いい夫婦
あまりにも無力なことに腹が立つ。
今まさに、善逸さんが私を庇って鬼の前へ飛び出して行った。
私はと言うと、善逸さんから「絶対にここから出ないで!」と無理矢理近くにあった木箱に隠れるように言われ、こうして木箱の隙間から外の様子を見つめていた。
善逸さんは荒い呼吸を繰り返し、鬼と対峙している。
鬼自体はそんなに強い訳でもないのに、頸を撥ねるのに手間取っている理由は、善逸さんの腹部からの出血の所為。
先程私を逃がす際に受けた傷だ。
普段の善逸さんならば、そんな傷1つ追うことなく頸をはねているだろうに、私が足を引っ張っている。
だからここから善逸さんの元に飛び出さずに、こうして見ていることしかできない。
私も旦那様から刀を扱い方を教えて貰えていれば、今頃善逸さんの隣に立って同じように刀を振っていたかもしれないと、考える時もあるけれど、今そんな事を考えても遅いのだ。
今はただ、この任務を無事に終えることだけを考えないと。
そうして、悔しさから自分の右手をぎゅうっと握り締める。
痛みは感じない。きっと、善逸さんの方が痛い。
「…ちっ」
善逸さんが、ズサーっと砂埃を上げながら後ろへ後退する。
体勢が崩れたように見えた瞬間、鬼がこのチャンスを逃すまいと善逸さんに向かって鋭い爪を振るう。
そんな姿を見て黙っていられない。
あれほど、木箱から出てはいけないと言われた私だったのに、反射的に木箱から身体を出し、叫んでいた。
「やめてー!」
私の声に気付いた鬼がくるりと首を回転させ、私の方向へ湾曲した気味悪い視線を向ける。
ビクリと身体が一瞬引いてしまった、その時。
鬼は標的を善逸さんから、私にシフトチェンジしたようで、そのまま凄まじい速さでこちらに飛び出そうとしていた。
逃げようとする足が反応するまでに、きっと私の腸は露出することになるだろう。
そんな嫌な想像が頭を過ぎった。
とてもじゃないけど、間に合わない。
すぐそこまで、鬼の爪が迫っていた。
死ぬ恐怖から目を瞑り、痛みが来るのを待った。
痛みは来なかった。
かわりに、土の上をボールが転がるような音がして、恐る恐る目を開ける。
それと同時に私の身体は何者かに強く抱きしめられていた。
「出るなって言ったよ、俺」
ぎゅうぎゅうに潰されるかと思うくらい強く抱きしめられて。
そして、耳元で聞こえる本気で焦ったような声。
どこか安堵する声に私は、抱きしめてる手を上から重ねた。
「今更じっとなんて出来ません」
「まあ、分かってたけどね、経験上。それでも、俺の気が気でないから、少しは大人しくしててよ」
まるでワガママを言う幼子を相手にするように。
言葉の隙間から私を心配してくれる様子がわかって、嬉しいような、申し訳ないような。
きっと鬼は善逸さんが退治してくれたのだろう。
善逸さんから気を逸らした私のお手柄では、なんて口にした瞬間、善逸さんの目がつり上がった気がしたので、すぐさま閉口した。
「あのー…手当しないといけませんから、離してくれませんか?」
「無理。俺動けない」
「よく言いますね、さっき鬼の頸撥ねたところでしょう?」
「いいから、もうちょっとだけじっとして」
そう言われてしまっては、私も動くことは出来ない。
砂埃で汚れた羽織の背中に手を回して、ポンポンと軽く叩くと、私の鎖骨あたりに善逸さんが首を埋める。
くすぐったくても私は抵抗なんかしなかった。
それがとても幸せなことであると知っていたから。
◇◇◇
目を開けるとまず視界に入ったのは、見慣れた障子だった。
まだ日が完全に昇る前らしく、薄暗い。
