく求婚してたお前はどこいった?」
「……だってさぁ、俺、小羽ちゃんを傷つけたんだ。絶対に嫌われた。こんな事なら、告白なんてしなきゃ良かった。」
「いや、それは……はあ〜〜、あのな、善逸。小羽はお前のことが好きだと思うぞ?」

重度のシスコンであり、小羽に対して過保護すぎる清隆からのまさかの言葉に、善逸は絶句した。
そして適当なことを言うなと言いたげに善逸は涙目で清隆をキッと睨みつけた。

「おい清隆!!適当なこと言うと怒るぞ!!今俺、本気で傷ついてるかんな!!泣き叫ぶかんな!!」
「適当じゃねーって。兄としての勘というかさ、小羽から直接聞いたわけじゃないから本心は分かんねーけど、善逸が嫌いで告白を断ったんじゃねー気がする。あいつ、ちゃんとお前のこと好きだよ。見てれば分かる。ここ最近の小羽は妙に女らしくなってるっていうのか?なんか、雰囲気変わってきてたし、前より楽しそうに笑うようになった。」
「えっ……」
「兄として面白くないから、あんま言いたくなかったけど、お前と会ってからは小羽は俺にはお前の話ばっかするぞ。」
「えっ、ほんとに?」
「こんな嘘言ってどーするよ?最近の小羽はお前といるとやたらとその……恋してますって顔してたし、お前のことが好きなのは間違いないと思う。だからさ、多分、お前の気持ちに応えられないのは別の理由があるんじゃねーのかな?」
「……別の理由って何だよ。」
「そこまでは知らねーよ。小羽に直接聞け。」
「それが出来たら苦労しねーーわ!!!」

「うわーん!!」と再び泣き出した善逸に、清隆はやれやれと言わんばかりに眉尻を下げた。
今の善逸はかなり情緒不安定になっていて、何を言っても納得しなさそうだ。
暫く一人にしてやった方がいいだろう。そう思った清隆は、わんわんと泣き喚く善逸を放っておくことにした。


**********


あの後もずっと泣き続けていたら、いつの間にか清隆はいなくなっていた。
清隆は良い奴だけど、ちょっと冷たい。炭治郎だったらきっともっと励ましてくれただろうに。
まあそれでも話を聞いてくれて、俺を励ましてくれたことにはとても感謝していた。
お礼に後で何か奢ってやろうと思う。
泣いて泣いて、少しだけ気持ちが落ち着いた俺は、花畑で摘んできた花を持ってある場所に向かっていた。

「ね〜ずこちゃ〜ん!」

そこは禰豆子ちゃんの為に用意された空きの病室だった。
鬼の禰豆子ちゃんは他の隊員たちにその存在を知られるとまずいので、俺たちのいる病室からだいぶ離れた所に部屋を用意されていた。
昼間は自由に出歩けない禰豆子ちゃんは、きっと寂しい思いをしているかもしれない。
ひとりぼっちは辛い。その寂しさを俺は知ってる。
だから、少しでもその寂しさが紛れるように彼女にも花をあげようと思ったんだ。
俺が禰豆子ちゃんのいる病室に入ると、部屋の中央に置かれた木箱から禰豆子ちゃんの呼吸音が聞こえてきた。
良かった。起きてるみたいだ。
俺は木箱に近づいて声をかけると、禰豆子ちゃんは扉をゆっくりと開けてひょっこりと顔を出してくれた。

「禰豆子ちゃ〜ん!禰豆子ちゃんにもお花のお裾分けだよぉ!」
「うー」

俺が摘んできた花を禰豆子ちゃんに渡すと、彼女は嬉しそうに受け取ってくれた。
にこにこと嬉しそうに笑って花の匂いを嗅いでいる禰豆子ちゃんは大変可愛らしい。思わず頬が緩んでしまう。

「昼間に行った花畑に咲いてたんだ。綺麗だから禰豆子ちゃんにもあげるね。」
「うー!うー!」
「そっか!喜んでくれて俺も嬉しいよぉ〜〜!」

嬉しそうに笑う小羽ちゃんに釣られるように、俺もにこにこと笑う。
――もしも、小羽ちゃんよりも先に禰豆子ちゃんに出会っていたら、俺は禰豆子ちゃんを好きになっていたのだろうか。
ふとそんな考えがよぎった。
俺はすごく惚れっぽい奴だと思う。自分でも自覚してる。
きっと可愛くて優しくしてくれる女の子だったら、誰でもすぐに好きになったと思う。
だからきっと小羽ちゃんが俺に優しくしてくれなければ、あの選別の日に出会わなければ、俺はもしかしたら違う女の子を好きになっていただろう。そう……例えば禰豆子ちゃんとか。
女の子は昔から大好きだし、それは今も変わらない。
女の子と喋ると楽しいし、近くにいるとすごくドキドキする。
でもさ、最近の俺は変なんだ。
小羽ちゃんといると胸がドキドキする。そして楽しくて楽しくて、すごく幸せな気持ちになるんだ。
ワクワクして、胸がきゅんとして、時々切ないくらい苦しくなる。
こんな気持ちは、他の女の子には抱いたことが無い感情だった。
これが本気で恋をするってことなんだって思った。
小羽ちゃんの好きなことや嫌いなこと、彼女のことを知れば知るほど好きになっていったし、もっともっと知りたいと思った。
小羽ちゃんの抱えている苦しみや悲しい過去を知った時は、俺が支えてあげたいと思ったし、力になりたいと思った。
もう悲しい想いはさせたくない。幸せにしてあげたいって強く思ったのを覚えてる。
できることなら、俺が幸せにしてあげたい。ずっと隣にいたいって思ったら、もう本気で好きになってた。
俺はもう、小羽ちゃんじゃないと駄目なんだ。
それくらいもう、小羽ちゃんを本気で好きになってる。
もしも小羽ちゃんが俺以外の男を好きになって、その男と結婚なんてことになったら、想像しただけで気が狂いそうなくらい嫉妬した。
相手の男をぶん殴るだけじゃ済まないかもしれない。
彼女の幸せを願っているけれど、できればそれは俺が傍で叶えてあげたい。
他の男なんかにその権利は渡したくない。
そんな考えたくもない未来を想像して、醜い嫉妬を抱く。
――何、考えてるんだ。俺は……
ハッと我に返ると、醜い嫉妬心を振り払うように慌てて頭を振った。

(――ん?)

頭を振ったことで一度冷静になった。そこでやっと気付く。
すぐ近くで小羽ちゃんの音がした。
この優しくて小鳥が囀るみたいな可愛らしい音は間違いなく彼女だ。
何でここに居るんだろう?とか、まさか俺を探しに来てくれたのか?とか、色々と思うことはあったのだが、そんなことよりも俺は小羽ちゃんから聴こえてくる強い嫉妬の音に驚いた。
思わず振り返ってしまうと、小羽ちゃんと目が合った。

(……あっ!)

そしてばっちりと絡み合う視線。思いっきり目が合ってしまった。
その瞬間、小羽ちゃんが素早く踵を返して逃げ出そうとした。
だから俺は咄嗟に小羽ちゃんの手首を掴んだ。
すると小羽ちゃんは諦めたように振り返った。
その表情はひどく怯えていて、けれどその瞳に確かに怒りを宿していた。

「……善逸くん。」
「何でまた逃げようとするの?」
「……」

沈黙が重く感じる。
小羽ちゃんからは怯えた音がし続けていて、また逃げられるんじゃないかと俺はしっかりとその手を握る。
だけど小羽ちゃんは逃げようとはぜず、その場に立っていた。
小羽ちゃんから強い決意の音がしたから、もしかしたら話をしてくれる気になったのかもしれない。
俺は少しだけ手首を掴んでいた手の力を緩めた。けれどその手だけは決して離さなかった。
だって、小羽ちゃんからは今も怯えた音がするから。
小羽ちゃんはずっと俯いたまま、黙っていた。
小羽ちゃんから話すのを待っていたかったけれど、俺が痺れを切らした。

「ねぇ、小羽ちゃん。何か言って。」
「……随分と、楽しそうだったね。」
「え?」

小羽ちゃんがポツリと呟いた。予想とは違う言葉に、きょとりと目を丸くして小羽ちゃんを見る。

「禰豆子ちゃんにも花送ってたし、結局善逸くんは、女の子なら誰でもいいんじゃないの?」
「……小羽ちゃん?」
「デレデレしちゃって、私のことを好きだとか言ってたのに!」

小羽ちゃんから、激しい怒りと戸惑い、そして明らかな嫉妬の音がした。
これは……もしかして……

「……小羽ちゃん、嫉妬してくれたの?」
「っ!」

思わず口に出してしまうと、図星だったのか小羽ちゃんの顔が耳まで真っ赤に染まった。
そんな小羽ちゃん表情に、俺はひどく嬉しくなった。
だって、小羽ちゃんが禰豆子ちゃんに嫉妬してくれた。
それはつまり、俺に気があるからで……
彼女から向けられた、確かな好意の証とも言えるその感情の音が、俺は嬉しくて嬉しくて堪らなかった。
やっぱり小羽ちゃんは俺のことを好きなんじゃないかって。
思わず顔がにやけてしまう。
俺が締りのない顔で笑うと、小羽ちゃんからキュンっと甘いときめきの音がした。
だけどそれはすぐに苦しげな音に変わる。
俺がその音の変化に気付いて戸惑うと、小羽ちゃんの瞳からポタリと一筋の涙が頬をつたって落ちた。

「……えっ。」

思わず戸惑って声を漏らした。
あまりにも突然のことに動揺して、小羽ちゃんの手首を掴んでいた手の力を緩めてしまった。
すると小羽ちゃんはその隙を見逃さずに、俺を全力で突き飛ばした。

「うわっ!」

油断していたせいで、体がよろめいた。
小羽ちゃんはその隙に逃げ出していた。
俺は小羽ちゃんを引き止めたくて、必死に名前を呼んだ。

「小羽ちゃん!……っ、小羽!」
「っ!?」

一瞬だけ、ほんの一瞬だけ小羽ちゃんが足を止めたけれど、またすぐに駆け出した。

「――待って!!」

俺は必死に追い掛けた。
禰豆子ちゃんを置いてきてしまったけれど、今はそれどころじゃなかった。
小羽ちゃんはかなり身軽なのか、足が速かった。
俺も駆け足には自信があったけど、小羽ちゃんも負けてない。
小羽ちゃんが曲がり角に差し掛かった所で誰かとぶつかった。

「――小羽?」
「――あっ!」

そこに居たのは清隆だった。
突然ぶつかったきた小羽ちゃんにひどく驚いている様子だった。
そして目からポロポロと涙を流している小羽ちゃんを見て、驚いていた顔から心配そうな顔になる。
ああ、俺、後で清隆に殺されるかも。
でもこれは絶好のチャンスだ。
清隆は泣いている小羽ちゃんの目に溜まった涙をそっと指で掬い上げる。

「……泣いているのか?」
「っ、これは……」

小羽ちゃんの足が止まっている間に俺は全速力で走りながらその距離を縮めようと叫んだ。

「清隆!!そのまま小羽ちゃんのこと捕まえて!!」
「!!」
「はっ?善逸??」

俺が叫んだことで、小羽ちゃんは俺がすぐ近くまで追いかけて来てるのに気付いたらしい。
このままでは追いつかれる。そう思ったのか、小羽ちゃんは突然雀の姿になった。
そしてあの時と同じように、また俺から逃げるように空へと飛び立ってしまったのである。

「――ああっ!!」

俺はまたその背を見送ってしまった。
全速力で走ったせいで、軽く息を切らしていた。
苦しい呼吸を整えながら、俺はまた小羽ちゃんに逃げられて、ひどく落ち込んでいた。
そんな俺を、清隆が何か言いたげな目で見つめてくる。

「………おい、善逸。」
「…………」
「…………はあ〜〜〜〜〜〜〜、しょうがねぇなぁ。協力してやるよ。」
「――へ?」

俺ががっくりと項垂れてショックで何も言えずにいると、清隆は何を思ったのか、深く、それはふかーくため息をついた。
そしてどういう風の吹き回しか、そんなことを口にしたのであった。


**********


その報告が届いたのは、夜が明けて炭治郎たちが朝食を取っていた時であった。

「はっ!?小羽が任務で怪我をした!?」
「えっ!!」
「なっ!!小羽ちゃんは無事なの!?」

「信濃小羽。任務先にて負傷。」その日、清隆の鎹鴉がそんな報告を持ってきた。
ここ二週間ずっと蝶屋敷に帰らずに任務に没頭していた妹の負傷の知らせを受けて、兄の清隆は青ざめた。
松右衛門の話では、左肩の骨がひび割れているらしい。しかし幸いにも食いちぎられなかったことで、思ったよりも傷は浅いとのことだった。
命に別状がないと分かり、一先ず清隆たちはホッと安堵の一息をついた。

「状況は分かった。それで、小羽はいつこっちに帰ってくるんだ?」
「カー!カエラナイ!カエラナイ!カー!カー!」
「……はっ!?藤の花の家紋の家で療養してるんだろ?帰らないって小羽が言ってるのか?」
「カー!カー!」
「……そうか、分かった。ありがとうな松右衛門。」
「カー!伝エタ伝エタ!後シラネー!」
「ああ、十分だ。」

清隆がそう言うと、松右衛門は翼を広げて空へと飛び立っていった。
清隆から怒っている音と匂いを感じ取った炭治郎と善逸は、恐る恐る清隆に声をかけた。

「……お、おい、清隆?」
「俺、ちょっと小羽を迎えに行ってくるわ。」
「えっ、だったら俺も……」
「いや、善逸は待っててくれ。お前が一緒だとまた逃げられそうだ。まあ、今は肩を負傷してるから前みたいに雀になって逃げるのは無理だろうけどな。」
「で、でも……」
「小羽の奴さぁ、二週間もろくに休まずに無理に任務を続けた結果、負傷したらしいんだ。幸い腕を食いちぎられた訳じゃなくて、肩にヒビが入っただけだから鬼殺隊は続けられるらしい。それでも大怪我したことには変わりないんだ。なのにここに帰ってくる気はないんだとさ。つまりは怪我が治ったらまた無茶な任務を続けるつもりだってことだよなぁ?」
「お、おい?」
「清隆?」
「ひぃ!!清隆からものすごい怒ってる音がする!!地響きみたい!!」
「怒ってるに決まってんだろ?迎えに行って説教してやるわ。」
「ほ、程々にしてやれよ?」
「まあ、小羽の態度次第だな。」

