03
伊黒くん(未だに名前を呼ぶのは抵抗がある)と結婚してからというもの、私は鬼殺隊を辞めることとなった。
理由は伊黒くんから「鬼殺隊を辞めてほしい」と懇願されてしまったからである。
懇願というほど下でに出ていたわけでもないけれど。
「俺の妻になったのだから、家にいてくれ」
ほぼ命令に近いように言われてしまい、私は何一つ反論できなかった。
辞めたかったわけではない。でも、辞めた方がいいのだろう、と心の中でずっと思っていた。
私はずっと役立たずだった。任務で一緒になった先輩、後輩、皆から何も出来ない人だと思われていた。
事実、その通りなのだが、それでも自分の出来る事をしようと、一般人を巻き添えにしないよう身を挺して庇ったこともあった。
他の人には任務の邪魔になって迷惑だと思われていたかもしれない。
……伊黒くんだって、そう思っているのかも。
だから、鬼殺隊を辞めろと言うんだろうな、なんて考えた。
そんなこんながあって、私は今、広いお屋敷に一人で過ごしている。
女中さんを雇おうとした伊黒くんを止めたから、一人で家事をして日中過ごしている。
役立たずだろうと鬼殺隊で命の取り合いをしていた私にとっては、家事など大した問題ではない。
二人だけのお屋敷だから、使う部屋も限られている。
一人だからといって苦行でもない。
今日も街に買い物へ出て、晩御飯の支度に勤しむ。
鬼殺隊に入るまでは一人で生きていたので、ある程度の水仕事は得意だ。
一つだけ、問題があるけれど。
ガラガラ、と玄関の戸が開く音が聞こえ、私は濡れた手を慌てて手ぬぐいで拭った。
割烹着のまま玄関へ急ぐと、そこには鏑丸くんを首に巻いた伊黒くんが居た。
「おかえりなさい」
「……あ、あぁ」
なんだか歯切れの悪い伊黒くんの羽織を預かって、伊黒くんの歩く一歩後ろをついて歩いた。
「もうご飯できるけれど、食べる?」
伊黒くんの背中にそう問いかけてみると、少しの沈黙のあと「後で食べる」と言われてしまう。
…そう、問題とは、私のご飯を一緒に食べてくれない事だ。
仮面とはいえ新婚夫婦だ。そこに気持ちがなかったとしても、晩御飯は一緒に食べてくれるだろうと思っていた。
だけど、今まで一回も伊黒くんとご飯を共にしたことがない。
お腹がすいていないのかと思い、私も遅めに食べようとしたけれど、私が寝入るまで絶対に伊黒くんは何も口にしない。
ご飯がまずいとかそういうわけではない、と次の日の朝に伝えてくれるんだけど、やっぱり心苦しく思う。
私と一緒に食べるのが嫌なんだろうな。
唇をきゅっと噛んで、私は羽織を仕舞に部屋へ入った。
◇◇◇
一人寂しく茶碗を突いていたら、いつの間にか着替えた伊黒くんが私の向かいに座っていた。
食べてくれるのかと思い「伊黒くんも食べる?」と聞くと、首を横に振られてしまう。
なら、何でここにいるのだろうと傾げていたら
「…ここにいては、駄目か」
と、まるで私の反応を確かめるような聞き方をする。
勿論ダメな事はないので、私は「いいよ」と答えた。
伊黒くんなりに気を遣ってくれたのだろうか。
申し訳ないな、と思うと同時に気まずい空気が流れる。
会話がないからだ。
ただただ私がお箸を進める音だけが聞こえる。
さっさと食べてしまおう、と少しだけ咀嚼を早くしていると、伊黒くんがじっとわたしを見ている事に気づいた。
「どうしたの?」
「…すまない、食事しづらいか」
「そんなこと。…でも、一緒に食べて欲しいな、と思う」
少しだけ素直に言ってみた。
すぐに「何を言うんだ」と叱られてしまうかと思ったけれど、伊黒くんは少しばかり目を伏せて、そしてまた私を見た。
「……顔に傷があるんだ」
「傷?」
伊黒くんの細長い指がそっと口元を指さす。
ずっと伊黒くんが布で隠していた口元のことだ。
私は更に深く首を傾げた。
「それが、どうしたの?」
「…食事中に気分を害するだろう」
「そんな事ないよ。傷ならきっと私の方が多いよ」
パチ、とお茶碗とお箸をおいて、自分の片方の襟元を肩まで下ろした。
すると伊黒くんの目が大きく見開き、思わず台の足を蹴って動揺したのが良く分かった。
「ほらね。見えないだけで私も生傷だらけなの」
ほんの僅か、肩から見えただけでも分かるくらい、身体に残る傷跡。
他にもいくつかあるけれど、後のは白粉をすれば隠れるくらい薄くなってくれたので、本当に助かった。
流石にこの一番い傷は隠しようがないけれど。
「…じょ、」
「じょ?」
「じょ、女子が肌身を晒すな!」
喋らなくなった伊黒くんも流石にこの傷には引いただろうか、と思ったら突然伊黒くんから大声が発せられた。
伊黒くんが大声を出すなんて、と私は驚いてしまって、慌てて露出した肩を隠した。
顔面を背け、前に手を広げて「俺は見ていない。何も見ていない」とまるでお経のように唱える様子は、普段の伊黒くんからは想像がつかない。
よく見ればほんのり頬も赤い気がする。
それを見て私もやっと自分のしでかしたことに気が付いたのだ。
「ご、ごめん…」
くるりと伊黒くんに背中を向けて、胸に手を当てる。
ただ肩が見えただけだけとはいえ、女子あるまじき品の無さだ。
傷と品位の無さに引かれたのだろうか、と背筋に冷たい汗が流れる。
好かれているとは思っていないけれど、嫌われているとも思っていないので、こんな事で嫌われるのは凄く嫌だ。
嫌な思考がどんどん溢れてきて、どうにもならなくなった時。
「声を上げて悪かった。……俺のために傷を見せてくれたんだろう」
優しい伊黒くんの声が背中から聞こえる。
ゆっくり振り返ってこくりと頷くと、もう伊黒くんは顔を背けてはいなかった。
ただ優しく目を細めていた。
「……君の身体は、君が今まで人を守ってきた証だ」
そう言って、伊黒くんは自分の口元の布に手を掛ける。
しゅるしゅると布がたわみ、そして、伊黒くんの膝の上に落ちる。
私はその様子を黙って見ていた。
「気味が悪い、だろう」
悲しく呟く伊黒くん。
伊黒くんの口から頬にかけて裂けた傷。
まるで蛇のようだろう、と言う声もひんやりと冷たかった。
でも、私はそれに反論するように声を荒げる。
「伊黒くんの身体は、伊黒くんが今まで生きてきた証だよ」
例え、顔に傷があろうとも。
伊黒くんが私の傷を見て”人を守った証”と言ってくれた、私の今までの行いが救われたような気がした。
そんな優しい伊黒くんが、今まで必死に生きてきた、その証拠だ。
「…伊黒くん、今度からどうか一緒にご飯を食べてくれない?」
もしそれが理由で一緒に食べれないというのであれば、私も同じ場所に傷を付けるから。
そんな事よりも私は、伊黒くんと一緒にご飯を食べたい。
私の作ったご飯を目の前で食べてもらいたい。
そっちの方が大事だ。
視線を逸らす事なく、伊黒くんを見つめていたら、伊黒くんはポカンとしたあと、一寸置いて
「…ありがとう」
と言った。
その日は初めて、伊黒くんが笑う所を見た。