たとえこれが勘違いだとしても
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誰もいない廊下を走りながら、私は後悔していた。
ただ宿題を取りに来ただけなのに、こんなことになるなんて!
中等部の廊下は、もう最低限の非常灯しか点灯していない。

そんな真っ暗中、私が何故廊下を全力疾走しているかというと。
私の遥か後ろに、老人が這いつくばって私を追っているからだ。

老人、と言っても人ではない。
私は所謂“見える人”なのだ。それも見えちゃいけないものが。
昼の学校では全然見かけることなんてないけれど、例えばこれが海だったり、山だったりするとそれはもう悲惨。
だから普段は近寄ったりしない。

いつものように家で晩御飯を食べ、ゆっくりしていたら思い出したのだ。
今日の宿題を全て学校に置き忘れていた事に。
今まで宿題を忘れた事の無かった私は、考える余裕もなく家を飛び出した。
そして、誰もいなくなった学校へ侵入(かなり大変だった)
どこか開いていないかと、至る所のドアと窓を探し、やっと見つけた窓から何とか校内へ入る事が出来た。

あとは自分の教室に教科書を取りに行くだけ。
それだけだったはずなのに。

「…ぇ…」

誰もいない廊下。
密かに声が聞こえたような気がして辺りを見回した。
そこで嫌な予感はしていたんだ。
夜の学校というシチュエーション、誰もいない筈の場所に、人の声。
嫌な汗が背中を伝った。

「…若い娘ぇ…」

予感はどうやら的中したらしい。
廊下の突き当たりからぬっと湧いて出たのは、着物を着た老人、のように見える何か。
額に角のようなものが見える、絶対人じゃない。

サーっと血の気が引いた。
身体中で警鐘が鳴っている。

その老人が私に向かって這い寄ってきていると理解した私は、そろりそろりと後ろへ下がった。
まずい、あれはダメだ。
そもそも見えるものの中に、薄ら見えるものに関してはそこまで害がない。
ただハッキリと目で感知できるものに関しては、相当ヤバい。
これは経験則である。

幸いあの老人の化け物は這って来るしか出来なさそうだし、そのまま走って逃げれば事なきを得そうだ。
そう思って小走りで化け物と反対側へ逃げた。

これで、大丈夫なはず。
このまま教室に寄って、宿題を救出すれば問題ない。
だけど、私の安堵もすぐに幕を閉じる。

「娘ぇ…」

おどろおどろしい声とともに、目の前の階段からぬっと沸いたのは、先程の老人の化け物。
足を急停止し、思わず後ろを振り返った。
さっきまで後ろにいた筈なのにいつの間に前にいるの!!!
踵を返すように、来た道を引き返す私。
あの化け物は瞬間移動でも使えるのだろうか。
そうだとしたら、私に勝ち目はない。

一目散にあの化け物から逃げるため、走る事しか出来ない。



―――――――――


何とか先回りされたり、逃げたりを繰り返して、私は自分の教室へ到着した。
教室のドアを開けて、大急ぎで鍵をかける。
そして、扉に耳を当てながら口を閉じた。
暗闇の中に私の荒い呼吸だけが聞こえる。

「む、すめぇ…」

聞こえた。
あの化け物だ。
廊下で響く這いつく音と、気味の悪い声。
どうかここに居る事がバレませんように…!
自分の口元を手で押さえ、そのままぺたりと座り込んだ。
祈るようにぎゅっと瞼を閉じた。

這いつく音はドアの真横を通り過ぎ、そして声も段々遠くなる。

向こうに行った…?
いや、まだ安心してはダメだ、奴は瞬間移動が出来る。
少しでも気付かれれば、すぐに追いつかれてしまう。
そのまま暫くその姿勢で息を殺していた。

「ねえ」
「ひぃいいいっ!!」

突然耳元で聞こえた声に、私は声にならない声を上げた。
すぐに私の口元は声の主に塞がれて「うるさい」と言われてしまったけれど、仕方ないと思う。
まだまだ叫び足りなかったけれど、混乱する視界の中でやっとその人を捉える事が出来た。

「と、とき、と、」
「時透無一郎ね」
「なな、な、な」
「何でここに居るかって? それはこちらの台詞なんだけど?」

同じクラスの時透無一郎くんが、私の口元に手をやって、不機嫌そうな顔でそこにいた。
まるでエスパーかというくらい私の言いたい事をあっさり当てて、そして唇に指を立てて「しー」と呟く。
まだ心臓はドキドキしているけれど、少しだけ落ち着きを取り戻した。

