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 懐かしい香りがした。それがいつの懐かしさなのかは忘れてしまったけれど、凄く好きだったのは覚えている。私は、校舎から差し込む陽の光に目を細めて外を見た。外にある桜が風に揺れて舞い散っている。桜の季節は毎年やって来るから、あの懐かしさは桜の香りだったのかもしれない。頼りにもならない曖昧すぎる記憶に、懐かしさの正体を探し出す。けれど窓からずっと桜を眺めても、深く考え込んでも思い出せないわけで。……ああ、分かった。この光景はさっきも見た光景。つまり、私は今迷子だ。

「どうしよう」

 今日は初めてのユニットプロデュース。教えられたレッスンルームに向かっていたはずなのに、気付いたら違うところにいた。クラスメイトにもプロデュースするユニットのメンバーは居たから、その人達に聞けば良かったのに、転入して数週間も経っていない私には話しかける勇気がなかった。校内図でも確認すれば一発であるはずなのに、その校内図すら何処にあるか分からない。私は、ため息をついて肩を落とす。このままでは遅刻だ。初日でこれだと、私の信用にも影響してしまう。仕方ない、と半ば諦め気味に私は歩みを進める。歩いていれば何処かに手がかりはあるだろう。一応、プロデュースするユニットの名前は知ってるし。

「すみません」

 後ろから聞こえた声に反応して振り向くと、そこには男の子が一人立っていた。手には見たことのあるペン、あ、私のペンだ。彼は、私を見ると目を細め微笑んだ。

「落としましたよ」
「あ、ありがとうございます」

 私に近づきペンを差し出してくれる。私はぎこちなくそれを受け取ると、軽くお辞儀する。それを見た彼は、お気になさらず、と首を少し傾げまた笑った。彼のネクタイは赤、どうやら一年生のようだ。私より落ち着いてるのではないか、と思わせるような佇まいで気持ち身構えてしまう。そんな私にお構いなしに、彼は私をまじまじと見ると自身の頬に片手を当て、何か考え込むような顔をした。

「もしかして、produce科に転入された女子生徒のお一人ですか?」

 思いついたかのように瞳を開いて、こちらの顔を改めて覗いてきた。流暢な英語で少し聞き取り辛かったけれど、多分プロデュース科のことを言ってるのだろう。察しが良いようで、と思ってもアイドル科の校舎に女子は私ともう一人しかいないから必然的なものではあるのだけど。

「はい、2年の苗字名前と言います。宜しくお願いします」
「こちらこそ……ご挨拶が遅れてしまいましたね。私、1年の朱桜司と申します。unitは、Knightsに所属しております」
「Knights……?」
「ええ、優美かつ華麗な騎士道unitと言われております」

 彼、もとい朱桜くんは、誇らしげな顔をする。どうやら、Knightsとは格式の高い雰囲気を醸し出しているらしい。いや、今はそうじゃない。私は、さっきからずっと探していたユニット名が朱桜くんの口から出たことで思わず前のめりになる。

「朱桜くん、Knightsのメンバーなんですか?」
「え、ええ、そうですが」

 朱桜くんの言葉に脱力して、思わず自分の顔を覆う。良かった、これで遅刻することなく辿り着ける。正直言ってもう帰りたかった。転入したばかりだし、社交性の低い私に友達なんていないし、友達を作ろう思っても男ばかりだし。その上、迷子になるし。キャパシティの限界が来ていたことは確かだった。本当、朱桜くんに会えて良かったなんて大袈裟なことを思ってしまう。

「名前さん?どうされました?」

 覆っていた手を離すと、彼が少し心配したような顔でこちらを見ていた。無意識にとっていた自分の行動にはっとして、なんでもないです、と少し首を振った。

「取り乱してすみません。実は今日、Knightsのプロデュースに参加する予定なのですが……レッスンルームを探していたら、迷子になりまして……」

 私は、歯切れ悪く言葉を口に出す。迷子になってしまったことを人に言うのが少し恥ずかしくて、朱桜くんから目を逸らしてしまう。そんな私を朱桜くんは目を逸らさず見ていたようで、目配せをするように朱桜くんを見ると、目を輝かさせてこちらを見ていた。

「Marvelous!貴女が今日いらっしゃる予定の方だったのですね。お会いするのを楽しみにしていました」

 どうやら朱桜くんは心底楽しみにしていたようで、先ほどの大人びた雰囲気とは一転、幼い少年のような瞳の輝きをこちらに寄越してきた。そんな朱桜くんにうまく反応が出来なくて、私は思わず苦笑いになる。

「この朱桜司に会ったからにはもう大丈夫です。lesson roomまでescortさせて頂きます」
「あ、ありがとうございます」

 こっちです、と踵を返した朱桜くんの後を追う。迷うことなく歩みを進める朱桜くんは、どうやら校舎内を覚えているようだ。

「それはそうと、名前さんは年上ですし敬語はやめてください」
「えっと、ごめん朱桜くん」
「あと、私のことは司とお呼び下さい」
「……司、くん」

 少し後ろにいる私を見て、司くんは笑う。その表情が嬉しそうだったから、ちょっとだけ恥ずかしくなった。
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