なんだかなぁ。
あの夜、煉獄さんが刀を振るう所を見て、私は完全に一歩後ろへ引いてしまった。
最初から分かっていたはずだった、何故なら煉獄さんはこの時代の人ではないから。
それでも目の前で現実を突きつけられたような気がしたのは、このままこの時代の人として生きて行くとでも心の片隅に思い描いていたのかもしれない。
あの時、家に帰ってから何となしに「元の時代に戻りたいですか?」と尋ねてしまったことを酷く後悔した。
煉獄さんは、哀しげに笑っただけだった。
それが何を意味をするのか、分からないほど子供ではない。
そりゃそうだ。私が同じ立場になったのならば、初日から家に帰りたくて泣き叫んでいる自信がある。
煉獄さんにだって家族がいるのだ。前に教えてくれた、家に残してきたお父さん、年の離れた弟くん。
戻りたくないはずなんて、ないのに。
「どうして、分かってあげなかったんだろう」
この時代に適応しようとする煉獄さんが、その裏で何を考えていたのかなんて。
きっと無意識に私は酷い事をしていたに違いない。
考えれば考える程、私は最低だ。
「はぁ…考えていたら仕事も終わらなかったし」
今日一日、ずっとこんな調子で頭の中の煉獄さんに懺悔をしていたら、仕事が手につかなくて。
結局今、日付が変わりそうな時間に帰路についているわけだ。
煉獄さんには遅くなる日もあると、以前伝えていたので、先にご飯を食べているだろうし、もう充分家の中の事は出来るから、何も心配いらない。
でも突然遅くなるような事があったら連絡に困るから、近いうちに煉獄さん用のスマホを用意しようか。
…あ、でも、そんなことしたら、余計に帰る時が大変なんじゃないか。
主に私が。
ここしばらく、居候として一緒に過ごしてきただけに、ある日突然帰ります、という事も十分にあり得る。
そうなったとき、私は笑顔で見送ることができるだろうか。
…いや、無理だ。こんなに仕事が手につかないのに、そんな器用な事が出来るはずもない。
この気持ちが強くなる前に、断ち切らないと。
そうでなければ、私が苦しくなるのは目に見えている。
「……うそ」
ヤバイ。考え事をしすぎていたみたいだ。
背後からずっと聞こえていた足音に今やっと気が付いた。
私の足音が早くなっても、同じようについてくる足音。
僅かに荒い息まで聞こえてくる。
ああ、これはヤバイ。時間も時間だし、間の悪い事に道を歩いているのは私と後ろの足音の人だけ。
ヒールでなければダッシュをするところなのに。
こんなの走ったところですぐに追いつかれてしまう。
「ハァ、ハァッ」
後ろから洩れた息が凄く気持ち悪い。
息と息の間に「ねぇ」となちっこい声で話しかけられている。
それを完全に無視をして、ほぼ小走りで歩く私。
そしてぴったりついてくる足音。
やばいやばいやばい。
完全に事案の人だ。どうしよう、近くに交番や入れそうな飲食店なんかあったっけ。
頭をフル回転させて色々考えてみるも、そんなところへ駆け込むよりも後ろの足音が近づいてきている。
駄目だ駄目だ。
このままでは、
「なあ、聞こえてんだろっ!」
ガシ、と私の肩を後ろから男の手が掴む。
ああ、終わった。
血の気が一気に引いていき、この後の自分の未来予想図に悪寒しかしない。
ぐいっと後ろへ引かれた私の身体はそのまま、後ろの不審者の方へ倒れ、
ることなく、私の身体は何故か前に倒れた。
ポスン、と壁にしては柔らかくて、クッションにしては固いそれに抱き留められて。
「真夜中に女性の背後を付きまとう不届き者はお前か」
その声を聞いて涙が出そうなくらい、安堵した。
私を抱く、煉獄さんはベルトに刺していた筒布の口を開ける。
それを目に入れた瞬間、私は違う意味で青ざめたけれど、先程までの恐怖で身体が動かない。
私の後ろにいた不審者はそれに気づくことなく「なんだお前はァ!」と大声で煉獄さんを威嚇している。
こんなにガタイのいい煉獄さんに吠えることができるなんて、それはそれで凄いなとも思うけど、今はそんなことを呑気に考えている余裕はない。
でなければ次の瞬間には不審者の首がその辺に転がっている事になるかもしれないからだ。
「ちょ、ちょっ…煉獄さんストップ!」
「名前は下がっているといい。俺は少しばかり、機嫌が悪い」
「機嫌が悪いのは分かりましたが、そんなもの出しちゃダメです!!」
慌てて煉獄さんの手を上から押さえてみるも、びくともしない。
街灯に照らされた煉獄さんの表情は、青筋がいくつも走っていて、どこか怒っているようだった。
こわい。
筒布がなんなのか、きっとこの不審者には分からないのだろう。
私には手に取るように分かる。これは煉獄さんの愛刀だ。
こんなものを一振りでもされたら、明日のニュース一面になるのは間違いない。
「んだコラ、なめてんのかァ!」
私と煉獄さんの攻防を見て、ふざけているとでも思ったのか。
不審者はそのまま煉獄さんと私に向かって拳を振り上げた。
が、振り上げたところで止まってしまう。
拳を煉獄さんが空中で止めたからだ。
不審者は流石に驚きが隠せないらしく、拳を引こうとするが、抜けない。
ギリギリと拳を潰さんばかりの音が耳に入ってきた。
「……自分が何をしたのか分かっているのか?」
酷く冷めた声だった。
それを聞いて不審者の口から小さく「ひっ」と声が聞こえたのを、見逃さなかった。
煉獄さんは暫く不審者を睨みつけたあと、ゆっくり拳の手を解いた。
男はそのまま地面にお尻をついて、煉獄さんと私を見上げる。
その表情は心の底から情けないものだった。
「消えろ」
「は、はいっ」
煉獄さんの一言で、尻尾を巻いて逃げる、という言葉の通り、男は一目散に私達と逆方向へ走って行った。
走る男の背中をまだ煉獄さんは睨んでいたけれど、暫くしてはっと気が付いたように、腕の中に居た私に視線を落とす。
「怪我はないか、名前」
自然に頬に煉獄さんの大きくて固い手が添えられ、私は心臓が高鳴った。
さっきまで恐怖でどうにかなってしまいそうだったのに。
私の名を呼ぶ声がこんなにも安堵出来る事に初めて気づいた。