あの日から目まぐるしく平々凡々な私の日常ががらりと景色を変えた。
まず、ニュースがあった次の日、そこかしこから「ヒーロー殺しの妹」「よく来れたな」「ヒーローはもう無理だろ」と声が上がる。割りと神経は太いほうだと思っていたが、友だと思っていた子達に痛い傷口をぐりぐりと拡げられるのは流石に応えた。
一番突き刺さったのは、仲のよかったあの子から睨みつけるような視線を私に向けられ、放たれた、呪いのような、憎しみのこもった言葉。
『あんただって、』
そういえば、彼女はインゲニウムのフォロワーだった。あぁ、と納得したように声を漏らすしかなかった。ここにも居場所は無くなったなとバツをつけた。
それから、帰ってくると日に日に憔悴する母の姿。もともとおとなしい性格で体も強い方ではないのに、私を育てるために一生懸命働いてくれていた。数年前に主任を任されるようになったと嬉しそうに教えてくれていたあの仕事も、気付けば退職へと追い込まれてしまったという。パートを探そうにも、履歴書の苗字を尋ねられ、採用されない。籍を抜こうにも、役所にいくまでの周囲の視線に耐えられなかったと話していた。その視線がどんなものか私は知っていた。たった2文字の苗字は呪いだ。私だけでなく母も居場所を失ったのだ。それから母は私とあまり目を合わせなくなった。
それから、それから、事件の十数日後に来た黒スーツの人たち。学校から帰ると、空っぽになった居間に数人が唯一ある机の前で座り込んでいた。何事かと目を丸くしていると具合の悪そうな母が「名前、こっちへ座りなさい」と促す。彼らは名刺を取り出しながら政府と警察、そして犬かネズミか分からない人語を喋る生物。小さな白熊にも見えなくもない。聞けば「僕は雄英高校の校長さ!」と朗らかに笑った。
雄英高校。ヒーローを目指す誰もが憧れるトップへの登竜門。私自身受験を考えたこともあったが、母を一人で残すことへの不安と一人暮らしの費用を考えたら、地元の公立校を選ぶほかしかなかったのに。おずおずと母の隣に座ると、では改めてと校長が口火を切る。その話は私を雄英高校に通わせたいとのことだった。

「いま世間は悲しくもヒーロー殺しの信念を尊敬し、集い始めたヴィランが沢山いる。そんな者達から君を守るために我々は来たのさ!」
「……ヒーロー殺し…」

その言葉にここでもか、と溜息が溢れる。それを校長は見逃さなかった。

「不快になるかもしれないが、君を取り巻く状況は調べさせてもらった。この数日間、本当に大変だったね。」
「………いえ…」
「しかし君は素晴らしい個性と努力、才能の持ち主だ!だからこそ君をそんな環境ではなく、一流のヒーローが軒を連ねる雄英で学んでほしいのさ!」
それから黒スーツの人たちが色々と説明を始める。このまま周囲の視線に苦しむよりも新しい地で学ぶことが貴方のためでもあると。
突然のことに何も話せないでいると、黒スーツの人達が母にでは、と了承を求める。そしてこれは特例の措置であり、行政執行のひとつであると。措置、という言葉は断らせない意味を含ませていた様に思えた。それから暮らす上での助成や手続き、カリキュラム等の書類が机に並べられる。なんと、勝手な。しかし、母は先に説明を聞いていたのか、分かりましたと呟くと私の話も聴かず、ぽんぽんと判を押していく。呆然としていると母がゆっくりと書類から顔を上げた。

「名前、これはあなたの署名がいるから…」
「え……お母さん……ねぇ、お母さんってば!……校長さんも待ってください……話が急すぎて…」
「……あなたはっ!……あいつの、ステインの妹なの…ね、わかるでしょう…?」
「…そんな、私、何にもしてない!!妹って半分血がつながってるってだけじゃない!だからって、こんな……!」

監視みたいなこと。
その言葉は喉の奥でつっかえたように出てこなかった。
母の言葉はお前はステインのような危険因子だからトップヒーローのもと過ごせと言われているようで、私のこれまでの努力とプライドをずたずたに引き裂いた。
なんでなんでと子供のように喚く。目からはぽろぽろと悔し涙が流れた。だって、いくら私が拒んでも話を聞いてくれる人はいない。ただ一人、校長さんはすまない、ごめんね、と謝るばかりだった。

「っねぇ!…話聞いてよ!!……おじさんたちだって!!…私にもそれくらいの権利、 あるでしょう!?」
「大変申し訳ありませんが、コチラといたしましては早急な手続きをしていただきたく」
「名前さん。手荒になってしまいすまない。しかし、君と離れて暮らすお母さんとの身の安全は保障するよ」

何度も駄々をこねても無駄だった。校長さんが安心させるように伝えるが、その言葉で私の思考がブレーキをかけるように止まった。

「離れて暮らすって……お母さんは一緒じゃないの!?」
「名前、お母さん、もう疲れたの…分かってくれる…?」
「だって、ねぇ、私ひとりになっちゃうんだよ?!お母さん私のこと捨てるの?!」
「……ごめんね……ごめんなさい……許して………」

今度は母が涙を零す。それでも母は頬の水を拭いながら、署名し、判を押す。そんな母を侮蔑し、憎しみや哀しみ、怒り、縋る言葉で彼女を責め続ける。しかし、それでも止まらないあの涙は私のせいなのか、と思うとそれから何も言えなくなった。視界の端にずっとあるいつのにかまとめてある荷物。もしかしたら母はしばらく前からこの話を聞いていたのかもしれない。だからこのところ顔を合わせてくれなかったのか。それからは言われるがままにサインをする。もう、どうでも良くなった。

では名前さん、外の車へ、と促される。母は泣くばかりで見送りのため外に出ることすらさえしてくれず、そんな彼女にまた会えるよね?とは聞けなかった。
車に乗り込むと校長がしばらくかかるから、寝なさいと優しく告げてくれたが、誰の言葉も聞きたくなくて無視を決め込んだ。。流れる景色を見ながら、そういえば、あんな責める言葉がお母さんとの最後の会話だったのかなと思うと、涙すら溢れなかった。


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