おわり

いつかはその時が来る事を知っていた。
そう、最初から。
だってこの人はこの時代の人ではないから。

折角買ってきたさつまいもが悲しくフローリングを転がっていくのが、視界の隅に見えた。
あんなに必死になって走って買いに行ったのに、今では興味すら湧かない。
とてもじゃないけど、それどころではないから。
久しぶりに見た煉獄さんの服。作りは意外としっかりしているけど、現代の服と比べるとどこか違う。
最初に見た時は血で染まっていた羽織も、今では綺麗に元の色を取り戻している。

毎日煉獄さんがそれを眺めていたのを良く知っている。

私は、どうかもう少しだけ、もう少しだけと願いながらその背中を見つめていた。
でも今日は違う。
どれだけ背中を見て願っても、きっともう遅いのだ。
ひしひしと伝わる嫌な予感。
今日あったことが走馬灯のように蘇り、最後に観覧車での煉獄さんの横顔を思い出した。

相変わらず大きな目を逸らさずに私を見て、黙って微笑む。
憎らしいとも思うし、同時に愛おしくて仕方ないとも思う。
これが最後だなんて嘘だと喚き散らしたいのに、中途半端に大人な所為で、そんなこともできない。
力なくへなへたと腰を下ろした私だったけど、四つん這いで煉獄さんへと近づいていく。

煉獄さんは何も言わなかった。
私がゆっくり近づいているのを見ても避けようとしなかった。

私は泣きそうな顔をしているのかな。
それとも怒りで険しい顔をしているのかな。
せめて、最後だというのなら、笑ってあげたいと思うのに。

白い羽織を指先でつまむ。
とても大事にしていたものを、こんな触れ方をしたら怒られるかも、なんて思ったけど、煉獄さんの表情は変わらない。
だから今度は強く掌で握ってみた。

「……よかった」

何度も何度もこんな場面を想像していた。
そして、その場面で私が何を口にしなければならないのか、当たり前のように分かっていた。
何度も何度も想像の中で練習したよ。もし、その時が来た時にみっともなく泣くだけじゃなくて、ちゃんと見送りが出来る女を、覚えて欲しいから。

「本当に、よか…」

言葉の途中で涙が邪魔をする。
一滴も零すつもりなんてなかった、だから、言葉を止めても涙をこぼすまいと、必死で耐える。
そんな姿を見られたくなくて、頭を下げた私。

私の肩に、大きな掌がぽん、と置かれた。

「黙っていて悪かった。俺のために良くしてくれたのに」
「……」
「どうか勘違いしないで欲しい。情けないが、君に別れを言える自信が無かった」
「…っ、」

どうして?
なんでそんな事を言うの?
普通に「さようなら」と言って別れればいいのに、なんで、どうしてそんな。
我慢が無駄に終わる、涙が頬を伝わり、今日の為に着たスカートにぽたぽたと染みていく。
下げていた頭を上げて、涙に滲む光景の先に煉獄さんを見た。


「どうか、幸せに生きてくれ。この時代のように平和な世の中にするために、俺は自分のあるべき時代へ戻る」


胸の気持ちすら見透かされそうな瞳が、少しだけ柔らかくなる。
煉獄さんの羽織を握る手が震える。

最後なんだ。本当に。

身体の底から湧き上がる震え。

ああ、なんて立派な人だろうか。


なんて、憎い人。



「……いい…」
「名前?」
「……」

私の涙声で震える声を聞き取った煉獄さんが、私の頬に手を伸ばしてくる。
既に親指で涙は優しく拭われている。

止めないと、これ以上口にしちゃだめ。
送り出すとずっと決めていたじゃない。

でも、私の気持ちは止まってくれなかった。


「幸せなんて、どうでもいい」


すうっと目を細めて煉獄さんを見た。
さっきまでの笑みは消え、酷く驚いた顔をしている。
私は羽織を渾身の力で引いてみる。
普通に考えれば、煉獄さんの力に敵う筈はないのに、その時は上手くいった。
ぽすん、と煉獄さんの胸板に飛び込む私。

「…煉獄さんがいない所に、私の幸せなんてあるわけないよ」
「名前っ、」
「子供じゃないから、全部わかってるの。わかってるのに、どうしようもないの。煉獄さん、私ね、」
「…言うな、それ以上は…!」

私の手が煉獄さんの背中に回る。
煉獄さんの声は焦っているようにも聞こえたけど、お土産くらい持って帰ってほしい。
もう二度と会えないのなら、私の気持ちに触れてくれたっていいでしょう?