炭治郎の言葉に清隆は苦笑すると、鴉の姿になって空に飛び立っていった。
それから清隆が小羽を連れて帰ってきたのは、すっかり日の暮れた夕方になってからであった。


***************


「――で、何か言うことはあるか?」
「……チュン」

清隆、炭治郎、善逸、伊之助たちに囲まれるような形で中央に置かれた鳥籠。
その鳥籠の中には、雀の姿の小羽がしょんぼりと項垂れながら捕まっていた。
清隆は腕を組んで仁王立ちになりながら、責めるような眼差しで小羽を見下ろしていた。
実は清隆が小羽を迎えに行ったものの、小羽は蝶屋敷に帰ることを拒否したのである。
清隆が説得してみるも頑なに首を縦には振らず、怪我が治りきっていないのにまた新たな任務に行こうとしていたことを知り、一芝居うって小羽を雀の姿にさせ、すかさず捕えて鳥籠に入れて連れ帰ったという訳である。
そして小羽は善逸たちの前に連れ出され、現在尋問されていた。

「チュンチュンチュチュン……(お兄ちゃんの嘘つき。私の風切羽が傷ついてないか具合を診たいからって言ってたから雀になったのに……私を鳥籠に閉じ込める為に嘘ついたなんて……)」
「ああ?お前が怪我したのにいつまでも蝶屋敷に帰って来ない。挙句の果てに怪我が治りきってないのに次の任務に行こうとするわ。流石に俺も怒るぞ小羽。」
「………」

黙り込んで俯く小羽を、清隆はギロリと鋭い眼差しで見下ろす。
普段は妹に甘い清隆も、今回ばかりは小羽に対して色々と思うところがあるようで、とても怒っていた。
小羽も小羽で、自分でも無茶なことをしようとしていたと自覚があるのか、しょんぼりと俯いたまま黙り込む。
そんな小羽を見かねた炭治郎が2人に声をかけた。

「まあまあ、落ち着け清隆。小羽ももうこんな無茶しないよな?」
「……チュン(はい)」
「ほら、小羽も反省してるみたいだし、もう出してやろう。小羽も流石にもう逃げたりしたいよな?」
「チュン(それは……)」
「小羽?」
「チュ、チュチュン!(うっ、わかった。逃げないよ!)」
「ほら、小羽もこう言ってるし、出してやろう?」
「まあ、炭治郎がそう言うなら……」
「いや、ちょっと待って!お前等当たり前みたいに会話してるけど、俺は何言ってるのか分からないかんね!?」
「俺はなんとなく分かるぞ!!」
「そうかい!!良かったね!!」

炭治郎に妙に迫力のある笑顔で説得され、小羽は逃げ道を塞がれた。
小羽が渋りながらも頷くと、炭治郎は小羽を鳥籠から出してやることにした。
炭治郎が鳥籠の中に手を入れてきたので、小羽は自然と人差し指に乗る。
すると炭治郎はそっと優しく小羽を鳥籠から出してやった。
小羽が人の姿に戻ると、善逸は何か言いたげにこちらを見てきたので、小羽は気まずそうにそっと目を逸らした。
それを見た清隆が小さくため息をつく。

「……小羽。ちょっと俺と二人で話をしようか。」
「――え?」
「ちょっ!清隆、俺が……」
「善逸。今は俺と先に話させてくれ。小羽もお前と話す前に俺と話した方が落ち着くだろうし、な?頼むよ。」
「それは……」
「小羽もそれでいいか?」

清隆は小羽を気遣ってそう言い出したのであろう。
小羽にとって、その申し出はとても有難かった。
正直、まだ善逸と向き合う勇気が持てないからだ。
だから小羽は清隆の言葉に素直に頷いた。
それを善逸が不満げな眼差しで見ていたことに気付いていたが、小羽はそっと目を逸らして気付かないフリをした。


**********


清隆視点

あれから小羽と清隆は小羽の部屋へとやって来た。
清隆は襖を開けて座布団を二枚引っ張り出すと、それを隣り合わせになるよう畳に置いた。
そこにどかりと胡座をかいて座れば、小羽もおずおずと静かに座る。

「――で、小羽は善逸のことどう思ってるんだ?」
「……善逸くんから聞いたの?」
「まあな。」
「そう……」

小羽は気まずそうに清隆から目を逸らすと、俯いてしまった。
そして絞り出すような小さな声で「お兄ちゃん」と呟いたのである。

「ん?どうした?」
「私……鎹雀やめちゃダメかなぁ?」
「はっ?」
「そうじゃなければ、担当を変えて欲しいの。」
「お前……本気で言ってるのか?」

一瞬妹が何を言っているのか理解できなかった。
思わず目が点になった清隆であったが、小羽の自分勝手な言葉を聞いて、その目が鋭くなったのを自分でも自覚した。
そして怒りを押し殺したような低い声で本気なのかと尋ねる。
するとビクリと小羽が怯えたように肩を震わせた。
――明らかに怒っている。
そんな感情が伝わってくるような低い声だった。
小羽は恐る恐る俯いていた顔を上げて、ちらりと上目遣いで清隆の顔を見上げれば、彼はスっと目を細めて、鋭い眼差しを小羽に向けていた。
いつも小羽に甘く、とても優しい兄の厳しい視線に、小羽はしゅんと俯いた。

「小羽、お前自分が何を言ってるのか分かってるよな?そんな無責任なこと許される訳ないだろ。いくら最初はお館様から命じられたこととは言え、最終的に鬼殺隊と鎹鴉を両立すると決めたのは小羽なんだぞ!?」
「それは……分かってるけど……」
「善逸と一緒にいるのが気まずくなったからって、自分勝手な我儘でやめるなんて俺は許さないぞ。」
「……っ」

清隆の厳しい言葉に、小羽はしょんぼりと俯く。
清隆の言葉はもっともだ。
そんなことは小羽だって分かってる。
それでも、今はどうしても善逸から逃げたかったのだ。
自分勝手なのも、ただの我儘で無責任なことを言っているのも分かってる。
それでも、優しい兄ならもしかしたらと思ってしまった。
今ならまだ、間に合う。
善逸くんから離れさえすればきっと、この胸にくすぶる想いもいつか小さくなって忘れられる。
だからバカなことだと分かっていても、どうしても離れたかった。

(――ううん、本当は違う。)

本当は分かってる。
例え善逸くんから逃げたとしても、この気持ちが無くなったりすることはないんだって。
だって、少し距離を置いたくらいで簡単に無くなっちゃうような気持ちなら、今こんなに苦しんでない。
もうとっくに、そんな領域は超えてしまってるって、本当はとっくに気付いてる。
それでもこの気持ちを認めたくなくて、悪あがきしてる。
お兄ちゃんが呆れて怒るのもしょうがない。

「……ごめん、お兄ちゃん。」

小羽がしゅんと項垂れたまま、絞り出すようなか細い声でそう口にすると、清隆はフッと肩の力を抜いて笑った。
そしてポンポンと優しい手つきで小羽の頭を軽く叩くと、とても穏やかな声で「もういいよ。」と言ってくれたのである。

「――で、小羽はやっぱり善逸のことが好きなのか?」
「……」
「うっ、そっ、そっか……」

小さくだが、確かにコクリと頷いた小羽。それに清隆は少しばかり精神的なダメージを受けて苦しげに胸を押さえた。
もしかしたらと思っていたが、やっぱりかと、清隆は深く、ふかーくため息をついた。
覚悟はしていたが、こんなにも早く妹が恋をする日が来るなんて思わなかった。
出来ることならもう少しくらい恋を知らない子供のままでいて欲しかった。
妹には幸せになって欲しいと思うが、色々と複雑なのである。
だが、それなら何故小羽は善逸の告白を断ったのだろう。
折角両想いだと言うのに……
清隆にはどうしてもそれが不思議でならなかった。

「――なあ、何で小羽は善逸の告白を断ったんだ?」
「それは……」
「何か理由があるんだろ?俺には話してくれないか?」
「……」

清隆は兄として本当に心から小羽を心配していた。
それは小羽にも伝わっていた。だけどこんなことを話してもいいのだろうかという思いが小羽の中で話すことを躊躇わせた。
それでも、真剣な眼差しで自分が話すのを待ってくれている清隆の姿に、小羽は諦めたようにぽつりぽつりと話し始めたのである。

「……あの……ね。……怖かったの。」
「怖い?」
「死ねなくなるのが怖い。」
「なっ!」

静かにそう呟く小羽。その言葉に清隆は、何を言い出すのかと顔色を変えた。
しかし小羽の表情は落ち着いていて、淡々としているのに、ゆらゆらと不安定に揺れるその瞳の奥には、何かに怯えるように確かな恐怖の色が宿っていた。

「鬼殺隊を続ける以上、私はいつ死んでもおかしくない。それは全ての鬼殺隊員に言えることだけど、私とお兄ちゃんは『鎹』だから、他の隊員たちよりもその危険はより大きい。だから鬼殺隊に入隊すると決めた時に、私はいつ死んでもいいように覚悟だけはしておこうって決めてた。」

静かに淡々と話す小羽の言葉に、俺はそっと耳を傾ける。
日輪刀で頸を刎ねるか、陽の光を浴びない限り死ぬ事の無い不死身の鬼と戦う鬼殺隊。
圧倒的な力を持った相手に戦う俺たちは、常に死と隣り合わせの日々を送っている。
任務に出る度に、死の恐怖と戦い、時には身内や友、仲間の死を覚悟しなければならない。
だから隊員は入隊したその日に、遺書を書く。
大切な者、愛する者たちに向けて。
もちろん俺も小羽も書いている。
鬼殺隊なんてやっていれば、いつ死んでもおかしくない。
それは全ての隊員に言えること。けれど「鎹一族」である俺と小羽は少しばかり事情が違っていた。
鎹一族はその昔、神である八咫烏の男が人間の娘に恋をし、子を成してできた一族らしい。
神の末裔である鎹一族は鬼になることは無い。
内に流れる神の血が鬼の血を拒絶するので、鎹一族は鬼になることができないのである。
別に鬼になんてなりたくないので、それは別にいいのだが、問題は拒絶反応の方だ。
鎹一族の者は鬼の血を取り込むと、鬼になることなく確実に死に至る。
一族の中には少数だが鴉に変化できない者もいる。そういった者は神の血が薄いので、少量であれば鬼の血を取り込んでしまっても問題はないのだが、俺や小羽のように変化できる者にとっては例え少量の血でも猛毒になるのである。
うっかり返り血を浴びて、それが傷口に入ろうものなら、それだけで危険なのだ。
だから鎹一族の者は鬼殺隊にならない。
なりたくとも戦うことに向かないのだ。
だから俺も小羽も、鬼殺隊になりたいと言った日には一族から猛反対された。
それでも、どうしても両親を殺した鬼に復讐したかったのだ。
そんな俺たち兄妹の気持ちを汲んで、鬼殺隊になる機会をくださったお館様にはとても感謝している。
まともな神経を持っている奴ならきっと、大人しく情報集めの伝達役をやるか、戦場から離れて鎹鴉を育てることを選ぶだろう。
それでも俺も小羽も、命を落とすことは覚悟の上で鬼と戦うと決めてここにいる。
死ぬ事が怖くない訳じゃない。だから、決して死にたい訳じゃない。
それは小羽も同じだろう。だから「死ねなくなるのが怖い」と言った小羽の言葉の意味が、俺には分からなかった。

「――私はね、お兄ちゃん。善逸くんが好きだよ。でも、善逸くんの気持ちに応えてしまったら、きっと私は死ぬのが怖くなってしまう。善逸くんは優しい子だから、きっと恋人になったら私を大切にしてくれると思う。きっとすごく幸せになれる。……でもね、それじゃ駄目なの。私だけが幸せになるんじゃ嫌なのよ。」
「小羽……」
「私は幸せを感じてしまったら、生にしがみついてしまう。そうなったら、もうきっと戦えない。刀を握れなくなる。死ぬことが怖くなってしまう。あの日誓った覚悟が鈍ってしまう。……私はそれが怖いの。」

正座する小羽の膝の上に押された手が、ぎゅっと拳を作り、ふるふると微かに震える。 
俯きながら話す小羽の表情はどこか憂いを帯びており、小柄な小羽の小さな体が余計に小さく見えた。
清隆も鬼殺隊をやっている立場上、小羽の気持ちは痛いほど分かった。
こんな命懸けの戦いの日々を送っているのだ。いつ命を落とすかも分からない状況で、先の未来など思い描く余裕などないのが当たり前だ。
それでも小羽は女なのだ。まだたった十四歳の子供なのだ。
人並みに恋を知って、誰かと結婚し、子供を産んで家族を作る。そんな女としての当たり前の幸せを得て欲しいのが兄としての本心の願いだ。
鬼殺隊なんてやめて、小羽だけでも普通に幸せになってほしい。
そう願うのは家族なら当たり前だった。 
恋を知ったらもっと幸せを感じるものじゃないのか?
清隆の脳裏に、鬼にされた優しくも可愛らしい女の子の姿が浮かぶ。
俺は禰豆子ちゃんのことを想うと、とても幸せな気持ちになれる。
けれど小羽にとってはどうやら違うらしい。
善逸への想いは、苦痛でしかないのか?本当にそうなのか?違うだろう?
鬼なんかいなければ、鎹一族でなければ、鬼殺隊でなければ、きっともっと素直にせっかく芽生えた小さな恋を喜べた筈だ。
こんな風に、悲しそうな顔しなくて良かった筈だ。

「……小羽、善逸が好きならちゃんとその気持ちに向き合え。逃げるな。あいつならきっと、お前を大切にしてくれる。好きな男ができたなら、素直になっていいんだ。お前は普通の女の子みたいに恋をして、結婚して、子供を産んで、それで家族でも作ってめいいっぱい幸せになってくれ。」
「違う……そうじゃないの、お兄ちゃん。」
「死ぬのが怖いなら、鬼殺隊をやめたっていいんだ。なんなら鎹鴉だってやらなくていい。何も心配せずに幸せになっていいんだ。父さんと母さんへの敵討ちは、俺が取るから。」
「――っ、だから、そういう問題じゃない!!」

突然叫び出した小羽に、清隆は困惑した様子で「小羽?」と彼女の名を呼ぶ。
安心させるように言った筈の言葉なのに、何故か小羽の目は怒りに満ちていて、ひどく怒っている様子だった。
目にはうっすらと涙が浮かんでおり、怒っているのに今にも泣き出しそうな、どこか不安そうな悲しげな顔をして自分を睨みつけてくる小羽に、清隆は本当にどうしたのかと困惑していた。

