雨の匂いがする。空は今にも降り出しそうなまま冷たい風を運んでいた。泣き腫らした目を強めに擦ると同時に、ここに座ってから何回目かのチャイムが鳴り響いた。誰かに呼びに来られるかと思っていたが、意外とバレないものなのかな。それともステインの妹なんか探しに来ないか……なんて、こんな言い方だとまるで探しに来てほしいみたいだ。この期に及んで私はまだ誰かに必要とされていたい、弱虫だ。

「あーっ、情けなっ!」

吹っ切れたように叫んでみても、心は何も晴れなかった。何がここで一番になってやるだ。ものの半日で早速挫折しているじゃないか。馬鹿みたいな自分に嫌気が差す。こんなんじゃ相澤先生に除籍されちゃうな。あー、もしかして、下手したらもう除籍になってるかも。そしたら私どうなるんだろう。どこか施設に収容されたりとかするのかな。またいきなり荷物まとめられてたりとか?もしそうなったら皆にさよならは言えなそうだな。たった数時間しか接していないのに、私は思いの外彼らのことが好きになっていたみたいだ。
ぐぅ、とお腹が鳴る。今何時なんだろう。こんな時でもお腹は減るなんて、体は正直。しかし勢いに任せて走っていたため、ここがどこだか私には全く分からない。学校に戻ろうにも手段が無いのだ。どうしようかなと考えあぐねていると遠くの方から地鳴りのようなものが聞こえる。咄嗟に身構え、ベンチ横の木に登ると、音の正体は髪の毛を乱しながら物凄いスピードで走る飯田くんだと判明した。脹脛にはバイクで見たような筒が付いていて、あの地鳴りはあそこが鳴っていたのだと思った。

「むっ!この辺だと障子君は言っていたのだが……別のところに行ってしまったのだろうか」

独り言を呟く彼は、キョロキョロとあたりを見回す。木の上の私には気づいていないようだった。先程から風がびゅうびゅうと吹き始めているからか、私の重みで木が鳴ってもそれらに掻き消されていた。
飯田くんは耳に手を当てると、いないようだがと、誰かに話しかける。様子を伺うと耳には通信機があり連絡をとっているようだった。さっきの独り言からすると、きっと障子くんだろう。

「やはりこの辺で間違いないのか…分かった、もう少し探してみる」

そう呟くと飯田くんは再び周辺を散策しはじめた。声を掛けるのもなんだか怖くて、どこかへ行ってくれないかなと願う。おかしな話だ。さっきまでは誰かに探しにして欲しかったのに、実際来られると何て言っていいか分からなくなっている。贅沢なやつだな、私は。はぁ、と溜息を思わず吐くと、飯田くんがはっと気づいた様に声を上げる。

「名前くん!いるんだろう!出てきてくれないか!!」

教室に帰ろう!麗日君や蛙吹君が待っている!




飯田くんが放った言葉は私の心臓の奥深くにずしん、と響いた。じわじわと心臓から温かい言葉が体に巡っていく。あんなに泣いたのに飽きずに溢れる涙はぽたぽたと地面に落ち、私の場所を彼に伝えた。

「そんなところにいたのか!学校の木に登るとは……それに危ないから早く降りて、」
「ごめ……ごめんなさい……ごめんなさい……!!」

最後に見たお母さんの様にただただ謝ることしかできなかった。壊れたみたいにボロボロと涙が溢れて止まらない。
ごめんなさい。弱くて、皆を傷付けて、迷惑をかけて。
でも。ごめんね。私、飯田くんが言った「帰ろう」って、その言葉が嬉しくて仕方ない。私は誰かに、ここにいていいよと言われたかった。

「……泣いているのか」
「ごめ、待って……」

ぐすぐすと鼻を鳴らしなんとか涙を止めようとするが、結局止まるまで時間がかかってしまった。それでも飯田くんは私から目を逸らさず待っていてくれた。何度も擦った目の下はヒリヒリと痛みを伴ったが風が冷やしてくれるみたいだった。改めて飯田くんを見ると安心したような顔をしていて、思わず怒ってないのと尋ねれば、それは後だと言われる。その言葉に数時間前にも思ったとおり、飯田くんらしいなと笑みがこぼれた。もう、いいや。だって数時間しか会ってないのに、こんなにも嬉しい。

「ほら、まずは降りてきたまえ」
「……高くて、むり」
「な!自分で登ったんだろう?!それにヒーローをこころざす者が高所を怖がるとは」
「ジャンプ、するから受け止めて」
「待て、君は」
「いいから」

さっきまでわんわん泣いているところを見られたから、もう何も恥ずかしくなくて、飯田くんに甘えるように我儘を言う。飯田くんは焦りながら怒りながらも手を広げてくれた。優しいな、流石ヒーロー。こんな弱虫にも手を差し伸べてくれる。

「いくよ」

そう声を掛ければ、あぁと身構えてくれる。その腕の中目掛けて数メートル上から飛び込む。私の体重とジャンプの勢いで、飯田くん諸共後ろに倒れこんだ。それと同時に鼻を飯田くんの肩にぶつけてしまい、情けない声が漏れた。地面に座り込み、鼻をさすっていると飯田くんは無言で立ち上がった。
小さくありがとうと呟けば、飯田くんは服についた芝生を払いながら行こうと手を差し伸べてくれる。
やっぱり、ヒーローだ。


「飯田くん」
「どうした」
「脚、くじいたみたい…です」




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