「好き、杏寿郎さん」


抱き返されない身体を、忘れないように強く抱きしめる。
独りよがりの悲しい私の感情を、どうか忘れないでほしい。
別れがあると分かっていて、諦めることができなかった、この悲しい女を。

ふわっと香る煉獄さんの匂い。
もう二度とこの匂いや、この大きな身体に触れる事が無いと思うと、やっぱり涙が止まらない。
このまま時間が止まっていてほしいけど、いつまでも縋られては、煉獄さんが可哀想だ。
これ以上我儘を言うわけにいかないから、背中に回した手を解除して、名残惜しく離れようとした。

これで、本当に終わり。


「……このまま別れろと言うのか、君は」


私の行動を理解した煉獄さんの低くて掠れた声。
それを耳元で直接聞いて、私は思わず顔を上げた。

そこには、さっきの行動に驚いていた表情は無くて、まるで何かに苦しむようにくちゃりと歪んだ顔。

今度は私が驚く番だった。

「えっ?」

寸分と置かずに、離れていた私たちの身体は、また元通りにくっついて。
私の力なんかよりも強い力で、強く強く抱きしめられる。
手を回すことも出来なかった。
僅かに身体に痛みが走ったけれど、そんなものはたいしたことはない。
それよりも、何故、どうして、こんなことになっているのか、理解が追い付かなかった。

一人あわあわと慌てている間に、煉獄さんの背中が僅かに光り出す。
いや、背中が光ってるわけじゃなくて、煉獄さんが白い光に包まれている。
身動きの取れない状態で自分の身体まで確認はできないけれど、私も光っているのかもしれない。

真っ暗な部屋の中に突如光源が湧いたことにより、部屋の壁に光が反射する。

「え、え、煉獄さん…!?」

ぼーっとしている場合ではない、異常事態だ。
慌てて煉獄さんの背中をバシバシ、ドンドン、ドスンドスン、様々な強さで叩いてみたけど、びくともしない。
そして煉獄さんは私を離すまいとさらに強く抱きしめる。

「ちょ、あの、煉獄さん、大変、大変だからっ」

さっきまでのシリアスな展開はどこへ。
一人大慌てしている私をよそに、煉獄さんだけは変わらず抱きしめたまま、固まったまま。

そして、完全に光が私達を包み込んだその瞬間、煉獄さんが小さく呟く。


「すまない。君を離してやれそうにない」


その言葉を聞いた次の瞬間、瞼を開けるとそこは私の部屋なんかじゃなかかった。


◇◇◇



真っ暗な闇。
と、思ったけれど、空を見れば欠けた月がこちらを照らしていた。
少し肌寒い気がして、ぶるりと軽く身震いする。
風が出ている、つまり私達は外へ出ていた。
部屋の中に居た時の態勢のまま、周りに何もない広場のような場所で、ぽつんと私達は抱き合っていた。

「…どこ、ここ」

ぽつりと呟いた声に反応したのは、私をずっと抱きしめていた煉獄さん。
はっとしたように私を引き剥がすと、慌てて回りを見回した。

煉獄さんの目が大きく見開かれて、驚くようにキョロキョロと観察する姿を見ながら、私は一つの答えにたどり着く。

きっともう、私は、自分の部屋に戻れないことを。

決して驚いていないわけじゃないけど、ファンタジーな光景を目の前にすると、驚きよりも理解の方が勝ってしまって。
しかも目の前に別れを決意したはずの人がいてる状況に、喜ばないはずなんてない。