「お兄ちゃんは全然分かってない!!どうして分かってくれないの!?どうしてそうなっちゃうの!?」
「こ、小羽?」
「自分だけが背負うばかりで、私には何も背負わせてくれない!!私だって同じなのに、幸せになって欲しいのは同じなのに。何で自分の幸せは考えないのに、私ばっかり幸せになれとか言うの!!?」
「いや、だってお前は女だし、まだたったの十四歳なんだぞ。」
「女だから戦うなって言うなら、そんなのはただの侮辱よ!!優しさじゃない!!十四歳だから何よ!!無一郎くんだって同じ歳なのに柱やってるのよ!!私だって戦えるわ!!」
「小羽?おっ、落ち着け……」
「鬼は大っ嫌いよ!!憎いし許せないわ!!だけど私が鬼殺隊になったのは鬼が憎いからなだけじゃないのに!!」
「――えっ?」
「確かに鬼は怖いし、死ぬのはとても怖い。戦うのはいつだって怖い。本当は逃げ出せるのなら逃げ出したいわ。……でも、お兄ちゃんが戦うって決めたのに、私だけ逃げるなんてできない。一人で戦わせるなんてことさせたくない。だから鬼殺隊になったのに……お兄ちゃんが命懸けで戦うために鬼殺隊に残るのに、私だけ安全な場所にいて、幸せになるなんて出来るわけないでしょ?そんなのは絶対に御免よ!!」
「あ……」

目に溢れんばかりの涙を溜めていた小羽の瞳から、等々ポロリと一筋の涙が頬をつたって零れ落ちた。
するとポタポタと止めどなく涙が雨のように流れ落ちてくる。
わんわんとまるで幼い子供のように、堰を切ったように泣き出してしまった小羽。
そんな妹の姿を見て、清隆はやっと小羽が鬼殺隊になったのは自分の為だったのだと気付いた。
まさか小羽が善逸の気持ちに応えなかったのは、俺のせいだったのか?それなら善逸には申し訳ないことをしたかもしれない。
……ちょっとだけいい気味だとか思ってない。断じて。決して。……多分。……悪ぃ、善逸。
清隆はほんのちょっぴりだけ善逸に対して申し訳ない気持ちになった。
清隆はすんすんと鼻を鳴らして泣く妹の頭をよしよしと撫でてあやしながら、心の中でこっそりと善逸に謝るのであった。

「……なあ、小羽。俺のことは気にしないで、自分のことだけ考えてくれていいんだぞ?」
「それ、本気で言ってたら許さないから。逆の立場なら分かるでしょ?」
「うっ……悪い。」
「……許す。」
「俺は俺で、小羽は小羽のやりたいようにすればいいって言っても、納得してくれなさそうだな?」
「その言葉そっくり返すから。私はこれからも鬼殺隊を続けるし、善逸くんの気持ちに応える気はないから。……善逸くんは、私なんかよりも、他の女の子と幸せになった方がいい。」
「小羽、それは違うと思うぞ?」
「話はそれだけ?」
「お、おう?」
「じゃあ、私もう行くね。しのぶさんに呼ばれてたし。」
「あ、ああ……」

清隆が締りのない返事を返している間に、小羽は言いたいことだけ言ってさっさと部屋を出ていってしまうのだった。
去っていく小羽の後ろ姿を見送ると、清隆は後ろ頭をポリポリと掻きながらどうしたもんかとため息をついた。
まさか、小羽が自分のためにそこまで覚悟して、決意を固めていたなんて知らなかった。
これは善逸に恨まれそうだなと、清隆は少しだけ苦笑した。
俺が小羽の幸せを願っていたように、小羽もまた俺の身を案じて、幸せを願ってくれていたのだ。
それは大切な家族なら当たり前のことで、俺は自分勝手にも自分の気持ちだけを小羽に押し付けていたのだ。
怒られて当然だ。可愛い妹を泣かせてしまった。
でもな、小羽。やっぱり俺はお前には幸せになって欲しいって思うよ。
そして隣の空き部屋へと視線を向けると、声を掛けたのである。

「……つー訳だったんだが……もういいぞ。」

清隆が声を掛けると、空き部屋の戸がゆっくりと開かれる。
そしてそこからどんよりと暗く重い空気を背負った善逸が、絶望に打ちひしがれたような沈んだ顔をして出てきたのである。
まるで墓の下から這い出てきたかのようなすごく暗い顔は土気色に染まり、善逸は大きな瞳からボロボロとただただ止めどなく涙を流していた。
そんな善逸の顔色に清隆はドン引きして思わず「うわっ!」と声を漏らして後ずさった。
そんな清隆に、実は隣の部屋で隠れて話を聞いていた善逸はキッと睨んで掴みかかった。

「おーーまーーえーーなーー!!俺がフラれた原因お前じゃねぇかよォォーーー!!!」
「いや、本当に悪い。まさか俺のためって思わなくてさ。」
「そんなの当たり前だろ。たった二人だけの家族なんだから。これからは小羽ちゃんの気持ちも、もう少し考えてやれよ。」
「……ああ、気を付けるよ。」

善逸には家族がいない。両親も兄弟もいない彼がどんな気持ちでその言葉を言ったのかは清隆には分からなかったが、今度は間違えたりしないようにしたいと強く思った。

「……俺、小羽ちゃんを追うわ。」
「大丈夫なのか?」
「うん、ちゃんと話してくる。伝えたいこともできたからな。」
「……そうか。小羽を頼んだぞ、善逸。」
「おう!」

善逸は何かを決意した様子だった。
清隆はそんな善逸を信じてみることにした。こいつは小羽のことが本当に好きだから、小羽の気持ちをきっと一番に考えてくれる。
だから悔しいけれど小羽の隣は譲ってやる。
ただし今回だけな。
俺が善逸に頼むと言うと、善逸は迷いのない晴れやかな笑顔で小羽を追いかけて行った。
なんだか、今度は大丈夫な気がする。そんな気がしたのだ。


**********


小羽視点

「――ふぅ、二ヶ月以上は安静に、か……」

しのぶに呼ばれて改めて診察を受けた小羽であったが、まだ安静にしなければならない状態で無茶して訓練をしたり、完治していないのに任務に出ようとしていたことがバレて、こっぴどく叱られてしまった。
そのまま説教に突入し、いかに無茶をすると身体に負担がかかるのか、治療するのが大変か、後に後遺症でも残ったらどうする気なのかなどと、長々と1時間は聞かされたのであった。
漸くしのぶのお説教から解放された小羽は、診察室から出ると、疲れたように大きなため息をついた。
最初に藤の花の家紋の家で呼んでもらった医者に診てもらった時には全治一ヶ月程度だった怪我が、無茶な訓練を繰り返したせいで悪化してしまっていたらしい。
己の行動の馬鹿さ加減に小羽も流石に何も言えなくなり、深く後悔し、反省したのであった。

(……お兄ちゃんたちにバレたらまた怒られそう……)

ただでさえ心配させてしまったのだ。怪我が悪化していたことを知られたら今度は清隆や炭治郎からも説教をされそうである。
小羽はまた長ったらしい説教を聞かされるのかと思うと、それを想像して真っ青に青ざめた顔で、ぶるりと身震いした。普段はとても優しい兄と弟弟子ではあるが、あの二人は怒るととても怖いのである。
自分を抱きしめるようにして両腕を擦りながら、背筋に感じた悪寒を振り払うように、頭を振るう。

「――小羽ちゃん。」
「!」

突然声をかけられてビクリと肩を跳ね上げる。
完全に気を抜いて油断していたから、声の主の登場に本当に驚いた。
小羽は気まずさから、恐る恐るといった様子で振り返った。

「……善逸くん……」
「しのぶさんとの話終わったの?」
「う、うん。」
「そっか、なら良かった。小羽ちゃんがお話してる間にアオイちゃんからお饅頭貰ってきたんだ。縁側で一緒に食べよ?」
「えっ、でも……」
「……ダメ?」
「……ううん。いいよ……」

気まずい小羽を気遣ってなのか、善逸はいつも通りの笑顔で小羽をお茶に誘ってきた。
善逸だって色々と聞きたいことや話したいことはあるだろう。
清隆に自分の気持ちから逃げるなと言われたが、やはり向き合えない。
だけどこのまま気まずいからと言って、逃げ続けるのだって良くない。
だから小羽もちゃんと話そうと思った。
そう心の中で決意を固めると、小羽は善逸の誘いを受けたのである。



それから二人は縁側に移動して、二人仲良く隣に座ってお饅頭を食べていた。
今日は晴れていて天気も良くて、日差しが温かくどこか眠気を誘う。
しかし、小羽にとっては全くくつろげる訳もなかった。

「美味しいねぇ〜〜!」
「……そうだね。」

隣で善逸がにこにこと楽しそうに小羽に話し掛けてくれるのだが、気まずい小羽は妙に緊張してしまって、口数がとても少なかった。
それでも善逸はいつも通りにこにこと笑顔で小羽に話しかけてくる。
告白など、フラれたことなど無かったかのように……

(……善逸くん、もしかして無かったことにしようとしてくれてる?……いや、でも……)

いつもと変わらない様子の善逸に悶々としながらも、小羽が何も言えずにいると、善逸が不意に「あのさ……」と口を開いた。
それに小羽は緊張が増してしまい、ひどく動揺してしまった。
「ななな、何!?」と裏返った声で返事を返してしまった自分をぶん殴ってやりたい。
これでは動揺していることがバレバレではないか。いや、耳の良い善逸のことだから、心臓が破裂しそうなくらいバクバクと速音を奏でていることに既に気付いていそうである。

「……ごめん、小羽ちゃん。」
「――え?」
「実は……さ、聞いちゃったんだ。小羽ちゃんと清隆の会話。」
「……っ!」

その言葉を聞いて、小羽の表情が凍りつく。
えっ、ちょっと待って。
聞いていた?私とお兄ちゃんのあの会話を、善逸くんも聞いていたの?
頭が理解した瞬間、小羽の顔色が一瞬にして青ざめる。
さぁっと血の気が引いていく感覚を感じながら、小羽は善逸の方を見ることができない。
怖いのだ。善逸がどんな顔をしているのか見れない。
怒っているだろうか?身勝手な理由で彼の想いを拒絶した私を。

「……俺は、嬉しかったよ。」
「……え?」

その言葉を聞いて、小羽は思わず顔を上げて善逸の方を見た。
すると善逸もまた小羽を見ていた。
彼は申し訳なさそうに眉尻を下げた顔で「ごめんね。」と言いながらも、その表情はどこか嬉しそうに笑っていた。

「真剣に悩んでる小羽ちゃんには悪いけど、俺は小羽ちゃんが俺を好きだって分かって、すごく、すごく嬉しかったんだ。」
「……っ」

まただ。また、あの心臓に悪い目をしてる。
とろりと蜂蜜みたいに甘い、幸せそうな、愛おしい者を前にしたような、大切で愛おしくて堪らないと、全力で伝えてくるような、そんな目でまた私を見つめてくる。
私は善逸くんのそんな目が苦手だ。あの目で見つめられると、息が出来なくなる。
心臓の音がやけに大きくなって、恥ずかしいくらい速くなる。
私はその目から逃げるように、顔を俯けた。

「……そういうこと、言わないで欲しい。」

小羽はポツリと呟くような、小さな声でそう言った。
弱々しいその声に力はなく、心持たない気がした。

「……私は善逸くんが好きだけど、その気持ちに応える気は無いの。」
「……うん。それも聞いたよ。」
「……っ、だったら!」

俯きながらそう告げる小羽。
善逸に自分の気持ちを伝えると、善逸は分かっていると言いたげな声色でそう言う。
だから小羽は顔を上げて善逸の顔を見た。
はっきりと気持ちに応える気は無いと言っているのに、善逸は何故か微笑んでいた。
その笑みがあまりにも優しく、柔らかなものだったから、小羽は思わず息を飲んだ。

「――俺はね、小羽ちゃん。弱くて、泣き虫で、ものすっっごく頼りない奴だけど、小羽ちゃんと、小羽ちゃんの守りたいものは俺が守る。だから、小羽ちゃんも清隆も……守るよ。俺が守る。守れるように、これからは強くなる。」

そう言った善逸の顔はとても真剣で、いつも泣いてばかりの彼から出た言葉とは思えないくらい、強い言葉だった。
その時の善逸の顔は確かに覚悟を決めたら者の顔であり、思わず小羽は見惚れてしまった。
だけど、私は知ってる。現実はそんな簡単なものじゃない。理想と現実は、残酷なくらいに違うのだ。

「何で……善逸くんはそんなに私のこと……その、何で私のこと、好きになってくれたの?可愛くもないし、雀になるし、人とは違う。善逸くんは、私じゃなくて、女の子なら誰でもいいんじゃないの?」

小羽は自分が酷いことを言ってると分かっていても止められなかった。
善逸の想いを否定する言葉を吐き出しても、彼は怒ることも、顔を歪めて気分を害するでもなく、ただ、優しく笑って答えた。

「……小羽ちゃんには嘘つきたくないから、正直に言うね。確かに、女の子なら誰でもよかった。小羽ちゃんが気になり出したのは、初めて優しくしてくれた女の子だから。きっと、優しくしてくれたら、小羽ちゃんじゃなくても好きになってた。」
「……そう……」

分かっていたことなのに、善逸の言葉にズキリと心が痛む。
胸がきゅっと切なく締め付けられた。
自分からそう口にしたくせに、悲しいと感じてしまう自分が嫌だった。
小羽のそんな音は善逸に聴こえている筈なのだが、彼は言葉を続けた。

