01.

 あと10分で三限目が始まるといった時だった。普段の彼からは想像も出来ないような慌てた様子で、新一は手帳を開いた。彼の顔は心なしか引きつっているようにも見えた。急に押し黙った友人の姿を見て、平次はまたいつもの病気が始まったのではないか、と推理したみた。そうでなければ、現在の状況に説明が付かない。三度の飯よりも大好物である、事件概要についての討論をこんな形で打ち切るなんてことは、普段の新一でははあり得ないことだ。

「おい、工藤、どないしたんや?」
「・・・・・やべぇ」
「は?もう授業はじまるで」
「忘れてたんだよっ!コナンの授業参観!」

 先ほどの平次の推理は、見事に大当たり。これが新一の唯一の弱点であるいつもの病気だ。彼の弟である、コナンのことになると、授業だとか、事件だとか、人生において全てのことの優先順位が、いとも簡単に入れ替わる。それを、当の本人であるコナンが望んでいるかは別として。平次に向かって、先ほどの言葉を口走ってからほんの5秒ほどしか経過していない。けれど、すでに新一の姿は教室の中から消えていた。

「・・・早すぎるやろ・・・授業参観て、おかんか」

 そう呟きながらも、身体は何よりも正直だ。開きかけた教科書やレポート用紙をざっと鞄に詰め込んで、新一の残していったそれらもきっちりと揃えて、新一に続くように平次も教室を飛び出した。


* * *
「はあ、やっと追いついたで、工藤」
「げ、何でおめぇまで来てんだよ」
「俺かて、小さい工藤の活躍を見逃すわけにはいかんやろ」
「・・・あいつが授業で活躍すると思うか?」
「・・・・ま、するわけないわな」
「授業聞かなくたってテストは1番だしな、鉄棒以外」
「せやったけ?鉄棒アカンのか」
「こないだの授業で派手に顔面からコケたんだよ」
「そりゃあ痛かったやろな〜」
「あ、まあ・・・でも問題はそこじゃなくて」
「お前、またからこうたんか」
「ははは・・・はい」
「なんて言うたか想像出来てまうから怖いわ」
「おめぇに見破られるほど俺ははやわじゃねぇ」
「ほなら当てたるわ、”顔面着地?!俺にも見せてくれよっ!!”」
「・・・なんでバレてんだよ」
「甘いのう、工藤〜で、その青タンか」
「げ、まだ残ってんのか!?」
「からかった後にサッカーボール打たれたんやろ」
「だって見てみてぇじゃねぇか、コナンの顔面着地!普段のあいつからは想像も出来ねぇだろ?」
「まあな〜大体のことはそつなくこなしよるからな」
 
 小学校の小さな教室の隅で、大学生二人による世間話が繰り広げられていた。周りの目も気にせず、コナンのことで仕切りに盛り上がる二人の姿は、どこの保護者よりも目立っていた。廊下にも人が溢れるほどごった返した教室内でちゃっかりと後方真ん中を陣取る辺りが、二人の本気度を物語っている。

「騒がしいと思ったら・・・来ていたのねアナタたち」

 二人の会話を引き裂くように響いたその声の主は、赤茶色の髪を耳にかけ、小さく微笑んだ。子どもだらけの教室内で、9歳とは思えない大人びた態度を取る哀のその笑みは、いつものように揶揄いの意味がこもっている。

「よぉ灰原〜!久し振りだな」
「ちっこい姉ちゃんっ!ひっさしぶりやのぉ!元気しとったか?」
「‥‥あなた達、大学の授業サボってきたわね?」
「「ゲ‥‥っ!」」
 
 まるで親に叱られたように顔を青くした大学生を見て、哀は再び含み笑いをしてみせる。新一も平次も、この場所から追い出されないことを心底願った。

「まぁいいわ。江戸川くんならもう直ぐ帰ってくると思うから」

 そう言い残し彼女は自席へと戻っていった。コナンの到着を今か、今かと待ち望んでいた二人の後ろで、小さく舌打ちが聞こえた。期待の眼差しで、振り返ると予想通りの小さな彼がそこには立っていた。いつもよりも三割、いや五割ほど増しの不機嫌そうな面を引き下げて。

「おめぇら‥‥なにしてんだよ‥‥」
「コナン?!」
「おぉっ!お前を応援しに来たんやで〜!」
「‥‥頼むから大人しくしてろよ」
「大人しくとは失礼だなワトソン君っ我々はもうっ立派な大人だよっ!」
「ワトソンはその色黒だろーが」
「はぁ?!俺がいつコイツの助手になった言うんやっ工藤ぉ!」
「「どっち呼んでンのかわかんねェから!」」

 二人の工藤の声と同時に授業開始の鐘が鳴る。いよいよ我らが江戸川コナンの晴れ舞台がはじまった。授業開始から10分の間は、並々ならぬ視線を送っていた19歳共もみっともなく騒ぐ事もなく授業を静観していた。しかし、教師からの質疑応答時間の開始と共に教室は馬鹿共の独壇場を化した。

「おいコナンっ!手ェ上げろよぉ〜」
「ホラっ!今やっ今がチャンスやっ!」
「こんなの簡単だろぉ?手ェあげろって!」
「何で上げへんのや?!先生コイツ当てたって下さーい」
「ホラっ!コナン、答えは?」
「せんせェ〜コイツわかっとるでっ」
「コナンっホラここで手上げなきゃ名探偵の名が廃るぞっ」

