「まだ大丈夫」
そう暗示をかけなければ眠ってしまいそうなくらい疲弊していた。
私の仕事は運び屋だ。
依頼主の女から預かった、封にハートのシールが貼られた"いかにも"な手紙。
見れば宛名の住所が空欄で送り先がわからない。
送り先がわからないものをどうやって届けるんだ。世の中にこの"シャルナーク"という名前の人物は一体何人いるのか。それは男なのか、もしかして女なのか。そもそも人間なのか。
女は私に手紙と現金を強引に握らせると逃げるように去ってしまい、それ以降何度電話しても連絡がとれない。
仕方がないから探し出すことにしたはいいけど、居場所を探るまでが骨の折れる作業だというなら、直面している苦労は心肺停止寸前だ。なにせ丸5日もまともに食事もとっていない。おまけに仮眠をとるとき以外はずっと動き続けている。
肌寒い季節にこんなへんぴな場所へ荷物もほどほどにやってきて、割り出した目的地へ行く途中森をいくつか抜けてきたけどこんなところに人が暮らしているとは思えない。シャルナークってもしかして熊の種類か何かなんじゃないか。
目的地まであと数百メートルのところまで来てそれは唐突に現れた。
ずっしりとしたコンクリートの建物はかなり傷んでいるようにみえて、いまここで竜巻でも起こったらハラハラと崩れ落ちてしまいそうなくらい。
途端に原因の分からない汗がじんわりと染みて、嫌な予感を知らせる。自身の勘に従い気配を絶って近づくと人の声が聞こえてきた。
よかった、ここで合っているみたい。
そう思ってコンクリートの壁に空いた小さな隙間から中を覗いたのが運の尽き。
そこには望んで関わることは絶対にないような物騒な輩がまばらに佇んでいた。
とくに中心にいる額に十字の刺青を入れた黒髪オールバックの男、この人が一番ヤバそう。
ああ、手紙だけ投げ入れてさっさと帰りたい。
こんな訳の分からない依頼二つ返事で受けるんじゃなかった。
何度目かもわからない後悔が疲れをどっと増幅させてうなだれていた次の瞬間、鋭いなにかが迫ってきたのを感じて咄嗟に伏せると頭上をものすごい衝撃が過ぎ去って髪の毛が乱れた。風とともに何かの破片が頭に降りかかる。
死を感じたのは久しぶりだった。
気づくと目の前に隔たれていた壁が壊されて、さっきまで眺めていた集団の視線が私に集まっている。
どうしよう。お友達にはなれなさそうだ。
「お届け物です」
この緊張感の中発言したのを自分でも意外に思う。
その声も震えることなくいつも通りだった。
精一杯苦手な笑顔をつくってみるけど上手くできているかはわからない。
わからないけど、誰ひとり笑わないこの状況はなんとかしたい。
しっかりしろ、私は手紙を届けにきただけ。悪意も敵意もない。
笑顔を崩さないようにしながら手にしていた手紙を見せた。
「シャルナークさん、いますか?」
そう言うと地雷を踏んだみたいに突然殺気が襲ってきて体が硬直した。
目の前の目つきの悪い小柄な人が武器らしい傘の先を私に向けながら背後にいる金髪の男性に声をかける。
「シャル、心当たりあるか」
「いや、ないね」
ばっさり言い捨てられたそれが良くないことなのは馬鹿な私にでもわかった。
彼の傘の先には壁と同じねずみ色が掠められている。さっきのはこの人がやったんだ。おっかないな。
まだ死にたくはないけどこの人達に立ち向かう力は私にはない。
傘の彼が団長と呼んで指示を仰いだことにハッとして視線を向けると、奥から歩いてきたその男はやっぱりあの一番ヤバそうな人だった。
「シャルが今日来たのは偶然だったな」
「そう。近くの街まできてたからたまたま寄っただけだし、仕事にも参加しないですぐ帰る予定だったよ」
「と、いうことなんだがシャルナークがここにいることをどこで知った」
言わないなら殺しても仕方ないといった感じだ。
能力のネタばらしなんて念能力者なら死に直結することだけど、少しでも長く生きられるならその方がいいと思った。
ここまで来るのにあんなに苦労したのにあんまりだ。
「住所が分からなかったので、能力で探し出しました」
そう言うと今度はパクと呼ばれたグラマラスな女性がピンヒールをコツコツと鳴らしながら私の前にやってきて「詳しく聞かせて」と言う。
物腰の柔らかい雰囲気と肩に添えられた手の暖かさに少し緊張がほぐされながらここまで来ることになった経緯と手紙を届けにきただけで敵意はないということを懇々と話すと女性は難しそうな顔をして肩から手を退けた。
読めない部分があるわ、と言った気がするけどよく意味が分からない。
「お前の言葉は信用できないということだ」
何か聞きたげな私の表情をよんでか彼はそう告げる。
サーッと血の気が引いていくのが分かった。
こんな状況で嘘なんて、とでかかった言葉を飲み込む。
私の言葉は信用されていないのだから。
黙っている私をみて彼はさらに続ける。
「言い訳があるなら聞こうか?」
嫌みなやつだと思ったがそれでも私は命にしがみつきたい。
こんなもので見逃してもらえるかはわからないけれど、たまたま知り合いに自慢するために持ってきていた宝石を鞄から取り出した。
「言ったことに嘘はないですけど、信じてもらえないなら…これあげるので許してくれませんか」
両手のひらに乗せて差し出すと彼は目の色を変えて覗き込み、ほうと関心の息をこぼした。
「どこで手に入れた」
「グリードアイランドっていうゲームの中で…」
なにそれ、とか聞いたことある、とかちらほらと声が聞こえてくるけど団長とやらは少し考えた素振りを見せると私には目もくれず
「取引成立だな」
と口にした。
最近手に入れたばかりのブループラネット、お気に入りだったんだけどな。
それにしてもこの人の決定には誰も反対しないなんてすごく意外だ。
依然として敵意剥き出しの傘の彼さえも団長がいうなら、と私を睨むだけに留まっていた。
もちろん各々個人の意見は言いたい放題で、俺ならすぐ殺っちまうけどな〜とかなんとか…いや聞かなかったことにしておこうかな。
やっと首の皮一枚繋がったとほっとしていると、さっきまで宝石に夢中だった彼の瞳が私を捉えた。
わ、吸い込まれそうなくらい真っ黒。
そう思ったのとほとんど同時くらい、
「ただし一つ条件がある」
彼がそう言い終える前に突然足首に激痛が走る。
ぐにゃりと自分の顔が歪むのが分かった。
まるで不幸の手紙です