舟唄
夜8時ひと仕事終えた後。団員が次々と瓶を開けはじめたころに団長にだけは一言残して2人で抜け出した。うまくやれよ、なんておちょくられてやっぱり黙って出てこればよかったと思う。
助手席に乗せられたなまえは嬉しそうに笑って、これからどこに行くかを当てるゲームを始めた。
シャルのことだから…から始まる場所は高級ホテルやら夜景の見えるレストランやらどれもこれからいく場所とは遠くかけ離れている。
俺はもっと素敵なところとだけ言ってアクセルを踏んだ。
波を返す音、物怖じしてしまいそうなほど広く深く暗い海。
車から降りた彼女はゆっくりと歩いて砂浜で一度立ち止まるとサンダルを脱いで再び暗い海へと吸い込まれていった。
水の鏡が月明かりを反射して細身な彼女のシルエットが浮かぶ。
なまえは浅瀬で立ち止まって振り返った。
「シャルー、ボートがあるよ」
乗ろう、と言うのだろう。
「オール貸して、俺が漕ぐよ」
「さすがシャル、紳士だね。今度はどこへ連れて行ってくれるの?」
「そうだな、すぐそこに見える孤島とか」
もちろん離れ島があるのも調査済み。
木で作られたオールを手に、舟の上で向かい合うとなまえはなんだか照れるね、と笑った。
つられて照れるけれど顔には出さない。
高級ホテルも夜景のみえるレストランも彼女は気に入ってはしゃいでいたけれど今回はやけに穏やかで、大きな仕事が終わったから息抜きになんて口実までつけたというのにやっぱり女の子はリッチに食事するほうが良いのかな。
前に見てみたいといっていた海で一緒に時間を過ごしたかったんだけど、失敗だったかもしれない。
静かな波に揺られながら、空を仰いでどこか物悲しい表情をしている彼女を見て声をかける。
「どうしたの。らしくないね」
栗色の綺麗な髪を揺らして、まるで一枚の絵のような鮮やかさが暗い海によく映えた。
なまえは俺の声を聞いてか、それとも見上げる先の美しさへの感嘆か、こぼれるように声を発した。
「シャル、見て」
彼女の見つめる先には夏の星がこんなにも。
都会では見れないような輝きに、愁いを帯びた彼女の表情にも納得できた。
それは静かに俺たちを見ているみたいで、少しの背徳感が掠める。
「シャル、連れてきてくれてありがとう。今まで来たどんな場所よりもお気に入りよ」
その言葉を聞いて安堵した。
どういたしまして、と返すとなまえはいつもみせるような嬉しそうな顔をした。
まいったな。暗がりの笑顔はまたひときわ愛らしい。
再び夜空を見上げた彼女が、まるで私たちのこと見てるみたいねと言ったのには少し驚いたが、むしろ自分の思考が彼女に似てきているのだと気づいて、諦めたような気分になった。
それにしてもいつもは減らず口と言われるくらいお喋りななまえなのに、星に魅入る彼女はやけに静かだ。
夜空を見上げる横顔はいつもより大人びていて、星よりも綺麗だなとか本当に思うものなんだなとドラマのワンシーンを思い出す。
きっとそんなに長い時間ではないし沈黙も彼女となら心地いいけど、いつもと違う雰囲気に慣れなくて、いい加減こっち向かないかなとか思う。そんな頃に目があって、シャルと来れてよかったなんて言うもんだからズルい。
前から思っていたけどなまえってちょっと天然たらしっぽいところがある気がする。
俺もなまえをつれて来ることができてよかったよ、と返すと屈託ない笑顔を向けられた。
旅団にいるのが異質なくらい彼女は無垢で優しい。計算してやってるのなら騙されるのも悪くないと思うくらいだ。
勝ち負けでいうなら完敗、惚れた弱みとか言うんだと思う。
言葉にするとどうも嘘のように感じられるのはきっと今までそういった嘘を平気で吐いてきたからだろう。
約束しよう。
君意外にはもう二度と愛の言葉をこぼさないよ。
向こう岸までもう少し、それまでにこの感情を伝えよう。
俺はゆっくりとオールを漕いでいく。
「なまえ、あのね…」
それまではどうか、たわいのない話をさせて。