『興味のない振りをしていても、本当はバレーが好きな事も知ってるよ。それが凄く格好よかったんだから』

あの日、山口が立ち去った後、名前はそう言って僕の服の裾を握っていた。
まるで小動物のように僅かに震えているような気がした。
潤んだ瞳には僕が映っていた。

『蛍くん、好きだよ』

僕は名前を呼んで、と願っただけなのに。
僕の腕の中で幸せそうに笑う名前を見ていたら、胸が締め付けられるようだった。
君は知らないだろう。僕が今まで誰にも言わずにモヤモヤしていたことを。
兄がバレー部だった時の事を思い出して、バレーに本気になれない僕を。

でも、君は知っていた。
僕が本当はバレーが好きだという事を。
僕の中の矛盾に気づいてくれていた。

山口も、君も。
僕のことを思ってくれていることを、僕は今やっと気づいた。
心が晴れていくようだった。
納得がいかない事もある。でも、そんな事よりも、僕に寄り添う君たちがこの場に居てくれていた事が、何よりも嬉しい。
調子に乗るから絶対君たちには言わないけれど。

『がんばれ。蛍くん』

涙声の小さな小さなエールが僕の心に響く。
仕方ないからもう少し頑張ってあげるよ。僕の為だけじゃない、君たちの為にね。


「そう言えば、好きって言われたの初めてだな」


名前の声が聞こえない距離までやってきて、僕はぽつりと呟く。
いつも僕の事を苦手だ、嫌いだと言っていた名前が。
気を付けていないと顔が緩んでしまいそうだ。

「まあ、それよりも先にこっちを片付けないと、また嫌われるか…」

第三体育館。
さっき感情のまま飛び出したその場所で足を止め、僕は一呼吸。
耳をすませばさっきの名前の声が聞こえてくるようで、僕はとても安堵していた。
一歩、体育館へ踏み入れて、僕の姿を見て驚く人たちの前に立つ。


足は僕が思っていたよりも随分軽かった。


◇◇◇



山口くんと揉めてから月島くんは前程険しい表情を見せなくなった。
むしろどこかスッキリした顔で、それでいて部活に真面目に取り組むから日々疲れていて。
コートの中でくたくたになっているのにも関わらず、あのプライドの高さだからなのか表面上は素知らぬ顔で立っている。
あの月島くんがそんなことをしているのが面白くて、ゼッケンを片付けてる最中にコートを盗み見していた私は、クスクスと笑みを零した。
それをばっちり谷地さんに見つかってしまい「何か楽しいことあった?」と尋ねられてしまった。
一瞬戸惑ったけど、正直に「月島くんがね」と答えると、谷地さんは首を傾げた。

「…いつも通りに見えるよ?」
「いつも通りを装ってるの。面白いでしょ?」
「ごめん、全然分からないなぁ」

しばらく月島くんを凝視していた谷地さんだったけれど、コートの中の月島くんが私達の視線に気づき、鋭く睨み返してきた。
谷地さんはその鋭い視線に射抜かれ、さっさと目を逸らしてしまったけれど、私はその様子すら面白く感じていた。
何はともあれ、本当に良かった。

この間までの雰囲気を思えば、今のチームの雰囲気はとてもいい。
私はこのチームをずっと見たかったんだ、と思った。

沢山の練習試合をして、前回の合宿なんかよりも有意義な練習をすることが出来たようだ。
夜遅くまで学校の垣根を越えて練習する風景も、昨晩で見収め。
もっともっと月島くんが頑張っている様子を見ていたかったけれど、残念ながら合宿は今日で最後。
烏野から持ってきた荷物をバスに積み込み、私の仕事もこれで終わりだ。

丁度体育館へ戻ると、最後の練習試合を終えた月島くんがコートから出てきた。
この後、着替えて皆それぞれのバスに乗ることになる。
私が口元を緩め月島くんを眺めているのがどうも気持ちが悪いのか、月島くんの不審者を見る目が私を射抜いた。
言いたいことは分かる。でも、私も嬉しすぎるんだもの。仕方ないよね。

