分別と

「イルミの吐く息も白いんだ」

そんな当たり前のことを驚いたように目を丸めて言うのってちょっと失礼だと思う。

「俺のことなんだと思ってんの」
「イルミだと思ってる」

アホらしい、会話するだけ無駄だ。
次の仕事までの空き時間、家に帰るには時間がないからコーヒーでも飲んで暇を潰そうと思ったけど、それが間違いだった。
席に着いた途端に馬鹿でかく俺の名前を呼んだかと思えば無視する俺の席まで走ってきて、気づいたら彼女がこの店に立ち寄った理由といかに俺と出くわしたことが奇遇なのかを早口で聞かされていた。
周りからの視線に居心地が悪くなり外に出たというのに、当たり前のように着いてくる。

「イルミはこれから仕事?」
「そうだけど」
「どこで?」
「まさか付いてくるつもり?」
「えへへ」
「えへへじゃないよ」

冗談じゃない。

「お前死体ダメじゃなかった?」

そうたずねると彼女は沈黙ののちにへらっと笑って首を横に振った。
克服したのなら連れて行ってやらなくもないがどうも様子がおかしい。
こめかみから汗、みるみる眉が下がったと思えばばつが悪そうに「死体どころか血を見ただけで失神するよ」とかぬかすものだから思わずため息が漏れる。

「そんなことで良く情報屋が勤まるね」
「情報屋だから勤まるのよ」

ふーん、そんなものか。
とりあえず付いて来てもらっては困る。
何せ以前に俺の仕事に同行したときには死体を見て倒れるだけじゃなく、帰りの飛行船で目覚めたあと嘔吐して俺の服を汚した前科がある。
腕利きの情報屋でなければ殺しているところだ。

「あの、やっぱり付いていったらだめ?」
「だめ。というか何でそんなに付いて来たがるの」
「克服したいなあと思って」
「なら戦場にでも行けば?」
「それじゃあ誰が倒れた私の面倒をみてくれるの」
「俺に付いていったところで一緒だろ」

そう言うと彼女はなぜか面食らった顔をして立ち止まり、「前は助けてくれたのに!」と無視して走る俺の背中に喚いた。
助けた訳じゃない。家まで連れて行ったのは飛行船から途中で降ろすよりも家まで直帰したほうが楽だっただけだし、なまえの洋服を洗濯したのもシャワーをすすめたのも母さんのしたことだ。

「なまえの実力なら血生臭い現場に行かなくてもやっていけるだろ」

言いたくはないけど情報屋としての腕は確かだ。
それなりに実績もあるし、彼女本人がそう言ったように情報屋として働く分には困らないだろう。
命を狙われることがあるなら護衛をつければいいだけだ。
それなのになまえは少しも嬉しくなさそうに目を伏せる。

「そうかもね」

ならなんで、とは聞かなかった。興味はあるけどそろそろ目的地に着きそうだ。
それにしてもさっきからなまえを撒こうとスピードを上げているのに結構ついてくる。
仕方ないな。

「今回はどこで野垂れ死んでも放っておくからね」

ここまで付いて来てしまっては後に引けない。
彼女は素っ頓狂な声を上げたあと大げさに喜んでみせると俺の隣に並んで走り出した。
前よりもスピードがついているのを見て少し感心する。

知らされていた場所から数百メートル離れた草木の影に息をひそめると彼女はたちまち緊張で体をこわばらせた。
さっきの元気はどこへいったのやら。
不安そうな顔の彼女を横目に見ると気配は完璧に絶てている。いい絶だ。
体術も前より向上しているようだし、それゆえにもったいない。

「そんなにビクビクされるとやりにくいんだけど」
「ごめん」

震えていた肩がピタリと止まったかと思ったら今度は膝をガタガタと揺らす始末だ。
今回は彼女がどうなろうと知ったことではない。
ただ、本当にたまたま今日の服は新調したばかりだった。
返り血で汚さないように離れた位置から狙うのに、任務後にゲロまみれになるのなんてまっぴらごめんだ。
針を放ち目の前のターゲットに命中する寸前になまえの目元を片手で覆う。
男の頭を針が貫通したのを目視したあとターゲットへ駆け寄り確実にしとめたのを確認、そして携帯を取り出しいつも通りの流れで依頼主へ口座への振込を要求する。
振り返れば後ろから気分悪そうに顔を青くしたなまえがゆっくりと後を追ってきていた。
せっかく目隠ししてやったのにこれじゃあ意味がない。

