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『真夜中に〇〇交番の前を挙動不審で歩く男を発見し、声を掛けたところ女性への猥褻な行為を認めたため…』

納豆のパックを持ち、お箸でぐるぐると何も考えずにかき回していた最中。
つけっぱなしにしていたテレビから、先日私を襲おうとしていたであろう男が警察に捕まったことを知った。
ぼうっとそれを眺めていたら、冷蔵庫から同じく納豆のパックを持ってきた煉獄さんが「どうした?」と声を掛けて戻ってくる。

「この前の不審者、捕まったみたいですよ」

テレビから視線を戻さないでそれだけ言うと、煉獄さんの纏う空気が一瞬で変化したのが分かった。
煉獄さんはあの夜から私の身に何かあってはと、なんと夜は大通りまで迎えに出てくるようになってしまった。
心配をかけているのは分かっていたけど、正直嬉しい気持ちもあって拒否は出来なかった。
きっとあの不審者には未だに複雑な気持ちを抱いている事だろう、と思っていたがやはり忘れてはいなかったみたい。
低く平坦な声で「そうか」と言われて、私はちらりと煉獄さんを見る。

全く笑ってはいなかったが、それでもどこか安心したような表情だったので、驚いた。

「…もうあの極悪非道な男は出てこれないのだな」
「え、ええ」

あの男はきっと捕まっても長く拘留はされないだろうけど、煉獄さんがそう言ってくれるのはなんか嬉しい。
ああ、駄目だなぁとすぐに思い直して、慌てて煉獄さんから視線を逸らす。

ふと気が緩むとすぐこれだ。
胸が高鳴って仕方ないので、無理やり視界に入れないようにしている。
同じ屋根の下にいる以上それは不可能に近いのかもしれないけど、そうすることでしか、私の気持ちは止まれない。
少女でもあるまいし。

「不審者も捕まったことですし、もうお迎えは大丈夫ですよ」

犯人は一時的とはいえ、捕まったのだから心配することはないだろう。
だから、納豆を口に入れつつそう言って、煉獄さんに遠慮をした。
勿論すぐに了承してくれるとばかり思っていたのだけど、ゴチン、と少し大きめの音を立てて煉獄さんが小鉢を置いた。

「駄目だ」
「え?」

その時の様子が、なんと表現していいか分からないオーラを纏っていて。
遠慮しようとする私を軽く一蹴し、反論を許さない空気だった。

「あの男は捕まったようだが、世の中にはまだまだ腐った野郎もいよう。せめて俺がここにいる間くらい、出迎えを許してくれ」
「……め、迷惑でなければ」
「無論だ」

あまりの気迫に思わず引いてしまった私を、胸の内に潜む私が批判する。
曰く「そんな事を許したら、また煉獄さんのことばかり考えてしまう」と。
わかってる、そんな事。
でも、それ以外の答えを許してくれそうにないから、仕方ないじゃない。
わざと自分に言い訳をして、私はご飯を一口摘まんだ。

煉獄さんともう何度目の週末を過ごしただろう。
いつも私は平日の疲れのせいか昼間でベッドに横たわっている間に、煉獄さんは朝早く起きて、家の周りを走ったり軽い運動をしているという。
その時に腰に長物を差している気がするが、気のせいだろう。
今日は珍しく私が朝、すくっと起きてきたため、こうして並んで朝ごはんを食べている。
無意味に喋りかける事をしなくなったので、ご飯中も会話は少ない。
だって、喋ってしまうと余計な事を聞いてしまいそうなのだ。
例えば、煉獄さんの住んでいた時代はどんな時代だったのか、とか。
誰か良い人はいたのか、とか。

……だめだ、これも余計な考えだ。

「名前?」

ご飯の手を止めていたからだろうか、煉獄さんが不思議そうに問いかけてくる。
まるでご主人を眺める犬のような表情で見られてしまい、私は一瞬時が止まる。
慌てて意識を取り戻し「何でもないです」となるべく冷静に言うと、止めていた手を動かし始めた。
それを見ても煉獄さんは表情を元に戻そうとはしなかった。
むしろどこか傷ついたような顔をしているような、そんな気さえする。
きっと気のせいだろうけど。

「俺と話すのは嫌か?」

ご飯も終盤に差し掛かった頃。
箸を置いた煉獄さんが寂し気にぽつりと呟く。
はっとなって慌てて首を横に振った。

「な、何でそう思うんですか?」
「俺の目を見ようとしないからだ」
「そんなことないです」
「いや、見てない」

やっぱりバレていた。
敢えて距離を取っているのだから察してほしいけど、この真っすぐな人にはどうも伝わらなかったらしい。
本当にどうしようもない人だ。

諦めて煉獄さんの大きな瞳に視線を合わせると、煉獄さんがふっと軽く笑みを見せる。
そんな顔で笑わないで欲しい。
こっちは色々考えているのに。
そんな顔をされたら、私はどうすればいいんだ。
今まさに高鳴る心臓は、どうすれば冷たくなってくれるんだろう。

こうなれば、さっさと諦められるように自ら傷つきに行くしかない。


「…煉獄さんの事ばかり考えてしまうんで」


正直に言ってしまえば、きっと引いてくれるだろうと。
この時代の人ではない煉獄さんなら、それがどれだけ愚かな事なのか分かっているだろうと思っていた。
所詮住む時代の違う人間が、ずっと傍にいるのは無理なのだ。
だから、早めに傷ついてしまえば来る時に心臓を引き裂く思いをしなくて済む。

そう思っていたのに。

私の予想に反して、目の前の煉獄さんは頬の色をその派手な髪色と同じ色に染め上げ、それでも私から目を逸らす事はしなかった。


この数日の私の努力はこの時をもって無意味と化した。

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