最近私のバイト先に気になるお客さんが常連となった。


いつも図書室へと学校、家の三か所しか滞在しない私にとって、このままではいけないと一念発起したのがこのバイトだった。
入念に下調べをし、コミュニケーションに難ある私でも働けるような客層・時間帯を調べ付くしやっと見つけたこの丼物のお店。
かつ丼、天丼、親子丼等お手軽なランチに最適なお店である。
ここなら、私でも接客が出来るかもしれない、と面接を受けなんとかOKを貰ったのが先月の事。

段々仕事にも慣れてきて、店主のおじさんとも仲良くなった。
それなのに、先週からあの人がこの店に来るようになってしまった。

嘴平伊之助。

以前から学校で見かけた事はあったのだが、何より風貌が風貌で近づき難い上に、私みたいな地味子が近寄るだけで噛みつかれそうな気がする。
勿論話したこともないので、私としては苦手以外の何物でもない。

黙って座ってれば端正な顔立ちで、見るだけでお腹いっぱいになりそうだけど、
本人の性格はそんなものではない。常に教室では叫び倒し、仲の良いお友達とつるんでいる時なんかはアクロバットな動きをして落ち着かない。

同じクラスでなくて本当に良かったと思うくらい苦手。


それなのに、土曜の晩の事。
大雨が降っていて客足も途絶えていた矢先だった。
店の入り口が開いたと思ったら、ビッショビショに濡れた嘴平君が立っていたのだ。
大慌てで店の奥からタオルを持ってきて、渡したところ彼は意外そうな顔をしてそれを受け取った。
それからほぼ毎日、この店に通っている。

私がシフトに入っていない時でも来ているらしく、いつも決まって天丼を注文するらしい。

そして今日も彼は居た。


「いつもの」
「天丼ですね、少々お待ちください」

もう「いつもの」で分かってしまうくらい同じメニューを頼んでいるものね。
注文を聞きに来たついでにお冷を置いていく。
それを一瞬で飲み干してしまう嘴平さん。

喉乾いていたのかな?


厨房のおじさんに「天丼一つ」と言うと「あいよ」と軽い返事が返ってくる。
今日もお客さんは嘴平さんしかいないので、私の仕事は天ぷらが揚がるまで何もない。
カウンターの横に立って天丼が出来るのを待っていた。

いつも天丼が出来上がるまで、嘴平さんの挙動不審に手遊びしている様子を見ているのだが、今日はそうもいかなかった。
何故なら、嘴平さんに話しかけられたからだ。


「オイ」
「……え?」

まさか私に話しているなんて思ってもみなかったから、反応が出遅れてしまった。
お水が欲しかったのかと思い、嘴平さんに向き直る。
すると若干の不機嫌さが見える顔で「いつも見てるだろ」と言われたのだ。

「え、え?」
「違ェのかァ?」
「あ、えっと…」

いつも見ているの、バレてた!
恥ずかしい、怖い。

ギラついた目で見られると、私は蛇に睨まれた蛙状態だ。
だらだらと変な汗が流れ始める。
手に持ったお盆を抱きしめて、どう打開しようかと考えた。

「ごご、ごごごめんなさいっ…」
「は?何謝ってんだ」
「いえ、あの…」

思わず謝ったが、間違った選択だったのかもしれない。
ぽかんとした顔で嘴平さんがこちらを見ている。
勘弁してほしい。もう帰りたい。


「お前は作れねぇのか」


あれ、と顎で厨房を指された。

あーえっと、天丼のこと?
私は残念ながらホールスタッフなので、作らない。
ドキドキしながらその事を伝えると「ふーん」と厨房の奥へ視線を向ける嘴平さん。
何だろう、私、悪い事したのかな?


「お前さ、学校でもオドオドしてやがるな」
「……そんな事…」


どう答えていいのか分からないので、軽く否定しようとした。
でも事実である、しかも嘴平さん相手だけだ。
今この時も私は苦手ゲージがマックスに近い。

同じ学校だったと気付いてたんだ。
そのまま気付かないでほしかったな。


「名前ちゃん、天丼出来たよ」


その時、厨房からおじさんの声が聞こえた。
私はその場から逃げるように厨房へ引っ込む。
厨房で小さく呼吸を繰り返し、息を整える。
ほんとあの人苦手過ぎる。
早く食べて帰って欲しい。


嫌々ながら天丼を手にカウンターへと戻ってきた。
それを嘴平さんの前に置いて「どうぞ」と引き攣りながら言った。

嘴平さんは口で箸を割ると、豪快にそれらを食べ始め、ものの数分で器が空っぽになってしまう。
よっぽど好きなんだね、天丼。

ぼーっとそれを見ていたら、食べ終わった嘴平さんと目が合った。
すぐに目線を逸らしたけど、時すでに遅し。


「何だよ」
「い、いえ…」


超低い声で絡まれた。
もうやだ、私殴られそうだ。

嘴平さんは暫く無言でこちらを見ていたが、ポケットから小銭を取り出し「ごっそさん」と言いながら立ち上がった。

あ、帰るの?
やっと帰ってくれるの?

一応、私は入り口まで嘴平さんを送る。
そのまま何事もなかったように帰ってくれ。
私の事なんて今日で全部忘れて欲しい。

「オイ」
「はい、何でしょう?」

もう帰るだろうから、笑顔で返答した。
口をへの字にした嘴平さんが私をジロリと見る。
何なの、早く帰ってくれ。


「明日は名前が作れよ」
「…え?」


またな、と言い暖簾の向こう側へ消えていく嘴平さん。
何で私の名前、知ってるの?あ、さっきおじさんが言ってたからか。
あと私、ただのホールスタッフなんだってば。

色々言いたい事はあるけれど、取りあえず小さくなっていく背中を見つめて、
明日はどうやって切り抜けようかと考え始めた。











「伊之助く〜ん、今日も彼女のとこ行ってたんだろぉ?」
「は、うぜぇ」
「いい加減話かけたらどうなんだよ、伊之助く〜ん」
「善逸、伊之助はこれでも頑張ってるんだ」
「お前らうるせぇ!!」