「……だけどさ、小羽ちゃんは……小羽ちゃんが最初に優しくしてくれたんだ。最終選別の時に俺を助けてくれた。俺のこと心配して、ずっと一緒に行動してくれた。那田蜘蛛山で俺が蜘蛛にされかけた時も、小羽ちゃんはずっと俺を心配してくれてた。俺のために泣いてくれた。俺の看病までしてくれて、嬉しかった。確かに小羽ちゃんを最初に気になったのは、たまたま一番最初に優しくしてくれたからだった。でもさ、今まで俺にこんなにも優しくしてくれた女の子は小羽ちゃんだけなんだ。今まで関わった女の子は最初は優しくしてくれたけど、俺がこんな情けない奴だから、すぐに呆れて離れていったり、騙されたりしてた。初めて会った時から気になってた女の子が、雀の姿でずっと傍にいてくれたって知った時は、すごく驚いたし、でもそれ以上にすごくすごく嬉しかったんだ。何で気付かなかったのかなってすごく落ち込んだ。俺が高熱で倒れた時、看病してくれて嬉しかった。大好きな小羽ちゃんに甘えられて、今までにないくらい幸せだった。
小羽ちゃんが禰豆子ちゃんに嫉妬してくれた時は、初めて嫉妬してくれたことか嬉しかった。
俺と同じ恋の音をさせてくれてた小羽ちゃんの音を聴いているのが堪らなく好きで、俺に笑いかけてくれる笑顔が大好きで、小羽ちゃんといると、泣きたいくらい幸せになれるんだ。今まで感じたことがないくらい、満たされた気持ちになれる。小羽ちゃんだけなんだ。小羽ちゃんを想う時だけ、こんな気持ちになれる。俺は小羽ちゃんが好きだよ。大好きだ。優しいところ、すごくしっかりしてるところ、家族思いなところ、清隆が大好きなところ、一生懸命なところ、仕事熱心なところ、雀の姿はすっごく可愛いなって思う。鎹雀と鬼殺隊の仕事を両立してるのもすごいって思うし。しっかりしてるけど、本当はちょっと泣き虫な小羽ちゃんは可愛い。責任感がすごく強くて、鬼殺隊と鎹雀のことで苦しんでるのも、すごくがんばってるのも知ってる。那田蜘蛛山での件で俺に罪悪感を感じて、それでも向き合って、小羽ちゃんの本音を話してくれたのは嬉しかった。小羽ちゃんの過去を話してくれたのが、俺を信頼してくれてるみたいで嬉しかった。俺を一晩中看病してくれて、たまらなく好きだなって思った。俺は小羽ちゃんの笑顔が好き。小鳥が囀るみたいな可愛い声が好き。包み込んでくれるみたいな優しい音が好き。俺は、小羽ちゃんが今はこんなにも大好きなんだ。だからこれからも一緒にいたいし、小羽ちゃんと幸せになりたいし、幸せにしたい。普段は情けないくらい死ぬ死ぬ言ってる俺だけどさ、好きな女の子と大切な人たちを守りたいって思うよ。俺だって。だから、俺もこれからは強くなる。だから小羽ちゃん。俺が小羽ちゃんを不安にさせないくらい強くなれたら、また告白してもいいかな?」
「あ……っ」

ストンと、心に落ちてきた。
善逸の言葉には何一つなく偽りはなく、本当に小羽が好きなのだと、全力で想いを伝えてきた。
彼の言葉は、小羽の心にとてもあっさりと入ってきた。

「俺はもう、小羽ちゃんが好きだし、小羽ちゃんだけが好きなんだ。だから、まだ小羽ちゃんのこと好きでいさせて欲しい。小羽ちゃんにとっては、俺の気持ちは迷惑なだけかもしれないけど……」
「……迷惑じゃない。迷惑、なんかじゃないよ。」
「……小羽ちゃん?」

ポタポタと、目から次々に涙が溢れてくる。
鼻がツンとして、鈍い痛みを感じる。
これ、絶対に目が腫れる。そう感じるんじゃないかってくらい、涙が零れて止まらないのだ。
善逸くんが心配そうにこちらを見ている。大丈夫だよ。悲しいわけじゃないの。ただただ、嬉しいだけ。
善逸くんの言葉が嬉しくて、胸が切ない。心が満たされて、温かい。なのに、涙が出るの。
なんだろこれ。これは、なんて感情なんだろう。
私は羽織の袖で乱暴に目を拭うと、善逸くんを真っ直ぐに見た。

「迷惑じゃない。……私だって、善逸くんが好きだよ。泣き虫で、いっつも泣き言ばかり言ってて、煩いし、あげく女の子には見境なく口説くし、甘いし、全然好みじゃないけど。」
「……あれ?俺、小羽ちゃんに嫌われてるのかな?言われてること酷いことばっかなんだけど?」

ショックで涙目になる善逸くんにクスリと笑いかける。

「でもね、善逸くんはすごく優しいの。那田蜘蛛山で善逸くんを見捨てようとした私を、責めたりもしないで、笑って許しちゃうお人好しで、泣き虫で怖がりなのに、誰かを守るためなら、自分のことなんて簡単に犠牲にして助けようとしちゃうところは危なっかしくて放っておけなくて。訓練はよくサボるし、逃げ出すけど、最後はちゃんと頑張れる人。覚悟を決めたら、絶対に逃げ出さない強い人だって知ってる。誰よりも優しい人だから、そんな善逸くんだから、私は好きになった。」

ポロリと、今度は善逸くんの目から涙が一筋流れた。
一筋流れると、後から後から止めどなく涙が溢れてくる。
普段の騒がしいくらい喚きながら泣きじゃくるのではなく、善逸くんはただ静かに泣いていた。
それを拭うこともせず、ただ、私をじっと見つめて。

「……いいのかな?俺、すごく泣き虫だよ?情けない奴だよ。」
「私はそんなところも好きだよ。泣き顔、可愛いなって思う。」
「でも、煩いし……」
「善逸くんの明るさには、いつも救われてる。」
「情けないし……」
「そんなことない。善逸くんはいつも私を助けてくれてる。」
「女の子によく騙されるし……」
「それは、騙してるって気付いてても、相手を信じたからでしょ?信じてくれたからでしょ?善逸くんが優しいってことだよ。」

生まれてすぐに両親に捨てられて、親の愛情も知らずに育ったからなのか、善逸くんはいつも自分に自信が無い。
異常な程に女の子や結婚に執着するのは、ただ、家族が欲しいから。誰かとの確かな繋がりが欲しいから。
でも私は知ってるよ。善逸くんがどれだけ優しいのか。どれだけ心が強いのか。
どれだけ、私を大切に想ってくれてるのか……ちゃんと伝わったから。
私がはらはらと涙で濡れる善逸くんの頬をそっと両手で包み込むように触れると、善逸くんはきょとりと不思議そうに目をまん丸にした。
そんな彼がなんだか可愛くて、無性に愛おしくて、クスリと口角を釣り上げて笑った。
そしてお月様みたいに綺麗な琥珀色の瞳を覗き込むように見つめる。

「善逸くんが嫌いなところは、これから良いところに変えていけばいいよ。善逸くんが自分を嫌いでも、そんな善逸くんを好きだって言ってくれる人は沢山いる。そんな善逸くんだから私は好きになった。私はね、本当は、鬼殺隊を続けたいのか分からない。命懸けの戦いはやっぱり怖いし、どれだけ辛い思いをして、必死に戦っても、人から感謝されたり、認められたりする訳じゃない。寧ろ、何でもっと早く助けに来てくれなかったのかって、やるせない怒りをぶつけられることなんてよくある。でも、私が戦うことで少しでも救われる人がいるなら、守れる命があるなら、それが戦う理由になる。だから私は、鬼殺隊になったことを誇りに思う。でも、もうそれを理由に逃げるのはやめることにするよ。
鬼殺隊を続けるためとか、お兄ちゃんのためとか、何かのせいにしたりするのはやめる。善逸くんの気持ちから逃げていい理由にはならないから。私がただ、臆病だっただけなんだ。本当は善逸くんが好きなのに。想いが通じあえて嬉しかったのに。初めての気持ちにどうしたらいいのか分からなくて、逃げてしまった。色んなことを、言い訳にしてしまった。でももう大丈夫。もう、幸せなっても、私は多分、迷いながらも私のやりたいようにできると思う。もう、お兄ちゃんを言い訳にしない。ごめんね善逸くん。私のせいで、きっと傷つけた。いっぱい悩ませた。それでも、もしもまだやり直しが許されるなら、今度はちゃんと、私から善逸くんに好きだって伝える。」

私はそう言って微笑むと、今度は善逸くんの両手を取って、まっすぐに彼の目を見つめた。
あの時、善逸くんが私に告白してくれた時のように。

「……善逸くん。善逸くんが私を好きだって言ってくれたこと、すごく嬉しかった。だから改めて、私も善逸くんが好きです。結婚を前提に、私とお付き合いしてくれますか?」
「……っ!」

私がそう言って微笑むと、善逸くんの目からどばっと大量の涙が溢れてきた。
それにぎょっとする私を他所に、善逸くんはえぐえぐと涙も鼻水も大量に出して、瞳をうるうると潤ませる。
「ううヴぅぅうぇぇぇぇえ!!!」と呻き声なのかよく分からない声を発しながら、自分の羽織の袖で涙を拭うが、あまりにも泣くために袖は既にぐっしょりと濡れて重くなっていた。

「もちろんだよぉぉおぉぉおおおぉぉ!!!!」
「わっ!!」

善逸は感動のあまり大洪水と呼べるほど泣きじゃくると、歓喜あまって小羽に抱きついた。
善逸の腕の中にすっぽりと小羽の小柄な体が収まり、善逸は小羽をぎゅうぎゅうと強く、けれど決して乱暴にはせず、労わるように優しく抱きしめていた。
善逸の胸に顔を埋めるような格好になった小羽は、未だにえぐえぐと涙も鼻水も豪快に出して泣きじゃくる善逸に苦笑すると、優しくその背中に手を回してそっと撫でてあげた。
善逸が落ち着くまでの間、小羽はただじっと善逸の腕の中で大人しくその体温を感じていた。
愛おしい人の、優しさを噛み締めながら。


************


「――ということでぇ〜〜、俺たち、付き合うことになりましたァ〜〜!!」

デレ〜っとみっともないくらい緩んだ顔で炭治郎たちに報告する善逸。
それに炭治郎は笑顔で「良かったなおめでとう!幸せにな二人共!」と人のいい彼らしく心から祝福してくれ、伊之助はどうでも良さげに「ふーん、お前ら番になったのか?」とか言っていた。
そんな伊之助の言葉に善逸はますます嬉しそうに顔を破顔させて、「えへ〜〜!実は〜〜」とか勝手に語り出した。

「俺たち、結婚を前提にお付き合いすることになって〜〜!」
「……はっ?」

善逸がうっとりとした顔でそう言った瞬間、今まで静かに事の成り行きを見守っていた清隆がぽつりと声を漏らした。
その声はとても低く、まるで怒りを押し殺したような声であった。
しかし、小羽と両想いになれたことに有頂天になっている善逸はその事に気付いていない。

「つまりは俺たちは婚約者で、将来を約束した仲!!しかもしかも!!な・ん・と!!小羽ちゃんの方から俺に求婚してくれて〜〜!!うひひひひひ!!俺幸せ!!ものすご〜〜〜く幸せぇぇーーー!!うひひひひひ!!うふ、うひひひひひ!!えへへへへへ!!」
「何だコイツ。気持ちわりぃな。」
「伊之助!本当のことを言ったら可哀想だろう!」
「二人共ごめんね。なんか、返事をしたあたりからずっとこんな調子で……」
「小羽もこれから苦労するな。」
「覚悟はしてるよ。」
「ちょっとそこぉ!!俺に対して酷くない!?聞こえてるからねぇ!!小羽ちゃんまでぇ!!俺たち恋仲だよねぇ!!?あっ!!でも可愛いから小羽ちゃんは許す!!えへ!!」 

善逸がいつものように煩いくらいの声で騒ぐ中、とても、とても静かな声が響いた。
たった一言、「善逸」と彼は名を呼んだだけである。
それでも、やかましい善逸を黙らせるには十分すぎるくらいの迫力があった。
善逸の名を呼んだ時の清隆の声には、それだけの威圧感があったのだ。
そして、血液の流れる音から心音まで聴くことのできる優秀な耳を持つ善逸には聞こえてしまった。
まるで地面の底から噴き出そうとする火山のように、清隆は静かに、けれど確実に怒っていた。
善逸はたらりと首筋に冷や汗をかきながら、ゆっくりと振り返る。

「っ、清隆……ひっ!!」

清隆は笑っていた。
見た目だけなら、とても優しく、穏やかににっこりと微笑んでいた。だけど目がまるで笑っていなかった。
そして心音の聴こえる善逸には分かる。分かってしまう。
奴が激しい嫉妬と怒りに心を燃やしていることに。
善逸は情けないことに、小羽の背に隠れてガクガクブルブルと体を震わせて、怯えきった目で清隆を見つめていた。もう涙目である。

「よかったなぁ〜〜善逸ぅ!おめでとう!俺も可愛い可愛い妹が幸せそうでよかったよ。でもなぁ?付き合うことは許したが、婚約までは許してねぇぞ?」
「お、お兄ちゃん!それは私から言い出したことで!」
「なあ小羽?兄ちゃんはお前の幸せを心から願ってるけど、それで嫁にやるかは別問題なんだわ。簡単に可愛い可愛い妹はやれねぇよなぁ?善逸くんよぉ?」
「ひっ!!ひぃぃぃ!!?」

にっこりと善逸を見ながら微笑めば、善逸はビクリと肩を跳ね上げた。
まるで借りてきた猫のようにブルブルと体を震わせている。
しかし、善逸だって生半可な気持ちで小羽と付き合うつもりは毛頭ない。
これからは自分が小羽を守ると決めたのだから。
善逸は覚悟を決めると、震える心を無理やり奮い立たせて、清隆の前に立った。
意外にも自分の前に出てきた善逸に、清隆は少しだけ感心した。足も手も全身がガクガクと震えていて、全く格好はつかないが。

「お、俺は本気で小羽ちゃんが好きなんだ!!だから、清隆にも祝福して欲しい!!認めて欲しい!!」
「……まあ、祝福はしてやるよ。」
「――へ?いいの?」

なんともあっさりと、清隆は二人の交際を認めてくれると言った。
善逸はあまりにも呆気ない清隆に、目をパチクリと丸くさせて、意外そうに彼を見た。

「俺だって、小羽には幸せになって欲しいんだよ。妹が心から惚れて、相手が俺も信頼してる男であれば、認めてやるしかないだろ?正直、すっげー嫌だし、寂しいけどな。」
「お、お義兄さん……!!」

善逸は感激していた。
大好きな女の子の、大切な家族が自分みたいな情けない男でも受け入れてくれたのだ。
あのめちゃくちゃ妹に過保護な炭治郎とも並ぶ、妹大好きな清隆がだ。
うるうると瞳を潤ませて、善逸は涙を流して喜んだ。もう大号泣である。感動して前が見えない。
今なら嬉しさのあまり清隆に抱きつきそうである。やったらぶん殴られそうなのでやらないけど。
そんな善逸に、清隆はにっこりと満面の笑みを浮かべて言った。

「認めてやる。だから一発殴らせろ。」
「――へ?……ぐぶはぁっっ!!」

それはとても、とても綺麗な笑みだったと、善逸は後に語る。
にっこりと整った顔立ちで、綺麗に邪のない笑顔で微笑んだ清隆は、次の瞬間には、善逸の顔面に思いっきり、全力で、拳を叩き込んだのである。
そして美しい円を描くように、空中に鼻血を撒き散らしながら、善逸はぶっ飛んだのであった。
その場にいた清隆以外の全員が、唖然とした表情でそれを見ていた。
そして、ぶっ飛んだ善逸は部屋の壁に叩きつけられると、ぐったりと座り込んだのであった。

