自分よりも遥かに小さい体の女に口酸っぱく「動くな」「寝ろ」「水分取れ」と言われて、男はわかりやすくしゅんと頭を下げた。
まるで叱られた犬のようだ。あるはずもない垂れ下がった耳が見えた気がしたが、きっと気のせいだろう。
さっきまで血が止まっていたのに、下手に動くからまた出血してしまったことにより、折角巻いた包帯を巻きなおす必要が出来た。
男の血で汚れた包帯をはぎ取り、清潔なガーゼで出血した箇所を拭きとる。
今度はもう男は騒ぎはしなかった。
ただ私が包帯を巻くところをじっと見つめている。
そう鋭く見つめられると正直困るので、適当に話題を振ってみた。
「まるで本物の刀みたいでカッコいいですね、演劇のお仕事でもされているんですか?」
昨日はヤ属性の人だと思ったけれど、話してみたら全然そんな素振りがない。
カタギの振りをされているのだとすれば、見破ることは難しいが、そうでないのなら、きっと演劇系の役者さんだろうと勝手に判断した。
それなら刀を持っている事や、派手な衣装に納得するけど、何であんな怪我をしていたのかは不明だ。
「……いや、仕事は仕事だが。これは本物の刃だ」
「はいはい、そういう役なんですね。それよりも、傷口開いちゃいますから、そのままじっとしててください」
私の言葉にまるで本心のようにするすると返答する男。
流石である、舞台役者は売れるまでが大変だと聞くが、演技の実力はそこいらの俳優なんかよりも幾分も上だろう。
ふんふん、と頷いていたら、男は私に心を許したのだろうか。
そのまま口を開く。
「…君は、誰だ?」
「あ、言ってませんでしたね。苗字と言います。しがないOLです」
「俺は煉獄杏寿郎という。鬼殺の剣士だ」
「きさつ? はあ、大変ですね。剣士さんですか」
きさつ、という言葉に何という文字を当てはめるのかは知らないが。
剣士の役さながらの返答に、私は素直に関心した。
新しい包帯を用意しつつ、聞いた彼の名前は煉獄さんというらしい。
それが役名か実名かは知らないけれど、それしか呼ぶ名がないのだから「煉獄さん」と呼ぶ事にした。
ちょっと大声なのが気になるけれど、仲良くなれそうだ。
「君は、働いているのか?」
「そうですよ、そうじゃないと生活できませんし」
「…だが、こんな立派な家があるじゃないか」
「言ってもこの部屋だけですからね、7畳しかないんですよ、この部屋」
「…7畳?」
煉獄さんは首を傾げる。
どうやらこの部屋を見てワンルームだと気づかなかったらしい。
一部屋しかない、と説明すると煉獄さんはまた不思議そうにきょろきょろと見回した。
「…ここは、どこだ?」
「私のお家です。住所まで言いましょうか?」
「……頼む」
更に混乱した様子の煉獄さんに、うちの住所を伝えたけど、どうもピント来ていない様子。
そして、おもむろに煉獄さんは部屋の窓を開けて外を見て「よもや」とまた小さく呟いた。
「ここはどこだ」
ポカンとする背中に呆れつつも「早く寝てください」と伝えても、煉獄さんは微動だにしない。
むしろずっと窓の外の景色をあちらこちらと見つめている。
何がそんなに珍しいのか知らないが、私の目に見えるのは、真向かいにある灰色のマンションとその前を走る自動車など、ありふれた景色しかない。
あまりに反応がおかしいから「煉獄さん?」と名を呼んでみる。
煉獄さんは返事をしなかった。
筋肉隆々の半裸に包帯。
見る人が見れば、目を奪われるような光景だ。
どうでもいい事を考えていたら、煉獄さんのふわふわした髪が揺れて、私の方をくるりと向いた。
少しばかり、真面目そうな顔に見えるのは気のせいか。
「ここは日本なのか?」
「はい、勿論」
「…信じられない」
「と、言われましても」
勿論日本に居て、日本を知らない人がいるとも思えないので、演技としか考えられないのに。
あまりに迫真な演技すぎて、少しだけ同情してしまいそうになる。
だから、思わず口走ってしまったのだ。冗談で済むような、そんな言葉を。
「まるで、別の時代からやってきた人みたいなセリフですね」
そう言うと、煉獄さんのぎょろっとした目が私を射抜く。
そして、寸分置かずに「今は大正何年だ?」と問う。
これには私も本気で驚いた。
「は? 大正?」
令和・平成・昭和、それよりも前の大正時代の話をされている?
まあ、煉獄さんの役柄的に時代背景としては大正時代のことなんだろうけれども、私の心臓は違う意味で鼓動していた。
まさか、とか。
いやいや、嘘だ、なんて。
とてもじゃないけど、煉獄さんの瞳を見ていたら、嘘だとは思えなかった。
暫く私達の間に沈黙が流れ、沈黙を誤魔化したいばかりにちらりと視線を泳がした。
その先にあったのは、煉獄さんの模造刀。
……いやいや、そんなあほな。
「…煉獄さんって、役者さん、ですよね?」
「言っただろう、俺は剣士だと。それよりも、今は何年なんだ? 頼む、教えてくれ」
「え?」
思いついた答えにたどり着いた瞬間。
ぶわっと全身の毛が逆立つような感覚に陥った。
完全に信じた訳でもない、でもこれだけしつこく問うているのに、自分を剣士と名乗る煉獄さんは、どう見ても普通の人には見えなかった。
そして、何より気味が悪いくらいそれっぽい刀と、煉獄さんの背中にある傷。
どれもこれも、現代では到底考えられないような、そんなありえない状況。
さっきまでへらへらしていた私の顔が、今や真っ青になっている事に煉獄さんは気づいたのだろう。
血の気が引いている最中、煉獄さんが「大丈夫か?」と気遣うくらいには、酷い顔をしていたようだ。
「……煉獄さん、もしかしてですけど、お生まれは大正ですか」
「いや、」
はっきり、煉獄さんは否定した。
そうだよね、そんなわけないよね、とほっと胸を撫で下ろした。
その時だった。
「明治だ」
ドクン、と心臓が跳ねたと同時に、手に持っていた汚れた包帯がはらりと足元へ落ちた。
あまりの衝撃すぎて、随分前に参加した合コンの自己紹介で「年上の男性が好みです」と答えた事を思い出した。
……いや、流石に明治生まれは年上とかそんな次元じゃないから。