Macaron


 今日は思いの外忙しく、疲れた私はそのまま家に帰っていた。帰って流れるように服を脱ぎ、シャワーを浴びる。メイクも、体の汚れも落とした私は、タオル1枚で冷蔵庫を開ける。

「あっ」

 その時気付いた。コンビニ寄るのを忘れたことに。大して料理をしないし、自分の食べるものには無頓着な私の冷蔵庫はいつも必要最低限のものしか入っていない。大好きなアルコールも、ストックを置いていない。何で買ってなかった。この時ばかりは、行き当たりばったりの性格を恨んだ。チーズだけじゃ疲れは取れないよばか。
 明日は休みなのに。このまま寝るのも心許なく、タオルを洗濯機に投げ込み下着と服を着る。どうせコンビニに行くだけだから。長年着慣れたスウェットを身に纏い、財布を片手にアパートの扉に手をかける。買うものは、ビールとあと何か適当に。ストックくらい用意しとこうか、そんな考えも浮かんだけれどとりあえず保留。ああ、これは一生実現しない案件だ。

「月が綺麗だ!セナ、月が!」
「ああもう、分かったから静かにして!」

 コンビニに出ようとした矢先、聞こえたのは知っている声。そして、今会うとなんとなく気まずい人物。私は思わず足を止め、片手に持った財布を握った。

「苗字さん」
「……どうも」

 オレンジの髪色をした人物と共にいたのは、案の定瀬名さんだった。なぜいる、何故そこまでタイミング良い。私を見る2人に、出来ればさっさと帰ってほしいと願いつつ引きつった笑顔を見せる。誰だ、と私と瀬名さんを交互に見るオレンジ髪の人。よく見れば、瀬名さんの所属するKnightsの人だ。確か、リーダーだっけ。名前は、忘れたけれど。

「王さま、先帰ってて」
「お、おお、わかったぞ」

 状況をあまり理解できないまま先に帰れと促されたオレンジ髪の人は、私を見ると歯を見せて笑う。「おやすみ」と名前も知らない私に声を掛けるその姿は、暗闇でも太陽のように明るく感じた。この人は、私と全く違う。そう思わされる雰囲気は、アイドルの特徴的な輝かしいオーラからだろう。

「どこ行くの?」

 エントランスに入って行くのを見届けた瀬名さんは、私の方へと向きなおすとそう問いだしてきた。「こんな夜に」なんて言葉も添えて。私は、財布を見せてただ一言瀬名さんに言い放った。

「酒」



「また酒飲むの、浮腫むし太るよぉ」
「大丈夫です、そういう事は分かってます」

 結局、「こんな夜に一人で出歩くのは危ない」と言い出した瀬名さんは、私と共にコンビニまで付いてきた。別にいつも一人だし、今まで危ないことにも出くわしていないから平気なのに。断ろうとしたけれど、小言を言われる気がして諦めた。しかし、コンビニで小姑のような小言を言われる羽目になるのだけれども。
 私は、カゴに缶ビールを突っ込みながら今日の分はこれくらいで良いかと頭で考える。出る前にストックを用意しておこうと考えていたけれど、それはやめた。いいや、明日は明日でまた買えば良い。私の後ろで呆れたような顔をする瀬名さんを放っておいて、レジで会計を済ます。店員にレジ袋を差し出され、受け取ろうとしたら後ろから手が伸びてきた。

「あっ」
「はい、いくよぉ」

 ナチュラルに酒が入った袋を手に取り、コンビニを出ようとする瀬名さん。慌ててその背中を追いかけ、私もコンビニを出る。それ、私のなんですけど。なんて言えるはずもなく、街頭に照らされるその姿を少し後ろから見る。
 ライブは明日なのに、疲れたりしないのかな。あ、待って、明日じゃないか。私は、財布の中に入っているチケットを思い出す。なんだかんだ、最近は瀬名さんにこの話はされていない。それはもう、心配になるくらい。来ないものだと、諦めたのだろうか。それはそれで、良いのか悪いのか。自分の胸がもやついて気持ちが悪い。

「明日」

 タイミング良く、瀬名さんは呟いた。その一言だけで、私の胸のもやつきは一気に増す。何を言い出すのだろうか、その背中だけでは瀬名さんの動向は掴めない。

「……明日、ですね」

 私の返す言葉は、相変わらず素っ気なかった。興味がないと言ったら嘘になる。だからといって、行きたいと言い張れる自信も今は持ち合わせていない。これだけ猶予を与えられたのに、自信すら持てずにいた。