「しゅ、宿題を…取りに来ただけなの」
「そうなんだ。ちなみに俺は、普通に有一郎に寝ている所を置いてかれたんだ」
「…そ、そっか…」

クラスでも独特の雰囲気を持つ時透くん。
今まであんまり話したことはなかったけれど、今の状況はとても心強い。
私は冷静に、声を小さくして呟いた。

「と、時透くん、あのね、外に…!」
「あぁ、あの老人?」
「えっ?」

外の様子を教えようとしたら、どうやら既に時透くんは知っていたみたいだ。
何でもないというような顔でけろっとしている。

「時透くんも知ってたの?」
「うん、てか苗字さんも見えるの?」
「私、見える人だから…」
「ふうん」

あんまり見えるだとか人には言った事がなかったけれど、ぽろっと普通に零していた。
変に思われるとか一瞬頭を過ったけれど、どうでもいいような顔で時透くんは頷いただけだった。
少しだけ、安心した。


「いい加減鬱陶しいし、早く帰ろうか」


すっと時透くんはその場に立ちあがり、お尻をぺんぺんと叩いた。
私は時透くんを見上げながら「どうやって?」と不安そうに尋ねた。
だって、廊下にはあの気味悪い老人がいる。
帰れるなら帰りたいけれど、さっき散々鬼ごっこをしたばかりだ。
簡単に帰してくれるとは思えない。

時透くんが眠そうに目をこすって大きく欠伸をした。
…時透くんて、こういう人なの?

「心配しなくても大丈夫だから。ほら、苗字さんも、宿題とってきなよ」
「う、うん…」

時透くんが本当に普通にそう言うから、私も圧倒されつつ、立ち上がった。
自分の席から忘れて居た宿題グッズを取り出し、持っていたカバンに放り込む。
これで目的は達成した。あとは帰るだけだけど…。

「…すめぇ…」

心臓がドクンと跳ねる。
また老人の声だ。
それもかなり近い。

私はあわあわと口元に手を当てて、慌てて時透くんの真横へ逃げる。
怖い、怖い怖いっ。
時透くんはぼーっと立っているだけだけど、その裾をいつの間にか握っていた。

「怖い?」

変わらない表情で時透くんが私の顔を覗き込む。
こくこくと鳩のように何度も頷く私。
怖すぎて目に涙がたまっている。
もういやだ、早く私達を帰らせて…!


「大丈夫だから」


恐怖で震えていると、頭にぽんと時透くんの手が乗る。
さわさわと撫でられ、そしてあの時透くんが薄っすらにこりと笑った。
初めて見る、彼の笑った顔。
恐怖とは別に心臓が震えた。

「じゃあ、苗字さん、ちょっと待ってて」
「えっ!?時透くん!!」

そう言って、時透くんが私を置いて教室を出ようとする。
私は首を横に振って駄目だというけれど、ひらひらと手を振って時透くんは教室を出て行ってしまった。
追わなければ、時透くんが危ない、と思うのだけれど、身体が全く動かない。
情けないと動かない足をぽかぽか叩く私。
時透くんが私を安心させるために出て行ったのだ。
なのに私はここに残って震えているなんて。

ぎり、と歯を噛みながらそろりとドアに近付く。
顔が出るくらいの隙間を開けて顔を出した。

そこに広がっていた光景に私は驚愕した。

老人と向かい合うように時透くんが立っていた。
そして右足がゆっくり振り上げられ。
目の前の老人の頭に向かってそれは素早く振り下ろされたのだった。

ドゴン、と鈍い音が響いた。
私もあまりの事に自分の額に手をやってしまう。
ぜ、絶対痛いやつだ、あれ…!

案の定あの老人も痛かったのだろう。
「ぎゃあぁ!弱者の老人に何をするぅ…!」と声を上げてのたうちまわっている。
だけど時透くんは気にせずまた右足を上げた。
二発目だ…!
そう思った瞬間、老人もぎょっとした表情となり泣き喚き始めた。

「もうお前らなんか知るかぁ…」

情けない声を上げ、老人の身体すうっと透けていく。
透けていく身体に容赦なく時透くんはまた、足を振り下ろす。
が、それが当たる前に老人の身体はきれいさっぱり消えてしまっていた。

「ちっ」

明らかに残念そうに舌打ちをして、トントンと靴を鳴らす時透くん。
私はまだドキドキしている心臓を押さえながら、ゆっくりドアから身体を出した。

「時透くん…?」
「あぁ、終わったよ」

私に気付いた時透くんが振り返る。
そして、口元を緩め、

「帰ろっか」

穏やかにそう言うから、私の心臓が騒ぎ出した。


あれ?もしかして、私。
ドキドキと高鳴る心臓と、高揚する気持ち。
なんだか、これって。




たとえこれが勘違いだとしても



窓から差し込む月明かりに、照らされた時透くんが恰好良く見えるのは、
助けてくれた感謝の気持ちだけではない、よね。






あとがき
ちゆうさま、リクエストありがとうございました!
鬼滅学園・お化けが見えてしまう夢主が半天狗に嫌がらせされているところを時透無一郎に助けてもらう話
という事で、初めて無一郎相手に書かせていただきましたが、如何だったでしょうか?
無一郎よりも半天狗を書くのが楽しすぎて、15巻を読み返しました(笑)
こんなものでよろしければ、お納めくださいませ(/・ω・)/

この度はありがとうございました!

お題元「確かに恋だった」さま


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色いろ