「ぜ……善逸くーん!!!??」

誰よりも事態を早く理解し、大慌てで青ざめながら善逸に駆け寄る小羽。
小羽の悲鳴を合図に、一瞬止まっていた時間が動き出す。

「……ふっ、これで許してやるよ。今はな。」

そう、どこかやり切った顔で満足気に呟く清隆であったが、この後小羽にそれはそれはこってりとしぼられ、その日丸一日ずっと口を利いてもらえなかったらしい。



「……善逸くん起きないね。」
「放っておけばそのうち勝手に起きるだろ?」
「伊之助ってばそんな冷たい。」
「あ〜?あの程度で気絶する紋逸が情けねぇんだよ!」

清隆にぶん殴られた善逸は未だに気絶したままであった。
小羽はそんな善逸を介抱するように膝枕をしてやるが、伊之助はそんな善逸を見て情けない奴だと鼻で笑った。
そんな伊之助に困ったように苦笑しつつ、小羽は善逸の頭を優しく撫でてやる。
こうして大人しく眠っている善逸の顔をまじまじと見つめるのは二回目である。
やっぱり、善逸は黙っていれば顔は整っていて中々の美形だなと思う。黙っていればだが。
そんなことを思いながら小羽が頭を撫で続けていると、「うう…ん」と善逸が僅かに声を漏らしながら身じろいだ。
どうやら起きたようである。善逸の目がうっすらと開かれ、彼は状況が理解できないのか、ぱちくりと不思議そうに瞬きした。

「……あれぇ?小羽ちゃんの顔がこんなに近くにあるぅ。うふふふふふ、かっわいいなぁ〜〜、俺の小羽ちゃん。俺だけの小羽ちゃん。うふふふふふ。」
「きめぇ。」
「いっ、伊之助。」

あまりにもはっきりと言う伊之助に、小羽は困ったように名を呼ぶ。
だが確かに、ニヤニヤとだらしなく顔を破顔させて笑う善逸はちょっと気持ち悪かった。
小羽は顔を引きつらせながらも善逸を心配して声をかける。

「善逸くん、顔大丈夫?だいぶ強く殴られたみたいだけど……他に痛いところはない?」
「……へ?小羽ちゃん?本物?あれ?……俺、もしかして今、小羽ちゃんに膝枕されてる?」
「え?うん、そうだけど……大丈夫?お兄ちゃんに殴られて気絶してたんだよ。覚えてる?」
「へ?あー……うん、なんとなく覚えてる。んで、その清隆は?いないみたいだけど……」

善逸は音で分かるのか、頭を動かして周囲を確認せずに清隆がいないことを言い当てた。
すると炭治郎が「小羽が善逸を殴ったことに怒って清隆を追い出したんだ。」と伝えた。
すると善逸はそれで何か伝わったのか、またデレデレとだらしなく顔を崩した。

「えへへへ、小羽ちゃん。俺のために怒ってくれたの?俺、愛されてるなぁ〜〜うへへへ!」
「お兄ちゃんがごめんね。痛いでしょう?」
「うへへへ!これくらい小羽ちゃんの為なら大丈夫だよ〜〜!いひひひひひ!」
「やっぱきめぇ。」
「伊之助……」

小羽が善逸の殴られて少し腫れた頬を優しく撫でると、善逸は嬉しそうに鼻の下を伸ばしてデレデレと笑った。
それを伊之助はドン引きした様子で見つめながら本音を呟けば、炭治郎が皆まで言うなと言いたげに伊之助の肩を叩いた。
デレデレと笑う善逸はやっぱり気持ち悪かった。

「(ハッ)――ああっ!!そういえばおまっ!!伊之助てめぇぇえええ!!」
「ああっ!?んだよ紋逸 !!」

デレデレ、ニヤニヤと気持ち悪いくらいに頬を緩ませて笑っていた善逸が、突然何かを思い出したように目をカッと見開いて飛び起きた。
そして何故か伊之助に掴みかかっていった。
突然絡まれた伊之助は訳が分からずにイラッとした様子で善逸を睨みつける。

「伊之助おまっ!!お前なぁ!!ずるいぞぉ!!前々から思ってたけどなぁ!!」
「ああ!?何訳わかんねぇこと言ってやがる!!」
「ちょっとどうしたの善逸くん!伊之助困ってるじゃない!」
「それだよぉ!!」
「どれ!?」
「な・ま・え!!何で伊之助は呼び捨てなのに俺はくん付けなんだよぉ!!」

善逸は涙を流したがら「ずるいよぉ!!俺だって小羽ちゃんに善逸って呼び捨てにされたい!!寧ろ俺だけ呼んで!!」とかなんとか訳の分からないことを言って小羽に縋り付く。
小羽はなんで急にそんな名前の話になったのか理由が分からずに困惑し、困ったように善逸を見下ろすばかりであった。

「落ち着け善逸!小羽が困ってるだろう!」
「ぐえっ!!」

そんな彼女を見兼ねた我らが長男炭治郎は、善逸を小羽から引っペがし、その場で正座させると説明させた。
善逸はしくしくと泣きながら話し出すと、理由はこうである。
善逸はどうやら、寝ている間も人の話し声が聞こえるようで、ずっと小羽たちの話を聞いていたそう。
そしてふと気付いてしまったのだとか。小羽は基本的に善逸や炭治郎を君付けで呼ぶ。
呼び捨てにしているのは初対面の時に呼び捨てにしろと言った伊之助だけだ。
善逸は今更それに気付いて羨ましくなったのだとか。
自分だって大好きな小羽に呼び捨てにされたい。寧ろ俺だけでいい。だって俺たち恋仲だし。相思相愛なんだから。それが善逸の主張であった。
それを聞いた小羽と炭治郎は、呆れるあまり頭を抱えたのは言うまでもない。

「……えーと、つまりは善逸は小羽に呼び捨てにされたいんだな?」
「そんなことかよ、くっだらねぇ!」
「くだらなくないわボケェ!!お前はいいよなぁ!!小羽ちゃんに呼び捨てにされてるもんなぁ!!だがなぁ!!小羽ちゃんは俺の!!俺のなの!!」
「あーもー!!善逸くんうるさい!!そんなことで一々騒がないで!!」
「小羽ちゃんまでぇ!!?ひどい!!あんまりだよぉ!!うう、うええーーーん!!」

ついには号泣しだした善逸に、炭治郎はやれやれと首を横に振ると、困ったように小羽を見つめた。

「……小羽。善逸がうるさいから呼んでやってくれないか?」
「あー、まあ、いいけど……今更呼び方変えるのはちょっと恥ずかしいんだよね。」
「そう言わないでくれ、頼む。」
「炭治郎くんの頼みならなぁ〜〜……じゃあ……善逸。」
「そんな渋々呼ばれても嬉しくなぁいい!!いや!!小羽ちゃんに名前で呼んでもらえるのはすごく嬉しいよ!!嬉しいけど複雑ぅぅ!!」
「……どうしろと?」
「めんどくせえなコイツ。」

炭治郎に頼まれて呼び捨てにしてやれば、今度は渋々呼んだことが気に入らなかったらしい。
なんか文句を言われた。伊之助は完全に呆れて面倒くさそうに……というか、もう口に出している。

「……はあ、善逸。」
「……へ?」

小羽は一度深いため息をつくと、善逸の頬を両手で包み込んで正面を向かせると、ぐっと顔を近づけて善逸の瞳を覗き込むようにまっすぐに見つめた。
思わぬ小羽の行動に、間抜けな声を出す善逸。

「これからは何度でも呼んであげるから、機嫌直して?」
「小羽ちゃん……」
「小羽。」
「へ?」
「私も呼んだんだから、善逸も呼び捨てにして。一度呼んでくれたでしょ?」
「で、でも……」
「………」
「……こ、こ、小羽。」
「えへへ。」

善逸が真っ赤な顔で、照れくさそうに目を逸らしながら小羽の名を口にする。
ちゃんと呼び捨てにしてくれたことで、小羽は嬉しそうにはにかんだ。
ほんのりと頬を赤く染めてはにかむ小羽は大変可愛らしく、善逸はぶわっと顔を一気に耳まで赤くして、興奮したように叫ぶ。

「〜〜っっ!!小羽!!小羽可愛い!!俺の小羽は可愛いよぉ〜〜!!」
「うるさいぞ善逸!!」
「うっさいよ!!今の俺は忙しいの!!俺の!!小羽の可愛さに悶えてて苦しいの!!お前らに今の俺のこの喜びと幸せ分けてやりたいわ!!」
「いらねーよ!!」
「そうだよ善逸。伊之助と炭治郎に迷惑だからやめて。」
「……へ?」 

小羽のその一言に、善逸はピタリと動きを止めた。
そしてまるで機械のようにギギギと首をぎこちなく小羽に向けると、真っ青な顔で小羽に言った。

「……え?ちょっと待って?今小羽、炭治郎を呼び捨てにしなかった?」
「俺もそう聞こえたぞ?」
「うん、したよ。だって、善逸も伊之助も呼び捨てになるのに、炭治郎だけ君付けなんて仲間外れにするみたいで嫌なんだもん。だからこれからは三人共呼び捨てにする。……あっ!だったら禰豆子ちゃんも呼び捨てにしていいかな?仲間だもんね!」
「えっ、えっ?ちょっと待って??」 
「ああいいぞ!禰豆子もきっと喜ぶ!」
「ほんと!なら今度禰豆子って呼んでみよう!」

真っ青な顔で一人ワナワナと震える善逸を放って、小羽と炭治郎は仲良さげにほのぼのと会話を始めていた。
そんな小羽を善逸は涙目で見つめながら思った。

(俺だけじゃ……ないの??)

善逸の願いは届かなかった。


************


清隆視点

「あー!だからそうじゃないんだって!」

ある昼下がり、機能回復訓練を続ける炭治郎たちであったが、その休憩中、何故か善逸が清隆に大声を上げるということが起こった。
清隆は善逸に叱られ、困ったように眉尻を下げながら項垂れる。
そんな清隆を見つめ、善逸ははあっと隠すことなく大きなため息をついた。

「お前って、意外にすっっごい不器用だったんだな。」
「うっ……意外ってなんだよ。だから言っただろ?俺は不器用だって。」
「想像以上だよ!あと開き直んな!」

この2人が先程から何をしているのかと言うと、実は清隆が善逸に花冠の作り方を教えて欲しいと言ってきたのである。
大好きな小羽の兄であり、いづれは自分の義理の兄になるであろう清隆からのたっての頼みに、善逸は二つ返事で了承した。
しかし、実際にこうして教えてみればとんでもなかった。
清隆の手元には、ボロボロになったお世辞にも綺麗とは言えない花の残骸たち。
そう、清隆はとんでもなく不器用な男であった。
手先が器用な善逸とは逆に、何かをしようとすると逆に物を破壊してしまうタイプの人間である。
想像以上に不器用な清隆に、善逸は頭を抱えていた。
清隆に花冠の作り方を教え始めてかれこれ二時間以上は経過していた。
善逸も根気よく教えていたのだが、いつまで経っても上達しない清隆に、いい加減善逸も匙を投げることにした。

「あーもー!無理だわ!お前にはこういう細かいのとか無理!!」
「そういうなよ!教えてくれって!」
「教えても教えてもぜんっっぜんできるようにならないじゃんか!!」
「もっと分かりやすく教えてくれよ!!」
「教えとるわ!!」

これ以上どう分かりやすく教えろって言うのかと言いたげに、善逸は力いっぱい怒鳴った。
善逸に匙を投げられて、清隆はしゅんと眉尻を下げて悲しげに項垂れる。

「……俺だって、一生懸命やってるんだよ。でも人には向き不向きがあるんだ。」
「だったらさあ、俺が代わりに作ってやろうか?その方が綺麗にできるし。」

善逸の申し出に、清隆は少しだけ迷ったように考える素振りをする。
しかし、少しの沈黙の後、静かに首を横に振った。

「……いや、善逸の申し出は有難いけどさ、やっぱり自分で作ったものを禰豆子ちゃんに贈りたいんだ。下手っクソな花冠でもさ、やっぱり他の男が作ったものを贈りたくなんかないんだ。」
「……はあ。」

清隆の言葉に善逸は深くため息をつくと、やれやれと肩を竦めた。

「……だよな。俺も男だからその気持ち分かるわ。しゃーない!もう少しだけ付き合ってやるよ!」
「善逸……ああ!ありがとう!」

善逸も清隆の気持ちが分かるからか、どこか呆れたようにしつつも、最後まで付き合ってくれるようだ。
善逸の優しさに清隆はめいいっぱいの感謝の気持ちを込めてお礼を言ったのだった。


**********


「――頼む!!」
「うーん。」

善逸の涙ぐましい努力と協力により、なんとかそれっぽい花冠を作り上げることが出来た。
そして現在清隆は、炭治郎に頭を下げていた。
まるでお手本のように綺麗に垂直に体を曲げて頭を下げる彼に、炭治郎は困ったように腕を組んで顔をしかめていた。
実は清隆は花冠を作った花畑に禰豆子を連れて行きたいらしく、夜に二人で出かけるお許しを貰うべく、禰豆子の兄である炭治郎に頭を下げてお願いしているのであった。

「――この通り!!頼む!!」
「うーん、でもなぁ〜……」
「禰豆子ちゃんの身の安全は俺が命にかえても保証する!!だから禰豆子ちゃんとデェトさせてくれ!!」

兄としては、可愛い妹を簡単に差し出したくないものである。
炭治郎の気持ちは同じ兄として清隆も痛いくらいに共感しているのだが、それはそれ、これはこれである。
どうしても禰豆子と夜の散歩に行きたい。
必死に頼み込んでくる清隆に、炭治郎は困ったように唸る。

「……兄としては、簡単に逢い引きを許すのもなぁ……」
「頼む!!炭治郎!!彼女を喜ばせたいだけなんだ!!」

清隆のあまりにも必死な様子に、炭治郎は困ったように苦笑すると、仕方なく折れることにした。

「……わかった。清隆を信じよう。」

炭治郎のその言葉に、途端にパッと顔を輝かせて嬉しそうに頭を上げる清隆。

「!、あっ……ありがとう炭治郎!」
「ただし、あまり遅くなるなよ?」
「ああ!分かってる!」

炭治郎の信頼を裏切ることのないように、紳士的に対応するのは当然のことである。
清隆は力強く頷くと、炭治郎はやれやれと複雑そうに笑うのであった。



ホウホウと夜を知らせる梟の鳴き声だけが、静かに皆が寝静まった蝶屋敷に響き渡る。
時刻は夜の十一時。屋敷にいる殆どの者たちが寝静まった頃を見計らって、清隆は禰豆子のいる病室を訪れた。
禰豆子のことを知らない他の治療中の隊士たちに見つからないように、足音も気配も殺してここまでやって来たから、きっと誰にも見られていない筈だ。
清隆は念の為に周囲を警戒しながら、近くに誰の気配もないことを確認して中に足を踏み入れた。
個室になっているその病室の奥に、ちょこんと禰豆子の箱が置かれている。
清隆はその箱を見て、ホッと緊張で強ばっていた肩の力を抜いた。
ゆっくりとその箱に近づくと、清隆は箱に目線を合わせるようにして膝を折り、コンコンと扉をノックするように軽く数回叩いた。
するとキィっと鈍い音を立てて、箱の蓋が開かれた。
そこからひょっこりと顔を出してきた禰豆子を見て、清隆は柔らかく微笑んだ。

