「ごめんね、俺、好きな子がいるんだ」

分かっていた。
善逸の視線の先にいる女の子が誰なのか。
叶わないと分かっていても、勇気を出して口に出してはみたが、あっけなくそれも無惨に散った。
困ったように笑って、そして謝る善逸の姿に私は涙を耐え「知ってた。これからも、仲良くしてくれる?」と呟くので精一杯だった。
善逸は力強く頷いて、それから何度も謝って。
私が「もういい」と言うまでずっと、謝罪を口にしていた。


それから一か月は経っただろうか。
相変わらず私と善逸の関係は同期のまま。
友達のような態度を取ってくれるから、正直有難い。
気持ちが無くなったのかと言われれば、まだ難しいけれどそれでもそれ以上のことは望まない。
失恋を癒すのは新しい恋だと、甘露寺さんに言われたけれど、今はまだ考えられないし。
任務をこなす中、たまに顔を合わす善逸と気まずい雰囲気にならないだけ、嬉しい。

「苗字、」

任務を終えてあと少しで蝶屋敷へ辿り着く、という所。
ふと私を呼ぶ声がして、ぴたりと立ち止まった。
声の方に視線を向けると、兄弟子である先輩隊士が立っていた。
兄弟子は私と視線が合うとにこりと微笑み、小走りで私に近づいてくる。
そして、私の頭に手を伸ばしくしゃくしゃと乱暴に撫でまわした。

「任務帰りか? 元気そうでなりよりだ」
「先輩も元気そうですね。師匠に顔見せてますか?」
「最近忙しくてな。お前だって顔を見せていないだろう? そうだ、今度休みに一緒に帰らないか?」
「それもいいですね、きっと師匠も喜びますね」

昔からこの兄弟子は私にとても優しかった。
兄弟のいない私にとって、これがお兄ちゃんなんだなぁと頭にある手の感触に癒されながら思った。
兄弟子の爽やかな笑みにつられて私も笑ってしまう。
ここ最近荒んでいたから、昔からの知り合いに会うと心が落ち着く気がする。

「ところで、苗字もいい年になったな」
「年取ったと言いたいのですか?」
「いや、良い人の一人や二人いてもおかしくないと言っているんだ」
「大きなお世話です!」

撫でていた頭から手を下ろし、くすりといたずらっ子のような顔で笑う兄弟子。
言われた意味を理解して私は頬を赤く染め、思わず大きな声を上げた。
良い人なんて、いるわけがない。それはもう木っ端微塵に玉砕したあとなのだから。

「この前任務に行った先で、良い感じの青年と出会ったんだ。相手がいないと言っていたから、もしよかったら紹介してやってもいいぞ」
「本当に大きなお世話ですよ先輩! ……あ、でも」
「ん?」

相手まで斡旋しようとする兄弟子に一瞬怒りを覚えたが、よく考えてみれば何も困ることはないのだと気づいた。
『失恋を癒すのは新しい恋』
甘露寺さんの言葉が頭を巡る。
いつまでも頭に住まう善逸の影から卒業する時なのかもしれない。
考え込むように黙った私に兄弟子が心配そうな顔で「大丈夫か?」と尋ねる。

「だ、大丈夫です。先輩、あの…私」

その話、受けたいです。
そう、呟く前に私の後ろから声が掛かった。

「名前、何してんの?」

ハッとなり慌てて振り返ると、鍛錬用の服を纏った善逸が息を荒くそこに立っていた。
どこか焦ったような表情に見えるのは、鍛錬で走り込みをしていた最中だからだろうか。
いつもの他二人はいないところを見ると、一人で鍛錬をしていたようだった。

「あ、善逸」
「もうすぐ帰ってくると思ってたのに、こんなところで道草食ってたわけ? 皆待ってるよ」
「わ、わかった。先輩、じゃあ…また」
「……あ、ああ」

ズンズンと私の前にやってきたかと思えば、私と兄弟子の間に割り込んで、そして強く私の手首を掴む善逸。
その力が強くて一瞬顔を歪めてしまった。
普段の善逸ならそんなことはしないから、きっと何かあったのだろうと思う。
だから、早々に兄弟子に別れを告げて、善逸の腕に引かれるまま、私達はその場を後にした。

「…おー…こわ」

その場に残された兄弟子の言葉は、私の耳には届かなかった。


◇◇◇


「善逸、善逸」
「……なに」

引かれるまま歩いているけれど、おかしなことに善逸の進む先は蝶屋敷を通り過ぎて、人通りの少ない河川へと向かっている。
屋敷を過ぎたあたりから声を掛けていたけれど、ほとんど反応されることなく、諦めずに名前を呼び続けたらやっと反応してくれた。
ただその声色はどこか怒りを含んだようで。
思わずビクリと身体を揺らしてしまった。

「屋敷は過ぎたよ? ど、どこにいくの?」
「なあ、名前、さっきの話なんなの?」

私の話に答える気はないとばかりに、善逸が言う。
善逸の足は止まっていた。
何故か怒られるように問い詰められていて、私は戸惑うけれどなんとか言葉にした。

「さっきのって、紹介してくれるっていう話?」
「そうだよ、ねえ、どういうこと?」
「あ、兄弟子が気を遣ってくれただけだよ、私も年頃だからって」
「へえ、あの人兄弟子だったんだ」

くるりと善逸が身体を向ける。
私の手首の手はそのままに。
私より少しだけ高い位置にある金色の瞳を見ていたら、その目がすうっと細くなって、鋭く睨まれていることに気づいた。

「なんで?」
「え?」
「名前は、俺の事、好きなんだよね? 他の人なんて別にいらないよね?」
「な、何を言っているの、善逸…?」

早口でそう捲し立てられて。
でも、言われた意味は理解できる。
ただより私の頭は混乱してしまったけれど。
なんで? どうして善逸がそんなこと言うの? だって、善逸は、

「善逸には、関係ない話でしょう?」

だって、貴方は私よりも他に、好きな人がいると言ったじゃないか。

ズキンズキン、と胸に痛みが走る。
もう一か月も前の事なのに、自分で言うだけで傷ついてしまう。
まだ引きずっている自分に嫌気がさした。

ギリ、と善逸が奥歯を噛んだ。
そして瞳孔の開いた目で、さらに鋭く私を見る。
こわい、善逸が、こわい。
逃げ出したい気持ちで、腕を引いたけれど、逆に善逸の方に引かれてしまった。

ばふん、と音を立てて善逸の胸板へと飛び込む私。
男の人の胸に頬を付けたことなんて無かったから、私は瞬時に抵抗しようと胸板を押した。
けれど、全然びくともしない。

「名前」

善逸の酷く掠れた声が頭の上から聞こえる。
私はゆっくり顔を上げて、善逸を見た。


「名前は、俺のものだよね?」

「え、何…んっ」


ゆらりと揺れる視線から逸らして、声を上げた。
言葉が途中で遮られたのは、善逸に唇を塞がれたからだ。
柔らかい初めての感触に戸惑うどころの話ではない。
離れようと試みたけれど、いつの間にか後頭部まで抑えられていて、抜け出すことは不可能だった。

それから唇が解放されたのは暫く経ってから。
ぷは、と色気のない声で深呼吸をして、私はドキドキする心臓の音をなんとか鎮めようとした。
全てが無駄だったけれど。

「他の誰かのものになるなんて、許さない」
「ぜ、善逸…?」
「ねえ、そうでしょ? 名前」

強く強く抱きしめられて。
私は逃げることなんて出来なかった。


消したはずの気持ち、溢れだしてきちゃった


もう私には他の人なんて無理なんだと、その時初めて理解した。