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 季節も夏に変わり、蒸し暑い日が続きだした。陽が沈む頃になっても、暑さはじりじりと残っている。そんな暑さを受けながら、私は学院の中でも人気の少ない場所、その中でも比較的日陰のコンクリートに体操座りをして、顔を伏せていた。ちょっと冷静になったから言えるけれど、私の顔は涙でぐしゃぐしゃだ。人に見せられものじゃない。明日には、目が腫れてしまっているだろう。こうなった理由は、ほんの数時間前に遡る。

「あんた、なんでここにいるの?」 

 瀬名先輩は見下すように私を見る。汗をかいたことが嫌なのか、不機嫌そうにしながら腕を組んでいた。初めてプロデュースに行った時に居なかった瀬名先輩は、その後少し日を開けて対面した。初対面から私を蛇のように睨み、俺の邪魔したら許さないから、なんて言われた。怒らせたくない、なんて怯えていたらついに今日、瀬名先輩の沸点に触れてしまった。
 
 専門的なことはまだ知識不足の私は、Knightsの練習を見学してマネージャーのような雑用をすることが多かった。最近はそれに慣れ過ぎてしまって、自分がプロデュースをする立場なんてことを忘れそうになるくらい。そんな私に、瀬名先輩はプロデューサーとして意見を求めてきてくれた。なのに、私は何も言えずただ瀬名先輩に怯えるだけだった。

「素人は素人なりに努力するべきなんじゃない」
「……すみません」

 喉奥から絞るように出した声は、思った以上に弱々しかった。私は、俯きながらぐっと下唇を噛んだ。瀬名先輩は怖いけれど、言ってくることは的確だ。モデルをしていたから先輩だから、プロ意識の高いことにも納得がいく。そんな先輩に、私はただ謝ることしか出来なかった。

「謝ってどうなるの?女だからって許されると思ってる?そう言う考え、ちょーうざいんだけど」
「……」
「使えないなら帰っていいよ。ていうか、帰って」

 何も言い返せなかった私は、そのまま追い出されるかのようにレッスン室を出た。とぼとぼと廊下を歩いていたら、涙が止まることを知らないかのように出てきて思わず走った。どっかここから遠いところ、誰もいないところに行きたい。そう思って辿り着いた場所がここだった。そして、今に至る。明日、瀬名先輩になんて言おう。また怒られるのではないか、そう思うだけで私はちょっと身震いがした。まだまだ私は弱いみたい。

「ここにいましたか」

 突然頭上から声が聞こえて、思わず肩が跳ねる 。この声は司くんだ。私は、顔を上げようと思ったけれど、自分が泣きじゃくった後だということを思い出してやめた。反応がないのを心配したのか、司くんが横に座る気配がした。そして、そっと割れ物を扱うかのように頭を撫でてくれた。

「靴がまだ残っていたので、探しましたよ。……ずっと此処にいたのですか」
「……」

 あの場をずっと見ていた司くんだ。私に幻滅してるかもしれない。恥ずかしいなあ、出来れば今は来て欲しくなかった。けれどわざわざ来てくれた彼に、そんな人でなしのようなことは言えなかった。

「瀬名先輩が仰られたこと、あまり気になさらないでください」

 静かな場所だからか、司くんの声の余韻が響く。

「私もですが、お姉様はまだ成長中の身です。……その、出来ないことがあって当然ですから」

 司くんは少しだけ、しどろもどろになりながら声を掛けてくれる。言葉を選びながら声をかけてくれているみたい。一言一言、言葉を掛けるたびに私を見ている仕草が気配で感じ取れる。なんだか、申し訳ないな。

「ごめんね、司くん」

 ユニットの役にも立てない、そんな私をわざわざ探して慰めてくれた。嬉しいけれど、申し訳なさの方が先に出てきてしまう。私は、俯きながら司くんに謝った。自分の声があまりにも小さくて聞き取れなかったのか、司くんは黙りこんでしまった。

「つかさく、」
「謝らないでください。私は、謝って欲しいから貴女を探した訳ではありません」

 少し食い気味に司くんは言う。

「ただ、落ち込んだままでいて欲しくないのです。だから、お顔をあげてください」

 優しい声色、見えないけれど司くんは笑ってくれているのだろう。大丈夫だよ、って安心させてくれるために。

「……顔、今酷い顔してて」
「大丈夫です、私は気にしませんよ」

 司くんが気にしなくても、私は気になっちゃうんだけどな……。私は、俯きながら少し苦笑いになる。まあでも、いつまでもこのままでは流石に帰れない。私は渋々顔を上げる。司くんが嬉しそうな表情で私の顔を覗こうとしてくるものだから、恥ずかしくて思わず司くんから顔を背けた。

「ええっと、お姉さま?」
「来てくれてありがとうね、ちょっと元気出た」
「本当ですか!良かったです。……その、お顔をこちらへ向けては」
「ごめん、それだけはちょっと」

 諦めず私の顔を覗こうとしてくる司くんを手で制止する。お姉さま、と寂しそうな声が聞こえるから思わず振り向いてしまいそうになったけれど、ぐっと我慢した。今の顔は、本当に恥ずかしい。暫くの間その状態を保っていたら、突然、肩をぐっと司くんの方に引かれた。予想外のことで、私は引かれるまま体のバランスを崩す。そして、そのまま肩を引いた諜報人である司くんの腕にすっぽりと収まった。

「やっと見ることが出来ました」

 司くんは、安心したような笑みを浮かべて私を見る。思わぬ出来事に驚いたままの私は、見上げる形となった司くんをじっと見てしまった。

「目元が赤いですね。少し冷やしたほうが良さそうです」
「つ、司くん、見ないで」
「どうしてですか?お姉さまは、泣いていても素敵ですよ」

 思い出したかのように顔を隠そうと手を動かすと、私を支えている手とは別の手で掴まれた。そしてそのまま会話もなく、動きも止まったまま。宙に浮いたままの手を見つつ、躊躇いながらも司くんを見る。ちょうど夕陽が司くんの背に来て、うまく表情が見えなかった。

「あの、司くん」
「……ああ、済みません。そうですね、お顔も見れたことですし、そろそろ帰りましょう」

 司くんは、私を優しく起こすと立ち上がる。時計を見ると、結構良い時間。夏は日が長いから、すっかり時間を忘れていた。私も少しふらつきながらも立ち上がり、司くんの横に並ぶ。司くんは、私が横に来たことを確認すると手を差し伸べてくれた。

「お手をどうぞ、校門までの短い距離ですがescortいたします」

 私は、言われるがままその手を握る。そして、ゆっくりと歩き出す司くんの少し後ろを歩き出した。司くんの手は、指が長くてまだ幼さが残っているのか少し柔らかくて薄く感じる。けれど、温かくて、安心感を与えてくれた。だからなのか、私は無意識にぎゅっと力を入れる。すると、司くんも応えるかのように手を握り返してくれた。言葉は交わさなかったけれど、なんだか嬉しくて繋がったその手をずっと見ていた。
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