さよならなんて言わないで
 嬉しそうな表情の彼から手渡されたものは、一枚のライブチケットだった。いつも渡される黒を基調としたUNDEADらしいチケットとは違い、爽やかな青背景にシルバーの箔押しのチケット。どうやら、夢ノ先学院主催のイベントチケットみたい。このチケットが似合うアイドルではないなあ、と思いつつ私は、渡されたチケットと薫を交互に見た。

「来れそう?」
「うん、大丈夫。今は時間に余裕あるからね」

 大学受験も終わりあとは卒業を待つだけとなった私は、来春から始まる大学生活に思いを馳せつつも卒業までの暇を持て余していた。たまにあるUNDEADのライブが唯一の楽しみであったりするくらい。頂くね、と財布にチケットを仕舞う。私のその行動を見届けると、俺らの出番は、とタイムスケジュールを見せてくれた。最近、薫はライブに関して嬉しそうに話してくれる。楽しみで仕方ないのだろう、私はその姿を微笑ましく思いつつも少しだけ胸が痛んだ。

 薫と付き合いだしたのは、高校に入って暫くしてから。同じ中学で顔見知りではあったけれど、まともに話し出したのは薫から連絡が来た時が初めてだった。何度か一緒に遊んでいるうちに、告白されて恋人同士に。気付いたら高校生という3年間の青春を薫に捧げていた。
 付き合いだした当初は、アイドルすることよりなまえといる方がいい、なんて薫は言ってたっけ。なんてこっぱずかしい、と思いつつも心の中では喜んでいる私がいたのを覚えている。

「最近、一緒にいる時間取れなくてごめんね」

 薫は、申し訳なさそうに眉尻を下げて笑う。そう、あの言葉の有効期限はとっくに過ぎていた。ここ最近の薫は、レッスンやらなんやらとアイドル活動で毎日忙しそうにしている。私とのデートは2、3日に1回から多くて週1、少なくて2週間に1回に減った。別にデートの回数については気に留めていない。けれど、アイドル活動に熱中する彼を応援する反面、私は薫の変化を感じ取っていた。薫は、卒業後もアイドルを続けること決心したのだろう。3年もの間1位の玉座に居座っていた身だ、変化くらいすぐに気づく。本人は口に出していないから気づかないふりをしているけれど、もうアイドルすることよりなまえといる方がいいとは言ってくれないだろうな。私は、薫を見て笑った。

「気にしないで。……ライブ楽しみにしてる」

 私の言葉に嬉しそうな顔をしてくれる薫、付き合いだした頃より大人びて艶やかさが増したように見える。相変わらず綺麗で整った顔、大人びたって笑う顔は子どもらしさが残っている。嫌いになれないなあ。

「−−ありがとう!」

 マイクを通して響く声に歓声が上がる。汗さえも輝かしいその姿、私はただただ見つめることしか出来なかった。漸く薫が1番輝ける場所が、薫にとってのいちばんになったのに。嬉しいのに、素敵なはずなのに、気付いたら自分の頬に涙が伝っていた。高校を卒業しても薫の横にいるつもりだった私の未来は、大好きなUNDEADの音楽に壊されたかのようにも感じられた。
 ライブの全行程が終わり興奮が収まらない中、次々と観客は帰り出す。私は、暫くその席から動く事が出来なかった。観客が徐々に少なくなってきたところで、重石を乗せられたかのように重たくなった自分の腰を上げる。履いていたパンプスが愉快に音を鳴らす。全然私の気分と合ってないんだけど、パンプスにさえ皮肉になりながらも出口へと歩みを進めた。そういえば、終わったらいつも連絡してたっけ。頭も働かせていつも通りでいよう、ライブに行った時の癖を改めて思い出して歩きながらカバンの中の携帯を取り出す。電源の入っていない真っ暗な画面にちらりと自分の顔が映った。涙でマスカラが落ちかけている、はっきりとは確認できないけれど私の顔は散々なものだろう。これが羽風薫の彼女の顔だなんて、言えたものじゃない。
 電源のついた携帯には、早速薫からのメッセージが届いていた。5分前に届いた「まだいる?」のメッセージ、何事もないように返事をしようか少し悩んだ。帰ってからにしよう、そう思いカバンに戻そうとしていると再び携帯が震える。メッセージの相手は薫、「話したいことがある」その一言だけがロック画面に表示されていた。私の頭には、鈍器で殴られたかのような衝撃が走る。もしかしたら違うかもしれない、そんな小さな希望は一瞬で砕け散った。

 気づけば夜になっていた空を見ながら、家へと歩みを進める。夜だからか、学院から少し離れると人ひとりいなくて、静寂が私を包んだ。その静寂が寂しさをより一層掻き立たせてしまうようで、再び涙が溢れてくる。

