02

いくら望んでなくとも、婚礼の儀は待ってはくれない。
いつの間にか花嫁の恰好をさせられ、そして私と全く視線の合わない旦那様が私の隣に座っていた。
来てくれたお客様である、鬼殺隊の皆は口々に「いつの間にそんな仲になっていたんだ」と言っていたけれど、
どうにもこうにもそんな仲になったことなんて一度もないのだ。
だって、婚儀の間ですら私達の視線は合う事は無かったのだから。

お客様の中に甘露寺さんの姿を見つけた。
彼女はまるでお花が咲いたように笑って祝福をしてくれたけれど、私の心臓は痛いくらいに悲鳴を上げていた。
ほんの僅か、隣で仏頂面で座る旦那様、伊黒くんの表情が柔らかくなった気がした。

やっぱり、そうなんだ。

どうせならば、気づきたくなかった。
このまま結婚をして、私が死ぬまでどうか気づかずにいたかった。
でも、もう時を戻すことは出来ない。
伊黒くんだって、辛い感情を押し込めて私の隣に座っているのだ。
私一人が悲劇の主人公になるわけにはいかない。

全てが終わり、広い広い屋敷に残されたのは私と伊黒くんの二人。
他の皆は最後まで私達の違和感に気づく事無く、幸せを願ってこの家を後にした。
今まで私が住んでいた家からこの大きな屋敷に引っ越してきたけれど、二人きりになったのは今夜が初めてだ。
本来ならば、今日が初夜となるはずだが、そんなことあるわけがない。
だって、伊黒くんには心に決めた人がいるからだ。

お風呂を先に頂いて、夫婦の寝室へと戻ってきたはいいが、どうすればいいのだろうか。
流石に結婚初日に旦那様を差し置いて眠るわけにはいかないし、とはいえ、このまま同衾することなんて考えられない。
部屋の真ん中に敷かれた二つの布団のうち、一つにちょこんと腰を下ろし、小さく膝を抱えた。

どれくらいそうしていただろうか。
部屋の扉が開く音が聞こえて、振り返るとそこには髪の濡れた伊黒くんが立っていた。
だけど、またもや私の姿を見てすぐに顔を逸らしてしまう。
……そんなに顔を合わせたくないのなら、結婚なんてしなければよかったのに。
そう思ったけれど、それを口にするのは憚れた。
私の知らない何かしらの事情があるかもしれない、もしかしたらこれも極秘任務の一種かもしれない。

だから、伊黒くんは私が好きで一緒になってくれたわけではない。

「苗字、」

顔を逸らしたまま、伊黒くんが口を開く。
不思議だ。ここ最近婚儀の話で何度も顔を合わしていたというのに、名前を呼ばれたのは随分久しぶりの気がする。
私はそんな事実が悲しくて、苦しくて。
そんな感情を打ち消したくて、ふ、と無理やり笑った。

「私、もう苗字じゃ、ないよ」

一応結婚したのだから、姓は伊黒となっている。
結婚してもまだ伊黒という名前に慣れることはないけれど。

伊黒くんは「…あぁ、そうだな」と言って私の隣の布団の上に座った。
まるで私に向かいあうように座って。
でも視線は私には向けられていない。
こんなに近くにいるのに交わらない視線が、冷たい。

「あっと言う間、だったね」

会話が無いのはそれはそれでつらい。
いくら仮面夫婦となろうとも、せめて同期であった頃のように普通の会話はしたいものだ。
だから、なんとか絞り出すように今日の婚儀の話題を出した。
伊黒くんは、こくりと頷いて肩に乗せていた鏑丸くんをそっと床に下ろし、部屋から出て行くように指示を出した。
お利口な鏑丸くんはすすす、と畳の上を這い、伊黒くんが入ってきた扉から出て行ってしまった。

本当に二人だけになってしまった。
話すこともないし、このまま寝ようかと思ったその時、伊黒くんがゆっくり顔を上げた。
口元の布に手をかけて、何か言おうか、迷っている風だった。

