練習に集中していたら、何もかも忘れられた。
ふと気がつくと頭を掠めるあの笑顔と涙。それを振り払うように目の前のゲームに集中した。

ある練習の日、あのバレーバカの日向が珍しく部活に遅れてやってきたから「追試でもあったわけ?」といつものように小言を言った。
あれだけ僕に対して不満のありそうな態度だった日向が、練習に遅れて取り組むのを笑うつもりだった。
だけど、キッとこちらを睨んだ日向の目元が僅かに腫れている気がして、僕は思わずポカンとしている間に日向は「誰の所為だと…」と恨み言をポツリ。
その言葉の意味はよくわからなかったけど、どうせ日向の事だからたいした意味はないのだろう。

そうして、ただ毎日が過ぎていった。

同じ校舎の中にいるはずなのに、名前の顔を見ることもなく。
でも思い出さない日がないなんて、どれだけ名前に振り回されれば気が済むんだと何度も心の中で笑った。
いい加減忘れればいいのに、そんな事は分かっている。
最近では、あれだけうるさかった日向も何も言わなくなった。
別にそれでいいし、そうやっていればいつかは忘れていくはずだ。
ただ目の前の試合に神経を注ぐだけ。
名前が、それを望んでいたはずだから。


「試合終了! 勝者、烏野高校だ!」

誰の声かはわからない。
客席から聞こえた誰かの歓声。
そして、コートにいる自分。
どこか現実味が感じられないが、今まさに青葉城西との試合が終わったことだけがわかった。

いるはずも無いのに、歓声の中に名前がいるような気がして探してしまう。
勝ったことよりも、この光景を見た彼女の反応を見たかった。
愚かだとわかっているけど、この行為を止めるにはまだ時間が必要だ。
黙々と練習を重ね、次の試合の事を考える。
そうして、名前の事を考えることを止めていけばいい。

「ツッキー、大丈夫?」

代表決定戦当日。
体育館へ向かうバスの中、隣に座った山口が顔を覗き込む。
山口に心配されるような顔をしていたのかと、少し驚いた。
「何が」とても冷たい声が出た。でも山口は怯まない。むしろ、呆れたようにため息をつく。

「連絡すればよかったのに、苗字さんならきっと来てくれただろ」
「連絡先知らない」
「日向にでも聞けばいいのに」
「僕に連絡されても嬉しくないデショ」

例え連絡先を知っていたとしても、名前が来るとは思えない。
泣いて僕から逃げた名前が、来るはずない。
でも、もし、まかり間違って名前が居たとしたら、僕はどうするかな。

有り得ない妄想を抱きながら目を閉じると、次に目を開けた時には会場だった。


◇◇◇


「…チッ」

もう何度も目が合っている。
牛島の鋭い視線、僕に焦点があった時に感じる壁。
自分の指を掠め取られたスパイクに、思わず舌打ちが零れた。
右手の人差し指にくるくると包帯を巻いてもらい、もう一度コートへ。
後ろで山口が「ツッキー、突き指!?」と喚く。うるさい。

「本気で、色恋に振り回されている場合じゃないな」

有難いと言うべきか。
牛島のおかげで、余計な事を考えずにすみそうだよ。

体全部の神経を目の前のボールへ。
牛島のボールをまともに取れる気はしないが、それでも考えることはやめない。
1セット目は取られるのは仕方ないにしても、出来ることがあるはずだ。

「来い」

後ろで聞こえた西谷先輩の声。
あんな小さい体からどれだけ重い一言が吐き出せるんだ。

パァン、と破裂音のような音を立ててボールが上へと上がる。
影山が上手に捉え、そして田中先輩が逃すまいと打ち込んだ。

「ッウッシャァアア!」

まあ、簡単に負ける予定もないみたいだ。


その後点差は拮抗したが、ブロックを避けた牛島によって点はどんどん開いていき、1セット目は白鳥沢に入ってしまう。
日向は分かりやすく悔しそうな顔をしていたが、すぐに切り替えてコートを見回していた。
器用だね、本当に。
あの牛島が日向を僅かに意識していることを理解してるのかな、あのバカは。
それが綻びになればいいけど。

勿論、意識するのは牛島だけじゃない。
2セット目から本格的に取りに来ている天童とかいう、見た近寄り難い人も、無視はできない。
さっきから何度も撃ち落とされているからね。

「お、普通の方〜」

わざわざ僕を指さして煽り散らかしてくるくらい余裕のようだけど。
思わずカチンと来たけど表情には出さない。
今じゃない。

奴が打とうとしたボールに対して、わざと時間差でジャンプした。
見事にハマったブロックに、奴は驚いた顔をしていた。

「どうも、普通の方です」

口元には僅かに笑みを浮かべて。
なるべく相手に不快感を与える。

「烏野の1年、腹立つ奴ばっかだと思っていたら、お前ダントツ!」
「どうも」

とても、光栄だね。