「……だらしない顔」

もっと言いようはあるだろうに。
月島くんははあ、と軽く息を吐いていつものように私の頭にタオルを被せる。
視界がタオルで遮られることにも、もう随分と慣れた。
それを見られていたらしい。音駒の黒尾先輩が「リア充死ねよ」と呟くのが聞こえた。

「準備は出来てるの?」
「帰る準備? うん、もう備品は全部バスに乗せたよ?」
「違う、名前の」
「私? 準備らしい準備はしてないけど…持ってきたものも少なかったし」
「ふうん」

靴を履き替えて月島くんが体育館を出る。
自然と会話を続けながら私はその後ろをついていく。
きっと傍から見れば、カルガモの親子のようだと思われるかもしれない。

そんな調子で月島くんの後をついていたら、突然月島くんの足がぴたりと止まる。
私もつられて止まると、月島くんがくるりと振り返って、口が弧を描き、

「更衣室までついてくる気? 変態」

なんて悪い顔で言われてしまって、私は思わず金魚のように口をパクパクさせた。
気が付けば男子の着替えに使っている教室の前に私たちは立っていた。

「な、な、なっ」
「本気で僕の着替えが見たいの?」
「ち、違うもん!」

ストレートに言われると余計に恥ずかしくなってしまって、私は顔をリンゴのように赤らめながら大慌てでその場を走り去った。
一瞬、頭の中で月島くんが着替える様子を想像してしまった、とは口が裂けても月島くんには言うまい。



◇◇◇



数週間前の別れと同じ。
他校の人達にご挨拶が済むと、各々自分たちのバスへと乗り込んだ。
もう私の座席は、私の意思は完全に無視されているようで、先輩にも誰にも文句言われなかった。
当然の様に私の隣の席には月島くんが座り、腕を組んで瞼を閉じる。
帰りのバスの中で眠るつもりらしい。私は月島くんの邪魔にならないように、静かにしておこうと決めた。
前の合宿の時も、行きのバスも、月島くんの隣は心臓に悪かったけれど、今は結構落ち着いている。

誰も寝ている様子を他人に見られたくないだろうから、月島くんの顔は見ない様に窓の外へと視線を移す。
来た時見た景色をまた楽しんでいたら、もぞもぞと隣で動く気配がした。
バスの中だと寝心地悪いよね、なんて思っていたら、膝の上に置いていた私の左手が取られてしまう。

私の膝の手は、そのまま月島くんの膝の上に移動していた。
月島くんの右手で繋がれて。

慌てて月島くんを見たけど、相変わらず知らん顔をして瞼を閉じたままだった。

「レンタル料、貰っちゃうよ?」

今なら許してくれるかな。
ドキドキしながらそっと隣の肩に向かって頭を傾けた。
月島くんの方がかなり背が高いから、肩には乗らなかったけど。

…さっきまで落ち着いていたのに。
月島くんの所為で、また心臓が喧しくなった。


数時間後。
バスが以前同様、学校に到着し、眠っていた人たちも皆起きて、ぞろぞろとバスの外へ。
そこで軽いミーティングをして、明日以降の練習のスケジュールを聞いた。
私はバスの中でいつの間にか眠っていたようで、小さな欠伸を手で隠してその話を聞いていた。
ミーティング自体は、合宿終わりで疲れているだろうから、とすぐに終わってしまい、そのまま解散の流れとなった。
私いつものように同級生組と一緒に帰ろうと、皆の準備が出来るまで待っていたら、山口くんがにこにこ笑いながら近づいてくる。

「苗字さん、もう帰る?」
「うん、皆も練習しないで帰るよね? 一緒に帰ろうかと思って」
「それがさ、日向と影山は少し時間を潰すみたいでね。俺もちょっと寄りたいところがあるっていうか…」
「え…? もう夜も遅いけど…」

