デレデレ主人公01


本日の俺のラッキーアイテムはハンカチ。
アンラッキーアイテムはシルクハット。

シルクハットを被り直す男を見ながら、今朝のラジオ占いを思い出す。
占いってバカにできないんだなと漠然と思った。

突然だがさっきまでの俺は絶好調だった。
バイト先に女の子が3人も入ってきて、歓迎会では一番可愛い子の隣をずっとキープ。
店長のアルハラを嗜めて彼女たちに好印象を与えた(と思う)。

歓迎会も終わり、バイト仲間と別れたころにはもう23時だった。
静かな住宅街を1人ふらふら歩き帰路につく。
今日は飲み過ぎた。
なんだかフラフラするし、指が8本あるように見えるし、街灯がいつも以上に眩しい。
明日は早番なのでこのままだと二日酔いが仕事に響くだろうな。

コロコロ……。
シルクハットがこちらへ転がってくる幻覚まで見える。
しかも幻覚のシルクハットは俺の靴にあたると動きを止めた。

これ幻覚じゃない。本物だ。

なんとなくシルクハットが転がってきた方向を見ると大きな男がゴミ山の上に立っていた。
いやよく見ると大きな男は獣のような恐ろしい姿をしていて、ゴミ山に見えたのは人の山だった。
なんというか、閑静な住宅街に似合わない恐ろしい光景が広がっていた。

大きな獣は、足元の人の山からぼろ雑巾のような男を引っ張り出すと2,3言何か話しかけていたが、
やがて鋭利な爪がついた人差し指を男の額に当てた。

ドキュウン!

銃声とか聞いたことないけど多分そんな感じの音がしたと思う。
音よりも早く獣の人差し指は男の額にめり込んでいた。
獣が額から指を抜くと男は倒れ、物言わぬ人の山が1人分また高くなった。

「え?…………え?」
「見たか?」

今、人が死んだ?
一気に酔いがさめると同時に思わず出た声に、獣が応えながらこちらを見た。
何も見てないです。
そう言いたいがばっちり見てしまったし、見てしまったことは明らかにバレている。
何より非日常な出来事に頭がついていかなくて何も言えなかった。

「そうか」

獣は俺の無言の肯定に対し勝手に相槌をうつと、俺の足元に視線を移した。

「悪いがその帽子をここまで持ってきてくれねェか?」

近づいたら死ぬ。頭のどこかで分かっているはずなのに、まだ思考が追いつかない。
言われるがままシルクハットを拾い上げる。
この獣にはちょっと小さいのではないだろうか。なんて現実逃避をしながら恐る恐る獣に近づいた。
獣は体躯に見合わず猫のようなしなやかさで人の山から飛び降り、俺をじっと見つめていた。

「さて、今からお前は死ぬわけだが」
俺から帽子を受け取った獣は一旦そこで区切り、何か言い残すことはあるか?と、帽子を被りながら訊ねてきた。
だけど、ですよねとか死にたくないですとかそんなことを言える空気ではなかった。

「運がなかったな。まァ楽に死なせてやる」
「わああ!!」

まだ血がついている人差し指をスッと向けられとっさに両手を獣へ突き出し叫んだ瞬間、何かが光った気がした。
一瞬目を開けたものの眩しくて閉じてしまったからよくわからない。
ただ……なんかこの光、俺の手から出てない?

光は案外すぐにおさまり、あたりは再び夜を取り戻した。光っている間に逃げれば良かったと思ったが、光がおさまっても獣はこちらを見つめるだけだった。

「……何をした」
「えっと……な、何も……」
「嘘をつくな。俺に何をした」

獣は射殺せそうな視線を向けながら俺の両肩を思い切り掴む。
思わずイタッと言うと奴はハッとしたように両肩から手を離した。

そこからの奴はまるで人が変わったかのように挙動不審だった。
思い出したように殺気のこもった目で俺を睨み、凶器のような人差し指を俺の額に当て……ようとしては指を引っ込める。
これを1分に5回かれこれ30セットは行っていたと思う。

これ、見逃してもらえるのでは?