「お待たせ禰豆子ちゃん。昼間約束した場所に行こうか。」
「うー!」

清隆の言葉に、禰豆子は嬉しそうに頷く。
それを了承と受け取って、清隆は再び禰豆子に箱に入ってもらうと、その箱を背負って歩き出した。
炭治郎に頭を下げて、やっとの思いでこぎつけたこのデェト。
絶対に成功させたい。
禰豆子ちゃんに少しでも楽しんでもらえるように、今日まで色々と準備していたのだから。
清隆は、今日の日のために事前に人の少ない時間帯を何度も調べ、そして何処に行けば人と遭遇する確率が少なく、且つ、女の子の禰豆子が喜んでくれそうな場所を必死に考え、あらゆるデェトに関する情報を集めまくったのである。
その努力が報われるかは、今晩のデェトで全て決まるのである。
清隆は改めて気合を入れた。
禰豆子の箱を背負って、ズンズンと裏山を登っていく。
視界の悪い暗い夜道でも、鬼殺隊の活動する時間は常に夜である。
加えて清隆たち鎹一族は、半分が鳥の遺伝子を持っているせいか、夜でも割とはっきりと視界を見ることができた。
だから清隆はまるで昼間と変わらない軽い足取りで山を進んで行った。
山道を登り、草を掻き分けながら進んで行くと、善逸に教えてもらった花畑が見えてきた。
少し開けた場所に出ると、清隆はそっと背負っていた箱を下ろした。
箱の扉を開いて、禰豆子がひょっこりと顔を出す。
箱から完全に体を出すと、禰豆子は小さく縮こませていた体を本来の大きさへと戻していった。
禰豆子の体の変化が完全に落ち着いたのを見計らうと、清隆はそっと禰豆子に手を差し出してきた。

「行こうか禰豆子ちゃん。暗いし、足元も危ないから、手を繋いで歩こう。」
「むん!」

清隆が穏やかに微笑みながらそう声をかけると、禰豆子はにっこりと目元を嬉しそうに細めて、清隆の手を取ってくれた。
女の子らしく細い指先に、桜貝のようにほんのりと薄く桜色に色づいた爪。
けれどその爪は、まるで獣のように鋭く伸びていて、彼女はやはり鬼なのだということを意識させられた。
けれど清隆は知っている。
禰豆子がとても心優しい娘だということを。
禰豆子は人を決して襲わない。だから絶対に人を喰ったりなんてしない。
この一年以上、禰豆子を。竈門兄妹を見守り続けてきた清隆は強く確信していた。
ある日突然理不尽に家族を奪われ、当たり前の日常を壊され、挙句、望まぬ形で鬼にされた。
それでも人の心を失わず、心優しく人を守ろうとする禰豆子の心強さに、その美しさに清隆は強く惹かれていた。
最初は見た目がとても美しく、好みの娘だったから気になった。
鬼である彼女を好きになることに、不安がなかった訳じゃない。
けれど禰豆子と過ごしてきた今、彼女を知った今なら、自信を持って言える。
俺は禰豆子ちゃんが好きだ。大好きだ。
この恋はもう、諦められないくらいに大きくなっている。
――俺は……禰豆子ちゃんを心から愛してる。
鬼だからなんだ。
そんなのは些細な問題だ。
だって、いつか必ず俺たちが彼女を人間に戻す。
その為に炭治郎だってあんなに頑張ってるんだ。
だから、この気持ちはいつか、彼女が人間に戻った時に伝える。
それまでは……彼女を守るんだ。
禰豆子ちゃんの手をゆっくりと引きながら、俺は彼女を花畑へと連れて行く。
暗くて色までは認識できないが、そこには蒲公英や白詰草、春に咲く花々がたくさん咲き誇っていた。
禰豆子ちゃんにもそれは見えているのだろう。
彼女は目の前に広がる美しい花畑に目を輝かせながら、食い入るように見入っていた。
今日は都合のいいことに満月で、まん丸の美しい満月の光に照らされて、きらきらと輝く禰豆子ちゃんの瞳がまるで夜空のように綺麗に見えた。

(……綺麗だなぁ〜〜……)

思わず禰豆子ちゃんに見惚れてしまう。
俺が禰豆子ちゃんに見蕩れてぼんやりとしていると、禰豆子ちゃんがクイクイと俺の羽織の裾を引っ張った。

「ん?どうしたの禰豆子ちゃん?」
「むー!」

どうやら俺がぼんやりしていたのが気に入らなかったのか、彼女は眉尻を吊り上げて少し不満そうな顔で声を上げた。

「ごめんごめん、ぼうっとしてた。お詫びって訳じゃないけど、禰豆子ちゃんにあげたいものがあるんだ。」
「むう?」

俺がそう言うと、禰豆子ちゃんは「なあに?」と言いたげに不思議そうに首を傾げた。
俺はそんな彼女ににっこりと笑いかけると、懐に忍ばせておいた物をさっと取り出した。

「……懐に入れておいたから、少し潰れちゃったし、お世辞にも綺麗にできたとは言えないんだけどね。良かったら貰ってほしいな。」

少し不安げな声でそう言いながら、俺が懐から取り出したのは、例の昼間に作った花冠だった。
何度も何度も失敗して、何度も何度も善逸に叱られて、やっとまともに作れたのはこれ一つだけだった。
花は所々よれていて、形も崩れかけていて、歪。
善逸の作った見事な花冠と比べたら、とても綺麗とは言えない。
それでも、一生懸命作ったものを彼女に……禰豆子ちゃんに贈りたかったんだ。
禰豆子ちゃんは少しの間、しげしげと花冠を眺めていた。
けれど嫌がる素振りも、呆れたような顔をすることもなく、そっと自ら頭を差し出してきてくれたのだった。
俺がそんな彼女の優しさにジンと目尻が熱くなって、感動していると、禰豆子ちゃんは早く花冠を乗せろと言いたげに不満そうな声を上げた。

「むう!」
「――あっ!ごめん。すぐに乗せるね。」

俺は慌てて花冠を持ち直すと、それをそっと彼女の頭の上に被せた。
すると顔を上げた禰豆子ちゃんが、とても嬉しそうに「むう〜〜」と可愛らしく上機嫌な声を上げて笑ってくれたのだ。
どうやら気に入ってくれたようで、にこにこと嬉しそうに目を細めて笑顔を浮かべている。
――本当に優しくて、可愛らしい子だ。
禰豆子ちゃんが堪らなく愛おしくなる。
彼女はどこまでも優しい「人」だ。そう……禰豆子ちゃんは人だ。
例えその身が鬼にされようとも、彼女の優しい心はずっと人なのだ。
いつか……本当に彼女が心から笑える日が来ることを切に願う。
いつか人に戻って、また日の下を歩けるようになったら、彼女とたくさん話をしよう。
彼女は、どんな声なのだろう。
どんな風に話すのだろう。
彼女は、絶対に幸せになるべき人だ。
だから、きっといつか……心から彼女が幸せに笑えますように。
俺はは心からそう願った。


***********


小羽視点

小羽の肩の怪我が治りかけた頃、炭治郎は全集中“常中”の呼吸をほぼ一日中維持できるようになり、残すところと一番大きな瓢箪を割るだけとなった。
遅れて訓練に参加した善逸と伊之助も、最初こそサボっていたが、最近は炭治郎に感化されて真面目に訓練に顔を出すようになった。
先に怪我を完治させた清隆は何やら任務なのだろうか、ここ最近は忙しそうに出掛けることが多くなった。
それでも禰豆子と夜のデェトを初めてした日以降、頻繁に夜に二人っきりで出掛けることを周囲の人間たちは微笑ましく見守っている。
ただ一人、炭治郎だけは複雑そうな顔をしていたが……
そんな穏やかな日々を過ごしていたある日、小羽は善逸と縁側で話をしていた。

「もうすっかり元に戻ったね。」

小羽は善逸の手を握りながらそう呟く。
するとふにゃりと締りのない笑顔を浮かべて善逸は言った。

「ほんとにねぇ!!一時は本当にちゃんと戻れるのか不安で不安でしょうがなかったけど、ちゃんと戻れて良かったぁ!!がんばって苦い薬を飲み続けた甲斐があったよぉ!!」
「もう、善逸くんはアオイを困らせてばかりだったでしょ?」
「だってぇ〜〜〜!!あの薬、ほんっっとに不味いんだよォ!!」

涙を浮かべながら小羽に訴える善逸。
余程治療の日々が辛かったらしい。
えぐえぐと泣きながら、あの薬がどれだけ苦くて不味かったかを語る善逸に、小羽は呆れてため息をつく。
那田蜘蛛山での戦いから数ヶ月が経ち、鬼の毒によって半蜘蛛化していた善逸の体も、今ではすっかり元に戻った。
残すところは彼等の全集中“常中”の訓練のみである。

「もう善逸ってば……そろそろ訓練に戻った方がいいんじゃない?」
「えーーーー!!何で!?俺はまだまだ小羽と一緒に居たいよ!!小羽は俺とこうして話すの嫌?」
「そ、そんなことはないけど……」

「小羽」と、中々慣れない呼び捨てに、恥ずかしそうに頬を赤らめる。
そんな彼女の様子に、善逸はデレ〜っと鼻の下を伸ばしてそれはそれは嬉しそうに破顔させた。
小羽と付き合いだしてから数日、善逸はずっとこんな感じで締りのない顔をよくするようになった。
それが嬉しいやら、恥ずかしいやら、呆れるやらで、小羽は少し複雑である。

「うひひひひひ、小羽照れてるの?可愛い〜〜!!もう本当に可愛い!!俺の彼女!!」
「も、もう!!そういうこと言うのやめて!!恥ずかしいよ!!」

善逸は本当に、心底嬉しいそうに、とても幸せそうに笑う。
彼にそんなに顔をさせているのが自分なのだと思うと、嬉しくて、恥ずかしくて、そして堪らなく心が幸せで満たされていく。
けれどその気持ちを認めてしまうには、まだ小羽は子供すぎて、幼すぎて、恥ずかしい気持ちの方が勝ってしまう。
照れているのを諭されたのが恥ずかしくて、誤魔化すようにポカポカと善逸の胸を叩く。
傍から見たらただイチャついているだけである。
その時、あまりにも小羽が動いたからなのか、元々解けかけていたのか、小羽の頭のリボンがスルリと解けた。

「あっ!リボンが……」
「あらら、解けちゃったね……これ、よく見たら結構くたびれてるね。」

善逸が落ちたリボンを拾う。
女の子らしい赤いリボンは大変可愛らしいのだが、随分と使われたのか、それは随分とくたびれており、ヨレヨレにシワがよっている上に、所々すり減っていた。
ボロボロだが、薄汚れていないリボンは、長い間随分と大切にされてきたのだろう。
思えば、小羽がこのリボン以外をつけているところを善逸も見たことがなかった。

(そういえば、ずっと付けてるから不思議に思わなかったけど、小羽はリボンなんて高価な物、どうして持ってるんだろ。かなりくたびれてるみたいだけど……)

善逸がそう不思議に思いながら、拾ったリボンを小羽に手渡す。
それを「ありがとう」と言って受け取りながら、小羽はまじまじとリボンを見つめた。

「うーん、私が六歳の時から使ってるからなぁ〜。そろそろ限界なのかも……」

もうすっかりヨレヨレになってしまったリボンを寂しそうに見つめる彼女に、善逸はそのリボンが小羽にとってきっと大切な物なのだろうと察した。

「随分大切にしてるんだね。」
「あっ、うん。これね、お母さんから貰ったものなの。」

そう言って小羽は少しだけ昔話をしてくれた。
小羽のリボンは、小羽が六歳の頃に、母親が作ってくれた物らしい。
この時代、リボンは貴族でなければ買えないような高価な物だった。
ある時街に出かけた小羽が、とある洋品店に展示されていたそのリボンに一目惚れしたところ、高価すぎて勿論本物は買えなかったのだが、母親が赤い布切れを買ってきてくれて、リボンにしてくれたのだった。
それが嬉しくて、小羽はずっとそれを大切に使っていた。
両親を失った今では、小羽にとってリボンは母親の形見でもあったのだ。

「……そっか、そのリボンは本当に小羽にとって宝物なんだね。今も大切にしてもらえて、きっと小羽のお母さんも喜んでるよ。」
「そうかな?……そうだと……いいな。」

少しだけ寂しそうな顔でリボンを見つめる小羽に、善逸は何も言えなかった。
親の顔を知らない、母親の愛情を知らない自分では、何を言ってあげたらいいのか分からなかったからだ。
言葉の代わりに、善逸はそっと手を伸ばした。

「俺が結ってあげようか?」
「いいの?」

唐突にそんなことを言い出した善逸に、小羽はきょとんと目を丸くした。
善逸は笑顔で頷くと、リボンを渡してくれとばかりに手を突き出した。

「うん!俺、手先は器用なんだ!」
「ふふ、じゃあお願いしようかな。」
「うひひ、任せてよ!」

リボンを受け取ると、善逸は嬉しそうにはにかんだ。
小羽の背に周り、丁寧に髪を触る。
軽く手ぐしをする為に髪に指を通すと、引っかかることなくスルリと指をすり抜ける。
くせっ毛なのだろうか、少し波のある髪だが、綺麗な髪だなぁと思いながら髪を一つに纏めてリボンで結っていく。

「――ねぇ小羽。良かったら俺が新しいリボン贈っても……「ダメだよ。」えーー!!まだ最後まで言ってないのにぃ!!」
「善逸ってば目を離すとすぐに無駄遣いするんだもん!この前だって、綺麗な着物や簪とか貰ったばかりなんだよ!?もうそういう風に貢ぐのダメって言ったでしょ!?」
「無駄じゃない!!可愛い女の子に……いや!!小羽に貢ぐのはぜんっっぜん無駄なんかじゃないよ!!」
「ダメなものはダメなの!!」
「そんなぁ!!!」

