今日が休みで良かった。
でなければ酒を飲んだ挙句、徹夜で人の看病なんて到底無理な話だった。
完全に出血が止まったことを確認し、怪我以外の身体を軽くお湯を絞ったタオルで拭き上げていく。
どうやら僅かに熱が出ているようで、寝苦しそうだった。
ずっと床で寝かせるのは可哀想だったので、時間を掛けてベッドまで運んだ。
問題はそこらへんの成人男性よりもガタイが良すぎて、シングルのベッドが狭苦しく見えるくらい。
胸筋だかなんだか知らないけど、胸板が厚すぎる上に、肩幅もとんでもない。
こんな大男を良く運べたなと自分で感心する始末だ。
着ていた服を緩く脱がして、手の入りそうなところだけタオルを這わせていく。
身体を拭くと、大男の表情が少し柔らかくなった。
気持ちよかったようでなにより。
怪我をして熱を出しているならば、栄養補給が大切だ。
いつ起きるか分からないけれど、せめて水分くらいは取らせてあげたい。
冷蔵庫の中の物を見ると、適当な材料はあったので、簡単なおかずと粥くらいは作れそうだ。
あと、ちょっと前にジムでダイエットをしようと大量買いしていたスポドリもある。
熱があるときの栄養補給としては申し分ないだろう。
いつ起きてもいいように蓋つきのタンブラーに氷とスポドリを入れて、上からストローを差した。
これで寝ながらでも問題なく飲めるだろう。
さて、と落ち着いたところで昨日汚してしまったタオルやら服やらを洗濯することにした。
残念だが、私のブラウスは洗濯したところで血痕が落ちるとは思えないので、そのままゴミ箱にダンクしておいた。
まあ、ブラウスくらい沢山あるから問題ないけれど。
ついでに酒臭いこの身体も洗い流したい。
洗濯するついでにお風呂に入ろう。
だがしかし、一つ問題がある。
うちは7畳のワンルーム。
キッチンとトイレとお風呂は部屋の外の廊下にあるけれど、脱衣所が無い。
……まあ、あれだけの怪我をしていてすぐに目を覚まさないだろうから、ちゃっちゃとお風呂に入ってしまおう。
部屋のドアを閉めて、薄っすら中の様子がわかるすりガラスを睨みつつ、私は衣服を脱いだ。
シャワーを頭からかけて身を綺麗にすると、流石に気持ちもすっきりする。
昨晩は何だかんだ言って、人の生き死にが頭にあったからか全く落ち着かなかったけれど、峠を越えれば眠気もやってくる。
自分の肩より長い髪を風呂の中で絞り、十分に水気を取って垂れないよう頭の上で固定する。
バスタオルを身体に巻いて、そのまま廊下へ出ると少し肌寒く感じた。
さっさと着替えよう、そう思ってふと出入口に置いていた部屋着を手に取った私は、すりガラスの向こうに視線を感じて顔を上げた。
「……っは、」
すりガラスの向こうに見える大きな人影。
それはどうやら、廊下側つまり私の方を凝視するようにガラスを覗いていた。
一瞬、思考が停止したけれど、すぐに反射的にドアを開けてしまった。
ガラスの向こうの人影が動いたということは、あの大男が目を覚ましたということだから。
勢いよく開けたドアにぶつかることなく、男はドアを避けて後ろへ仰け反った。
私はその様子を見て思わず声を上げた。
「目を覚ましたんですか!?」
あんなに酷い怪我だったのに、まさか一晩で目を覚ますとは。
どんな身体能力を持っているのか知らないけれど、目を覚ましてくれたことが純粋に嬉しくて、私は固まる男にずいっと近づく。
「良かった…凄い怪我だったんですよ? 熱はどうですか? 飲み物もありますので、どう…」
「よも、や」
目を覚まして初めて男が口を開く。
次の瞬間には顔面の色を真っ赤に染め上げて、凄い勢いで身体を翻しその太い腕で自分の視界を塞いだ。
「助けて貰って申し訳ないがっ…! 頼む、服を、服を着てくれ…!」
「…服?」
パタン、と後ろ手に閉まるドアの音を合図に、私はその時初めて自分の状態を確認した。
風呂上りのバスタオル一枚を身に纏った、とんでもない痴女の姿を。
「……い、いやぁああああ!!」
朝7時。
近所迷惑極まりない時間帯に、これまた喧しい叫び声が響き渡った。
◇◇◇
「本当に申し訳御座いませんでした。熱も上がってしまいましたね…」
「…いや、気にしないでくれ…俺こそ、申し訳無かった」
取り合えず大慌てで服を着て、部屋に戻ってきた時には、大男はベッドに寄りかかるように倒れていた。