この獣は俺を殺すか迷っているようだ。
何故このタイミングで良心に目覚めたのかは分からないが、躊躇っている今がチャンスである。
俺はジリジリと元の道へ後退することにした。

「あの、今日のことは誰にも言いませんから。俺だいぶ酔ってますし……」

だから見逃してくださいと涙目で訴えると、獣は顔に手を当て無言で天を仰いだ。
今がチャンスとばかりに畳み掛けるように言葉を続けた。

「ありがとうございます!このご恩は決して忘れません!頂いた命、大切にします!」

自分でも何言ってるのかよくわからないがもうどうだって良い。
俺は思い切りお辞儀をすると踵を返し、帰り道を全力疾走した。
いや全力疾走しようとした。

踵を返すと目の前に男がいた。
直感で先程の獣だと分かった。というか、着ている服もシルクハットも獣の服装と同じで、さらにどういうわけか男の腕が獣のようであるためいやでも同一人物だと分かった。
一瞬で背後に移動する現実離れした男に再び死を覚悟する。

「さっきの光、あれが原因のはずだ。言え。俺に何をした」
「俺にも分からないです……何が何だか……」

俺が後退するたび男が近づいてくる。
やがて壁に追い詰められると、月明かりに照らされ男の顔がはっきりと見えた。
男は眉間に皺がより、額に青筋を浮かべていることを除けばかなりの男前だった。
その男の、獣のような腕が俺の頬を掠め壁に伸びる。
いわゆる人生初の壁ドンだが俺もこの人も男だし、壁に添えた男の手は何かに抗うようにたまに痙攣しているし、視界の端で男の指が壁にズブズブと食い込む様が見えまるで生きた心地がしなかった。

「もういい。お前が俺に何をしたかは知らねェが、聞き出すのも面倒だ」

何かを振り払う様にグルルと唸った男は再び俺に殺意を向け、人差し指を俺の額に当てる。長い爪が額に刺さるが恐怖のあまり痛みは感じなかった。これはダメだ。助からない。
反射的に目を閉じた。

ドキュウン!

あの銃声が間近で聞こえた。
耳がキーンとする。
やっぱりこの人の指から鳴ってたのか。
俺の死体もあの山の一部になるんだろうか。

……。
…………?
……あれ?俺生きてる?

目を開けると、目の前の男は下を向き何かに耐える様に目を見開いていた。額には尋常ではない量の脂汗が滲んでいる。
ふと焦げ臭さを感じて横を見ると壁に穴が開いており煙が僅かにでていた。どうやら男は狙いを外した様だ。

「お前を……殺そうとすると……体が……」

男は息も絶え絶えに言葉を続ける。

「どういう手を使ったかは知らねェが、お前を……」

多分、殺すと言いたいのだろう。
奴は一度頭を振り、俺を睨みつけてこう言った。

「お前を、愛してる」
「えっ」
「違う」

男は即座に否定した。

「違う」

2回も否定した。
やがて沈黙の後、男は一言一句を噛み締める様に言い放った。

「お前を、殺す」
「本当に誰にも言わないんで許してください!!」
「殺す」

何でもするんで命だけは!!俺が半ベソで訴えると奴はシルクハットを顔に当て再び天を仰いだ。

「お金なら少ないですが全財産あげます!」

だから、と続けようとした俺の顎を長い指が掬い上げる。
男が、目線が合うよう俺の顎を固定したのだ。
顎クイだ。ちなみにこれも人生初だ。彼女ができたらやってみたいことリストのうち二つを殺人鬼相手に消化してしまった。