「なんでそこまでするの」
「だってあれ以来イルミから仕事こないからさ」

気分が悪いせいもあると思うけど落ち込んだように見える彼女は伏せた目を揺らがせた。

「依頼しなかったのは単に必要がなかっただけ。それに俺、仕事場に情報屋は連れて行かないよ。それとも暗殺業に興味があるの?」
「殺しに興味はないよ。ただイルミの見ているものを見たかったの」

彼女を連れてきたのは前回も今回も彼女が希望したからで、基本的に仕事は指示がない限り単独で行うのがセオリーだ。
それを許したのは、同行を許可すれば今後ゾルディックからの依頼は全て7割引で請け負うと言い出したからだ。
こっちからすればメリットしかないような取引に不審にも思ったが、変な動きをすれば殺してしまえばいいだけのことだと気づいて了承した。
今思えば汚物で服を汚されるのは相当なデメリットだったわけだけど、そのときの情報料はタダにしてもらったからまあよしとしよう。

「ごめん、もう限界」

なにが、と問う前に彼女は背を向けて吐き出した。
振り返ったときには幾分か血色を取り戻していたけど、いつもは血を見るくらいで失神することもあるみたいだし、こういう訓練は状況を悪化させる気がする。

「どう?俺の見ているものは」
「やっぱりこの光景は好きにはなれないかな」

落ち込むなまえをみて今日何度目かの溜め息を吐いた。

「なんで無理矢理ついてきたお前がそんな調子なの」
「え?」
「いつもバカみたいに煩いくせに、急にしおらしくされてもこっちが調子狂うんだけど」

彼女は目をぱちくりさせた後、目を泳がせてようやく口を開いた。

「だって、気づいちゃったんだもん」
「何に」
「あなたのことが好きだって」

今度は俺が目をぱちくりさせる番のようだ。
突拍子もなく放たれた言葉を心の中で反芻して飲み込んでいる間に彼女は続ける。

「イルミの隣にいたいと思うのに、こんなんじゃ私いつかイルミに見放される」

そこまで聞いてようやく少し理解した。
愛だの恋だの俺には全くわからないけれど、世間では愛する人と共に生きたいと思うのが一般的らしい。
愛し合っていればそうなるのが自然なことなんだろうけど、はて、自分は彼女のことを愛しているんだろうか。
母さんも父さんも彼女のことは気に入ってる方だし体術も基礎はできているが、死体が駄目ではゾルディック家として花嫁候補にはできないな。
産まれてくる子供が暗殺業を拒否することになったら大変だ。
なるほど、だから彼女は嘆いているのか。

「暗殺は俺の生業だよ。なまえにはなまえにしかできないことがあるだろ。確かに情けないとは思うけど関係を切ることはできない。お前の情報を信用してるからね」

そういうと口をすぼめてよくわからない表情で頷いた。

「飛行船を呼んだけどなまえも乗ってく?」

ターゲットの遺体を彼女の視界に入らない場所へ蹴飛ばしてそういうと、控えめな声で「いいの?」と顔を上げた。いいよと返すとまた口をすぼめる。その顔はいったいなんなの。

飛行船が遠くに見えて、着地するであろうおおよその場所が確認できたところでなまえの手を引いて歩き出すと、今度はすぼめていた口の端を上げてクスリと笑った。笑いどころがわからず小首を傾げると彼女は俺の吐く息を片手で包むように捕まえた。

「イルミの吐く息も白いんだなあって」
「またそれ?なんなの」
「…優しいねってこと」


彼女の笑った顔は鳥に似ている、帰りの飛行船でぐっすり眠るのを見ながらなんとなくさっきの笑顔を思い出す。
彼女の言った"好き"という言葉をもう一度咀嚼してから、万が一、彼女を愛してしまうことがあったとしたらどうしようか。
そんなことを考えはじめていた。

あとがき

殺し屋に恋するグロ苦手な女の子ってどうかなと思って書いてみました。
つづくかも…。