私の痴態を見て余計に熱が上がってしまったらしく、目をぐるぐる回していたので、違う意味でまた私は軽く悲鳴を上げた。
また布団の中へと戻し、冷蔵庫にあった冷えピタを額に貼り付けて、身体を休める様に言うと大男は申し訳なさそうに頭を下げた。
昨晩は分からなかったけれど、男の目は炎のように真っ赤で、何でも見通すような大きな瞳だった。
目が合うだけで威圧とは違ったプレッシャーを感じ、私は直視することが出来ない。
それでなくとも、先程の痴態で恥ずかしくて目を合わす事なんてとうてい無理な話だ。
「…助けてくれて感謝する。ありがとう」
「お気になさらず。あ、そうだ、喉も乾いたでしょう? これ、スポドリでよかったら、どうぞ」
そう言ってタンブラーを渡すも、大男は眉を八の字にして、タンブラーを睨みつける。
「すぽ、どり?」
「スポーツドリンクですけど、お嫌いですか?」
頭に疑問符を並べたまま「すぽどり?」と呟く姿は、大男なのに少し可愛いと思ってしまった。
躊躇っていたのか、恐る恐るストローに口をつけてちゅう、と吸うとすぐに男はせき込んでしまう。
スポドリが気管にでも入り込んだか。
大丈夫ですか、と問うも男は目を見開いてタンブラーを見つめ、そして気が付いたように部屋中を見渡し始めた。
なんだか、改めて部屋の中を見られると恥ずかしいのだけれど。
そんなに女子っぽくない部屋で申し訳ないが、オシャレな小物などはこれから増やす予定なので、勘弁してほしい。
はあ、と溜息をついて「どうかしましたか?」と尋ねた。
「…ここは、君の部屋か?」
「ええそうです。狭い家で申し訳ありませんが」
「……君の、家?」
「はい。狭い家で申し訳ありませんが」
私の言った日本語が通じないのだろうか。
ロボットのように同じ言葉を繰り返す私をぎょっとした顔で見つめる男。
だから、その目で見つめてくるのはやめて。ちょっと怖い。
そんな私の気など知らず、男は少し大きな声を上げた。
「あれは、何だ!」
あれ、と指さされた私のパソコン。
その次にさされたのは、テレビ。
そのほか家電など。
見れば分かるだろう、とばかりに「パソコン、テレビです」と答えるも、男の眉間にどんどん皺が刻まれていく。
そして、腕を組んで暫く考えるような素振りを見せたかと思うと
「なるほど、分からん!」
と全く分かっていない宣言をして、歯を見せ笑い始めた。
……怪我をして頭までおかしくなってしまったのだろうか。
ハハと気味悪く乾いた笑いを発する男に耐えられなくなり、私はリモコンでテレビのスイッチを入れた。
途端始まる休日朝のどうでもいい番組。
内容はガーデニングの手入れ特集。
何一つ興味の湧かない内容だけど、この人との会話を続けるより視聴する方がマシだと言える。
すると、ハハと笑っていた男が急に自身の身体の横にあった刀(いつの間に傍に置いていたんだ)を問答無用で抜き始めた。
突然の事に私は思わずリモコンを持ったままポカンと固まってしまった。
「…板の中に人が…!? 鬼の仕業か」
「……えっ?」
かちゃり、と刀を持ち替え、完全に抜刀した男は、本当に昨夜怪我をしたのかと問い詰めたいくらいだ。
まるで演劇でも見ているようだ、と続けて固まっていたけれど、よくよく考えたら家の中でなんてものを振り回す気だ。
「ちょちょ、ちょ! そんな危ないもの、家の中でぶん回さないでください!」
「君は下がっていろ」
たとえ模造刀だとしても低い天井、狭い部屋の中で許されるわけがない。
下がっていろと言われても、私は大慌てで立ち上がり、男の腕にしがみついた。
「何考えてるんですか? それで家具が壊れたら弁償してくれますか!?」
「家財道具の心配より、自分の命を心配するべきだ」
「ふざけてます?」
話が通じなさ過ぎてイライラしてきた。
ダン、と踏み込むと足元に転がっていたリモコンを踏んだらしく、ブッ、と切断する音がして、テレビの画面が真っ暗になった。
真っ暗の画面に反射して映る刀を構えた男と、それを止めようとする私。
シュールすぎる映像に「ブフ、」と吹き出してしまった。
「消えた…?」
「そりゃ消えますよ、電源落としたんですから」
ともかく興奮状態の男をなんとか落ち着かせ、ベッドに座らせると、ちらっと見えた胸板の包帯に血がにじんでいるのが見えた。
私は男の前で仁王立ちになりながら「安静にしてないから傷口が開いた」とこんこんと説教する羽目になった。