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01. 世界の終りの片隅で
出会う事の出来た人や、得る事の出来た経験の全てが、人ひとりを作る材料となり、知識となり、糧となり、生きる力になっていく。その全てを、自らの内に入れ込み、受け止め、消化し、自分のものに出来るかは、その人次第。
だけど迷っていたり、土台が未熟なうちは、何をどうしても納得のいく具合にはならない。年月が過ぎれば完成するものでもなく、反対に年月が過ぎゆくのを見送り過ぎると、何も残らないという例もあるそうだ。
ぼくらは、まだ 未完成 な こども
この全てを、生かすも殺すも、自分次第
彼の頭の中にある膨大な知識は、ここぞとばかりに活躍する日もあれば、何の役にも立たない日だってある。
それが人間という生き物だ。
完璧など、この世にあっては、彼は死んでしまう。完璧じゃなくとも、穏やかで、充実した日常を送れるように、神様は人に限界を作ったのではないだろうか。彼の限界は一体いつやってくるのだろう?飽くなき探求心と、知識欲が尽きる日など、到底やって来ないだろうと思っていた。彼に出会ったその日に、そう思ってしまった自分は、彼の一体何を見ていたのだろう。
固い鉄ほど、すぐに折れてしまう。彼という人間を概ね理解出来るようになったのは、彼と出会ってから5年もの月日を共に過ごしてからの事だった。彼も人の子であり、何もかもが完璧ではなく、折れない鉄などないという陳腐な話だ。
ただ、それだけの話。
工藤家の玄関先には、一週間も前から開封されていない段ボールが放置されている。家主である彼は、きっと当日まで放置する気なのだろう。中身が一体何なのか、気にも止めていないところが実に彼らしい。哀にもおおよそ見当の付く代物ならば、彼にとっては開けるまでもない、そう後姿が語っているように思えた。
哀は段ボールの前に膝をつき、ひとつ呼吸を置いてから、貼ってある伝票を勢い良く引き千切った。続いて、ガムテープをはがした所で、その音に反応するかのように、コナンの瞳が僅かに揺れた。
声をかければいいのに、そう哀は思ったが口にはしなかった。その代わりにコナンの視線にわざとぶつかるように、ちらりと視線をやると彼の瞳はあっけなく他へと向いた。互いに無言のまま段ボールを開くと、やっと日の目を見たその代物は、哀の上にきちんと乗っかった。真新しい香りを辺りに漂わせて。
あまりの綺麗さに声が漏れそうになった。送り主の性格や、気遣いがひしひしと伝わって来て、自分が安易に触れても良いものだったのだろうか、と哀は後悔さえし始めていた。皺ひとつない真っ新な制服に上には、可愛らしいピンクの装飾が施されたカードが添えられていた。送り主の想いを感じれば感じるほどに、そのカードを手に取る事は出来ない。彼女の想いが溢れるほどに詰まっているから。
呼吸を置いて、箱を閉じようとしたその瞬間に哀の手はコナンの言葉によって静止する。
「蘭のやつも、律儀だよな」
いつにも増して気怠いコナンの声は、どれに向けての言葉なんだろう。この行為全てに対してならば、哀はいつものように、分からないふりをする他ない。その言葉に続けて、コナンはカードを軽く持ち上げた。彼の蒼い瞳にはたくさんの感情が入り交じっているように思えて、哀は簡単に返答する事は出来なかった。そして、コナンは無言のままカードを制服の上に置き、同封されていた入学案内の冊子を手に取って、先ほどまで座っていたソファへと戻っていった。玄関に膝をついたままの哀には、彼の表情を伺い知る事は出来なかったが、きっと詰まらないといった表情を覗かせているんだろう。
制服の採寸に向かった日に、蘭に会ったのは予定外の出来事だった。それはコナンにとっても、哀にとっても。そして、その後の彼女の行動は開けられなかった段ボールが、全てを物語っている。丁寧に箱に詰められた真新しい制服と、”おめでとう”の文字が並ぶカード。
彼女は私たちの、置かれている状況については、何も知らない。だからこそ、この一連の流れに不自然さはない。でも、これ以上に残酷な事はないように思えた。私たちにとって、何ひとつおめでたい事などないというのに。
彼はきっと2週間後には、あの真っ新な制服に袖を通し、言うんだろう。
「でけぇ」
そんな姿を想像すると、閉じ込めたはずの傷が今日も痛みはじめる。今日も私たちは、過ぎ去った思い出を、内側にうまく溶かしきれずに生きている。
これで良かったのか?
その問いには、誰も答える事は出来ない。ましてや、正確な答えなどこの世に存在しているのだろうか。良くはない。望んだ形を欲するのならば良いはずがない。しかし、悪い世界でもない事も、紛れもない真実であり、現実だ。
だけど、後悔をしているわけではない。世界の終りが、来たわけではないのだ。
主人公のみがハッピーエンドで締め括られるような自己中心的なお伽噺を、私が信じていたのなら、これを幸せと呼んで良いのかもしれない。私の幸せは、ここにあるのだろう。生きている、それだけで尊い幸せなのだから。
だけど、彼の幸せを問うた時、それは音を立てて崩れていく紛い物の幸せだ。
彼の憂いを晴らすたった一つの弾丸を、今日も私は探している。たとえ、隣に並んで歩けなくても、私の世界が停止しても構わない。ただ、あなただけは、笑っていて。
ちっぽけだと笑われた真っ直ぐな正義感を、どうか失くさないで。
世界の終りの片隅で
たった一人で泣かないで
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