善逸と恋人になってからすぐに、彼は小羽に貢ぎ出した。
最初はそこら辺に生えていた花を摘んできてくれて、それだけで嬉しかった。
だけど一週間もすれば、街に出掛けては着物やら簪やら買ってくるようになった。
それもどれも高価そうな物ばかり。
最初は初めての恋人からの贈り物に、小羽も素直に嬉しかったが、次第に呆れるようになった。
小羽と付き合う前から善逸は女性に貢ぐ癖があったり、甘いところがあったが、これはまずいと小羽は早々に危機感を覚えて、自分に貢ぐことを禁じたのであった。


*****************


「――そう言えばさ、小羽にお願いがあったんだ。」
「何?」
「これ……なんだけど……さ。」

ふと思い出したように呟く善逸。
なんだろうと思って善逸の方を見れば、彼はどこか気まずそうに目を逸らす。
そしておずおずと懐から二通の手紙を取り出して、小羽に差し出す。
それを見て、小羽は善逸が何を言おうとしているのか察した。

「分かった、任せて。」
「ごめんね。まだ肩の怪我も完治してないのに……」
「いいよ。でも、獪岳さんは今回も受け取ってくれるかは……」

小羽は少し言いづらそうに口ごもる。
実は善逸は鬼殺隊になってから、何度も育手である桑島や、兄弟子である獪岳によく手紙を出していた。
そしてそれを届けていたのは勿論小羽であり、桑島は必ず受け取ってくれるが、獪岳だけは一度も善逸の手紙を受け取ってくれたことはないのである。
何故か兄弟子の獪岳は善逸を目の敵にしており、手紙を届けても毎回読まずに破り捨ててしまうのである。
小羽はそれが善逸に申し訳なくて仕方なかった。
けれど善逸はそんなことは分かりきっているので、気にしていないと言いたげに苦笑した。

「分かってる。獪岳は一度も俺の手紙なんて受け取ってくれたことない。どうせ今回も読まずに破られて終わると思う。それでも……」
「うん、ちゃんと届けるよ。」
「ありがとう、小羽。」

小羽が必ず届けると力強く言うと、善逸は嬉しそうに笑ってくれた。
今度こそ、受け取ってもらいたい。
小羽は、密かにそう強く思っていた。


************


善逸には獪岳という名の兄弟子がいる。
正直言って、二人の仲はあまり良くはない。……というか、仲は最悪な程に悪かった。
それでも善逸は獪岳を尊敬していた。表立って素直になれずにいるだけで、心の中で「兄貴」と慕うくらいには尊敬しているのだ。
だからあの日、善逸は悔しさのあまり問題を起こしてしまったのである。
それは善逸がまだ鬼殺隊に入隊して間もない頃。
善逸が自分より階級が上の隊士を殴ってしまったのだ。
つまり、善逸は隊士同士で争ってはならないという隊律違反を犯したことになる。
理由は善逸の兄弟子である獪岳が侮辱されたから。偶然他の隊士たちが兄弟子の陰口を叩いているのを聞いてしまった善逸が、キレて殴りかかってしまったのだ。
当時その場に雀の姿で居合わせていた小羽がお館様に報告したことで、特に大事にはならなかった。
けれど全くのお咎めなしという訳にもいかないので、少しの間給料を減給されたりと軽い罰は与えられていた。
どんなに仲が悪く、気の合わない兄弟子でも、善逸にとって獪岳が尊敬する兄弟子であることには変わりなかった。
だからそんな兄弟子が何も知らない奴に馬鹿になるのが許せなかったのだろう。
それだけ獪岳という存在は、善逸にとって大きな存在だったのだ。

「チュンチュン!」
「……ちっ、また来たのかお前。」

その日、小羽は善逸に頼まれて獪岳へ手紙を届けに来ていた。
雀の鳴き声がすると、獪岳はうんざりとした顔で木の上に止まる小羽を見上げた。
小羽が獪岳に手紙を届けるのは、これで何度目になるだろう。
善逸は獪岳を嫌ってはいるが、彼なりになんとか兄弟子と歩み寄ろうと考えて、こまめに手紙を出していた。
けれど、その手紙は一度も読まれたことがない。
いつも獪岳が手紙を読まずに破り捨ててしまうからだ。だから当然、返事など一度も書かれたことは無い。
毎回毎回そんな感じのことを繰り返しているのにも関わらず、善逸は手紙を定期的に寄越してくる。
それは今回も同じで、善逸だけが連れている雀の声を聞いて、また嫌いな弟弟子からの手紙が来たことに、うんざりとした顔で獪岳は眉をひそめた。

「チュンチュン!チュン!(ねぇ、今度こそ受け取ってよ!)」
「チュンチュンチュンチュンうるせえ!あいつにいい加減手紙寄越すのはやめろって伝えろ!……ああ、そういやこいつ話せねぇんだったな。……ちっ、役に立たねえ雀だな。」
「チュンチュン!(失礼ね!ちゃんと話せるわよ!)」
「……ちっ、うるせえし、しつけえんだよ!!」
バシッ!!
「ヂュンっっ!!」

小羽が獪岳の周りをうろうろと飛び交っていると、苛立っていたのか、鬱陶しかったのか、獪岳は飛び回るハエを叩き落とすかのように、自分に群がっていた小羽を手で払う様にして叩いた。
軽く払うでもなく、結構な勢いと威力で叩かれた小羽は、そのままふらりと地面に落ちていく。
ぐったりと地面に落ちたまま、ピクリとも動かない小羽を一瞥すると、苛立たしげに舌打ちしてその場を去ろうとした。しかし……

「チュン!チュンチュン!(待って!ちゃんと手紙を受け取って!)」
「……ちっ!ほんと主人に似て鬱陶しいな!」

かばりと突然起き上がった小羽は、すぐに羽ばたくと、めげずに獪岳の傍に飛んでいく。
それを獪岳は目を細めて、睨みつける。
かなり苛立っているのか、殺気すら感じるほどに。

「チュンチュン!(お願いだから!ちゃんと読んで!)」
「くっそ!!しつこいんだよ!!」

小羽が獪岳の顔の周りを飛び回ると、突然キレた獪岳が小羽を片手で掴んだのだ。
手加減なしにギュッと握り込まれ、小羽は苦しげに「チュン!」と小さく鳴いた。
それでも獪岳は小羽を放そうとはせず、小羽の足に結ばれていた文を小羽の足ごとむしり取るかのような勢いで奪い取ると、広げることもなくビリリと紙が破ける音がした。
獪岳がまた文を破いたのだ。乱暴に破かれた紙が無惨にも地面に落ちていく。
ハラハラと舞うように落ちていく紙屑が、まるで桜の花びらのように綺麗だなんて、そんなことは到底思えず、ただただ、悲しかった。
善逸がどんな想いでこの手紙を書いたのか、いつもいつも、どんな気持ちで手紙を出しているのか、小羽は知らない。分からない。
けれど、絶対に読まれないと分かっていても頻繁に出される手紙が、ただの手紙な訳がない。
いつも小羽に申し訳なそうに託していくあの手紙が、また読まれず破かれた。
それが、小羽は悲しくて哀しくて、たまらなく悔しかった。
手紙を破かれたショックですっかり大人しくなった小羽を、獪岳はゴミでも捨てるかのように地面に放り投げると、そのまま静かに去って行ってしまった。
小羽はその間、どうすることもできずに、一歩も動くことが出来ずに、ただ、そこに倒れている事しかできなかった。
ただただ、泣いていた。
心が痛かった。善逸の気持ちを届けられない自分が情けなくて、悔しくて。
また善逸に手紙を届けられなかったと報告しなければならないのかと思うと、涙が止まらなかった。
そんな小羽の心を表すかのように、空は雨が降りそうな曇り空になっていた。


***********


ザアザアと土砂降りの雨が降りしきる。
最初こそしとしとと優しく降り続いていた雨も、まるで機嫌を損ねて泣きじゃくる子供のように、すごい勢いで大粒の雨を降らせていた。
そんな勢いで降り続く雨の中、外を歩こうとする者は中々いない。
だから慈悟郎は自分の家の戸を叩く微かな音を聞いた時、最初は気のせいだと思った。
しかし、何度かコンコンと遠慮がちに叩かれる音に、人が訪ねて来たのだと理解した慈悟郎は素直に驚いたのだった。

「こんな雨の中一体誰が来たんだ?」

慈悟郎は心底怪訝に思いながらも、重い腰を上げて立ち上がる。
そして少しだけ立て付けの悪い引き戸を力いっぱいに引くと、そこにはずぶ濡れの一人の少女が立っていた。
その少女を見た慈悟郎は驚き、目を大きく見開いた。そして少女の名を呼ぶ。

「小羽ちゃんじゃないか!どうしたんだ?ずぶ濡れじゃないか!」
「桑島さん……」

ザアザアと勢いよく降り続く雨の中、傘もささずにやって来たのか、小羽の体は全身ずぶ濡れになり、所々泥がついて汚れていた。
そんな彼女の姿に、慈悟郎は慌てて中に入るように促すが、小羽は何故か動こうとはしなかったのである。
強い雨に打たれながら佇む小羽の目はどこか虚ろげで、明らかにいつもと様子が違うと分かる。

「……何か……あったのか?」
「……っ」

慈悟郎が心配そうに問いかけると、何かを思い出したのか、小羽の顔が泣きそうにくしゃりと歪む。
それだけでもう、何かあったのだと確信を持てた。
兎に角このままでは風邪を引いてしまうと、雨の中未だに外で立ち続ける小羽に、慈悟郎は優しく「中に入りなさい」と声をかけた。
それでも中々家に入ろうとしない小羽の手に触れると、長い時間外に居たのか、その手はあまりにも冷たかった。
あまりの冷たさに慈悟郎は目を見開く。
一体どれだけの時間を雨に打たれてきたのか……この娘に何があったのだろう。
善逸を通して知り合ってからまだ半年も経っていない関係だが、もはや慈悟郎にとって小羽はもう一人の孫のようなものだ。
可愛い孫娘同然に思っている小羽のこんな姿を見て、心配しない訳がない。
慈悟郎は小羽の腕を掴んだまま引っ張ると、彼女は抵抗することなく素直に中に足を踏み入れた。
後ろ手で戸を閉めると、雨の音が少しだけ静かになった気がした。
小羽の羽織はすっかり水を吸って重くなっており、裾からポタポタと止めどなく水滴が床に落ちていく。

「今風呂を沸かしてやるから、すぐに着替えなさい。……と言っても、男物の着物しかないが……善逸のでいいか?」
「……桑島さん。」
「ん?」

慈悟郎が濡れてすっかり体が冷えきってしまった小羽を何とかしてやろうと慌ただしく動く中、小羽は静かに彼の名を呼んだ。
慈悟郎が振り返ると、小羽は隊服の懐に忍ばせておいた文を取り出して、慈悟郎に差し出した。
その文に書かれた文字を見て、相手が善逸だとすぐに理解した慈悟郎は、何故小羽の様子がおかしいのか何となく察したのであった。

「善逸からの手紙か……」
「はい、預かってきました。」
「……獪岳のもか?」
「っ!?」

慈悟郎から獪岳の名が出た瞬間、ピクリと小羽の肩が小さく跳ねた。
明らかに動揺を見せた小羽に、慈悟郎はやはりかと妙に納得してしまい、小さくため息をついた。

「そうか……あいつがすまんかったな。」
「どうして、分かったんですか?」

小羽は不思議そうに尋ねる。
善逸が獪岳に手紙を出していることを、慈悟郎は知らない筈だ。
善逸本人がそう話していたし、小羽も慈悟郎には言わないでくれと口止めされていた。
恐らくは照れくさいが為の口止めであろうが、それ故に小羽は慈悟郎にはこの事は伝えていない。
だから彼が手紙のことを知っている筈がないのだ。

(それなのに、どうして慈悟郎さんは私が獪岳さんのことで落ち込んでるって分かったんだろう?それに手紙のことも……)

思わずじっと慈悟郎の顔を見つめてしまうと、彼は小羽の視線に気付いて、困ったように眉尻を下げて苦笑した。

「善逸のことだ、兄弟子にも手紙を出しているだろう事は予想できる。あいつ等は仲が本当に悪いが、善逸は嫌いながらもそれでも獪岳を尊敬しているからな。」
「……」
「そして獪岳は絶対に善逸の手紙を受け取ろうとはせんだろう。あれは本当に気難しい奴で、善逸のことが気に食わんらしい。そうなると小羽ちゃんが届けた手紙は破り捨てられていると想像がつく。優しいお前さんのことだ、それで気落ちしてるんじゃないか?」
「……当たってます。」

あまりにも鋭い慈悟郎の推察に、小羽は降参だとばかりに肩を落として認めた。
しょんぼりと俯く小羽に、慈悟郎はそっと優しく肩に手を置く。

「小羽ちゃんがあいつ等のことでそんなに心を砕くことはないんじゃ。あの二人はあの二人なりに勝手にやっていくさ。」
「でも、私……善逸の力になりたいんです。」
「ありがとう。善逸の為に一生懸命になってくれて……じゃがな、それでお前さんが怪我をしたり、悲しい思いをしてしまっていては、善逸が悲しむ。」
「……はい。」
「ワシも心配で寿命が縮んでしまう。だからのぅ、あまり、無理はせんでくれ。」
「……はい。ありがとう、桑島さん。」
「なあに、ただの老いぼれのうるさい小言じゃよ。」

そう言って、慈悟郎は小羽の手に握られている自分宛の文を受け取ると、ニカッと笑ってみせた。

「これはちゃんと受け取っておく。小羽ちゃんはさっさと風呂に入っておいで。風邪を引いてしまうわい。」
「あっ……はい!」

慈悟郎の優しい言葉に、小羽の心がほんわかと温かくなる。
まるで雨に濡れて消えてしまった蝋燭に再び火が灯るように、心の中にぽっと優しく温かな光が生まれる。
小羽は慈悟郎のお陰で少しだけ取り戻した元気を返すように、パッと明るい笑顔を浮かべてはにかんだ。



それから小羽は慈悟郎に勧められるままに入浴を済ませ、用意されただいぶ大きめの男物の着物に袖を通した。
慈悟郎曰く、善逸の着物らしく、その体格差からやはり善逸も男の子なのだなと改めて自覚して、ほんの少しだけ気恥ずかしくなった。
何はともあれ、小羽の隊服と羽織が乾くまで、このままお借りしておこう。

(善逸の着物かぁ〜〜)

思わず着物の裾に顔を埋めて、くんくんと匂いを嗅いでしまう。
もう何ヶ月も袖を通されることなく箪笥に仕舞われていたからか、着物からは人の匂いというよりも、ほんのりと木の香りがした。
善逸の匂いがしないのはほんの少しだけ残念だったが、小羽は幸せそうに笑みを浮かべるのであった。

