「しゃけ」

あ、この人やべぇ人だ。
開口一番の一言で分かる。この人、変な人だと。
そもそも私は今、「レジ袋はご利用ですか?」と尋ねたのだ。
決して「好きなおにぎりの具材は?」等と尋ねてはいない。
もしかして、もしかして、私の質問を聞き間違えて、この人の耳に「好きなおにぎりの具材は?」と間違って認識されているのだとしたら、それは大変申し訳ないけれども。
勿論、このタイミングでこの人の好きなおにぎりの具材なんて全くもって興味がないが。

「レジ袋はご利用になりますか?」
「しゃけ」

あ、やっぱりこの人やべえ人だ。
雀の涙ほどの希望を持って、もう一度はっきり同じ質問をしてみたけれど、悲しいかな答えは先程と同じだった。
黒とか紺とかそういう系統の色一色の服に、ハイネックにチャックが付いていて口元まで隠れている。
見た目は私とそう変わらないように見えるし、じっと見つめてくる視線から考えて、頭のおかしい人ではないと思う。
口元は隠れているけれども、露出している部分だけ見ても、イケメンの部類に入る男の子。
問題点は、ここがパン屋だと認識出来ているのかどうか不明な所だ。

「…お包みしますね」

下手に尋ねてまた「しゃけ」と言われても困るので、私は諦めてトレイの上にあるメロンパンを小袋に包むことにした。
私の包む手つきを黙って見つめているので、間違ってはいなかったらしい。
男の子はゴソゴソとポケットから小銭を取り出し、丁度の料金を私の手のひらに乗せると、メロンパンを手に取って「ツナ」と一言。

何も言えずに固まっていたら、当の本人は気にせずそのまま踵を返し、店内から出ていってしまった。
残された私は余韻で揺れるガラス戸を見つめて、呆然とするしか無かった。

「…だから、ここはパン屋だっつーの」

訳の分からない人もいるものだ。
パン屋のバイトを始めてから、たまに変な人は見るけれど、会話が成立しない人は初めてだ。
お客さんだから口には出せないけど、本当に変な人だったなぁ。
きっともう来ないだろう、という私の確信のない思いは、その数日後見事に打ち破られることになる。


「しゃけ」
「いらっしゃい、ませ…」

またこの人だ。
前回やってきた日から3日。
同じ格好で、同じメロンパンをトレイに乗せて、レジへ持ってきた男の子。
前回の事があったので、私はなるべく何食わぬ顔でトレイを受け取った。
きっとまたレジ袋を利用するだろうと分かっていても、レジ袋が有料になってしまったので、毎回尋ねなければならないのが、本当に億劫だ。

「レジ袋はご利用ですか?」
「しゃけ」

ほらね。
前回と寸分狂わず同じ回答だ。
予想出来たので、私は表情を変えずに小袋へ包む。
何故おにぎりの具で喋るんですか?と尋ねてみたい気持ちもあるが、お客さんに失礼なことは出来ない。
でも、ほんの少しくらい、なら。

「ありがとうございました。……しゃけがお好きなんですか?」

言ってしまった。
メロンパンを渡すついでにポツリと零した。
男の子はその大きなおめめをパチクリさせて。

「ツナマヨ」

と、一言。
そうしてまたお店を後にしたのだ。
残された私は、言われた言葉を頭の中で繰り返して、やがて理解した。

「ツナマヨが好きなの…?」

1人になった店内で、遅れて笑いが込み上げてきた。
変な人、と呟いてまた来てくれないかな、と思っている自分に気がついた。

「今度は何の具材だろ」

いつまでもクスクス笑っていたら、奥から出てきた店長に不審な目で見られた、悲しい。


◇◇◇


今日も学校帰りにいつものようにバイト先へ顔を出したのは良かったのだが。
レジに立って十分程度でまさかの見慣れないお客の集団がお店へやってきた。
いかついピアスを何個も開けて、唇にも一つあるみたい。
髪型はオールバックでなんとも偉そうな態度でお店の中をうろうろしている。
腰ぎんちゃくの二人は「先輩、パン屋に何の用っすか?」と尋ねてこれまた、同じようにウロウロしていた。