「良い出来になったと思うんだよねぇ。歌も、ダンスにも自信はある」

 瀬名さんの声色は、生き生きとしている。明日が楽しみで仕方ない、そう伝わってきた。私は返す言葉が見つからず、ただ黙り込んで瀬名さんの数歩後ろを歩くだけ。久しぶりにその話をされた、なんて思いながら。
 でも、それと同時に思い出すのは凛月に言われた言葉。「ま〜くんを探しに行くの」といった一言。もし私がこのまま真緒を探しに行くとしたら、瀬名さんの今の言葉を踏みにじる事になる。

「ねえ」

 家の近くまで来て、瀬名さんが足を止める。相変わらずレジ袋を持った瀬名さんは、くるりと私の方に振り向いた。相変わらずの整った顔、暗闇ですらも分かるくらい透き通った瞳は、私を見据えていた。
 私が知っている瀬名さんは、カフェに来る姿とこうやってたまに家の近くで出会う姿だけ。テレビの向こうやステージの上に立つ瀬名さんのことは、何も知らない。その透き通ったライトブルーの瞳は、アイドルとして何を魅せているのか。そんなことは、全くもって知らない。だから、だ。未練なんて、さっさと切り捨ててしまえば良いものなのに。瀬名さんを見るたびに、彼のことを思い出してしまう。瀬名さんがアイドルだと実感するたびに、彼を重ねてしまう。

「なんですか」

 自分の気持ちを現実へと無理やり引き戻すように、瀬名さんに応える。暗闇に映える瀬名さんの姿は、ため息がつけるくらいに綺麗だった。

「俺のこと、見に来てよ」

 そして、私には持っていないこの全身から伝わる自信。言葉からも、瀬名さんの態度全てから伝わってくる。ここにいるのは、ただの瀬名泉だ。家の近所に住んでいて、私がビールを買うと小言を言う。夜に一人は危ないから、とついてきちゃう。私の店によく来る有名人のお客様でも、テレビの向こうにいる別世界の人間でもない。

 もっと、瀬名さんの事が知りたい。
 不意に生まれるのは、小さな欲。客としての姿も、今の素の姿も。そして、アイドルとしての姿も。そしていっその事、真緒の存在すらもかき消して欲しい。ああ、これはワガママだろうか。

「行きますね、明日」

 凝り固まった表情筋は、自然と緩んだ。私は、財布を取り出してチケットを見せる。貰った時から、ずっと大事に入れていたチケット。

「ずっと、チケット入れてたんです」

 今日ここまで、行かないつもりだったんですけどね。そんなことは言えることなく、私は笑う。それを見た瀬名さんは、顔をそらして大きくため息をついた。

「ほんっと、気を遣わせないでよねぇ」

 脱力、その言葉が似合うくらい安心しきった顔を見せる瀬名さん。険しく真面目な表情から一変、ふわりと優しく笑った。そして、少し距離のあった私の元へ近づく。

「苗字さん、明日は可愛くしてきなよ」

 笑う瀬名さんは、私の頬に手をやる。あ、今すっぴんだった。シャワーは浴びているけれど、着ている服はスウェットだし今の瀬名さんと一緒にいれるような身だしなみをしていない。恥ずかしい、そう思うと同時に私は瀬名さんのその手を叩き落としていた。

「あ、すみません、……」

 視線の先にいるのは、目を大きくして驚いた表情の瀬名さん。いや、私もびっくりした。何故手を叩き落としてしまったのか分からず、その行動を反省するかのように心臓がばくばくと脈打つ。

「明日は、化粧します大丈夫です服も着ます」

 早口、みるみる顔が熱くなるのが分かる。怒られるかもしれない。少しだけ視線を外した後に見た瀬名さんは、まだ驚いた表情をしていた。 

「あ、うん」

 そして、思い出したかのように返答が返ってくる。無言の空気の中、私の心臓はまだうるさいままだった。

「よろしくお願いします。そ、それじゃあおやすみなさい」
「え、あ、うん」

 私は、小さくお辞儀をして瀬名さんからビニール袋を受け取る。素直に渡してくれた瀬名さんの手が触れて、私はまたびくっと肩が跳ねてしまった。
 これ以上瀬名さんといると、あまり心臓に良くない。そう判断した私は、そそくさと家へ向かう。なんだろう、この緊張と動悸は。瀬名さんのあの表情を見てからか、瀬名さんが私の頬に触れてからか。分からない。今はただ、明日のメイクも服装もしっかりしておこう。それだけを考えることにした。

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