ぼうっとして居たら、いつの間にか電柱の隣で立ち尽くしていた。
今までブラックな仕事でもへこたれなかったのに、恋愛になるとこうも弱々しくなってしまうなんて。
自分のちょっとした弱さを見つけて、思わず自嘲した。
杏寿郎さんは家族と離れ離れで、大変な思いをしているのに、ホントに私は自分勝手だ。
いつまでもこうしている訳にはいかないけど、あんな感じで家を出てしまって、戻るタイミングを完全に見失った。
…いや、案外ケロッとした顔で戻れば、杏寿郎さんはなんて事ない風を装ってくれるかもしれないけど。
「情けないな…」
「何が、情けないんだ?」
電柱の横にあった街灯の光が一瞬遮られて、私の前に大きな影が出来た。
その人は私を見つけて、ほんの少し安堵したような笑みを見せたかと思うと、小声で「心配したぞ」と呟く。
思いがけない人の登場に私は一瞬言葉が出なかったけど、唾を軽く飲み込んで言わなきゃいけないと思っていた言葉を口にした。
「杏寿郎さん、ごめんなさい」
「…それは、こんな夜中に外に出て俺を心配させたことを謝っているのだろうな」
視線を下げた私の頬を無理やり両手で挟んで、杏寿郎さんと目が合う。
走ってきてくれたのかもしれない。
でも、息一つ上がっていない体力の凄さに、胸の中でそっと感心した。
杏寿郎さんは優しい。いつもと変わらない雰囲気で話しかけてくれる。
私は酷い事を言ったのに。
杏寿郎さんが何でもない態度をしていても、私は自分が言った言葉を忘れることは出来ない。
『戻るんでしょ』なんて、突き放すような言葉。
誰よりも家族の元へ戻りたいのは杏寿郎さんなのに。
「そんな顔をしないでくれ。名前は何も間違ってはいない」
「でも…」
いつものように優しい言葉を言ってくれる杏寿郎さん。
その顔を見ていたら、やっぱり自分のしたことで申し訳なくなってしまう。
せっかく迎えに来てくれたのに、二人の間に微妙な空気が流れ始めた。
パチン。
突如、杏寿郎さんがその大きな掌を叩いてニカっと笑う。
私は音にびっくりして、ぼーっとそれを眺めていた。
「今度、名前が休みの時に外へ出かけないか」
「外、ですか?」
ひらめいた、という顔でニコニコ笑う杏寿郎さん。
私はと言うと、まさか杏寿郎さんから外へ行く提案をされるとは思っていなかったので、さっきまでの落ち込んでいた気持ちが一瞬で吹き飛んだ。
そりゃ、散歩とかお迎えくらいなら杏寿郎さんは率先して出ようとしていたけれど、きっとこの言葉の意味はそんなんじゃないと思う。
「いつも仕事で疲れている名前に、楽しんでもらいたい」
「……でも、外ですよ?」
「外には気を紛らわせる場所があるだろう? 例えば、”遊園地”なんかどうだ?」
「遊園地…?」
「俺は花屋敷くらいしか知らないが、この時代には若い男女が遊ぶ場所があると、薄板映像機で見た」
いつも家でお留守番をしている間に、いつの間にそんな知識を身に着けたんだろうか。
確かに日中テレビを見ていたら、そういうコーナーの番組はわんさかあるだろうけれど。
それを杏寿郎さんが見ている事が意外だ。
いや、それよりも。
「それって、デート…?」
思わず零れ出てしまった言葉。
少し語尾に嬉しさが漏れてしまった。
きっと杏寿郎さんにはバレている。
杏寿郎さんは、少し悩むようにして「ああ、そうだな!」と言う。
本当に意味を分かっているんだろうか、この人。
意味わからずに適当な事言っても、もう遅いんですよ。だって私がその気になっているから。
現金なヤツ。
「杏寿郎さんと、デート」
「…嫌だったか?」
「嫌じゃない。だって、そういうの、交際している男女が行ったりする場所、だし」
あ、余計な事を言った。
嬉しすぎて頭が空回りしている。
杏寿郎さんが真に受けて「だったらやめよう」なんて言ったらどうするんだ。
ハッとなって、慌てて訂正しようとしたら、杏寿郎さんが変わらない笑顔で頷く。
「だったら、その日、俺と名前は恋人同士だな」
……へ?
この人、何を言ったのか理解しているの?
その後、ポカンとする私の手を引いて、帰路へと急ぐ杏寿郎さん。
歩きながら、きっと何か喋っているのだろうけど、全く頭に入ってこない。
さっきの杏寿郎さんの言葉だけがぐるぐると頭の中に渦巻いている。
手を引く大きな背中を見つめながら、私はチクりと胸が痛んだ。
嬉しいような、悲しいような。
きっと杏寿郎さんには、私をその気にさせるだけの言葉だったのだろうけど。
結局、次の休みに遊園地に行くことが決まり、家の中は前と同じ雰囲気に戻った。
私は表面上はいつもと同じ態度でいるようにした。
胸の中では、前よりも強く心臓が跳ねていて、それを隠すのに必死だった。
ああ、私…この人の事、本当に好きなんだな。