「苗字、君は、誰か好いていた男がいたのか?」

ドクン、と心臓が跳ねた。
すぐにそれは、貴方の事だと口に出来ればよかったけれど、勿論それは伊黒くんは望んでいないだろうから。
私はこくんと頭を縦に振るくらいに留めた。

「…では、何故」

何故、の後は続かなかった。
言いたいことは分かる。何故、伊黒くんと結婚したのか、と。
そう言いたいのだろう。
私はどう言えばいいか分からないけれど、本当の事は言ってはいけない事だけは分かるので、モゴモゴ口を動かしていたのを意を決して開くことにした。

「お相手がいらっしゃったの。私なんかよりも素敵で、可愛らしい」

甘露寺さんという、女性が。
本当ならば心から望まれて花嫁になりたかった。
でもそれは、私の我儘だから。
彼女の代わりになれるかどうかは分からないけれど、少しでも妻として頑張りたい。
そういう意味を込めて伊黒くんに笑いかけた。

「君は、素敵な女性だ。俺が保証しよう、その男は節穴だったんだ」

伊黒くんの目が私と合った。
色の違う両の目が、鋭く私の射抜いた。
力強くそう断言されて、一瞬ぽかんと口を開けて呆けてしまった。

……例え、冗談だとしても。

そう言ってくれたら、きっと私はこの先の結婚生活でもなんとかやっていけるだろう。
この人の気持ちが私に向かう事がなかったとしても、たった一回、私の事を素敵だと言ってくれた事実さえあれば。


「ありがとう、伊黒くん」


涙が零れそうになるのを我慢してそう言えば、伊黒くんは目を細めて「君も伊黒だ」と返した。
そうだったと二人で少しだけ笑った。


◇◇◇


好いた女子と一緒になるには、どうすればいい。

甘露寺と過ごしている時に、そう口にしたことがあった。
自分のような醜い過去を持っている者から、好かれていても嬉しくはないだろうが、それでも、彼女の事を誰にもやりたくはない。

いつかは誰かの嫁になるのだろう、あの娘は。
任務ではほとほと活躍する場はなかったが、彼女は彼女なりに皆の力になっていた。
力が無いと言いつつ、他人を庇う能力は誰よりもあった。
それによって生傷は絶えなかった。一緒になった任務では少しでも傷ついてほしくなくて、率先して彼女の傍に居ることに努めた。

『苗字、名前と言ったっけ。お前の同期の』

昔、ある任務で一緒になった先輩が、ふと彼女の名を口にした。
そうだと答えると、先輩は「ポンコツだけれど、きっといい奥さんになるな」と言った。
隠の部隊でもないのに、皆の傷を見て可能であれば自分の薬を分けて。
鬼を殺せないなりに自分の出来ることをやろうと、バタバタと走り回る姿に興味を持つ奴が増えた。
彼女の良い所が知れ渡るのはいいことだ。
鬼殺隊は決して鬼の頸を取るだけのものではない。彼女のような人間もまた必要だ。

だが。

自分以外の人間にそれを気づいて欲しくはなかった。


彼女を傍に置くにはどうすればいい、と甘露寺に言うと、甘露寺は少し悩んで
結婚を申し込めばいい、と笑って言った。
そうすればずっと伊黒さんの傍に居てくれるよ、と。

「あ、でもちゃんと自分の気持ちは伝えないといけないとね」

ふふ、と笑ってお団子を口にする甘露寺に、小さく礼を言うと彼女はまた幸せそうに笑った。



甘露寺は、そう言ってくれていたのに。
俺は結局、彼女に結婚を申し込んだはいいが、自分の気持ちを口にすることなく。
それだけではない、まともに彼女の事を見ることが出来なくなっていた。

時は過ぎてしまい、婚儀も終わった後だったが、なんとか勇気を出して気持ちを伝えようとした、その日。
彼女に好いた男が居たことを知った。

俺は、彼女にとんでもない事をしたのだと後悔したが、すべては遅かった。

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