01
人生最悪の日だ。突きつけられた銃。顔を真っ青にして息を潜める人たち。目の前に広がる絶望的な光景に、いっそのこと意識を手放してしまえたら、どんなに気が楽だっただろうか。
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先日、名前は人間関係がうまくいかずにギクシャクしてしまった職場を退職した。数ヶ月一緒に仕事をしてきた同僚には陰口を言われていたような気もしたが、それが離れた直接的な原因というわけではない。もはや誰が悪いというわけでもなかった。幼い頃からコミュニティの中にいることが苦手だった名前には、それを理解しない職場に長くいることは不可能に近いことで。これまでも様々な職場に勤めては、どこかしらの人間関係でもつれ、転職を繰り返してきた。
これは呪いのようなものだ。生まれ持った"個性"のせいで、人とうまくやりとりする術を学んでくることができなかった。
それでも、仕事が見つかるだけマシだと名前は思う。何と言われようと結局はお金が大事なのだから。今回は運良く、すぐに新しい仕事が決まった。思っていたよりも無職である機関が短く済んだことにほっと胸を撫で下ろす。
そしてある日、次の仕事の給料をもらうまでの生活費を下ろそうと訪れた先の銀行で、名前は人生でもそうそうない事態に直面したのだった。
お昼時で人が少なかった銀行に突然現れた複数人の敵。他の客の悲鳴を聞いて名前は慌てて逃げようとしたが、あっけなく敵に捕まってしまう。
銃口を向けられ、言われるがままに部屋の隅に移動すると、そこには名前と同じように逃げ遅れた客や、銀行員たちが怯えた表情で座っていた。中にはあまりの恐怖で泣き出す子供も。「静かにしろ!」と脅迫を込めた銃弾が天井に撃ち込まれた時、もう自分の人生はここで終わりなのかもしれないと泣きそうになってしまった。
せっかくまた新しい職場でなんとかがんばろうと思ったのに。ただいつも通りに暮らしていただけなのに、どうしてこんなことに。
名前たち人質を睨む銃口がガチャっと音を立てる度、誰かの引きつったような息を飲む音が聞こえる。
「早くしろ!急がねえと人質の命はねえぞ!」
銀行強盗を企てた敵達は、外を取り囲む警察と連絡を取りながら何かを大声で喚いていた。しかし取引は平行線のままのようで、時間だけが過ぎていく。名前はどうすることもできず、ただひたすら助けが来ることを強く祈っていた。
「…何だお前、その背びれ」
「っ!」
不意に頭上から降りてきた言葉にびくっと身体を震わせる。自分じゃありませんように、自分じゃありませんように。心の中でそう願いながら俯いたが、名前の願いは虚しく、敵は名前の目の前でしゃがみ込み、俯く名前の顔を覗き込んだ。
「なあ、それ何だよ。サメか?」
「…、」
「…おい、答えろよ」
「ッ!ぅあ、そ、そうです…」
「……。ハ、なんだお前。サメなんて強そうな個性のくせにビビリかよ。つまんねぇな」
ケラケラと笑う敵。ビビリも何も、銃を向けられてビビらない一般市民なんているものか。そうは思っても声には出せず。反論も出来ない名前を見て敵の邪悪な笑みを深めた敵は、おもむろに銃を振り上げる。
「サメの個性なら反撃くらいできるだろ。黙ってないで少しは抵抗してみせろよ!」
キャアア!と誰かの悲鳴が聞こえる。振り下ろされた銃は、まっすぐ名前の頭に向かっている。避けなきゃ。そう思っても恐怖で竦んだ身体は少しも動かなかった。怖い。怖い。怖い。でも名前にはどうすることもできない。恐怖で全身が震える。怖い。誰か、誰か助けて。誰か──ヒーロー。
そう強く願った時だった。
「がっ…ぁ…!?」
「…んだ、これッ…!?」
「!?なんだ、どうしたお前らッ!」
名前たちを取り囲む敵が一斉に頭を押さえて呻き始めた。その場にいた人間は全員は何が起こったか理解できなかったが、名前は自分たちを避けるようにして敵を襲う超音波のような空気の揺らぎに気がついた。
敵たちはまともに立っていることができなくなったようで、次々と地面に転がっていく。その姿に人質は皆呆然としていると、しばらく動くことがなかった正面の自動ドアが開いた。
「今時人質をとって立て篭もりなど、つまらんな」
人質たちの目がみるみる歓喜に染まっていく。名前も助かったとぱっと顔を明るくしたが、その特異なシルエットに身体が固まる。
待って。あのシルエットは、…あの背びれのようなものは、まさか。
「人質は解放してもらうぞ、敵ども!」
No.10ヒーロー、ギャングオルカの登場に銀行内は一気に湧き上がった。敵たちはほとんどが戦闘不能だったが、つい先ほど名前を痛めつけようとした敵だけは、人質の近くにいたせいかまともに攻撃をくらわずに済んだようで、咄嗟に名前の腕を掴み、背後から拘束して銃を突きつけた。
「それ以上近寄るんじゃねえヒーロー!こいつがどうなってもいいのかよ!」