「……っ」

 溢れ出した涙は止まることを忘れ、私の口からは嗚咽が漏れだす。あの後、薫からのメッセージには返事することなく、携帯は乱暴にカバンに詰め込んでやった。どうせ別れ話なんだ、区切りいいもんね、卒業と一緒に私も捨てようということだろう。デートが少なくなったこと、私をいちばんにしなくなったこと、別れの前兆なんて沢山あったじゃないか。これからも当たり前に続くと思っていたから、大して気にしていなかったことを卑屈に考えてしまう。卑屈な考えが止まることなく次々と出てきて、涙と共に笑いが込み上げ出す。薫のせいで、私の感情はぐちゃぐちゃだ。
 ふと、カバンから携帯の震えを感じ取る。バイブレーションが長いところから、電話が掛かってきているのだろう。薫かなあ、返事がないこと、気にしてるのかなあ。私は、電話に出るとなくただ震えが止まるのを待った。別れるつもりの私のことなんて、おざなりにしてくれたっていいのに。そういうところ、優しすぎるんだよ。薫の大好きなところなのに、それすらも嫌になる。携帯のバイブレーションが止み、再び静寂が訪れたところで私の足は止まった。−−私、薫と別れなきゃいけないのか。

「なまえ……!」
「か、おる」

 その時、後ろから腕を引っ張り私の名前を呼んだのは今1番会いたくない人物である薫だった。反射的に振り向くと、彼は息を切らしつつ私の顔を見る。もしかして走ってきたのだろうか、普段着崩している制服はいつも以上に乱れているし冬なのに額には汗をかいていた。薫は、私の顔を見ると驚いた表情を見せて、なまえと声をかける。

「どうしたの、なんで泣いてるの」

 その声色から、心配だという感情がひしひしと伝わってくる。優しい声色、いつもなら見れる事がない余裕のない表情が私の胸を苦しめた。

「やだ、離して」

 我ながら返答になっていない、駄々っ子のように薫から顔を背けて腕を掴んでいる薫の手を振り払う。腕を振り払われた薫は、力なくその手を下ろした。少しだけ開いた距離感のまま、私はゆっくりと視界に薫を映す。私と目が合うと、薫は眉を下げて困ったように笑った。連絡を無視して、わざわざ探しに来てくれたのに振り払ったんだ。怒ってくれていいのに、薫は怒ることなくむしろ心配したような目で見てくる。今、薫を苦しめているのは私だ。次は優しく握ろうとしてくれる薫の手をそっと払って、私は薫に笑いかけた。

「別れよう」

 思ったよりはっきりと出たその言葉は、静かなこの場によく響いた。私によって払われた薫の手は、まるで時が止まったかのように動かなくなっている。私は涙を堪えて薫のその手を見つめると、少しだけ震えてるように見えた。

「どういうこと?」

 少しの間があいて、薫はゆっくりと私に近づく。よくわからない、とでも言いそうな顔で私の目をじっと見つめた。視線が怖い、そんな不安げな表情しないで欲しい。私は、薫が今から言うであろう言葉を先に言ってあげただけなのに、これじゃあ薫は別れたくないみたいじゃん。都合の良い解釈が頭を巡る。私はそれを振り払うかのように、投げやりな言葉を薫に投げつけた。

「薫、別れたいんでしょ?別れ話をしにきたんでしょう」
「違うよ」

 え、と拍子抜けた声が口から零れる、それと同時に一雫涙が溢れ落ちた。そんな私を薫はじっと見る、いつにもなく真面目な表情に私の心拍数が上がりだす。違う、ってなんで?じゃあ、何を言いに来たっていうの?私の頭で疑問が浮かんでは消える、早く答えが欲しくて私も薫の瞳をじっと見つめた。

「俺は、別れ話をしに来たわけじゃないよ」

 どうすればいいのか分からない、とでも言うかのように笑う薫、私はその言葉を受けて自然と涙が溢れだした。頬伝ってコンクリートにシミを作る、薫は別れて欲しいわけでは、ない?

「別れたいんじゃない、の?」
「まさか、こんな身勝手な俺と3年も一緒にいてくれたなまえを手放したいなんて、考えもしなかったよ」

 優しい手が私の頭を撫でる。暖かくて、私はその温もりによって更に涙腺が緩む。

「むしろなまえに、これからも傍にいて欲しいと言いに来たんだけどな」

 別れを切り出されると思っていた。私は、もう薫の横には居られないとそう言い聞かせていた。

「だめかな?」
「……だめじゃ、な、い」

 私はかろうじて言葉を紡ぎながら、それでもなお大粒の涙を零す。そんな私を見て薫は笑う。

「あーあ、折角の可愛い顔が台無しだよ」

 着ていた服の袖で私の涙を優しく拭う薫。そして私を包み込むようにそっと抱き込む。

「お願い、これからも俺のそばにいて」

 少し不安げな表情、私が勝手に別れを感じて離れようとしていたんだ。そんな表情、見たかったわけじゃなかったのに。

「なまえ」

 薫が私の名前を呼ぶ。私が薫にとっての1番ではなくとも。その時は、アイドルとしての薫を応援したい。我が儘だけど、私はまだ薫といたい。

「さよならなんて、言わないで」

 涙が止まらない。私はそのままぎゅっと薫を抱きしめた。

「言わないよ、これからもずっと」

 その言葉に、抱きしめられたことで生まれた温もりに、私は嬉しくなる。涙は止まらない。けれどこの涙は、嬉し涙だ。


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