かえして、かみさま 点滴から流れる液体は、私の血管に直接入ってくる。この薬の異物感にはもう慣れてきた。白い天井に無機質さのある変わり映えのない部屋は、自分の病状と同じように感じた。入院して何日目だっけ。私の思考は定期的にそれを考えている。日を数えて、いつになったら自由に、いつになったらあの制服にもう一度袖を通せるのかを考えている。 私は、夢ノ咲のプロデュース科に所属していた。大好きなアイドルたちとともに、一緒に夢を追いかけていた。異変を感じたのは、その生活をして1年が過ぎようとしていた頃。体が言うことを効かなくなった。最初は大丈夫だろう、そう楽観的に考えていた。ただの疲れ、寝ればどうにかなる。けれど、それは違った。 ライブの準備で走り回っていた私は、突然意識を失い倒れてしまった。体調管理がなっていないから、これじゃあみんなに心配かけてしまう。大丈夫だって、言わなきゃ。意識を失う前にそう思っていたことを覚えている。 「なまえ」 「凛月、来てくれたんだ」 静かな白い部屋に声が響く。仕切りのカーテンを開けて部屋に入ってきたのは、凛月だった。彼は私を見ると、薄い唇で弧を描く。黒の髪は、この白い部屋によく映える。私は、ゆっくりとベッドから起き上がり凛月を見た。 「どう、調子は」 体調を心配する凛月は、起きなくていいよと私を再びベッドへ寝付かせる。私の視界は再び白い天井を捉え、その中にさっきはいなかった凛月が顔を覗かせた。 「ぼちぼち、むしろ暇でしにそう」 「えーまだ死ななくていいよ」 さらりと凛月の髪の毛が揺れる。気だるげな目に不満そうな言葉、なのに心配が垣間見れる。そんな不安がらなくても大丈夫なのに。それが可笑しくて、私は思わず笑ってしまう。 入院してから、時間を見つけて凛月は遊びに来てくれる。忙しいのにごめんね、そう謝るとそんなこと気にしなくて良いんだと怒られた事があるくらい。 「今日は何してたの?」 「んー、今日はレッスンちょっとだけ〜。あ、そうそうス〜ちゃんがね」 私が入院してから凛月は、よく喋るようになった。今日はKnightsがドリフェスに出たとか、真緒くんが相変わらずお世話してくれるとか、ほんと他愛のない話だけれど。それでも、この何にもない病室にいる私からしたら新鮮で、素敵なものだった。 凛月がよく話す反面、私は喋ることが減った。だって、話すネタすらないのだから。仕方ない事だよね、今日も凛月の話に相槌を打つことしか出来ない。 「凛月、キスして」 「珍しいね、どうしたの」 「なんとなく」 「いつもはそんな事言ってこないのに」 凛月はそう言うと、優しく笑ってベッドに手を置く。そして、ゆっくりと唇に触れた。凛月の熱が、唇から伝わってくるよう。もっと触れていたい、そう思うのに私の手は動かない。この感触を、熱を忘れないように、私は目を瞑る。 「なまえ」 凛月が私を呼ぶ。 私は、自分に繋がる点滴を横目に微笑んだ。 なまえが入院してから、何日経っただろうか。俺は、酸素マスクをつけた彼女を目の前に立ち尽くす。アイドルよりも輝かせた目を持っていた彼女は、その瞳すら見せることはなくなっていた。ちょっと前なら、その煩い口で毎日俺を起こしにきたのに。 「ねえ、もう夜だよ」 なまえが俺を起こすように、今度は俺がなまえを起こす。けれど彼女から聞こえるのは、小さな寝息と繋がれたコードから聞こえる電子音。規則的で、変化はない。まだ生きてる、なまえがそう言っているようだ。 ベッドから見える、細くて白い手に目をやる。こんなに細かっただろうか、こんなに青白かっただろうか。点滴の液体は、ゆっくりとなまえの腕から中に流れ込む。これが無ければ、彼女は死んでしまう。彼女はもう、自分一人では生きれなくなってしまった。俺は、それが怖くて目を背けた。先に見えるのは、お見舞いで置かれた物たち。なまえ寂しくないよう、夢ノ咲の奴らが持ってきたのだろう。 「ま〜くんも、セッちゃんも心配してるよ」 静かな病室には、俺の声が虚しく響く。いつもだったら、困ったような顔で笑って答えるのに。目を覚まさない彼女からの答えは、心拍数を伝える電子音のみ。 なんで、なまえなんだろう。今更ながら、彼女の病気を憎んだ。もう、回復の余地はないと聞かされた。それは、病気に蝕まれた彼女の死を意味する。あの頃のように元気に俺を起こしには来ないし、嬉しそうに笑ってくれはしない。なまえが俺にくれたのは、ごく普通の愛。それが、どれだけ心地よいものだったか。少し前に、キスして欲しいと言ってきたことを思い出す。あれが、最期のキスだった。 「死なないでよ、なまえ」 酸素マスク越しに、俺はキスをする。あの時みたいに、なまえは笑ってはくれないけれど。 その時、電子音の間隔が長くなる。ゆっくり、ゆっくりと音が遠のいていく気がした。 神さまは、俺の大切なものを奪うのが得意みたい。俺の頬には、珍しく涙が伝った。 |