「ひっ…!ぅ…」
死。名前の脳裏にその文字が浮かび上がった。さすがのギャングオルカでも人質に傷を付けさせるわけにはいくまい。そう考えた敵は歩みを止めたギャングオルカを見てにやりと笑う。
「よォーし…いいぜ。そのまま動くなよ。動いたらその瞬間、こいつの脳天ぶち抜くぜ」
「っ!」
「…………」
どうしよう、どうしようどうしよう。私のせいでヒーローが困っている。私がこうなってしまった以上、他の人質だって無事である保障はない。なんとかしてこの状況を打破しないと。でもそんなこと、私に…。こめかみに当たる銃の感覚が怖い。怖い、けど。なんとかして逃げなきゃ。
──サメの個性なら反撃くらいできるだろ。
「い゛ッ…てェ!!!」
首元に回された敵の腕に名前ががぶりと噛みついた。思わず敵がその腕を離した、瞬間。
「あ゛ッ……!!!」
「人質をとっても無駄だ。俺はお前が引き金を引くより早く動く」
一瞬で距離を詰めたギャングオルカはふらついた名前を片腕で抱き止め、名前の決死の一撃で怯んだ敵の首を掴む。先ほどの超音波を至近距離でくらわせれば、敵はそのままガクリと意識を失った。
敵掃滅。銀行内は歓喜の声でいっぱいになった。「ギャングオルカありがとう!」「ありがとうヒーロー!」次々と人質たちから浴びせられる賛辞は二の次に、ギャングオルカは足に力が入らずもたれかかる名前に視線を投げる。
「怖かっただろう。よく頑張ったな」
「ぁ…」
こちらをまっすぐ見つめる赤い瞳に名前は言葉が出なかった。唯一飛び出しかけた言葉は必死に飲み込んだ。言えない。とてもじゃないけど言えるわけがない。何故か?それは名前がサメ個性で、目の前のギャングオルカはシャチ個性だから。おわかりだろうか。自然界において、海の王者であるシャチはサメの天敵だ。そしてそれは、名前のDNAにも色濃く刻まれており。
簡単な話だ。名前はシャチが怖かった。
「…怖がらせるのは俺も同じか。すまないが少しの間辛抱してくれ。外の警察まで君を案内しよう」
「え、いや…その……」
名前はじっとギャングオルカの顔を見つめる。もはや目が離せなかったと言っていい。黒い皮膚にぱっくり開いた目。口元に覗く鋭い歯はコスチュームの一環か、本物か。その顔は、どこからどう見ても、正真正銘シャチだった。
名前はギャングオルカの存在をもちろん知っていた。プロヒーローの中でもNo.10に位置する男なのだから。しかしそれはメディアを通じてのものだったから平気だったのであって、いざこうして本人を目の前にすると、名前は完全に委縮してしまっていた。
サメだからと言って、ギャングオルカが危害を加える気はないのは理解している。けれど名前は蛇に睨まれた蛙のように、黙ってギャングオルカの腕の中にいることしかできなかった。
ギャングオルカに付き添われ、銀行を囲っていた警察の元に引き渡される。他の人質たちも無事解放されたようで、先に警察に保護されているのを確認した。怪我や精神の状態を確認され、異常はないと判断されると、今日はこのまま自宅まで送って行ってくれることになった。
それを傍で聞いていたギャングオルカは満足したのか、踵を返し銀行に戻ろうとした。
「あっ…の!」
シャチに対する本能的な恐怖はまだ消えていない。でも、それでも名前には言わなくてはならないことがあった。
「…た、助けてくれて、ありがとう…ございました」
「…………」
「シャチョー!何してんスかー?中で警察の方々が呼んでますよ!」
「ああ、今行こう」
頭を下げた名前には今ギャングオルカがどういう表情をしているかわからない。危険なところを助けてもらっておいて、お礼も言わずに帰るのは許しがたかった。サイドキックに呼ばれる声が聞こえて、このまま行ってしまうのだろうかと顔を上げかけたその時、ぽん、と頭に重みを感じた。
「気をつけて帰れ」
またもや名前は言葉を失った。けれど、先ほどとは違う。どきどきと胸が高鳴って、うるさい。銀行に戻っていく大きな背中を見ながら、熱くなった頬を押さえた。
見た目がシャチで怖い人、だけど。それ以上に、優しい人だと思った。
「(声詰まっちゃったけど、ちゃんと言えてよかった)」
これから新しい始まりだって時に災難だったけど、今こうして無事であることに感謝しよう。名前は警官が待つパトカーに乗り込んだ。
「(…………でもやっぱりシャチは怖い)」
今にも捕食しそうな顔付きを思い出して、わずかに身体が震える。あんな見た目をしているが悪い人ではない。そんなことはわかっていても、本能的な恐怖は拭えそうにもなかった。
始めちゃいました。あんまり見かけないオルカ夢。自給自足で生きます。
オルカの超音波アタックに指向性があるかはわかりませんが、好き勝手捏造しています。
あんまり長いお話にはならない予定です。のんびり更新ですが、よければ最後までお付き合いください。