恋の蛍


「お世話になっております。」
「ああ、君か。お疲れ、お陰で今回も安泰だよ。」
「光栄です。今後ともどうぞご贔屓に。」

小綺麗に着飾った老人に営業スマイルを向けお互い持っていたグラスを軽く重ねる。今日はアイドルを起用したプロモーションのレセプションパーティ。責任者である老人に媚を売り、次の仕事へ繋げる。成人済である私は、未成年であるアイドルや他プロデューサーを守りつつ責任者の人間に合わせて酒を交わす。コズプロの七種副所長のように社交的ではないものだから、目立ちすぎずそれでも主要の人物には声を掛けあとは終わるまでじっと耐えるのが時間の過ごし方だ。

「お姉サンじゃん、おっつー」
「お疲れ様。ネクタイくらいちゃんとしたらどう、燐音くん」

声を掛けてきたのは、コズプロ所属の天城燐音。デザインの入った個性的なスーツを身に纏い、片手には赤ワインが注がれたワイングラスを持っていた。彼は軽くグラスを交わすと一気に飲み干す。アイドルらしからぬ行動に呆れつつ、私も軽くグラスに口をつけた。

「さっきからへこへこ挨拶してるの大変っしょ、俺っちと一緒に飲もうぜ」
「ただの飲み会じゃないんだから」

キャハハ、と笑いながら小言を受け流す燐音くん。私に視線を戻し、頭のてっぺんからつま先まで見渡したかと思うと口元に笑みを浮かべた。

「今日は随分着飾ってんなァ」
「そりゃあ、TPOは弁えなきゃダメでしょ」
「ちょっとエロい」
「っ!」

燐音くんの笑みが余計に嫌らしく見え、私は言われ慣れたことのない言葉に顔がじわじわと赤らんでいく。言い返す言葉も見つけられず燐音くんを睨み付けると、彼は空いたグラスを雑に振りながらケラケラと楽しそうに笑いやがった。

「じゃあ、お持ち帰りだけはされねぇようにな」

言い返す間も無く、燐音くんは私の頭にポンと大きな掌を乗せ去って行った。


「今日、この後どうだい。」

するりと腰に手が回される。同時に鳥肌が立つような寒さが全身に行き渡った。
具体的に言わずとも、「そういうこと」だろう。このような事案から穏便に抜ける方法は、諸先輩方から教わっている。相手のプライドを傷付けず、優しく丁寧に切り抜ける。初めてのことではないから問題はない。ただ、顔が近付けられることで酒の混じった口臭が鼻を刺激して気持ち悪い。加えて連日残業続きであったからか、変に酔いが回ってしまっているみたい。出来れば、早めに済ませてさっさと離れて欲しい。

「プロデューサーさんよォ、俺ら出るからアテンドするっしょ。」
「…燐音くん。」
「あれェ、お楽しみ中だったりした?」

振り向くと燐音くんが面白そうに私を見ていた。その拍子に腰に回されていた手は離れる。お陰で少しよろけつつも、男性から距離を置くことができた。さっさと離れてしまおう、そして出来れば水が飲みたい。

「今日は最後までアイドルを見送らなければならないので、これにて失礼します。」
「そうか残念だね。」
「またお仕事で、宜しく御願いします。」

『お仕事』を強調して出来る限り口角を上げて愛想良く笑う。頭を下げた後、「行くよ」とあたかもそうであったかのように燐音くんを呼ぶと、燐音くんは私の横に並んだ。出口へヒールを鳴らし歩き進めてると、燐音くんはわざとらしく私の腰に手を回した。

「やめなさい、そういうのは悪目立ちする。」
「ちげぇって、お姉サン立つのもきついっしょ。」
「……っ」
「文句言うんじゃねぇよ」

そのままらしくないエスコートをされ、2人で会場を出る。会場から少し外れたところに見つけたベンチに座らされ、私は流れ出る冷や汗と気持ち悪さに耐える。暫くして居なくなったと思ったら燐音くんが、自販機で買ってきた水の入ったペットボトルを差し出してくれた。喋るのもきつくて、そのまま受け取ると一気に水を飲み干す。私を見て突っ立っていた燐音くんは、どすんと横に座る。そして、まるで壊れ物でも触れるかのように私の背中を撫でた。

「お姉サンのそんな姿、超レアじゃん。」
「燐音くんが介抱してくれるのも、結構レア。」
「あ、いつも通りにしとく?襲っちゃおうか。」
「酔っ払いが何言ってんの」

水分を摂取したこと、夜風に当たったことで体が結構落ち着き、彼への言葉に反応する余裕も出来た。冗談をほのめかす燐音くんを見ると、少しだけ顔を赤らめ「ばれた」と言ってへらりと笑った。顔が赤いのは恐らく酒の飲み過ぎだろう。彼も確かザルではなかったはずだ。

「……さっき、助けてくれてありがとう。」

燐音くんの肩に頭を預け小さく呟く。揶揄われるのではないかと恥ずかしくて、そこから言葉を続けることは出来なかった。いつも彼には素行はちゃんとしろと口酸っぱく言っていた身だ。そんな彼に助けてもらうなんて、プロデューサーとして顔が立たない。

「別に良いっしょ、俺っちもちょうど帰りてぇと思ってたしな」

彼にしては珍しく冷やかす言葉はなく、あくまで都合が良かったかのような口ぶり。ふと会場で「俺ら」と言ってたこと思い出す。今の話だと、燐音くんひとりが私に用があって声掛けたことになる。

「そういえば、他のメンバーは?」

燐音くんを覗き込むと、切長な瞳と目が合う。瞬間、バツが悪そうに目を逸らし、代わりに彼の右手が私の両頬を覆うように掴んだ。

「あー……気付いたら居なくなってたわ」
「いひゃい……」

再び目を合わせると、「ブサイクだなァ」と楽しそうに笑いやがった。燐音くんはひとしきり笑ったあと、右手を離すことなく私をじっと見る。まるで獲物を捉えたかのような視線。食べられそう、本能が燐音くんを見てそう判断する。別にとって食べられるわけないのに。

「なに……?」

不意に手が離れる。燐音くんは無意識だったようで、「わり」と一言小さく呟いた。

「酒飲んだからクソねみィわ、帰ろうぜ」

ベンチから立ち上がり、気怠そうに私に声を掛ける。そしてそのままタクシー乗り場へ向かって歩き出した。少し遅れて私も立ち上がり燐音くんを追いかける。頬はまだ少し熱が残ったままでいた。


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