ヤンキーがパン屋に何の用だ。
見るからにガラの悪い風貌の学生。
お尻のポケットに見えるのはたばこの箱みたいだ。
大体、ヤンキーが溜まるのはコンビニの駐車場と相場は決まっているだろうに、何故こんな小さなパン屋なんかに。

一人心細い思いをしながら、私はレジに立つ。
残念な事に私がレジに立ったと同時に、店長が外出してしまったのだ。
すぐ戻ると言っていたけれど、戻ってくるまでこの店には私しかいない。
……絶対、今日厄日だ。

「よぉ姉ちゃん。楽しそうだなぁ?レジ」

どうか何事もなく店を出て行って欲しい、という私のささやかな願いは呆気なく崩れ。
パンを買う気もない男たちは、レジの私にウザ絡みをし始めたのだ。
勿論私はそれに「ハハ」と乾いた笑みを見せることしか出来ない。
それが面白くなかったのか、男たちはぐいっとレジに身を乗り出すように顔を近づけてくる。

「俺達ともっと楽しいことしようやァ?」

表情は辛うじてまだニコニコしているけれども、背中に伝う汗は尋常ではない。
ボスっぽい男はニヤニヤと厭らしい笑みを見せている。
やべえやべえやべえ、早く帰って。
いよいよ状況が芳しくなくなってきた頃。
救世主とも言える店のドアのベルが鳴ったのだ。

カラン、と音がして私を含め全員がドアの方へ視線をやった。
店長が戻ってきたのかと思ったけれど、そこに立っていたのは店長ではなくて。

「しゃけ」

お前かー!
もう常連さんとなりつつある、あのおにぎり具材の男の子だった。
今日も同じ格好で流れるようにトレイを持ったままメロンパンのコーナーへ。
男の子はヤンキーに絡まれている私を見ても驚くことなく、いつも通りの様子でパンを物色し始めたのだ。

「何だ、客か」

ヤンキーは男の子を見て鼻で笑い、そして視線を私に戻すと口角を上げて笑う。
ごくり、と唾を飲む私。
後ずさりもしたいけれど、残念な事にレジは狭い。
逃げられない空間でただただ時が過ぎるのを待った。

「ツナツナ」
「あ?」

どうやらパンを選んだらしい男の子が、レジの前の男たちの後ろに立っていた。
そして、ヤンキーの肩にツンツンと人差し指を指して、次に彼らの耳を指さした。

「は? 何だお前」

突然の絡みに私も勿論ヤンキーたちもポカンとしている。
男の子はレジにそっとトレイを置くと、空いた手でハイネックのチャックに手を掛けた。
ジジ、とゆっくり下げて、近くにいたヤンキーの耳元に少しだけ背伸びをして、口元に手を添えながら耳元で何かを呟いた。

「……ッ!!」

近くにいたのに、私には何と言っていたのか聞こえなかった。
が、囁かれたヤンキーは「何を…」と言っていたと思ったら、次の瞬間には顔面蒼白になり、そのまま大慌てで踵を返すと、躓きながら店を出て行ってしまった。
その後ろを「先輩っ!?」と腰ぎんちゃく二名が走って追いかけていく。
突然の事に私は驚きが隠せない。

この人、何を、したの?

目の前で呆然と立つ男の子。
初めて見たチャックの下の顔に少しだけ驚いたけれど、やっぱりイケメンだった。私の想像は正しかったのだ。
いやまあ、口元にある見慣れない入れ墨とかも気になるけれど、今はそんなことどうだっていい。

「……えーっと…ありがとう?」

戸惑いがちに零れた言葉に、男の子は一瞬驚いた顔をしたけれど、すぐに目を細めて柔らかく笑った。

「高菜」
「…あ、えっと…助かりました、怪我はないです」
「しゃけ」
「ど、どうも」

……一向に何を言われているのか分からないけれど。
ただ、ちょっと仲良くなれた事が純粋に嬉しかった。

どくん。

宇宙人みたいに言葉が通じない(私だけ)けれど、その姿に少しだけ、ほんの少しだけ胸が鼓動したような、そんな気がした。



入る店間違えてませんか?



「ここ、パン屋なんだよね」
「すじこ」
「おにぎりは売ってないよ」
「しゃけ」
「……」

やっぱり気のせいかもしれない。

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