安心したからだろうか。
涙が止めどなく溢れ出てきて、止まることを知らない。
私を抱く煉獄さんの表情がぎょっとしたのを見て、涙を止めないとと思うけど、いう事をきかない。
「名前…!? も、もっと早く助けに入れば良かっただろうか、すまない」
「違っ…違います、違う…」
勿論恐怖感は過去一。
煉獄さんがいなければ私はどうなっていたのか、なんて考えるだけでもおぞましい。
でも、それよりも、分かってしまった。
あんなにセーブしようと思っていた気持ちを、爆発させてしまった。
どうせなら、気づかなければ良かったのに。
あの日、煉獄さんと一緒に散歩なんて出かけなければ良かった。
ここまで一緒に暮らすんじゃなかった。
怪我をした煉獄さんを家に連れて帰るんじゃなかった。
だって、だって。
この人は、私の前から消えていなくなる人だ。
この人が傍に居てくれないと、駄目だなんて、考えちゃだめなんだ。
このままこの生活が続けばいいなんて、一片も思っちゃいけない。
でも、もう遅い。
「煉獄さん、私…」
当たり前のように傍に居て欲しい、なんて。
その後の言葉を続けることは出来なかった。
バツの悪そうな煉獄さんが、さっきの出来事で恐怖し泣いていると勘違いしてくれているらしく、優しく私の頭を撫でる。
そんな事、しないで欲しい。
これ以上、強くなった気持ちの行き場はどうすればいいの。
最初から叶わないと分かっているのに、考えるだけ無駄なのに。
「さあ、うちに帰ろう」
耳元で聞こえた声がじんと心に染みわたる。
家だと思ってくれている。でも、貴方には本当の家がある。
だからこそ、その言葉に甘えてはいけない。
この人のことを思うならば、私は。
煉獄さんは泣き止まない私の手をその大きな手で包むと、私と一緒に並んで歩き始めた。
歩幅なんて、煉獄さんの方が大きいに決まっているのに、私に合わせて小っちゃく歩いてくれている。
手から伝わる熱が、永遠に続くはずないとわかっているからこそ、私は強く強く握り返した。
帰り道、私は自分の気持ちを一生心の奥底へ隠す事を決めた。
◇◇◇
『都内で不審者が相次ぎ、昨日未明にも帰宅途中の女性が…』
いつもならば名前が家に居る時間。
だが、今日はまだお勤めから帰ってくる気配はない。
稀に帰宅が遅くなる日もあると名前が言っていたから、きっと今日がそうなのだろう。
だが、女性一人がこんな夜更けに外を歩くなど、決して許されることではないだろう。
どうせなら名前が帰ってくるまで食べないで待っていようと、テーブルに夕飯を用意し、てれびなる板型映像機を見ていた。
すると、映像の向こうの女性が平坦な声で原稿を読み上げる。
読み上げた内容は、決して平和な出来事などではなくて、ここ最近の不審者の情報だった。
俺の居た時代よりも、この時代は平和になった。
とは言っても、不届き者は存在するらしい。
鬼がいないだけマシだなんて、そんな事は言えないが。
「……心配だ」
俺よりも小さな小さなあの体で、外に働きに出ている。
俺の居た時代の事を思えば、それは珍しい事だ。
鬼殺隊の中には勿論、女性もいた。が、世間一般では女性は家庭を守る存在とされていた。
男である俺が、家でぬくぬくと過ごしていること自体あり得ないことだとよくわかっているのに。
あんな小さな身体で襲われでもしたら、抵抗など出来るはずもない。
それこそ、体術を習得していれば話は別だが、とてもそうは見えない。
帯刀もしていない、か弱き女性。
守らなければならない、彼女。
「…見てこよう」
名前がいない内に外に出る事は禁じられているが、この家付近を歩くくらいなら、許されるだろう。
何より、名前の身に何かあってからでは遅い。
何もなければ俺が名前に怒られるだけなのだから、外に出ない手はない。
映像機の電源を落とし、部屋の蛍光灯だけ付けた状態で部屋を後にする。
何かあった時のために、家の鍵を預かっていて良かった。
カギを閉めながら、名前が前に散歩の時に教えてくれた道を歩いていく。
必ずこの道を通るとは限らないが、大通りでもある。
こんな夜更けなのだから、なるべく広い道を歩くだろうと判断し、俺は迷いなく道を進んでいく。
暫く歩いて、遠くの方から男女の揉めるような声が耳に入った。
まさか。
小走りで歩いていた足を、全速力で飛ばす。
走れば走るほど、声は近づいてきて、それが聞き覚えのあるものだと気づいた時には、目の前が真っ赤になったようなそんな気がした。
「真夜中に女性の背後を付きまとう不届き者はお前か」
探していた彼女の肩を掴む、汚い手を振りほどき、自分の身体へ寄せた。
目の前の男は突然現れた俺に対し、驚いていたが、それでも身を引く事は無かった。
俺の胸の中にいる彼女は恐怖のあまりか僅かに身体が震えていた。
よくも、よくも。
自然と手は腰に刺した刀にあった。
何かあっては、と思い家から持ち出してきたものだ。
見つかれば名前に烈火のごとく叱られることはわかっていたが、俺にはこれしかない。
俺が刀を持っていることに気づいたらしい名前は必死で止めてきたが、簡単にそれを聞き入れる程、俺は冷静ではなかった。
彼女を、よくも。
決して早く到着したわけではない。
彼女の震える身体から、何があったのか想像するだけでも血管が切れそうだ。
だから、こそ余計に腹立たしい。
あのまま家でぼうっと過ごしていたら、名前を失っていたかもしれない、と。
そんな事を考えたら、とてもじゃないが目の前の男を許す気にはなれない。
だが、冷静さを失う俺を必死で名前が止めに入るから、あれだけ沸騰していた血も、自然と冷静さを取り戻す。
男の攻撃を受け止めて、ひと睨みをすれば男は腰を抜かしてさっさとこの場から立ち去ってしまった。
できることなら、捕まえて警察に突き出さなければならなかった。
だが、そうしなかったのは、胸の中にいる名前が未だに震えてそこにいたからだ。
「怪我はないか、名前」
怪我など受けていたら、それこそ俺は止める名前を振り切り、奴の頸を落としていたかもしれない。
せめてその震えだけでも取り除いてやりたくて、名前の頬に手を伸ばした。
名前はその手に驚いたようだったが、すぐに目を細めぽろぽろと大粒の涙を零した。
初めて見た、彼女の泣き顔。
尊いその涙を、彼女を。
できることなら、一生守ってやりたいとそう思う。
無理だと分かっているのに。