肌寒さを感じ、布団を手繰り寄せて反対側へ寝返りをうった。
寝返りをした先に自分のものよりもはるかに小さな手が、私の髪を掴んでいて、可愛らしい寝息を立てていた。
それを起こさないように細心の注意を払いながら、手を開かせると、布団を小さな体の首元まで持ってくる。
その時に気づいたけど、小さな体をまるで宝物のように抱え込む大きな体もあって、思わず呆れて息が漏れた。
2人は髪色こそ違うが、そっくりの顔をしていてまさか寝顔まで同じ。
遺伝とは恐ろしいものだと心の中で笑い、大きな体の持ち主に目を向ける。
「……夢の中では抱きしめてくれたのに」
久しぶりに昔の夢を見た。
結婚する前。
まだこの人と一緒に旅をしていた時だ。
度重なる任務で必ずと言って良いほど、彼は私を抱き締めてくれたのに、子供が生まれてからはその機会もめっきり減った。
いや、昔が多すぎたのかもしれない。
今でも全くないとは言わないが、自分に全て向けられていた愛が、小さな分身にも向けられていて、独り占めできないのは嘘じゃない。
私だってこの人だけじゃなくて、2人とも愛しいと思うからお互い様なのだろうけど。
「それでも、寂しいな……」
今じゃ、抱き締められる対象はこの子だけなのかと、少しだけ寂しくなる。
夢の中で久しぶりに力いっぱい抱き締められたから、余計にそう思うのかもしれない。
自分の子に嫉妬するなんて、と恥ずかしくなり無理矢理2度寝を試みようとした。
「何が寂しいの?」
パチっと金色の瞳と目が合った。
しかもバッチリ独り言を聞かれていたようで、彼は少し頬を膨らませ不機嫌そうだった。
正直に言わなくても聴こえているはずなのに、私の口から言わせようとする悪い人。
「……昔の善逸さんの夢を見て、ちょっと」
「なに、昔は寂しい思いなんてしなかったって?」
「違います。昔みたいに、その…」
「なに?」
やっぱり自分で言うのはとても恥ずかしい。
間に眠る子を起こさないように小声で喋っているけど、それすら必要ないくらい小さな声しか出なかった。
「……ぎゅーってしてください」
やっとの思いで飛び出した私の気持ち。
顔なんて明るいところでなくとも赤いのがバレちゃうんじゃないかと思った。
善逸さんはポカンと間抜けな顔をして数秒固まり、そして。
「はぁぁぁ…」
まるで面倒だと言いたげに盛大なため息を吐いた。
それが悲しくて、胸がチクチクと痛む。
「あ、あの、ごめんなさい、やっぱり……」
「どうして、俺の奥さんは昔からこんなに可愛いのかなァ。この子が起きても俺のせいじゃないよ、名前が悪いから」
久しぶりに名前を呼び捨てにされて。
ドクンと胸が高鳴る。
するする、と善逸さんが布団から抜け出し、とことこと歩いてきたと思ったら、私の布団の中へ入ってきた。
「…って、ええっ!?」
「大きい声出さないで、起きちゃうよ」
「だって、善逸さんが…」
「だから俺の所為じゃないってば、あんまりうるさいとその口塞ぐよ」
と、言われてすぐに有無を言わさず私の唇は塞がれて。
私の望んだように強く強く抱き締めてくれた。
さっきまでチクチク傷んでいた胸は、ポカポカと熱が広がっていく。
角度を変えて再び口付けをされ、十分な酸素が脳までいかない。
目の前の熱を孕んだ表情に胸を射抜かれながら、私はぼそりと呟く。
「貴方と出会ってよかった」
その言葉に、ピタリと善逸さんの身体は停止したけど、すぐに耳元で「俺も」と囁いた。
「名前と夫婦になれて、俺は幸せだよ」
ああ、もうこの人は。
いつだって私の欲しい言葉をくれるんだから。