 他の父母達の辛辣な視線も我関せずと、矢継ぎ早にコナンへの野次が飛ぶ。何をどうすれば、こういった場所でこんなにも騒げるというのか。コナンの心中は、作り物の微笑みとは裏腹に、どす黒い感情が渦巻いていた。

「先生、すみません。兄たちが五月蠅いので退席するように言って頂けますか?」

 張り付いた笑顔でそう進言すると、教師は慌てふためいた。折角の授業参観だからと、一向に彼らに退室を促す事をしようとはしない。教師という手前、簡単にはそれが出来ないのだろう。

「いや…でも…折角お兄さんたち来て下さってるんだから…ね?江戸川くん」
「いえ、結構です。気が散りますし、授業の妨げになりますので」

 幾度目かの進言で、教師は恐る恐る彼らへと注意勧告を促した。

「そ、そう?え、えーっと‥‥そちらのお兄様方‥申し訳ないのですが‥‥」
「なんでだよコナン!」
「せやっ折角応援しとるんやから手ぇ上げて!」
「お前だけあげねぇとか恰好悪いぞぉ」
「そうやそうやっ!!」

 滝のような汗をかきながら、教師は困り果てていた。これ以上、どうこの馬鹿共に言葉をかければ良いものかと、思案し、そして混乱していたのだ。何とも、本当に、申し訳ないというか、可哀相な構図である。すると突然に、その場を引き裂くように小さな少女が立ち上がった。赤茶色の髪を揺らし、不敵な笑みを浮かべたと同時に、勢いのある声がその場に響いた。

「直ちに出て行きなさい」
「「はい‥‥」」

 背中を分かり易く落とした19歳コンビは、9歳の少女の恐ろしさを噛みしめながら、深々と謝罪をし、教室を後にした。コナンの眼差しを直視出来ず、彼の鋭いものを背中に感じながら、昇降口へと向かった。
 彼らの退室から幾らも時間が過ぎ、授業は無事に終了となった。教師の晴れ晴れとした笑みを見ると、本当に申し訳ない事をしたとコナンは小さく会釈し、謝罪した。しかし、教師の方は何もなかったかのように切り返す。「弟さん思いの良いお兄さんたちね」とむず痒くなるような台詞をくれ、コナンの頭を優しく撫でた。一方のコナンの表情は、恥ずかしさが頂点に達したような、それはもう見る事の出来ないような貴重な表情をしていて、哀はすかさず携帯のシャッターを切っていた。

 昼休みへと移行した教室内では、父母たちと給食を頬張る晴れやかな表情の子供たちが大勢いた。そんな彼らと正反対の顔を引き下げて、コナンは馬鹿共がいるであろう場所へと哀と共に向かっていた。

「はぁ、なんでアイツら来てんだよ‥‥大学あんだろうが」
「よっぽど”弟さん”の勇姿を拝みたかったんじゃないかしら」
「はぁ‥‥」

 重苦しい溜息を吐き出したコナンの表情は、少し頬が赤く染まっているような気がした。哀の勘違いかもしれないが、これはこれで嬉しいのではないかと推理してみる。まぁ、全て想像なんだけれど。

「お前のせいで出て行かされたじゃねぇかっ!」
「なんやとぉ?!俺のせいちゃうわっ!だいたいお前がでかい声であんなに名前呼ぶさかいなー」
「俺はコナンの兄貴だぞ!?名前呼んで何が悪ィんだよっ!」
「授業参観やさかいちーっとは静かにしとかんとアカン言うとんやっ」
「それならお前だって"先生ぇ当てて下さーい"とか言ってたじゃねぇかっ」
「せやかて小さい工藤が手ぇ上げへんから先生に言わな当てて貰えへんやろがっ」
「それがうるせぇからコナンが怒ったんだろっ!あーもー後でゼッテェ怒られる」
「なんや工藤、兄貴のくせに弟に尻に引かれとんかっ笑えるのー」
「っうっせぇよ!!!だってあいつ何か小姑みてぇなんだもん。引き出し開けっ放しがどうとか、使ったらさっさと直せとかもおおおお?そんな事ばっか言ってよ?」
「そんなん可愛いもんやんけ。俺なんて、アイツに何回”この色黒アカンわ”って顔されたかわからんで」
「どのタイミングでそんな顔すんだよ?!お前コナンに何したんだよ!」
「何もしてへんわボケ。ただ小学校にたまに迎えに行った時にやなぁ?」
「ゲッ!!!何だよソレ俺聞いてねぇぞ!」
「いや、だから授業が無い日で、事件も何もない日は暇やろうがっ!せやさかいたまに小学校行ってお迎えしとんのや。最近物騒やからの?」
「いや、それお前が物騒だから。お前がストーカーみてぇだから」
「ストーカーやとっ?!??俺がそんな頭のおかしい奴と同じや言うんかっ!?」
「いや、そこまでは言ってねぇけどよ?‥‥そんな事一言も言わねぇもんなぁ?コナン」
「なんや、一緒に住んどるのに会話少ないんか?」
「そう、そうだっ!聞いてくれよ服部?こないださぁ?」
 昇降口に響く二人の大人の声は、それはもう大音量だった。みるみるうちにコナンの表情が青く変化していく。それを見て哀は満面の笑みを浮かべコナンに留めを刺した。
「あの二人‥‥あなたの事以外話す内容ないのかしら?」
「帰ったら二人ともぶっ飛ばす!!!」





▼江戸川くんの授業参観
140808 → 180703(加筆・修正)
 
 























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