最初はセールスを片っ端から引き入れ、毎日訳の分からない商品を受け取っていたが、それも理解をすれば居留守を使う手段を覚えたらしい。
ただ嘘を吐くのが苦手なようで、私が帰宅をすると、大概しゅんと頭を下げた様子で扉の前に座っている。
私が日中留守にしていても、テレビや家にある雑誌で知識を入れているらしく、暇はしていないとか。
夜はベッドが一つしかないから、私が床で寝ようかな、なんて一言呟いた日には、「家主を差し置いて…!」と怒られてしまった。
だけどこちらとしても、まだ怪我をしている煉獄さんを床で寝させるわけにはいかないから、ベッドで休んで欲しいと根気よく伝えると、恐ろしい事に、煉獄さんは少し恥ずかしそうに「では、一緒に布団に入ろう」と言う。
その言い方がまるで、付き合いはじめのカップルのようだったので、私まで恥ずかしさが伝染した。
何故だか断ることが出来ず、狭いシングルのベッドで背中合わせで眠る羽目になったのだ。
初日のように寝ぼけて煉獄さんを抱きしめる事はなくなったけれど、気が付いたら煉獄さんが私を腕枕をしてくれている時があった。
それを夜中に気づいて、更に申し訳なくなるとともに、やっぱりどこか恥ずかしくて、毎朝気づかない振りをふるのが日課となった。
そんな生活をして、もう二週間が経ってしまったのだ。
「外に出ようと思う」
晩御飯を食べて、今日あったことをなるべくわかりやすく煉獄さんに話していたら、ふとお箸を止めて煉獄さんが呟いた。
私はもぐもぐと口だけ動かしていたけれど、一瞬何を言われたのか理解できずにいた。
そんな私を見て、煉獄さんが追撃の一言を放つ。
「この時代にやってきてから、まだ一度も外に出ていない。そろそろ外に出ては駄目だろうか」
懇願するような煉獄さんの言い方に私は戸惑っていた。
確かに、煉獄さんはずっとこの狭いワンルームの中から出ることはなかった。
というか、私が許可していなかった。
家に居ても見知らぬ人を引き入れるくらいの人間である。
外を歩けばどうなるのか、想像がつかないからだ。
だが、最近ではそんなことも無くなり、家の中で過ごしていくうち、色々と思う所があるのだろう。
煉獄さんの事を思えば、簡単に否定など出来るはずもなかった。
「…外に出て、どうしますか?」
「身体がなまっているような気がして。一目につかない所だけでいい、少しだけ身体を動かしたい」
「……そうです、よね」
二週間。
煉獄さんの怪我は救急車を呼ばなければいけないくらいの程度だったはずなのに、それなのに今はもう殆ど傷が塞がっている。
縫わなくてもよかったのかと本気で考えていたけれど、今やすっかり塞がった所を見ると、煉獄さんは人間じゃないのかもしれない。
怪我の影響はもう殆どない。
これだけ筋肉ムキムキの人が、二週間も身体を動かさないなんてこと、今まであったのだろうか。
だったら少しくらい、煉獄さんの願望を叶えてあげてもいいんじゃないか。
「夜、私も一緒に。それでよければ」
色々考えてそう口にすると、聞いた瞬間から煉獄さんの顔がぱあっと明るくなって、嬉しそうに破顔する。
「ありがとう、名前」と力強く言われて、私は「いえいえ」と照れ隠しで呟くしかなかった。
◇◇◇
「…それ、持っていくんですか」
「当然だ。これが無ければ、外を歩けない」
晩御飯も食べ終わり。
私達は玄関で順番に靴を履き、扉を開けた。
振り返ると、煉獄さんが腰に長い物を携えていた。
私は一瞬で凍り付いたが、煉獄さんは引く気はないらしい。
人に見つからなければいいか、と気持ち悪い緊張でドキドキする心臓を服の上から押さえ、私達はとぼとぼと歩き始める。
煉獄さんは初めて家の外に出た。
周りを見回し、珍しそうに瞳を光らせている。
けれど、やっぱり日中テレビや雑誌を見ているからか、声を上げる程ではないらしい。
すっかり現代っ子に染まってしまった。
人通りの少ない道を抜けて暫く歩くと、都会の中では珍しいマラソンコースにもなっている川へやってきた。
大体この時間は夜の散歩をしている人がちらほら歩いているけれど、運が良かったのかその時は誰もいなかった。
私は川岸の階段になっている所へ腰を下ろし、煉獄さんにお好きにどうぞ、とジェスチャーをする。
それを見て煉獄さんもこくりと頷いて、私から少し離れた場所で腕をまくった。
何をしているのか分からない。
ただ、立って動かなくなった煉獄さんをずっと見ていた。
耳を澄ませると僅かに大きく呼吸を繰り返しているようだった。
煉獄さんの肩が大きく揺れて、腰の鞘がゆっくりと抜かれる。
月光に反射した刀身が顔を出した。
カチャリ、と金属音が僅かに聞こえて、本当に本物の刀なんだなと今更ながらに思う。
膝の上に手を置いて、目を逸らす事なく、ただぼーっとしていた。
一瞬だった。
急に、私の頬を掠める熱と風。
あまりの衝撃に顔を逸らして瞼を閉じた。
次に視線を戻した時には、煉獄さんは数メートル先に立っていた。
「…え?」
いつの間に、そんなところまで。
一瞬のうちに走ったとは思えないくらいの動き。
刀身もさっきまでは煉獄さんの腰の横にぶら下がっていた気がしたけれど、今や天を指している。
夜風が気持ちいとさえ思っていたが、私の頬には汗のような雫が伝っていた。
ポカンと煉獄さんを見ていたら、その様子に気づいた煉獄さんが微笑みながらこちらに近づいてくる。
むき出しだった刀は華麗な手さばきで鞘へと納められた。
その瞬間に気づいてしまったのだ。
ああ、この人は本当にこの時代の人ではないのだと。
今まで分かっていたはずなのに、初めて実感した。
いつかは、戻らなければならない。
そう認識した時だった。
チクリ。
胸に僅かに痛みが走った気がしたけれど、気づかない振りをした。