まさか今から練習をするというのだろうか。
山口くんも含めてこの人達の体力はどうなっているんだ。
青ざめる私の顔を見て山口くんがへらっと笑う。

「まあ、それはそうなんだけどね」

山口くんの後ろから月島くんがぬっと湧いた。
ここ数日の疲れが少し顔に出ている。

「こんなに遅い時間に一人で帰らせるわけにはいかないからさ、」
「僕が送る」
「え?」

山口くんが月島くんの方をチラチラ見ながらしゃべっていたけれど、それを遮るように月島くんが口を開いた。
その様子は山口くんも想定外だったらしく、目を見開いて「ツッキー」と言っている。
そして、私の隣に鎮座しているキャリーバッグを搔っ攫うと、そのまま正門の方へ歩いて行ってしまった。
ぽかんとその様子を眺めていたら、月島くんから「早く来ないとこの荷物捨てるよ」と言われてしまったので、大慌てで駆け寄ろうとした。

「苗字さん」
「あ、山口くん」
「…ツッキーのこと、本当にありがとうね」

バイバイ、と言おうとして振り返ったら、山口くんはとても優しい笑顔で私に手を振ってくれて。
何のことを言われているのか一瞬で理解して、私も同じような顔で山口くんに手を振った。


「山口と何話してたの」
「うん?」

山口くんと別れて、正門で待ちぼうけていた月島くんに追いついた時、少し不機嫌そうな顔が目に入った。
私が誰と話していようとも内容が気になるんだろうか。
まじまじとその顔を見つめていたら「やっぱいい」と言われて、私の数歩前を月島くんが歩いてしまう。
キャリーバッグを引く音と、月島くんの足音、それから後ろをついて歩く私の足音しか聞こえない。
暫く黙って二人で歩いていたけれど、よくよく考えれば、月島くんは自分のカバンに加え私のキャリーまで持ってもらっている。
流石に罪悪感が凄いので、大きい背中にそっと声をかけてみた。

「カバン、やっぱり返してくれる?」
「いや」
「どうして?」
「君が持つと、歩くのが遅くなる」
「……」

月島くんの言う通りだ。
なので、私はすぐに何も言えなくなってしまう。
でもすぐに首をぶるぶると振って、もう一度声を掛けてみた。

「遅くなってもいいでしょ」
「は? 僕は疲れてるから、さっさと帰りたいんだけど」
「……私はもう少し月島くんと一緒に居たいなー」

なーんて、冗談。
と続くはずだった。
月島くんがいつものように冷めた声で「馬鹿じゃないの」と言ってくれるのを期待してたのに。
月島くんは何も言わずにただただ歩いていた。
だけど、ほんの少し歩くスピードが減速したことに気づいて、私は胸がきゅうっと苦しくなった。

「…月島くんって、素直じゃないね」
「名前も肝心な時に素直にならない」
「肝心な時って?」
「僕にキスされている時とか、逃げようとする」
「えっ!?」

まさかそんなド直球な話をされるとは思っていなかった。
恥ずかしさで頬に熱が籠ったけれど、やっぱり月島くんの言う通りなので、それ以上は何も言えない。
少しくらい月島くんより優位に立ってみたいな、なんて思ってしまうくらい、私は弄ばれすぎている。

「月島くんの方が素直じゃないもん」
「例えば?」

振り返ることすらしない背中を睨んで、私はぽつり。


「月島くん、私の事好き?」


途端、肩にかかっていた月島くんのカバンが足元に落下した。
それを拾う事すらせず、相変わらず振り返ることすらせず。
ただただ大きな背中が私の目の前で固まった。
背中しか見えないから、どんな顔をしているのかは分からないけど。

でも、


「私は、月島くんのこと好きだよ」


ふふ、と笑いながら言葉を投げかけると、すぐに「知ってるよ」と返ってくる。
なんだ、ちゃんと喋れるんじゃないか。だったら私の質問に答えてくれてもいいのに。
あ、でも、今は別に答えはいらないかな。
少しでも月島くんに私の気持ちが届けば、それで十分だから。

街灯の明かりしかない場所なのに、僅かに見える月島くんの耳が色づいている事に気づいて、
その背中に向かって大きく腕を広げ、抱き着いた。


「大好きだよ、蛍くん」


遥かに大きくて大好きな背中を頬につけて、私は幸せの気持ちのまま瞼を閉じる。

数秒後瞼を開けたら、真っ赤な顔がこちらを向いてくれていますように、と願っても罰は当たらないでしょう?









第一部 おわり