散々辺りを調べつくした煉獄さんが、私の肩をがしっと掴むと唾を飛ばす勢いで口を開く。

「すまない!!」

夜空に響く煉獄さんの謝罪。
それを間近で聞いた私の耳は大丈夫かな、なんてどうでもいいことを考えて。
思わず口元が緩んでしまう。

「ここは、俺が生まれ育った時代だろう。まさか、君を連れてきてしまうとは…申し訳ない!」
「やっぱり」
「もしかしたら、今ならばもう一度あの時代へ行けるかもしれない! 責任を取って、君をあの時代に戻すと誓う、だから…」

必死に謝る様子をずっと見ていてもいいんだけれど。
でも、私はそんなことを聞きたいわけじゃないから、まだ言葉を紡ごうとした煉獄さんの口を手で覆った。

「煉獄さんに悲報です」

くすりと笑って、胸板に頬を寄せた。
煉獄さんがびくりと反応したけれど、逃がさないんだから。


「今日は、さつまいもの味噌汁は食べられなくなりました」


煉獄さんが小さく「味噌汁…?」と言う。
数時間前に言った言葉を、忘れてしまったんだろうか、この人は。
私がスーパーへ買い物している間に黙って帰るつもりだった癖に。

「今日は無理でも、また作りますから。これから、何度も、何度も」
「…だが、」
「煉獄さんは、私をここに連れてきた罰として、私の人生に付き合って下さいよ」

ぴたり、と煉獄さんの身体が固まる。
そして私の髪に恐る恐る手を伸ばす様子が横目に見えた。
さらりと撫でられる髪。
同じ部屋で寝起きしていた頃よりも、ずっと距離が近くに感じる。

「…諦めようとしたんだ」

ぼそりと苦しげに呟く声。
髪から私の頬にかけてゆっくりと煉獄さんの固い手が伝ってくる。

「気持ちを伝えるつもりも無かった、今日で最後にするつもりで過ごし、名前が出ている間に勝手に消えるつもりだった」

何かを言おうと、口を開きかけたけど、最後まで聞く事にした。
瞼を閉じてこくりと頷く。

「でも、名前の気持ちを聞いてしまったら、君を手離すことなんて出来なくなってしまった」

頬に添えられた大きな手。
くすぐったくて、でも安心できるこの手。
私も、離したくなんかない。

「君を必ず幸せにすると誓う。何一つ苦労などさせない。君の生まれた世界では考えられない困難があるかもしれないが、俺が必ず守る」
「煉獄さん」

「だから、俺の傍にいてくれ」

最後のまるで縋るような声を聞いて、誰が拒否など出来るだろう。
そうでなくとも、私は既に煉獄さんの傍にいることしか頭に考えてないのだから、もう今更なのだ。

深夜まで頑張って働いてきた今までの仕事のキャリアとか。
親が死んでから一人で暮らすようになった、結構居心地のよかった部屋とか。
苦楽を共にした学生時代の友達とか。

ぜんぶぜーんぶ、煉獄さんがいればそれでいい。

確かに少し寂しいなとは思うけど、でもいいの。


「ずっと、傍にいます。杏寿郎さん」


通じ合った思いが涙となって、頬を伝った。
それを掬いとるように煉獄さんが指で拭って、そして、私の顎に手を掛ける。

唇が触れる寸前に聞こえた「愛してる」と言う言葉。
数十秒後、私もと答えるつもりで、身を任せた。

今はただ、これからの未来を二人で過ごせる事実だけが、嬉しい。




OLさんと煉獄さん。




「OLじゃなくなったら、私は何になるんだろ」

元居た世界の肩書が無くなったら、この時代では何と呼べばいいんだろうか。
煉獄さんの手を繋いで、首を傾げていたら、煉獄さんの表情がふっと柔らかくなる。

「俺の妻だ」

それを聞いた私の顔がゆでだこになるまで、あと三秒。



おわり。

// list //
top