「何でもするんだな?」
「あの……はい……」
「なら殺……こ……こい……」

まただ。男は何かに邪魔されるように言葉が紡げないようだった。
めちゃくちゃ青筋が立っていて怖い。

とうとう男は諦めたのか無言で俺の真横の壁を殴った。そのまま一箇所を殴り続ける。破壊された壁の一部がビシバシと俺の頬に当たる。

やがて冷静さを取り戻した男は俺を見つめた。
決意に満ちたあるいは何かを諦めた、そんな目をしていた。

「俺の恋人になれ」
「えっ」

だっておかしいじゃん。さっきまでそう言う空気じゃなかったじゃん。同性だし。知り合って間もないし。
俺がドン引きしていると男は俺の胸ぐらを掴みあげこう言った。

「でなきゃ殺す」
「ハイ!よろこんで!!」

バイト先で鍛えた元気の良い挨拶が、閑静な住宅街に響き渡った。


色々ふっきれたのだろうか。何かに抗うことをやめた男は、自身をロブ・ルッチと名乗った。
そうなると俺も自己紹介しなければいけないわけで、渋々名前を告げる。

「ナマエです」
「本名だろうな」

心外である。そっちこそ本名なんだろうか。
今日はもう遅いしこのへんで失礼しますと言うとロブさんは俺の腕を掴んだ。

「送っていく」

正直言って嫌だ。家なんて知られたら後が怖い。だが俺が渋っていると、関節を増やされたいか?という質問とともに掴まれた腕がミシミシ音を立てはじめたので、泣く泣く道案内をするしかなかった。

ボロアパートの3階角部屋、それが俺の城である。アパート入り口前の切れかかった灯りの下、俺は所在無くロブさんを見つめた。
無事辿り着いたわけだが、男は一向に帰る気配を見せないのだ。
高そうなスーツを着たロブさんと築年数30年のボロアパートはなんとも妙な組み合わせであった。
ロブさんは何の感情も見えない目で錆がかった郵便受けを眺めていた。

「ここがお前の根城か」
「そうなります……」
「行くぞ」
「えっ」

ロブさんはズンズン階段を登っていく。
未だに腕を掴まれているため俺も半ば強引に引きずられていく。

「あの……部屋番号教えてないんですが」
「306号室」
「えっ」
「郵便受けに書いてあった」

ロブさんの足取りは迷いがなく、俺が借りている部屋の前で立ち止まった。
郵便受けに名前なんて書かなきゃ良かった。
鍵を開けろと言う無言の訴えに負け、懐から取り出した鍵で渋々解錠する。
安っぽい扉が錆びた音と共にギィと開くと、僅かな光が生活感溢るる部屋に差し込む。
カーテン代りとなっている干しっぱなしの洗濯物、シンクには洗わず放置している食器類、ちゃぶ台に積み上げたCD、ベッド脇で埃かぶった自己啓発本。1Rの部屋は俺の全てをさらけ出していた。
ロブさんは目の前の惨状を無言で受け止め、暫しの沈黙の後口を開いた。

「ナマエ。306号室。どうやら間違いないようだな」

もしかして今の今まで偽名とか偽造住所だと思っていたんだろうか。だとしたらどんだけ疑り深いんだろうか。
ロブさんが部屋に入ろうとする気配を察知した俺は素早く玄関と彼の間に滑り込んだ。

「何だ」
「部屋はちょっと……」
「何故」
「あのですね片付いてませんし、もう夜遅いですし……」
「夜遅いのに恋人を帰らせるのか?」

ロブさんは不機嫌そうに反論した。
多分ロブさんなら夜道どころかスラム街や戦場を歩いても危険はないと思う。

「あの……ほら、間違いが起きたら困るので」
「間違い」
「夜中に2人きりで部屋にいるのは……」
「恋人なら問題ないだろう」
「襲ったり襲われてしまうかもしれないので……」
「恋人なら問題ないだろう」

問題しかないのだ。
男相手に童貞も処女も失いたくない俺は、架空の宗教上の理由により恋人を部屋に招けないこと、婚前交渉を行えないことを伝えた。
ロブさんはそうかと言うと案外大人しく引き下がって帰ってくれた。

だから俺達は清い体のままでいることをここに報告しておく。


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