私は上手く笑えていただろうか。

誰もいない部屋で一人、私は大きく深呼吸をする。
瞼を閉じた先に思い浮かぶ表情、匂い。
全てがもうこの世に存在しない。
キリキリと痛む胸を押さえて、部屋の真ん中で蹲った。

鴉からの報告を他の隊士と共に聞いた。
今にも感情の赴くまま駆けだしてしまいたかった。
泣きわめきたかった。
だけど、腐っても柱。
その責任を背負っている間は、感情を捨てる。

「そう」

それだけ呟いて、私はその場を後にした。
誰かが私の名を呼んだ気がしたけれど、聞こえないふりをした。
段々と早足になる歩。
誰の目もないところに来ると、私は自分の屋敷まで走った。

嘘だと、言ったところで真実が覆ることはない。
彼と一緒に出ていた隊士が彼を看取ってくれたらしい。
ほんの一握りの希望さえ打ち砕かれた。
隊服の上から心臓あたりを掴み、私は奥歯を噛む。

『名前』

もう、力強く私の名を呼ぶあの人はいない。
上弦の鬼との戦闘で、儚くなった。

柱である以上、鬼殺の剣士である以上、いつかはこんな時が来ると予感はしていた。
勿論彼だけじゃなくて、私も。
だから恋仲になったときに、どちらが先に死んでも後悔のないように生きようと、そう誓った。
誓った、はずだった。

「…杏寿郎」

どれだけ呼んでも返答はない。
もう、この世にいない、ひと。

彼がどんな最期だったのか聞く気にはなれなかった。
聞かずともわかる。
彼の信じる信念に基づいた、立派な最期であったはずだ。
きっと、彼ならそうに違いない。

ぶるぶると足が震える。
足だけじゃない、身体全体が情けなく震えている。
今まで同期やほかの隊士が何人も事切れるのを見てきたのに。
たった一人、一番死んでほしくなかった人に、死なれただけで私は。
自分が柱という立場でありながら、柱が死んだ事実を聞いて慄く隊士たちを励ますこともせず。
ただただ、

どうすれば杏寿郎と近い場所までたどり着けるのか。

それだけに思考が巡っていく。
こんな弱い私を、どうかどうか許してほしい。
貴方が望んだ女はこんな女ではないと、分かっているけれども、どうしても正常に脳が働かない。

「杏寿郎、杏寿郎…」

どうか、その腕でもう一度抱きしめてほしい。
もう、一度。
ほとほとと頬から畳に落ちる雫に抗う事はできなかった。


◇◇◇


「……名前」

いつまでそうしていたのかわからない。
普段ならわかるのに、声を掛けられるまでその存在に気づくことすらできなかった。
私はゆっくりと顔を上げて、すう、っと大きく息を吸った。

「なあに、冨岡」

その声は想像以上に弱弱しく震えていた。

「大丈夫か」

背後で感情の乗らない声が聞こえる。
珍しいこともあるものだ、と普段の私なら笑って答えたかもしれない。
あの冨岡が人の心配をするなんて。
でも、今の私には笑い飛ばすことすら容易ではない。

「……杏寿郎と一緒に私も出ればよかった」
「結果論だ」
「二人でなら、上弦の鬼でも」
「それは分からないだろう」
「でも、独りで死なすことはなかった」

私の言葉に冨岡は口を噤む。
何を言っても今の私には無駄だとわかったらしい。
もう、立ち直ることなんて不可能かもしれない。

「どうすれば、楽に死ねるだろうか」

私の言葉は小さな部屋の中によく響いた。
後ろの冨岡がゆっくり私の前にやってくる。
そして、私と目線を合わせるように、腰を下ろした。

「死んで、奴がそれを望むと?」

感情の見えない瞳。
それに射抜かれ、私は何も言えなくなってしまう。
わかっているんだ、杏寿郎がそんなこと一つも望んでいないこと。
だったら残された私はどうすれば、いいの。
強いと思っていた私はたった一人、失っただけでこうも弱い女になってしまう。

止まったと思った涙がまたあふれてくる。


「……杏寿郎に、もう、会えないのなら」


いっそ死んで。

そう言葉を続ける前に、私の頬にペチン、と軽い痛みが走る。
驚き目の前の冨岡を見ると、奴は歯を食いしばって私の頬に手を伸ばしていた。
そんな表情、するんだ。

「じゃあ、死ねばいい。あいつの残した大切なものも全て置いて行って、お前だけが楽になればいい」

いつもなら、こんな長い言葉を発することすらしない、冨岡が。
ふー、ふーと荒く捲し立てるように、発言する。
頬を叩かれた場所にはまだ冨岡の手が残っていた。
その手が優しく私の後頭部を押さえ、そして抱き寄せた。

「死ぬのは簡単だ。でも俺はあいつの守りたかったものを、守ってほしいと思っている」

だから、死ぬなんて言うな。

杏寿郎以外の男に抱き寄せられているというのに、私の体は拒否しなかった。
でも、頭の中では杏寿郎の笑顔や幸せそうにご飯を食べている姿が浮かんでいく。
私には、杏寿郎の残したものを守る、義務がある。

「……弱音を吐いて、怒ってるかしら」
「そんなことはないだろう。約束を破って先に逝ったのだから、文句を言われる筋合いはない」
「そうね」

冨岡の胸板をぎゅうっと握って瞼を閉じた。
まさか冨岡に慰められるなんて。
思わずくすりと笑みが零れた。



「さようなら、杏寿郎」



彼に届いたかわからないけれど、どこかで聞いていてほしいと思う。
泣くのはこれで最後にするから。


最後の泣き落とし



「冨岡が死んだ時は泣かないでおいてあげるわ」
「……それは礼を言えばいいのか」
「馬鹿ね。泣いて欲しければ死なないことよ」
「…? あ、あぁ」