「――お風呂お借りしました。」
「おお、早かったな。」

小羽が戻ってくると、慈悟郎が火を焚いていた。恐らくは小羽の為だろう。

「お腹空いとらんか?握り飯と昨日の残りの味噌汁があるから食べなさい。」
「そんな、ご飯まで……ありがとうございます。」
「今日はもう遅い。泊まっていきなさい。」
「……迷惑ではありませんか?」
「そんな訳あるか。いいから、じじいの頼みを聞いてくれんか?」
「……はい。あの、ありがとうございます。」

何から何までお世話になることになってしまい、小羽は申し訳なく思った。
それでも、今は彼の優しさがとても嬉しかったのである。



「――ふう、ご馳走様でした。後片付けは私にやらせてください。」
「そうか?だったらお願いしよう。そういえば小羽ちゃん、ずっと気になっていたんだがのぅ。」
「はい?」
「いつもつけとる髪紐、随分とボロボロになっていたな。」
「――あっ。……そうですね。もう古い物ですから。」

そう言って小羽は吊るしてあるリボンを見る。
元々古くて少し擦り切れていたリボンではあったが、それでも状態は良かった。
獪岳に乱暴された際に、どうやら少し擦れてしまったようで、いつ切れてもおかしくないくらいにボロボロになってしまった。

(雀に擬態していたせいで、油断してた。身につけている物にも影響が出るんだってこと……)

小羽たち鎹一族の者たちは、鳥に変化する際に、身につけている服も擬態させている。
ある程度身につけられる大きさの物ならば、自分の身体と一緒に擬態させて持ち運びもできるのである。
実に便利な力であるが、どういう原理なのかは全く分かっていない。
一見、鳥の姿が裸同然のような姿のせいで分かりずらいが、鎹一族は服を身につけた状態で擬態している。
だから鳥の状態で怪我などをした場合、身体には当然傷ができるし、身につけている物にもその影響が出ることがあるのである。
今回がまさにそれであった。獪岳に乱暴に扱われた際にリボンが少し切れてしまったようなのだ。

(縫い付ければ直せないこともないけれど、もう寿命かもしれないなぁ〜……)

小羽はもう使えないかもと少し寂しくなった。
母との思い出の品であり、形見でもある大切な物だったから……
名残惜しそうにじっとリボンを見つめる小羽に、慈悟郎は何を思ったのか、すっと目を細めると不意に立ち上がった。

「……少し待ってなさい。」
「桑島さん?」

慈悟郎は箪笥を開けてガサゴソと何かを探し始めた。
これでもない、あれでもないとぶつぶつと呟きながら、箪笥の中を探している。
少しすると、何かを見つけたのか、「おお、あったあった。」と嬉しそうな声を上げた。
そして箪笥から何かを取り出してこちらに戻ってくる。
その顔がとても嬉しそうで、小羽はますます不思議に思って首を傾げた。
慈悟郎が持ってきたのは縦長の小さな木箱だった。

「小羽ちゃんは裁縫はできるかね?」
「――え?まあ、少しは……」
「だったら良かった。これをあげよう。」
「??」

何故裁縫のことを聞いてきたのだろうか?
慈悟郎は訳が分からずにきょとんとほうけた顔をしている小羽に、例の木箱を差し出してきた。
小羽は怪訝に思いながらも、差し出されるままに木箱を受け取った。
「これは?」と尋ねる小羽に、慈悟郎はにこにこと笑顔を浮かべるだけで答えない。
仕方なく木箱を開けてみることにした。
すると中には、布の切れ端が入っていた。

「――これ!」
「あげよう。それで新しい髪紐を作るといい。」
「あっ……ありがとうございます!嬉しいです!」

その布切れがなんなのか分かると、小羽は大切そうにそれを木箱ごと抱き締めた。
慈悟郎からの思わぬ贈り物に、小羽はそれはそれは嬉しそうに微笑んだのであった。


**********


翌日の朝になり、桑島の家を後にした小羽が蝶屋敷に帰ってきたのは、昼過ぎになってからであった。

昨日の朝一に出かけていった小羽が、翌日の昼過ぎになっても帰って来ない。
善逸は心配で心配でいても立ってもいられずに、外へと飛び出した。
じっとしていられずに、先程から外をうろうろとうろつき、時折空を見上げてはため息をつくということを繰り返している。

「あ〜〜、小羽遅いなぁ!何かあったのかなぁ?……はっ!まさか道中鬼に襲われて……いやいや、それかもしくはあまりにも可愛いから、小羽狙いの男共に誘拐されたんじゃ……いっ……いやぁぁぁぁぁぁーーーー!!小羽ーーーー!!」

小羽の身を心配するあまり、悪い方悪い方へと考えが向かってしまい、善逸は自分の想像にショックを受けて絶叫した。
蝶屋敷中に善逸の汚い高音が響き渡る。
ここでいつもなら炭治郎やアオイが「うるさい」と言って注意しに来るのだが、今日は違っていた。
人の声の代わりに、「チュンチュン」と可愛らしい小鳥の鳴き声が善逸の耳に入ってきたのだ。
その声を聞いて、パッと弾かれたように顔を上げる。
すると善逸の肩に小さな雀が一羽降り立ったのである。
そう……待ちに待った小羽が帰ってきたのだ。

「小羽!遅かったじゃないか!心配したんだよ!」
「チュンチュン!(ただいま善逸!)」
「……うーん、やっぱり俺には雀姿の小羽の言葉が分からないなぁ〜。炭治郎が羨ましい!」

チュンチュンと可愛らしく鳴く小羽の言葉は、善逸には分からない。
恋人の言葉はどんな言葉でも理解したいと思う善逸は、こんな時、小羽の言葉を理解できる炭治郎が羨ましかった。
しょんぼりと項垂れる善逸を励ますように、小羽はもう一度「チュン」と鳴いた。
そして善逸の肩から飛び立つと、すぐに元の人間の姿へと戻る。
小さな雀の体が大きく膨らんで、あっという間に人の形へと変化した。
いつもの見慣れた小羽の姿に戻ったことに、善逸は嬉しそうに笑顔を浮かべるが、彼女の髪を結い上げている髪紐を見て、笑顔のまま固まった。
善逸の目の前でひらひらと風に揺れるその黄色いリボンを一点に凝視する。
小羽が身につけているリボンが何なのか分かると、善逸はプルプルと震える指を小羽の頭に向けて口を開いた。

「こっ……小羽、それ……」
「ん?ああ、気付いた?これ善逸の羽織の切れ端で作ったんだよ。桑島さんからもらったんだぁ〜!」
「おっ、俺のぉ!?」
「そう。前のリボンがちょっと切れちゃってね。」

小羽は獪岳と一悶着あった際にリボンが切れてしまったことは伏せて、そう説明した。
獪岳を庇う訳ではないが、余計な心配をさせて、善逸と兄弟子との仲を更に拗れさせたくなかったのだ。

「おおお、俺の羽織ぃぃぃぃ!?」
「えへへ、善逸とお揃いだね。似合う?」
「似合う似合う!もう!超絶可愛いよ!日本一!いや、世界一可愛いよ!女神かな!?俺とお揃いなんて!これはもう結婚かな!?」
「まだ結婚はしないからね。というか、年齢的にできないよ。」
「あーー!法律が憎い!」

善逸がうっとりと目をハートにして、それはもう小羽にメロメロになって褒めちぎってくれるものだから、小羽も照れくさいが嬉しくなる。
好きな人に可愛いと言われて、気分はちょっぴり有頂天だった。
しかし、小羽は言わなければならない。
リボンのことは黙っていられても、これだけはちゃんと伝えなければならないのだ。

「もう、本当に可愛いよ〜〜!さっすが俺の恋人!未来のお嫁さん!えへへへへへ!」
「うふふ、ありがとう、善逸。ちょっと恥ずかしいけど、喜んでもらえて嬉しい。……あのね、善逸。」
「うふふふふふ、なぁに?小羽?」
「……手紙……また読んでもらえなかった。ごめんね。」
「――あっ。」

小羽がそう言った瞬間、善逸から笑顔が消えた。
さっきまでうっとりと可愛い恋人に浮かれていた顔を引っ込めて、途端に真剣な顔つきになった。
そんな善逸の表情の変化に、小羽は手紙をちゃんと渡してあげられなかったことを後悔した。
やはり、何としても受け取ってもらえば良かった。
きっと善逸はまた獪岳に手紙を読んでもらえなくてショックを受けただろうから……
そんな善逸の心の心境を思って小羽が落ち込んでいると、善逸が小羽の肩を掴んで顔を覗き込んできた。

「――あいつに、何か酷いことされなかった!?」
「へ?」

何故か自分の身を心配してくる善逸に、小羽はきょとりと目を丸くする。
ポカンとほうけた顔で間抜けな声を上げる彼女に、善逸は酷く心配そうな顔でもう一度問いかける。

「獪岳に乱暴なことされなかった!?」
「えっ、えっ、だっ、大丈夫……」
「……本当に?」
「……手紙、破かれちゃった。」
「それはいいんだよ!どうせ獪岳のことだから、俺の手紙なんて素直に受け取る筈ないだろうし!それよりも、あの馬鹿に小羽が酷いことされなかったかが心配で!……もしかして、そのリボンって、獪岳が関係してたりする?」
「うっ!」
「小羽〜〜?ちゃんと正直に話して。俺に嘘ついたり、隠し事はしないでよ。」

善逸は、何故かこういうことには勘が働く。
音で分かるのだろうか?
それとも私のことだから分かるのかな。善逸には悪いけど、そうだったら嬉しい。
小羽は善逸の剣幕に気圧されながら、降参とばかりに肩を竦めた。

「……はあ、何で分かっちゃうかなぁ。 」
「小羽のことだからに決まってるでしょ!」

そう言ってとても真剣な顔をする善逸に、小羽はキュンっと胸が高鳴った。
善逸に恋をしてからは、馬鹿みたいに彼にときめいてしまうことが増えた気がする。

「――で、何があったの?」
「えっ、言わなきゃダメ?」
「ダメ!」
「う〜〜」

善逸にじっと見つめられて、小羽は困ったように唸る。
こうして小羽は洗いざらい事の顛末を説明させられたのであった。



「――あの野郎!!ぶっ殺してやる!!」
「どうどう、落ち着いて!」

案の定というか、小羽が獪岳に乱暴されたと聞いて、善逸は怒り狂った。
額や握り締めた拳に血管が浮き出るほどに青筋を浮かべ、今ここに獪岳がいたらすぐにでも殴りかかりそうな勢いで目を血走らせてキレていた。
そんな善逸を慌てて宥めようとするが、善逸の怒りは収まりそうにない。

「私のことは本当にいいんだってば!」
「良くない!小羽に怪我させて、しかも小羽の大切なリボンまでボロボロにするなんて!」
「だから、それは大丈夫だから!私ももう気にしてないし!」
「小羽が良くても俺が許せない!……というか!何で小羽は嬉しそうな音させてるの!?」
「えへへ、だって〜〜……」

善逸が真剣に怒っているというのに、小羽からは何故か嬉しいという感情の音が伝わってくる。
心なしか彼女の顔も笑いを堪えているような……
思わずジト目で睨みつけると、小羽は「ごめんごめん」とすかさず謝ってきた。

「だって、善逸が私のためにそんなに真剣に怒ってくれるのが嬉しくて……ごめんね。」
「怒るよ!怒るに決まってる!だって、大切な女の子のことなんだよ!」
「善逸はそうやっていつも私を特別扱いしてくれるよね。」

小羽がそう言うと、善逸は当たり前だとばかりに頷く。

「当然だよ!だって、俺にとって小羽は誰よりも大切な女の子なんだから!心配するのは当たり前!特別扱いだってするよ!」
「うん……私にとっても、善逸は一番大切な人だよ。」
「う、ん……こっ、小羽?」

自分から大切だと口にするのは平気でも、人から、それも小羽から好意を向けられることに慣れていない善逸は、まっすぐに向けられる小羽の熱い視線に恥ずかしそうに目を逸らしてしまう。
照れくさいのか、真っ赤な顔で恥ずかしそうにもじもじと手を動かす。
そんな善逸が愛おしくて愛おしくて、堪らない。
恋は落ちるものだと言うけれど、本当にそうだなって思う。
あんなに色恋なんて絶対にしないと鬼殺隊に入った時に固く誓ったのに、一度でも落ちてしまえば、こんなにも世界が色づいて見える。
目の前にいるこの人が、こんなにも愛おしいと思えるのだ。

「――ねぇ、善逸。」
「何?言っとくけど、隠そうとしてたことは怒って……んむっ!」

小羽はそっぽを向いている善逸の頬に手を添えると、彼の名を呼んだ。
そして善逸がこちらに顔を向けた瞬間に、ぐっとその距離を縮めたのである。
善逸と小羽の距離がゼロになって、二人の影が一つに重なり合った。
触れ合っていた時間はほんの一瞬だったような気がする。
或いは永遠とも言えるような時間だったかもしれない。
世界がその瞬間だけ、止まったように感じたのだ。
小羽がそっと唇を離すと、善逸はポカンと間抜けにもほうけて固まっていた。
そんな彼に、やっぱり善逸はこうでないとと、妙に安心感を覚えた。

「えっ、えっ!?えええーーー!!?なっ、どっ、わっ、うえ!?」
「あはは!言葉になってないよ善逸!」

最近はこちらばかりがドキドキさせられていたので、たまには仕返ししてやりたかったのだ。

「今日も訓練がんばらないとね!」

未だに真っ赤な顔で慌てふためき、何か言いたそうにこちらを見てくる善逸に、小羽はにっこりと満面の笑みを浮かべてそう言った。

善逸はきっと、私には踏み込めないような何かを抱えているのかもしれない。
その一つが獪岳さんのことであったとしたら、これ以上私のことで彼に怒りを向けて欲しくなかった。
だって、私の存在が善逸の妨げになるようなことだけは絶対に嫌だったから。
善逸には幸せになって欲しい。
できることなら、その未来でも彼の傍にいられたら嬉しいと思う。
今はそんな囁かな未来を思い描けるようになった。
少し前の自分では有り得なかった考えだ。
こんな風に思えるようになったのも、全部善逸のお陰。
だからこれからは、私も彼を支えていける存在になりたいと思う。
私が善逸にたくさん支えられたように、彼の助けになりたいから。

――澄んだ青空の下、足元には小さな蒲公英が咲いていた。
それがほんの少しだけ善逸に似ているなって思ったのは、私だけのひみつだ。

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